第二十七話『悪あがき』
ハコは上空の雷龍を警戒して見上げていた。
すると雷龍もこちらへと目を向け、視線がぶつかった。ハコは背筋がぞわっとした。
「ほう……どうやらお前たちも、『こちら側』の存在のようだ……」
また声が響いた。間違いない。あの龍の中には氷室がいる。正確には彼の意識が。
「ハコ、今の『お前たち』って……」透はハコに確認するように言った。
「多分……私と透のこと……」
──ハコは直感的に、いろいろなことを理解していた。
ハコと透が地層と共鳴し合う体質だと、理人から説明を受けたときから──いや、それ以前から、ハコは透との不思議な『つながり』を無意識に感じ取っていた。そのつながりによって、ハコの繊細な心は支えられていた。しかし、あの雷龍を一目見たときから感じていた、自分とも似たなにか──。そして、龍の氷室が発した『こちら側』という言葉が、それを示していた。『雷龍と自分はつながっている』。否定したくとも心で感じている以上、認めるしかなかった。ハコは、自分が何者なのかわからず、恐ろしささえ感じ始めていた──。
雷龍の大きなため息が、あたりに響く。
「しかし……。せっかくの力を持ちながら、下等な人間たちに混じるなど、なんという宝の持ち腐れ。哀れだ……。特にそこの小娘。今はまだ力が小さいようだが……お前の力はいずれ脅威ともなりかねない。『邪魔な要素は徹底的に排除する』──それが私の流儀でね。悪いが、消えてもらおう」
すると龍の頭上に稲妻が集中し、激しい光を放った。
「小娘ひとりくらい、これで十分だろう。貴重なエネルギーを無駄にはできないのでな……」
龍の氷室がそう言った途端、集まった稲妻は小さな一本の雷となり、一直線にハコの方向へ落ちた。
ドォォン!!
一瞬のことでなにが起こったか、ハコには理解できなかった。
目の前が真っ白になったあと、目を開くと、自分はそこに『そのまま立っていた』。
あたりを見回してみる。透たちもみんな無事のようだ。
「外したか……」龍の氷室は冷静に言った。
「あぶなかった……」
ハコが安堵の声を漏らしたとき──
ピシッ……
背後で音がし、ハコが振り向くと、ちょうど後ろにあった石像の台座下部に亀裂が走っていた。どうやら雷はここに直撃したらしい。
ピッ…ピシッ……
亀裂は瞬く間に広がっていく。
そして、ゴゴゴ……と重低音を響かせ、斜めに傾きながら倒れ始める。
倒れる方向には──ハコ。
「ハコ!危ないっ!」
透の声がハコの耳に届いた。
しかし、ハコは恐怖で身動きが取れない。目の前に迫ってくる石像を、ただ見つめることしかできなかった。
そのとき、ハコと石像の間にさっと人影が入ってきた。
ガンっと鈍い音が響く。──石像はハコの鼻先で止まった。
「うっ、ぐぅぅ!」
目の前で声がする。
ハコが顔を正面へ向けると、石像を両手で支えている正司がいた。
両足を大きく開き、全身に力をこめて必死に耐えている。
「せ、正司!?」ハコは叫んだ。
「ぐっ……逃げろ、ハコ!」
正司の額には血管が浮き出ている。
「で、でも正司が……」
「いいから!早く!」
正司の必死の声を受けたハコは、横に倒れ込むように、その場から飛び退いた。
ハコが離れたのと同時に正司の体がぐらつき、がくっと腰が下がる。
「ぐっ…!!」
「正司っ!!」日和は叫び声を上げた。
すると、『悪魔のささやき』のような低い声が降ってきた──上空にいる龍の氷室だ。
「……余計なことを。命を投げ打つとは、愚か者め。小娘ひとりなど放っておけばよかったものを……」
透が駆け寄ろうとすると、正司が大きな声で言った。
「俺なら大丈夫だっ!!」
龍の氷室は呆れて言った。
「……虚勢を張るな……見苦しいぞ」
正司は脂汗を流しながらも、口角をくいっと上げた。
「……ははっ!虚勢ではないぞ!」
「んんっ!」
