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「お見舞い。若奈ちゃんとこ、行こう」

 教室ではホームルームが終わり帰り支度をする生徒のざわめきが絶えない。その中でただ二人だけ真剣な面持ちで顔を突き合わせている。

「……そう、ね」

 蒸し暑い空気に胸が焼けるようだった。なのに今も思い出すとひたりと冷たい感覚が蘇る、あの怖気はやはり本物だったのだ。

 若奈が、屋敷の二階で倒れてしまったことはそれ以外に説明がつかない。

 本人が気がついた時には熱中症になったと青ざめた顔で言っていたが美咲にはそれが腑に落ちなかった。あの二階は莉緒はまったく気づいていなかったが、身の毛がよだつほど寒かったのだから。

「ごめんなさいね、あの子はまだ熱が下がらないみたいで。ちゃんと話せるかわからないのだけれど」

 若奈の家を訪ねると母親が応対した。担任から預かったプリントを渡す名目もこじつけて、なんとか部屋には通してもらえるように交渉すると申し訳なさそうに了承してくれた。二人は恐縮しながら二階にある若奈の部屋へと入らせてもらった。

「ふたりとも……」

 ベッドに寝かされた若奈は額に冷却シートを貼って、頬をやや上気させていた。突然の訪問に少しだけ目を見開く。

「あ、ふつうに風邪、なんだ……よかったぁ」

「いや、よくないだろ風邪なんだから」

 思わず本音を漏らした莉緒に美咲が鋭いツッコミを入れる。二人の日常的なやり取りに、若奈は微笑んだ。

「あはは~ごめん、なんかあんなことがあった後だから、変に心配しちゃった……」

 莉緒が頭を掻きながら言うと、若奈はすっと笑みを消した。その変化に美咲が気がつく前に、若奈はぽつりと「……あのお屋敷」と呟く。

「え?」

 聞き取れなかったのか、莉緒は首を傾げるが美咲は聞き逃さなかった。若奈をそっと伺うと、倒れた時と同じように血の気の引いた顔――と思ったら熱があるのか、少しだけ頬に赤みが指していた。あまり長居は出来ないだろう。けれど美咲はとうとう、我慢ができずに聞いてしまった。

「ねえ、若奈。あの時二階で、何があったの」

 自分よりも恐らく強烈な何かを感じた若奈に、美咲は問わざるを得なかった。自分が感じた正体不明の何かに対する手がかりを得たいと思ったのだ。

 幽霊の正体見たり枯れ尾花、とはよく言うものでそれが何かわからないから恐怖するのであって、得体のしれない未知の現象として美咲の中でその認識がある限り、不安は消えない。

「え、え、なに、なんの話?」

「ちょっとあんたは黙ってて」

 疑問符を飛ばしている莉緒を美咲が制する。

 若奈を見返すと、美咲の眼差しから逃れるように顔を逸らした。しばらく赤い顔で視線を彷徨わせ、ようやく決心がついたように振り向く。

「それは……」

「ねーなんの話ってばー」

 空気を読まずに二人を交互に見返してくる莉緒をいよいよ邪魔に感じた美咲が彼女の肩を押しのけようと手を伸ばした。

 だが、その手は空振り宙を掴んでしまう。

「何があったって、そりゃ。こういうことをしてたのさァ」

「えっ?」

「は?」

 若奈は言うやいなや、目の前にいた莉緒を病人とは思えない力でベッドの上へ引き上げ、そのまま組み敷いた。

「あー、やっぱ生身の体ってのはいいもんだねェ。やーらかいじゃないのさ」

「わっ、わっ、若奈ちゃん、手っ!」

 押し倒されてじたばたする莉緒を余裕の表情で受け止めながら妙に艶かしい手つきをもって若奈は胸や腰を弄っている。普段の口調とはがらりと変わった喋り方が彼女の雰囲気まで変化させたようだった。

「ん~、発育はまぁまぁかねェ。どれ、味見」

「っはぅ!?」

 外から撫でるようだった手が、乱暴に莉緒の服の裾を肌蹴させ、顕になった素肌に自らの口づけを落とす。そして暴れる莉緒の動きで唇が離れそうになったところに舌を出して本当に「味見」まで済ませてしまった。その際、莉緒の艶っぽく可愛く鳴いた声が美咲の鼓膜に甘く響いた。

