久能シオンVS天知ノリト
久能シオンの姿は酷いものだった。
制服はボロボロで、右腕はだらりと下げられている。目立った外傷がないのが奇妙だが、血で汚れた姿は大怪我のあとを思わせる。
彼が自分の前に現れたということは、コトヨの試練を乗り越えたことになる。
一体どんな試練だったかは知らないが、彼女のことである。生半なことでは認めはしないはずだ。――逆に言えば、八重コトヨは久能シオンを認めたということになる。
その事実に、ノリトはギリッと奥歯を噛む。
シオンはその様子を見ながら、あえて淡々と言葉を紡ぐ。
「酷い顔色だな。天知」
「はっ、そういうシオン先輩こそ、ひどい格好じゃないですか」
「実際は言うほどじゃない。問題があるとすれば、せいぜい右腕が使えないくらいだ」
身体を揺らして、シオンは力の入らない右腕を見せつける。その様子がノリトの目には余裕に映った。精神的に追い詰められている彼は、そんな些細なことが癇に障って仕方ない。
そのことを知ってか知らずか、シオンはあくまでマイペースに語りかける。
「この場に石鎚ホウキが居ないってことは、トゥルクさんは持ちこたえているみたいだな。ミラは――ステータスが消えたから負けたのはわかっている。あとは……草上か」
「は、はは! 知らないようですね。まあ、無理もありません」
探るような目を向けられて、ノリトは思わず笑ってしまう。
「ノキアお姉さんなら、ついさっき死にましたよ!」
自棄になったように、ノリトは興奮しながらまくし立てる。
「予想外にお姉さんが頑張るもので、つい本気を出してしまいました。あなたなら分かるでしょう? 僕の【言霊】は概念そのものに影響する。例え言霊を取り消しても、魂を蘇生させる手段がなければどうにもなりません。あの人は本当に死んだんです!」
「……そうか」
目を剥きながら言い募るノリトに対して、シオンは意外と冷静だった。
いっそ冷淡に、感情を感じさせない声色で、感想でも述べるように言う。
「そこまではしないだろうと思っていたが、甘かったみたいだな。草上には悪いことをした」
「……な、なんで、そんなに平然としているんです」
「何がだ?」
平坦な口調で、シオンは逆に聞き返す。
その姿に、ノリトは激高する。
「ノキアお姉さんは殺されたんですよ!? 僕があの人を殺した! それなのに、なんで怒らないんですか!? それとも、僕があの人を生き返らせるとでも期待しているんですか?」
「おい天知。どうしてお前が動揺している」
まるでたしなめるような口調でシオンは言う。
「悪ぶるには少し経験不足だな。その様子だとすぐに見透かされるぞ。大方、草上を殺してしまったのも事故なんだろう。その動揺を隠すために、お前はそんなに感情を高ぶらせている」
「し、知った風な口を」
「知ってるからな。自ら自分を追い詰める人間のことはよく知ってる――それより、天知」
そこでシオンは、口角をわずかに上げて煽るように言う。
「まさかお前、人を殺すのは初めてか?」
「……あなたは、何を言って」
「なんだ」
小馬鹿にするようにシオンは鼻で笑う。
「その様子を見るに、本当に初めてなのか」
「それならあなたは経験があるっていうんですか!? 人を、殺したことがあるとでも?」
「さてな。ご想像におまかせだ」
肩をすくめながらとぼけてみせるシオン。
その様子に、カッと頭に血が上った。
「あなたは! 僕を馬鹿にしているんですね! 自分が安全とでも思っているのですか?」
「そんなことはない。お前の力ははっきりと脅威だと思ってる。だけど――」
ニヤリと、また、シオンは口角を上げて挑発の言葉を返す。
「お前自身はただのガキだ。お前程度なら、今の僕でも十分対応できる」
「――いいでしょう」
怒りのあまり、顔から血の気をひかせながら、ノリトはシオンへと食って掛かる。
「だったら見せてやりますよ。僕の力を!」
ノリトは息を吸い込む。
一言分の空気を肺にため、送り出す。
声帯を振動させ、咽頭腔にて共鳴を起こし、口腔内にて言語を形成して外に響かせる。
生まれてから十三年の間、何度もやってきたことだ。
もはや彼にとっては手足を動かすよりも日常的な動作であり、違えることのない絶対の力だった。
唱える命令は苦痛を与えるためのもの。
肉体的にとことんまで責め苦を負わせ、許しを請わせる。そうしてぎりぎりまで追い詰めてから、彼自身の口から『敗北宣言』を引き出すのだ。