正司はさらに力を込めた。足元から砂埃が舞い上がる。
わずかだが、石像が持ち上がった。
「な、なに……?」
一瞬、龍の氷室の声に焦りが混じった。
しかし、正司がそれ以上持ち上げられないことがわかると、また冷静さを取り戻した。
「……ふっ。やはりただの虚勢ではないか。それでヒーローにでもなったつもりか?」
正司は石像を支えたまま、黙って耐えていた。龍の氷室のささやきは続く。
「無駄だったな……。お前はヒーローになどなれん。素直に諦めたほうが潔いぞ……」
──そのとき正司は、胸の奥底がじんじんと熱くなってくるのを感じた。
憧れのヒーローから大事な言葉をもらったときにも感じた、あの熱い感覚だ。それはみるみる全身へ広がっていった──。
正司は込み上げてくる想いを抑えきれずに、口を開いた。
「たしかに、俺はこれまで虚勢ばかり張っていた。みんなを導くヒーローになろうと、突っ走ってた……。でも本当は……逃げていたんだ!弟からも仲間からも、そして自分からも……!」
「──でも、もう逃げる必要はない!俺は『自分という正義』を見つけたっ!!」
「正司……」
日和はそっとつぶやいて、正司の目を見つめた。彼の言葉が心から発せられたものだと日和は理解した。
しかし、龍の氷室はどうにか正司の心を折ってやろうとしていた。
「……それが虚勢だと言っているのだ!本当は怖いのだろう?人間は臆病な生き物なのだから……」
「怖いさ!でも、だからこそ、『信念を貫くこと』が闇夜を照らす灯となってくれる!」
石像がさらにぐぐっと持ち上がる。
「悪あがきはよせっ……!」
先ほどまで見せていた『余裕』が、氷室の声から消えていた。もはや龍の威厳はそこにはなかった。
この状況でも、正司は上空の氷室をしっかりと目で捉えていた。そして、こう言い放った。
「お前にひとつ、教えておいてやるよ──」
「──臆病者の悪あがきほど、恐ろしいものはないぞ!!」
「うおぉぉぉ!!!!」
正司は雄叫びを上げながら全ての力を込め、石像を一気に持ち上げ、横へなぎ倒した。
バゴォォン!!
石像は地面で音を立て、砕け散った。
ばらばらになった石像。
砕け散った石像の顔と、上空の氷室の視線がぶつかった。石の塊が割れただけのことではあるが、氷室には屈辱的に感じられた。しかし、そのおかげで逆に冷静な思考が戻ってきた。
「……ふん。お前たちのことなど最初からどうでもよい。私には『やらなければならん』ことがあるのでな」
氷室はそう言い残し、さらに空高く舞い上がり、雲の中へと姿を消した。
その直後、雲の隙間から晴れ間がのぞき、あたりは柔らかい光に包まれた。
──ザッ…
正司はその場に膝をついた。
透たち全員が正司のそばへと駆け寄る。
「正司……!ありがとう!本当に……ありがとう!!」
ハコは涙を流して正司に感謝した。
日和はその場に座り、正司の頭を膝のあたりに置いて寝かせた。
「……あんたすごいよ。ハコを守ったんだ。──『本物のヒーロー』だよ」
力を使い果たした正司は横になったまま、ははっと力なく笑った。
沙耶は理人へ不安そうな顔を向けた。
「白凪さん、教授は一体どこへ……?」
「検討はついています……」
理人は静かに言って、背負っていた『意識の抜けた氷室』を地面に寝かせた。
「真壁さん、こっちの教授を任せます。あと、職員の方たちの誘導も」
「わ、わかりました!」
理人の後ろからハコが呼びかけた「お父さん!」
「行くんでしょ?だったら私たちも──」
理人はハコの顔の前に手のひらを突き出した。
「さすがにこれ以上は危険すぎる。ここは僕がひとりで行って説得する」
「行かせて。きっと私、行かないといけない。そう感じるの」
「……だめだ」
「お願い」
「……」
理人は、ハコの瞳の中の光を見た。