「……って、ちょっと若奈!?」

 突然のことに呆気にとられていた若奈だったが、目の前で起こっていることが尋常成らざる光景だということで我に返って慌てて止めに入った。

 これはもう第三者的に見て、莉緒が若奈に襲われている。性的な意味で。

「や、やめなさいよ! いきなりどうしたのッ!?」

 莉緒の上に被さる若奈を、病人だからといって手加減せずに無理やり引き剥がした。勢い余って二人して背中から床へ転がる。

「ん~なんだい、あんたが相手してくれるのかい?」

「へ?」

 仰向けに倒れ込んだ美咲を、先に起きあがった若奈が妖しく見下ろす。

 美咲は直感的に悟った。今、目の前にいる若奈は先ほど話していた若奈とは違う。なにがとは言えないが、こんな突拍子もないことをする子ではないと知っている。

 そう考えていると若奈が微笑みながら顔を近づけていることに気づいた。

「え、ちょっ!?」

 キスされる、と思わず目を瞑ってしまった次の瞬間。

「若奈ちゃんだめえ!」

 今度は莉緒の絶叫にも近い声が鼓膜に響いた。目を開けると横から若奈を突き飛ばした莉緒が肩で息をしている。

「あたたた……ったく、最近の子は乱暴だねェ」

 若奈は頭を振りながらむくりと起きあがった。その様子を剣呑そうに二人が見守る。

「あんた……若奈、なの?」

 馬鹿らしい質問だと思ったが、莉緒はなにも言わなかった。若奈の突然の豹変に思考がついていっていないのか、美咲と同じように疑っているのだろう。

「さァて。なんだと思う?」

 質問に質問を返され、美咲は舌打ちする。しかし、これで今目の前にいる若奈はいつも知る彼女の状態ではないことがわかった。二重人格の類にしては唐突すぎる気もするが、と思ったところで莉緒が声を上げる。

「もしかして、若奈ちゃんユーレイに取り憑かれてるんじゃないの!?」

「あら~、大正解~」

 暢気に拍手をする若奈。美咲はそんな馬鹿なと口を挟もうとしたところで、若奈の気配が変わったのを感じた。

「正解した賢いお嬢ちゃんはァー……」

 ゆらり、と若奈の身体が揺れる。

「私が取り憑いてあげる」

 部屋の空気が一瞬凍り付いたように冷えるのを感じた。悪寒が全身を貫き、大きく身震いする。すると、美咲は自分の隣に立っていた莉緒の身体がびくりと跳ねるのを見た。同時に、視界の端で力が抜けたように膝を着く若奈を捉える。

「莉緒っ」

 振り向いて肩に手をかけた美咲は、莉緒の表情を見て背筋を凍らせる。彼女ではない誰かの微笑みがそこにあった。

「ん~、こっちの身体の方がしっくり来るかも。余計な力も入らないし。こりゃいいねェ」

「あ、あんたいったい何なの!」

 美咲はもう目の前の現象を否定する気にはなれなかった。幽霊はいる。そして、そいつは友達の身体を乗っ取っている。それは、由々しき事態だ。

「さっきからあんた、ピーチクうるさいねェ」

「どうでもいいわよそんなこと! あんた、人の身体乗っ取ってなにしようってのよ!」

「まァ、エロ本見て顔を赤らめるお子ちゃまには刺激が強かったかねェ」

「っ!!」

 お化け屋敷のリビングでの出来事を知られている。それだけで美咲は顔から火が出るほど赤面した。

「ん……私……?」

 若奈はぼんやりしながらも意識が元に戻ったようだった。美咲は慌てて彼女のそばへしゃがみ込んだ。

「大丈夫!? 若奈!」

「う、うん……私いったい……あっ」

 莉緒を見て若奈が驚きの声を上げる。若奈は今度は莉緒が取り憑かれているのをすぐに理解したようだった。

「霊感強い子ってのは取り憑きやすいんだけど、身体を乗っ取るのはあんまり具合がよくなくてねェ。この子で現世を楽しませてもらうことにするよ」

 聞き捨てならない言葉に美咲が顔を上げる。

「莉緒の身体でなにする気!」

「そうさねェ。せっかくの生身の身体だ、適当な男と房事に耽るのもいいねェ」

「は? ぼう……?」

 聞いたことのない単語に一瞬呆ける美咲だったが、その後ろの若奈は意味を知っているのか顔を耳まで真っ赤にした。

「生きてた頃はろくな男がいなかったから、今度はこっちが楽しませてもらいたいのさ。最近だと、『あぶのーまる』な『ぷれい』が楽しめるんだろ? 屋敷に捨ててあるエロ本からいろーんな知識を知ったからねェ」

