焔翼の戦姫編 二人きりの誓い
内面会話を続けていたお兄さんとメルニアは、いつのまにか寝てしまっていた。
途中感情の昂りや、ハフネの優しさによって涙を流すこともあったが、それでも寝たふりはいつの間にか本当の眠りへと変わっていた。
そして目が覚めてみると、ハフネに優しく抱きしめられていた。
ハフネの優しさに感謝しつつ、寝床を抜け出す赤毛の少女。
どうやら鎧はハフネが脱がしてくれたようだ。
鎧下姿で外へ出て、大きく伸びをする。
草原の、夜明け前の静謐な空気を胸いっぱいに吸い込んで、沈んだ気持ちが、ほんのすこし和らいだ気がした。
草原の向こう、空が白み始めている。
夜明け前の冷たい風が頬をなぞり、髪を弄ぶ。
少女は地平線が見える場所を求めて、歩き出す。
その歩みは徐々に早くなり、いつのまにか身体強化まで使った全力疾走となっていた。
小高い丘を登った少女は、心地よい疲労感と共に、じっと日の出を待つ。
まだ時間はある。
少女は立ち上がり軽快なリズムを口ずさむ。
それは日本人なら誰もが知っている、体操のメロディだった。
それを口ずさみながら体を動かしていく。
第二までやって第三が分からず、再び第一へと戻る。
地平線の向こう、太陽が顔を出す。
夜の帷は陽の光によって払われ、空は青く染まりゆく。
動かした体に活気が満ち、陽の光がそれをさらに高めていく。
肩で息をしながら、少女は運動を繰り返す。
《メルにゃん、メルにゃん!》
《……なに》
《こうやって運動してると楽しいよな!》
《……》
《俺はこの世界のことをよく知らない。女の子の気持ちなんてもっと分からない!》
《……》
メルニアはお兄さんの言葉をただ聞いている。
お兄さんが何かを言おうとしているのはわかる。
でも、それがまた『神子になれなくてよかった』と言うかもしれないと、少し怖かった。
《なぁメルにゃん。メルにゃんは巫女として生きてきて、神子を目指していたんだよね。……それで、生きる意味とか考えてるんだよね?》
《……》
メルニアは、ただ黙って聞いている。
運動を何セットしたかわからないくらいの頃、少女の体は大粒の汗をかいていた。
全身にかいたその汗は、髪を肌に貼り付け、薄い鎧下を透けさせるほどだった。
陽の光が眩しい。
青々とした草原は輝きを宿し、生命に溢れているように見える。
草原を吹く風が、火照った体に心地よかった。
※※※※
集落の民の朝は早い。
日の出前に起き出し、家事や家畜の世話をする。
そうやって起き出した彼らの目に、とてつもない速さで駆け抜ける赤い何かが目に入った。
何事かと追いかけた民がいた。
そのあまりの速さに最初から騎獣に乗って追いかける者さえいた。
彼らは、まるで飛ぶように遠く前を行く存在を、精霊か何かだと考えていた。
精霊を目にすることなど、一生に一度あるかないかの出来事だ。
彼らは必死で追いかけた。
追いかけて『何をする』という考えはなかったが、それでも追いかけずにはいられなかったのだ。
しかしやがて、その姿を見失った彼らは、周囲を探して回った。
その時、騎獣に乗って追いかけていた一人の少年が、丘の上で一心不乱に踊る存在を発見した。
その存在は、夜明け前の空へ向けて踊り、祈りを捧げていた。
少年はその姿を、夜の闇を祓い、太陽を生み出す儀式のように思えた。
やがてその存在は、太陽へ向けて跪き、まるで己の心臓を差し出すように、両手を掲げた。
それを見た少年は、直感したのだ。
『神子』の誕生を。
※※※※
時は少しだけ遡る。
赤毛の少女は一心不乱に体操をしている。
《転生前の俺の夢は『連休が欲しい』だった! 就職前は出世して美人の嫁さんをもらうことだった! 大学生時代は世界の波を乗りこなすことだった!》
《お兄さん……なにを……?》
《高校の頃は可愛い彼女を作ってイチャイチャすることだった!》
《……は?》
現在そのポジションにいると自負しているメルニアには、聞き逃すことができない言葉だった。
《中学の頃はヒーローに憧れていた!》
《ちょっと!可愛い彼女ならここに……》
メルニアは自身の過去と現在の不幸よりも、これから先――将来の幸せが重要だと思えるようになってきていた。
それはお兄さんの言葉や温もり、融合した魂から伝わる、言葉にできない思いが、そうさせたのかもしれない。
《小学生の頃はヒーローになりたかった!》
普段話すことのないお兄さんの昔の話だ。
《……》
《子供の頃は!ヒーローになれると思ってた!》
昼はかっこよくて、夜は少し変態なお兄さんの、純真な子供時代を思って頬が緩む。
《……》
《メルニア!》
《!? は、はい!》
《俺をお前のヒーローにしてくれ!最後のその瞬間まで、俺はお前のヒーローになってやる!》
なんとも自分勝手な言い分だ。
けれども、自身を無価値だと思い込んでいた少女を、求める言葉だった。
《……お兄さん》
《俺と一緒に生きろ!俺が生きる意味になってやる!だから、結婚しよう!》
今のメルニアを認め求める、お兄さんの全霊をかけた言葉だった。
その瞬間、メルニアの胸に、温かな実感が広がった。
——ここにいていい。
それだけで、十分だった。
《……あ“あ”あ“!お兄”さぁん!》
お兄さんは、昇る太陽にメルニアを重ねて見た。
そして静かに跪き、何もない手を差し出す。
そこに指輪はない。
けれど――二人には、それが輝いて見えていた。