その瞳は、いつ見ても美しかった。儚くて、繊細で──いつ割れてもおかしくないガラスのようだった。だからこそ、父である自分が守ってやらなくてはと、いつも心に決めていた。
しかし…どうだ?今のこの子の瞳から感じられる力強さは──。美しさはそのままに、凛とした力強さを瞳の奥底から感じ取れた。そこには彼女の意識がはっきりと現れていた。もう、父である自分の力など到底及ばない──そう感じずにはいられなかった。
理人は観念して、ため息をついた。
「はぁー……まったく。僕が知らないうちにどんどん大きくなっていくね。そういう頑固なところ、お母さんにそっくりだ」
「わかった。みんなで行こう。ただし、葉子たちは決して近づきすぎないこと。いいね?」
ハコは静かに頷いた。透たちもハコに続いて頷いた。
透と理人が正司に肩を貸し、あとにハコと日和が続くかたちで移動し、五人は駐車場の理人のワゴンの前まで来た。自分以外の全員が乗ったことを確認した理人が、運転席のドアを開けると、背後から声がした。
「白凪さん!」
振り返ると、台車を押しながらこちらに駆けてくる沙耶の姿が見えた。
沙耶はワゴンのそばで台車を止め、肩で息をしながら言った。
「これを持って行ってください!」
台車には、アルミケースがいくつか積まれていた。
「……これは?」
理人が尋ねると、沙耶はケースのひとつを手に取って開き、中のものを取り出した。
入っていたのは、暗めの灰色を基調とした防護スーツだった。すっきりとした流線型のデザインで、胸元から腕、足にかけて淡い青のラインが走っている。理人が手に取ってみると、スーツは見た目以上に軽量で、表面はわずかに光沢を帯びていた。
「アークフラッシュスーツです」
沙耶の後ろから声がして、白衣の男性が現れた。それは非常勤職員の小原だった。彼は説明を続けた。
「放電による高熱から身を守ってくれます。それに、絶縁グローブと安全靴の機能も一体化させたデザインです」
「あの…デザイン担当は彼でして……」
沙耶はどこか歯切れ悪く言った。
沙耶の様子を気にせず、小原は自慢気になって話を続けた。
「かっこいいでしょう?二十年前のアメコミヒーローのスーツをイメージしたんです。本当は赤をベースにしたかったんですが、案が通らず、仕方なくグレーに……。あと、特にこだわったのが──」
「と、とにかく!性能は本物ですから。五人分ありますので、ぜひ使ってください!」
小原の話が長くなることを感じた沙耶は、慌てて遮った。
「ありがとう。助かります」
理人はそう言って、スーツをひとつずつワゴンへ詰め込んだ。
「教授のこと、よろしくお願いします」沙耶は深くお辞儀した。
「はい。どうにかやってみます」
理人はそう言ったあと、もう一度ふたりに感謝を告げ、運転席に乗り込んだ。
理人は運転しながら、氷室の日誌からわかったことを透たちに説明した。氷室は雷となった自身の体を操って落雷を発生させ、地層に局所的な磁場変動を起こそうとしていること。御神木復活に使った雷エネルギーは溜めたうちの一部だったため、残りのエネルギーすべてを落雷に使ったなら、これまで以上の混乱が町に起こってしまうこと──。
車内にこれまでにない緊張感が張り詰めた。
「そこまでする目的ってなに!?」日和が理人に尋ねた。
「それは本人に聞くしかないだろう……」
理人は、ここは憶測で話すことではないと考えていた。
窓の外の空が、ゆっくりと暗みを帯びていく。
「あれ見て!」
ハコが少し先に見える小高い丘を指さした。他の四人がその方向へ目を向けると、丘の上空に雲が渦を巻くように集まり、その中心から眩い光が漏れていた。
ワゴンとすれ違う路上の人びとは足を止め、丘のほうを見ている。路肩に車を停め、スマホを手に外へ出て、撮影する者の姿もある。まさに今、町全体が大きな異変と対峙しようとしている──そんな様相だった。