「そ、それは……まさか」

「幽霊相手じゃあフリだけの結局雰囲気だけで、快感なんて感じないんだけどさ、生身なら楽しい『えっち』が出来るんだろうさねェ」

「あ、あんた莉緒の身体でそんなことッ!」

「ああ、本にあった『ばいぶ』ってのも興味があるねェ。ありゃどんな具合なんだい?」

 莉緒の口から信じられないような単語が次々と出てきて美咲は口をパクパクさせた。

「り、莉緒ちゃんの身体から、で、出ていってよ」

 恐る恐る若奈が抗議する。はっとして美咲も加勢した。

「そ、そうよ! 幽霊の分際で生きてる人間にちょっかい出さないでよ!」

 美咲が勢い込んで迫ると、莉緒は余裕の笑みでそれを迎える。本来なら、こんな満面の笑みの莉緒を至近距離で見たことがない美咲はそれだけで一瞬怯んでしまった。

「幽霊の分際だから――いろいろ出来ることはあるんだよ、お嬢ちゃん」

 言うやいなや、部屋のラックに飾られていた写真立てやクッション、ペン立てなどありとあらゆるものが地震で揺れるように激しく振動し始めた。

「きゃっ!?」

 更にひとりでに窓が突然開き、部屋の中を突風が吹き抜ける。たまらず美咲と若奈の二人は顔を覆うが目をつぶった中で、部屋にあったものが次々と身体にぶつかってくる痛みを感じた。

 しばらくして風が止みゆっくりと目を開ける。そこには散乱した部屋の物があるだけで、莉緒の姿はどこにもなかった。

「……あいつ……っ」

「美咲ちゃん、大丈夫?」

 ぶつかってきた物は幸い、軽く人に投げつけられた程度のものだったので二人に怪我はない。開け放たれた窓からは夏の熱気がゆっくりと部屋に流れ込んでくるだけだった。



「莉緒を……っていうか、莉緒の中に入ってるあの色情狂の悪霊を探さないと」

「う、うん……」

 部屋で大騒ぎがあったせいか階下にいた若奈の母親から不審に思われてしまい、誤魔化すのに苦労した。まさか友達が幽霊に乗っ取られてしまったなどと説明しても信じてはもらえないだろう。美咲は少なくとも絶対に信じない。この身にあんなことが起きなければそういう人間のままだった。

 しかし、現実に莉緒はどこかへ消えてしまった。あんな無防備な人間が幽霊に乗っ取られたら本当に良いように身体を使われてしまうに違いない。誰とも知れない男に繁華街で声を掛ける莉緒の姿が脳裏に浮かぶ。あんなのを相手にするような奴がいるとは思えないが世の中には様々な性的嗜好を持つ人々がいる。美咲は身震いした。

「あの、莉緒ちゃんを見つけたらどうすればいいのかな」

「決まってるでしょ、あの色情狂を追い出すのよ」

「でも……私達、お祓いの仕方なんて知らないよ……?」

「……う」

 心配そうに瞳を覗きこむ若奈に美咲は言葉が詰まった。オカルト相手の対処法なんて確かに知りようがない。かといって、今から霊媒師を探して頼むにしても時間がなさすぎる。こうしてる間にも莉緒の身体がいいように弄ばれてしまう妄想を美咲はどうにか振り払った。

「若奈は、どうして取り憑かれてたか分かる? 一応当事者の一人なわけだし」

「えっと……」

 若奈は俯いて口をもごもごとさせている。そういえば彼女に屋敷での出来事を説明してもらう矢先の騒動だったことを美咲は思い出す。

「私、小さい頃から霊感、みたいなものが強くて、色々見えちゃう時があったの。それで、あの時……その、私が二階に行った時。……えっと、寝室で、その、さっきの幽霊さんと他の幽霊さんが……」

