035)むふふ
紀元前一八二八年 クレタ島、八日目。
『牡牛跳び』が始まる。
タイムリミットが決まっている私達にとっての、一度目のチャンス。
普段の訓練場は祭事場となり、観覧席は混み合っていた。
この島に、こんなにも人がいたのかと思うほど、ぎゅうぎゅう詰めに近い。私の背中や肩が、熱気の漲った人々によって、時折小突かれるほど。
神様に捧げる儀式だから、観覧する私達にも、粛々とした態度を求められるのかと思っていたけど間違いだった。押し寄せた人々が胸を躍らせている様は、儀式と言うより、お祭りか見世物を見に来ているよう。
口々に何かを叫ぶ周りの人達と同じように、私も立ち上がって、順番を待つ在斗の姿を探した。観覧席の一番下で、少し硬い表情の在斗が、横に立つソラの話に頷いている。
在斗へ向けて説明しているソラの真摯な横顔へ、私はそっと視線を移した。
今日は何を質問しようか。
兄かと聞いた日の翌日。
「ソラと私はどういう知り合いなの?」
「母親同士が親友だったんです。よく、紬生さんの家へ遊びに行きました」
全く覚えていない。
「それは、何歳頃の話?」
「最後に会ったのは、紬生さんが小学校へ上がる前くらいだったと……」
突然言葉を切ると、ソラは両手で口を塞いだ。目が笑っている。
「おっと、いけません。質問に答えるのは一日一つでした」
「そんな! 今のは、ソラの正体に対する質問じゃないでしょ」
私は食い下がった。
「駄目です。私が関係する事柄についての質問は、どこでどんな風に、私の素性へ繋がるか知れませんので」
絶対、面白がっている。ソラって結構、性格悪いのかも。
昨日はソラの歳を教えてもらった。年末に二十一歳なると聞いて驚いた。九月に誕生日を迎える私と同い年だった。
落ち着いているのは、責任ある仕事を任されているからだろうか。
アルバイトやボランティア活動だけで、定職に就いていない自分の暮らしを、見直さなければと考えさせられる。
でもそれは、今は置いておこう。
私とソラが同い年だとすると、おまじないの記憶と合わない。
『大きくなったね、紬生』
あの言葉も、年上の者が年下の者へ言うセリフだし。
今日の質問はその辺りかな。
ん? ちょっと待って。
母親同士が親友だったって、言ってなかったっけ? だったってことは、今は違うの?
それに、みゅげみゅげの意味も気になる。でも、それは後回しでもいいか。
一日一つだけしか質問できないなんて、もどかしい。そう思ってたけど、毎日一回はソラと話す口実ができたと考えれば、心がむふふとなる。
私とソラが旧知の間柄だということを、私もソラも、他の皆には黙っていた。特に示し合わせたわけではないのだけど、結果的に、二人だけの秘密になっている。
二人だけの秘密なんて響きは、正にむふふ。
幸せな妄想は太鼓の音で、突然に終止符が打たれた。




