保健室の少女
草上ノキアは保健室に居た。
昼の長休みに入り、久能シオンは右腕の包帯を換えるために保健室に寄っていた。蒸し風呂と化している教室に比べると、保健室は冷房がしっかりと効いていてもはや楽園である。
そんな楽園で、自堕落なお嬢様はベッドを一つ占領してぐーすかと寝ていやがった。
「………」
幸せそうに寝ている同級生を見て、叩き起こしたい衝動をそっと抑える。
わざわざ結界を二つ張って、更に防音魔法までかけるという徹底っぷりである。ここまで来るとサボりも堂に入りすぎていて、むしろ尊敬の念すら覚える。
「つーかなんでこの術式使えるんだ。一般公開された分は実用レベルじゃないはずなのに」
彼女が使っていたのは、大気や物体そのものに魔力を張ることで、音に対して自動的に全く同じ振動をぶつけて相殺するという術式だった。一工程の自動的な防音魔法としては画期的な発明で、現在は主に軍事目的で研究されている術式だ。
そんな特殊な術式を解呪し、更に内側にかけられた結界二つを、時間をかけて破る。
シオンは保険医の来栖野聖教諭を振り返りながら言う。
「一応、結界は壊しましたけど、本当に起こさなくていいんですか?」
「はっ。構わん構わん」
ひらひらと手を振りながら、来栖野教諭はボサボサの髪の毛をかき乱す。
「室内で余計な魔法を使われたくなかっただけだから、それさえなくなりゃ文句はない。まったく、魔法式が干渉してこっちの魔法式が起動出来ねぇって言ってんのに、このお嬢様は」
粗暴な言葉遣いの保険医は、タバコでも加えるようにココアシガレットを咥えている。白衣を着ている以外はほとんどヤンキーである。もう三十代の後半にもなろうという年齢だろうが、それゆえに堂に入った姿は、患者を威嚇こそすれ癒やしはしないだろう。
来栖野教諭は、頭を乱暴に掻きながらシオンに近づく。
「そんで、包帯だっけ。ほれ、こっちに来な」
「……痛くしないでくださいよ」
「ああん? 無茶言うなよ。痛くしないと治らないだろうが」
そんなことはないと思う。
最も、不用意に文句も言おうものなら更に痛い思いをすることは学習していたので、シオンは黙って右腕を差し出した。手慣れた様子で包帯が取り替えられていく様子を見る。
「ま、随分良くなったな。早ければ週末には要らなくなるかもしれないぞ」
「この暑い中、蒸れ続けたらなんか悪化しそうな気もしますけどね」
「そうだな。だからこまめに替えに来い」
シオンとしては否定して欲しかったのだが、やはりあまり患部に良くない環境らしい。
顔をひきつらせるシオンに対して、来栖野は笑い飛ばすように言う。
「大丈夫だ。壊死したところで、培養細胞を移植しなおせばいいだけだからな。どうせ生身の右腕はほとんど残ってないんだろう?」
「まあ、そうなんですけどね」
四年前――神童と呼ばれていた頃に、自分の身の丈以上の魔法に手を出した結果である。その時の事故で、シオンは右腕の大半を失っていた。
現代においては科学技術も相応に発達しているので、再生医療による擬似生体は本物とほとんど違和感ないものとなっている。とはいえ、やはり生身とは違うため、成長期に当たる彼は定期的に調整を行う必要があった。
擬似生体技術を嫌う者は義手を求めることも多いのだが、そこは好みだった。魔法を扱う身としては、出来る限り生体に近い方が都合良いというだけの話だ。
「ふん。まあ、お前みたいな生徒は、あたしも仕事が出来て嬉しいもんだがね。そこに寝てる不良娘みたいに、仮病で毎回来られるよりは、ずっとやりがいがある」
「……追い出せばいいんじゃないですか?」
「ところが、そうもいかない」
おどけたように肩をすくめて、彼女は言う。
「小賢しいことにこの小娘、魔法で体調不良を『作って』から来やがるからな。ベッドに寝たあとですぐに回復しているのはわかっているが、曲りなりにも調子の悪い生徒を外に放り出すわけには行かん。完全にお手上げだ」
困ったやつだよ、と。来栖野教諭は苦笑しながら言った。
とはいえ、毎回となるとさすがに注意の対象になるのか、ノキアはちゃんとその辺りを計算して、二日続けて来たりはしないらしい。その辺りは抜け目がないというか、どんだけサボり慣れているんだよという話である。
前期の授業でも、ノキアは出席日数をギリギリで計算していた。学期末に円居教諭が顔をひきつらせながら成績表を配布していたのを覚えている。ちなみにノキアの前期の成績は、実技と筆記、両方共及第点すれすれだったそうで、明らかに狙ってやっていた。
一定以上の結果を出しているからこそ叱るに叱れない。
教師の間では頭の痛い生徒の筆頭となっていた。
来栖野教諭による包帯の取り換えも終わったので、シオンは保健室から出る前にノキアの寝るベッドへ向けて声をかけた。
「起きろよ、草上。昼だぞ」
すやすやと眠っている姿は、本当に幸せそうだ。彼女が実は良家のお嬢様であると言われても、おそらく誰も信じないだろう。