 そこまで言って顔を真っ赤にしてしまう。その言葉に流石の美咲も察しがついた。

「あの色情狂。幽霊って自覚ないでしょ、絶対……」

「それで、その、びっくりして……そしたら向こうが私に気づいたみたいで、急に全身が寒くなって……気がついたら倒れてしまっていたの」

 美咲は幽霊同士がどうにかしている姿なんて想像もしていなかったが、あの様子を見るに本当なのだろう。

「って、じゃあ時折聞こえてくる女のうめき声のようなものって……」

 考えるのも嫌になって、美咲は頭を振った。なんと俗世にまみれた幽霊なのだろう。

「そ、そうだ……」

 頭を抱えた美咲をよそに、若奈はぽんと手を叩いた。

「屋敷の、他の幽霊さんに話を聞いてみればなにかヒントが見つかるかも……」

「ちょっ、私はこれ以上オカルトなんかに関わりたくないんだけど……!」

 事も無げな提案に美咲が引く。一人だけでも幽霊相手というのでパニックを起こしそうなのに、更に違う幽霊に会わなければならないなんて、美咲には耐え難いものがあった。それに、あの幽霊のように取り憑いてきたりするかもしれない。

「でも、手がかりないんだよ……? それに、美咲ちゃんは莉緒ちゃんのこと……」

「若奈っ!」

 それ以上言わせまいと美咲は若奈を睨みつけた。

 しばらく無言の時間が続いて、根負けしたように美咲が息を吐く。

「……わかった、わかったわよ」

「うん」

 ほっとしたように笑顔を見せる若奈。

「ところで、体調は大丈夫なの?」

 思い出したように美咲が問う。熱を出して辛そうだったのをすっかり忘れていたが、若奈は力強く頷いた。

「うん、平気。多分、取り憑かれていたせいで気分や体調が悪くなってたみたい。今はすごくすっきりだよ」

 美咲は、自分が思っていた以上に目の前の友達は芯がある強い子だということを知った。



 若奈の母親には見つからないようにして二人は再び屋敷の前へやってきた。あの時と同じように、日暮れに近い時間でぼんやりとした既視感を覚える。ただ、今日は湿度が異様に高く本来なら西日が射してくる頃合いだったが代わりに空は段々と薄暗い雲に覆われつつあった。夕立が来るかもしれない。

「また変な悪霊がいなければいいんだけど」

「たぶん、大丈夫……かな」

「あの時はなかなか出てこない若奈に私と莉緒はほんとに心配したのよ。様子を見に行ったら倒れてるし」

「でも、本当にそれだけだったから……。私が倒れた時も、それ以外に悪いことはされなかったもの」

 妙に頼もしく思える若奈の言葉を信じて、美咲は扉に手を掛ける。

「中は相変わらずだね……」

 そう言う若奈に美咲も無言で同意した。蒸し暑い篭った空気が肌にまとわり付くようだった。

 あまり気が進まないがそのまま階段を上り、寝室へと足を踏み入れる。入った途端、すっと室温が下がるのが感じられた。

「幽霊、さん……」

 若奈は恐る恐る何もない空間に話しかける。彼女には何か見えているのだろうか。美咲にはただやたらに寒いということしかわからなかった。

 しばらく沈黙が続き、やがて天蓋ベッドに掛けられたカーテンがさあっと風もないのになびいた。どこか遠くから声のようなものが聞こえてくる。よく聞くとそれは女のすすり泣く声だった。

 美咲はその声にぎょっとしてあたりを見回すもやはりなんの変化も見て取れない。しかし声は徐々に空気の震える音として認識されるようになり、室内を満たしていく。その出処は、ベッドの上。

「……っ」

 美咲は息を呑んだ。

 ベッドの上にうっすらと白い影のようなものが見えた。それはこちらに背中を向けて座っている女性のようで、震える肩はか細く頼りない。時折蜃気楼のようにゆらりと揺れるそれは、風に煽られるロウソクの灯火のようだった。