そのために、まずは内蔵を潰そう。
そう思い、ノリトはその【命令】を口にした。
「【――――】、――ッ!?」
言霊が出ない――どころか、言葉すらも明確な音にならなかった。
「――ッ!? ――ッ、――ッ!!」
ノリトはやたらめったらに叫び声をあげようとするが、どれも言葉として成立しない。唯一、空気が喉元を行き来する音だけが虚しく響く。
そんなノリトに、シオンは冷めた表情で淡々と語りかける。
「分かりきった話だが、音というのは物体を通して伝わる波動の一種で、基本的には空気を振動させて空間中を伝わっていく」
彼の左手には、携帯端末型の魔法デバイスが握られている。
そこからかすかな魔力の波が広がり、ノリトの周囲を――厳密に言えば、喉の周囲を囲っているのがわかった。
「言霊について調べてみたら、思ったよりも厄介でな。高位の言霊使いになると、たとえ対象者が聞いて無くても、発声者が言葉にするだけで効力を発揮すると聞く。使い手が高位であればあるほど、言霊は防ぐ手段がなくなる」
語りながら、彼はノリトへと近づいてくる。
「――ッ! ――、――ッ!!」
「おそらく予測されてただろうが、僕は最初、言霊を聞かないで済む方法を考えていた」
言霊とは、言ってしまえば強力な自己暗示だ。
ならば、それを認識さえしなければ、言霊は意味を成さないのではないかと考えた。
「どんな【言霊】も聞きさえしなければ大丈夫だろうと。だからもし、音を途中で打ち消す力があれば、防げるのではないかと思った」
久能シオンが持っている魔法式。
音波への魔力保存術式。少ない工程で自動化出来る魔法。ノリトが言葉を発するタイミングに合わせて同周波数の音波をぶつけて相殺すれば、言霊は打ち消せるのではないか。
しかし――と、ノリトは反論をしようとするが、口からは相変わらず音が出ない。
口の動きから言わんとすることを察したシオンは、鷹揚に頷いてみせる。
「ああ、そうだ。お前の【言霊】は強力だ。例え途中で音を打ち消したとしても、一度撃ちだされた【言霊】はその効果を失わない。なにせ、お前の【言霊】は厳密には暗示ではない。意思を言葉にすることで形而上にある情報を書き換えるカニングフォーク。いわば、言葉自体が魔法式なんだ。だから、発動されてしまったら聞かない程度で防げるはずがない」
なら――なぜ?
目を剥くノリトに、シオンは答える。
「けれど、厳密に言えば、『発声』はしないといけない」
「…………ッ!」
「【言霊】って言うくらいだ。『言葉』にならなければ発動するわけ無いだろう?」
発声には、四つの段階が必要となる。
・空気の送り出し。
・声帯の振動。
・共鳴腔での振動の共鳴。
・口内での『言葉』の形成。
この内のどれか一つが欠けても、言葉は言葉として成立しない。
つまり――発声の段階で振動を妨害すれば言霊にはならない。
「どんなにお前が超越した力を持っていようと、人間である以上、人体の限界がある」
そこで、何かを思い出したようにシオンは苦笑を漏らす。
「さすがに、喉を震わせないで声を出せるようなら、人間じゃないからな」
「…………ッ!」
ノリトは慌てて呪符を取り出した。言霊が使えないのならば、通常の呪術戦だ。呪符から黒い影を生み出して一斉に襲いかからせる――が、それは強力な音波によって阻まれた。空気が振動して黒い影は矛先をそらされる。その攻防の下を歩きながらシオンは淡々と言う。
「言ったろ。自動化は出来てるって」
ここでノリトが少しでも冷静ならば、すぐに次の手段をとれただろう。使い捨ての魔道具として扱える呪符ならば、立て続けに攻撃して体勢を崩すことも可能だった。速度と精度と言う点で魔法を満足に扱えないシオンにとって、物量で攻められることが一番厄介なのだ。
しかし、そんな簡単なことが、今のノリトには出来ない。彼の目には、にじり寄ってくる久能シオンの姿があまりにも大きく映りすぎていた。
「それで――」
後じさりながら必死に言葉を出そうと無駄な努力をするノリトに、シオンは尋ねた。
「何か言いたいことはあるか、言霊使い?」
「―――――ッッッ!」
必死の形相で叫ぶノリトを前に、シオンは小さく嘆息を漏らす。
「聞こえないな」
シオンは左手のデバイスを胸ポケットに入れると、拳を振り上げた。
※ ※ ※
ウィザードリィ・ゲーム
『マギクスアーツ』
勝者・久能シオン