神咒宗家に連なる血筋であり、実業家でもある草上家の一人娘。それこそ蝶よ花よと愛でられただろうに、彼女は一体どこでこんなに擦れてしまったのだろうか。
シオンが残念なものを見る目を向けていると、ノキアがうっすらを目を開ける。
「ん? ……やぁ。ごきげんよう、シオンくん」
寝起きの無防備な姿を晒しながら、ノキアは上半身を起こすと、大きく伸びをした。着崩れた制服はシワが入り、スカートは際どい所までめくれている。寝ている間に窮屈だったのか、胸元のリボンは外されており、これまたかなりきわどい露出となっていた。
彼女はスカートを丁寧になおすと、シオンに対してニヤリを笑ってみせる。
「なんだい。ぼんやりして。もしかして、色っぽさにドキドキしたのかい?」
「あまりのだらしなさ呆れているだけだ。お前、本当にお嬢様か」
「失礼だね。これでも貞淑さは心得ているつもりさ。心がけていないだけでね」
肩をすくめながら、彼女はそう言った。
寝癖ではねた髪の毛を手櫛で整える姿は、だらしないはずなのにどこか淑やかさがある。
「それにしても」
制服のリボンを締め直しながら、ノキアはからかうように続ける。
「女子の寝顔や無防備な姿を見ておいて、まったく不純な思いを抱かない、っていうのもふざけた話だとは思わないかい? そこまで平然とされると、女子としてプライドが傷つくね。ここは礼儀として、多少ドギマギしてみせるのが筋だと思うけれど」
「そんな貧相でだらしない姿で言われてもな」
「なっ。し、失敬な! スタイルには気を使っているし、胸だって! ……た、確かにハルちゃんに比べたら慎ましいが、平均以上はあると自負しているぞ」
勢い込んで言いかけて、ノキアは赤くなりながら胸を隠す仕草をする。
誰も胸のことは言っていないのだが、確かにハルノに比べるとボリューム負けしてしまうのは否めない。とはいえ、言うほどスタイルが悪いわけでもない。
顔を紅潮させ、珍しく感情を表に出したノキアは、ふん、とそっぽを向く。
「そーかい! シオンくんは、素知らぬ顔してムッツリさんだったわけだ。だったら一刻も早くハルちゃんに伝えないと、いつ毒牙にかけられるか分かったものじゃない」
「勘弁してくれ。そんなこと姫宮に言ったら、あいつ卒倒するぞ」
気弱なハルノが青くなる姿がありありと想像できて、シオンはげんなりする。
困った顔のシオンを横目で見て、ノキアは少し機嫌を直したのか、ニヤリと笑う。
「ふむ、君もハルちゃんには弱いらしい」
「お前と違って気が弱いからな、姫宮は」
「その言い方だと、私は図太いみたいに聞こえるんだけれど?」
「事実だろ?」
おどけてみせると、こらえきれなかったのか、ノキアがけらけらと笑い声を上げた。
一息ついたところでシオンは話題を変える。
「今週に入ってから、サボりが毎日じゃないか。円居先生、怒ってたぞ」
「仕方ないじゃないか。教室が暑いのが悪い」
「その暑い中で、僕たちは授業を受けているんだけどな」
今のセリフを聞かせたら、殺気立っているクラスは一気にブチ切れることだろう。
だいたい、ノキアは技術クラスの中では珍しく実技の成績が良い生徒なのだ。
普段は手を抜いているが、手を抜けるだけの実力があるというのがそもそも貴重である。彼女ならば、あの暑い教室も何とか出来るのではという希望があった。
「お前なら魔法使って多少涼しくできるだろ。してくれよ、ほんと暑いんだから」
「やだよ、私一人が疲れるじゃないか」
バッサリと言い切ったノキアは、大きく伸びをすると、再びベッドに寝転がりながら言う。
「ずっと労働し続けるなんて怖気が走るね。それなら、一時的にでも逃げたほうがずっとマシだ。私はゆっくり、教室のクーラーが直るのを待つさ」
この涼しい保健室は、まさしく天国なのだろう。午前中ずっと惰眠を貪ったノキアは、寝転がった状態で微笑みながら、シオンに向けて言う。
「面倒は嫌だし、きついのは論外だ。つらいことも少し我慢すれば過ぎてくれる。私はね、シオンくん。怒られるくらいの我慢で面倒が避けられるなら、それでいいって思うんだよ」
「満足そうな顔して何言ってんだよお前……」
もとより説得するつもりなどなかったが、ここまで堂々と言われると呆れるしかない。
小さくため息を付いたシオンを尻目に、ノキアは「まあ、それはそれとして」と、ムクリと起き上がりながら言った。
「午後は確か実技だったね。実技室はさすがに涼しいだろうし、運動がてら参加しようかな」
「授業の参加は、本来自分で決めるもんじゃないだろ」
「ん? そんなことはないさ。学校に通うのは権利であって、義務ではないからね。教えを請う代わりに学費を払っているんだから、本来立場は同等だろう?」
「屁理屈だけは一丁前だよな、お前」
「それだけがとりえだからね」
くすくす、と笑って、ノキアは手を差し出す。
なんだそれは、と怪訝な顔をするシオンに、彼女はにこりと笑って言った。
「お昼だろう? ハルちゃんとレオくんも待っているだろうし、早く行こう。シオンくん」
調子のいい笑顔に、シオンは再びため息をついたのだった。