 静かにすすり泣く声が続く中、若奈は意を決したように一歩踏み出した。そっと、伺うように声を掛ける。

「幽霊さん」

 白い影が振り向く。美咲はよくテレビで見るような恐ろしい死化粧を施した女の顔を想像していたが、違っていた。

 薄らぼんやりと輪郭が周囲の風景に溶けていることを除けば、そこにいたのは美咲達より二つか三つほど年上に見えるどこにでも居るような少女だったのだ。

「……あなた達は……この前来ていた」

 驚くことにその澄んだ声色は綺麗に部屋の中へ広がった。容姿そのままのイメージが声となって曇りなく聞こえる。

「驚いた……幽霊ってこんなにハッキリ見えるものなの?」

 半分独り言だったが、その美咲の言葉に幽霊の少女が静かに答えた。

「八重さんの残り香……たぶん、八重さんと強く触れ合うことがあったせいで、私の姿も見えるんだと思う。……そっか、憑いたのはやっぱりあなた達だったのね……」

 まだ涙の跡が消えない目元を拭い、少女は納得したようだった。美咲は未だに幽霊と普通に言葉を交わせているこの状況が不思議でならない。しかし、気配から感じる寒気までやはり人のものとは明らかに違うとわかる。霊感が強く、心霊現象に多少の耐性がある若奈ですら、驚きを隠せないようだった。

「あの、すみません。……この間は偶然とは言え覗きみたいなことをしてしまって」

 その若奈の言葉にかぁっと少女が赤くなるのがわかった。幽霊であるはずなのに、人間くさい反応に美咲も少し居心地が悪くなる。

「え、ていうかあの色情狂のお相手って……彼女?」

 思わず声を潜めて若奈に問うと、遠慮がちな頷きが返ってきた。美咲は「女の子同士もほんとにアリなんだ……」と半ば感心して苦笑いをする。

 若奈は当初の目的通り、おずおずと少女に尋ねた。

「たぶん、もう察しはついてると思うんですが、私達の友達が……その、八重さんに取り憑かれてしまったんです。身体を乗っ取って、どこかへいってしまって……。心当たりとか、どうやったら身体から出ていってもらえるか方法を知りませんか?」

「……幽霊をどうにかするのに同じ幽霊の私に聞くの?」

 すっと言葉の温度が下がったように感じられた。敵意とまでは行かないものの、二人に対して少女は一歩引いたように態度を堅くする。

「幽霊なら誰だって、生身の身体を欲しがる。自分の死を認められないから、現世を漂っているんだもの。……私だって、出来たらまた血肉の通った心地を取り戻したい」

「で、でも……八重さんは勝手に莉緒ちゃんの身体を使ってるんです! そんなの、ぜったいダメです……!」

 食い下がる若奈に、少女の態度はやはり冷ややかだ。

「生きてる人にはわかんないよ。幽霊の気持ちなんて。……話はおしまい。ここ、霊達が集まりやすい場所だからあんまり長居すると具合悪くなるよ」

 少女はそういって二人に背を向ける。

「え……ま、待って!」若奈が慌てた。

 ゆっくりと少女の身体が背景の壁に透けていく。止める声に彼女の返事はなく、殆ど白い蜃気楼のようになったその時。

「あんた、なんでさっき泣いてたの」

 美咲の問いかけに少女の面影が一瞬止まったように見えた。

「幽霊だから? とりあえずそれっぽく泣いてたわけ?」

「み、美咲ちゃん……?」

「あんた、あいつの恋人とかじゃないの? あいつ、人の身体使って好き放題やるっていってた。見ず知らずの男と寝るとか言ってたんだよ? それでいいわけ」

 消えかけていた少女が再び実体を持ち始める。ゆっくりと振り向いた表情は曇天のせいで暗く沈んでいるように見えた。

「幽霊の気持ちなんか私にはわかんないけど、好きな人が誰かとどうこうしてるなんて嫌だし考えたくもない。あんたは違うの?」

「……私は、」

 少女が俯く。

「私には、八重さんをつなぎ止めることなんて出来ない……私は、彼女にとってはお客さんのひとりみたいなもので、八重さんの心に寄り添うことも、死んでなお成仏できない不幸を癒してあげることも出来ない。同じ、幽霊だから」

