焔翼の戦姫編 いまさら
「おや?どうしたんだい?そんなに汗をかいて」
「あははは うふ うふふ」
「ははは なんだい なんだい?ずいぶん楽しそうじゃないか?」
大粒の汗を流しながら、寝所へ戻ってきたメルニアを見つけて、ハフネはその顔色の良さに気がついた。
(昨日のこと、メルの中で区切りがついたみたいだけど……)
「楽しそうだね。良いことでもあったのかい?」
「ええ!とっても!うふふ」
「……そうかい。悪いことじゃないんだね?あたしたちが心配するようなことじゃないんだね?」
その言葉に赤毛の少女は、昨夜のことを思い出す。
その瞬間、心が軋む感じがした。
けれども……傍にはお兄さんがいる。
今のメルニアには、支えてくれる人が、必要としてくれる人が、愛してくれる人がいるのだ。
そして、心配してくれる人がいるのだ。
安心できた。
心強かった。
満たされた。
ありがたかった。
「ええ。大丈夫。ありがとう」
赤毛の少女は、いつものように笑う。
二人はどちらからともなく、抱きしめあった。
「あたしは味方だからね。いつでも頼って良いんだよ」
「うん。いつもありがとう」
「……メル」
先ほどとはうってかわって、真剣そのものな声色でハフネが口を開いた。
「え?……なに?」
その真剣な表情に、少女は困惑する。
「メル……アンタ」
ゴクリ
少女は固唾を飲んで次の言葉を待つ。
「アンタ……匂うよ」
「へあ!?」
それはそうだ。
ダンジョンを出てからこちら、風呂はもちろん水浴びさえもしていない。
草原に入ってからは体を拭くことすらできていないのだ。
そこへ汗をかいてしまえば、いくら空気が乾燥して匂いにくいとは言っても……。
そこで、メルニアとハフネは魔法で水を出して、入浴をする事にした。
この時の行動を、彼女たちはすぐに後悔することとなる。
まず、風呂桶というものがない。
草原の民に入浴という文化がないからだ。
そこで、囲いを作ってその中で入浴の真似事をしようと案が出る。
風呂桶がないことや、代用できそうなものの調達に苦労するなど、色々とありはしたが、昼前にはなんとか簡素ながらも浴室を完成させた。
室内には二脚の椅子を用意しており、排水に関しては、土魔法で大きな穴を掘ってそこへ流れるようにした。
「汗を流すために、もっと汗をかいてしまった」
「体拭くだけで良いとは思ったんだけどねぇ」
「えー!? だってハフ姐もノリノリだったよね!?」
「アンタが楽しそうだったから、それを眺めてたら、言い出せなくてねぇ」
長の屋敷の脇に突如として現れた、謎の物体。
当然ながら人目を引くのである。
二人は中へ入ると服を脱いだ。
入浴しようというのだ、当然である。
脱いだ服は予め用意しておいた籠に入れ、着替えの入ったガゴの横に置く。
以前の赤毛の少女なら、ハフネの体をまともに見ることができなかったが、今では慣れてきたのか、以前ほどに意識しなくなってきていた。
「では、ハフ姐、準備はいいかな?」
二人とも椅子に腰掛けて並び、緊張の面持ちであった。
「うん。ゆっくりやっとくれ」
「任せて!」
そう言うと赤毛の少女は魔法で水球を生み出した。
宙に浮かぶそれは、最初こそピンポン球ほどの大きさであったけれど、次第に大きくなり、二人の体を飲み込んだ。
「おお、ここまでは順調だねぇ」
「では、温めいきます!」
少女の目の前に、光珠が現れると、二人の首から下を飲み込んだ水球へ、極めて弱く光の矢を放つ。
すると次第に水球の温度は上がり、ついにはちょうど良い温度に達した。
「あぁ……気持ちいいねぇ」
「やれば出来るもんだねぇ」
そうやって二人が簡易風呂・風呂桶なしバージョンを満喫していると、いきなり目隠し布が捲られた。
子供である。
見張を立てていないのだ。
これが何かと気になるものがいても、止めることができないのだ。
二人はそれをすっかり忘れていて、風呂の中ではしゃいでいた。
当然外に声は聞こえるし、水音だって聞こえてくるのだから、子供の好奇心を刺激してやまなかった。
そして、その子は実行したのだ。
「おねぇちゃんたち何してるの?」
「あ!入ってきちゃだめだよ!」
揺らめく水面で見えはしなかったが、それでも反射的に隠しながらその声の主を見やる。
年のころは5歳くらいだろうか。
彼女は生まれて初めて入浴というものを見たのだ。
当然ながら、他人の裸など見たことはない。
そしてこの場で、より目を引くのは赤毛の少女――ではない。
全身に紋章魔術の紋が彫られたハフネの身体だ。
その魔術が込められた紋を見て、少女は本能的にそれを恐れた。
少女は、その紋を見て泣き出してしまったのだ。
それは――
入ってはいけないと咎められたから。
見てはいけないものを見てしまったから。
何かわからないけど、恐ろしいものを見たという感じから。
少女はそれを言葉にできず、動くことも出来ずそのまま泣き出したのだ。
そうなれば、周りの大人たちが駆けつける。
怪しげな囲いの中から子供の泣き声がすれば、踏み込むのが当然だった。
急ごしらえの、間に合わせで作った囲いだ。
乱暴に扱えば簡単に壊れてしまう。
そして、そこにいたのは、お湯の球に首まで使った裸の女が二人。
女がそんなことをしていることも驚きだが、大量のお湯がそこにそうやって存在することこそ驚きだった。
何せ草原では水は貴重で神聖なものだ。
一度にこんなに大量に出せるのは、只者ではないと大人たちは考えた。
どこからか「神子様だ」と声がする。
次第にその声は広がっていく。
その時、ハフネは気が付いた。
赤毛の少女の、泣き出しそうな顔に。
「アンタたち!何見てんだい!女の裸がそんなに珍しいかね!服を着るからさっさと散りな!」
ハフネはお湯を バシャ! と彼らに浴びせて追い払うと急いで服を羽織り、少女にも同じように羽織らせて、急ぎ宿へと飛び込んだ。
赤毛の少女は震えている。
それは、湯冷めとは違う。
「メル……あんた……なんて顔をしてるんだい」
それは、神子と呼ばれた事への、喜びと、安堵と、希望の顔。
――だが、それを塗りつぶすように、
神子と呼ばれた事への、不快と、不安と、絶望の影が、少女の中でとめどなく膨らんでいく。
膝から崩れ落ちた彼女は今、あらゆる思考が入り混じり、あふれる涙に気が付かないでいた。
震える声で言いながら、ハフネへしがみつく。少女の手は、震えている。
「いまさら……わた、私は……どうしたらいい?
ねぇ、ハフ姐、どうしたら、いいの……?」