 言葉の最後には再び少女の頬に涙が伝っていた。若奈と美咲は顔を見合わせる。

「どういうこと」

 少女はただ流れるままに滴を落としながらゆっくりと語りはじめた。

「……八重さんは、亡くなる前は戦中の時代を生きた娼婦だったの。どうして今も現世をさまよっているのかわからない。でもずっとこの屋敷の周辺にいて、行きずりの幽霊達と『遊び』をしてた。幽霊だから、気持ちいいとかそういうのはあんまりないけど、でもこの世に未練を残してる人たちはそれでも欲望の捌け口があるのがよかったの」

「死んでも娼婦やってたってわけ。どんだけ色狂いなの、あいつは」

 美咲の水を差した言葉に少し眉をひそめながら少女は続ける。

「私は、なんてことない夏風邪みたいな病気をこじらせて死んだ。もともと喘息持ちだったから。両親は私を死なせてしまったことを悔いて、その未練が私を現世にとどまらせた。私はもうどうでもよかったんだけど、そういう思いに反して死んでしまったから、やっぱり私にも悔いが残ってるのかな」

 少女は疲れたようにベッドへ腰掛ける。本来なら軋むなり、重さでマットが沈むなりするはずだがなんの変化も起こらなかった。

「それで私はさまよう間に八重さんに会って……恋をした。死んでからなんて、遅すぎたけど。八重さんは私を可愛がってくれるし、私が求めたら応えくれた。でも、それだけ」

 涙の乾かない頬に自嘲じみた笑いが浮かぶ。

「……バカみたい」

 茶々を入れる気がなくなった美咲は黙って少女の双眸を見つめる。若奈はまるで自分のことのように悲痛な顔をしていた。

 沈んだ空気に雨の臭いが微かに混じってくる。窓に目を向けると、しとしとと小粒の雨が降り始めていた。やがて驟雨となって湿度を上げ、昼間よりも蒸し暑くなるだろう。

 ささやかな雨音だけが部屋を満たす中、突然携帯のバイブ音が響いた。美咲のポケットからそれは発せられている。

「もう、びっくりしたじゃない……って莉緒から!?」

 身体を乗っ取られているはずの莉緒から音声着信。美咲は慌てて受話した。

「莉緒!? どうしたの、あんた今どこにいるの!」

「美咲ちゃん……私、ぜんぜんわかんなくて。気がついたらここにいて、どうしよう、知らない人がいっぱいいる……」

 美咲の顔から血の気が引いていく。

「あ、あんた、身体は大丈夫なの、変なことされてない!? ねえ、そこどこなの!」

「美咲ちゃん、落ち着いて……」

 すぐ横で聞き耳を立てている若奈が慌てた美咲を宥める。

「わ、わかんないよう……すごい音楽うるさい……あ、なんか……あたま痛い……美咲ちゃ……」

 美咲が矢継ぎ早に怒鳴るので聞き取りづらかったが、電話越しに重低音のクラブミュージックが聞こえてきた。その音に時折かき消されながら莉緒の声が遠ざかっていく。美咲が何度も呼びかけたが、電波状況が悪くなったのかなんらかの要因でやがて通話が途絶えた。

「どうして、莉緒は取り憑かれてたんじゃなかったの?」

「でも、まだ意識がぼんやりしてたみたいだね」

 再度莉緒に電話をかけたが電源を切られたのか繋がらなくなった。美咲と若奈は応答しない携帯を見つめる。

「……あの子、霊感強くないから一度意識が元に戻ったのかも」

 ぽつりと少女が二人に話しかけた。

「それに、八重さんは元々この周辺の土地に縛られてるからあまり遠くへは行けない。せいぜい、この屋敷から隣駅との間くらいだと思う」

「なに、ヒントくれる気になったの」

 美咲が焦りを隠しながら強気に少女を見据える。

「……人の身体を乗っ取ったって、幸せになんてなれないことくらい……私だって分かってるよ」

 その声には諦めと自嘲が混じっていた。

「あんた、もう少し嫉妬ってものをしたほうがいいと思うわ」

 美咲はそう言うとくるりとベッドに背を向けた。「なんとなく、場所の見当ついたわ。連れ戻してくる」背中越しに二人へ伝えると美咲は階段へと駆けていった。

 残された若奈は苦笑気味に少女へと振り返る。

「美咲ちゃんたら、自分だって素直じゃないくせにね」

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