焔翼の戦姫編 黒百合の園にて、咲く白百合を
ミルユルの城は元は小さな砦であった。
しかし今や、この地方を治める大氏族の居城であり、領都の城であり、草原世界への関所でもある。
幾度となく周辺諸国群同盟の侵攻を跳ね返してきた城砦なのだ。
そうして、増築と拡張を繰り返してきた結果、その規模は、この西ラプトリス大陸でも屈指のものであった。
当然、部屋数は多く、新人の衛士や侍女は城内で迷子になる。
あまりにも毎年毎年迷子が出るものだから、城の者達からは春の風物詩とまで言われるくらいだった。
その無数にある部屋の中には、同じような用途の部屋がいくつもあった。
赤毛の少女とハフネが通されたのは、そのうちの一つ。
御前様へ謁見する用の部屋――黒百合の間だった。
正面には豪奢な椅子が二つ。
メルニアの父であるラウガル用と、御前様用であった。
部屋は魔法の光を使って明るかったが、壁紙や絨毯が黒系統のもので統一されているため、印象としては暗い。
そしてその椅子に座るのは、御前様。
父・ラウガルは不在であった。
《そういえば、あの椅子に父上が座ってるのをみたことないな》
《……》
《お兄さん?》
《……》
《あの人綺麗でしょ?》
《だね!めっちゃいい!あの黒髪も綺麗だし、何よりただそこにいるだけなのに、大人の女の魅力がすごい!》
《……わかってると思うけど、人妻で、子持ちで、一応、父上の奥さんだからね?》
《……父上が羨ましい》
《お兄さん!》
メルニアが緊張していると、その傍でいつも緊張をほぐしてくれるお兄さん。
それがわかっているからこそ、メルニアも本気で怒ったりはしなかった。
壇上にあるその椅子に座るのは、烏の濡れ羽色の髪を持ち、その瞳は黒曜石色の輝きと、鋭い叡智を備えていた。
まさに大氏族の棟梁の正妻に相応しい品格を持っていた。
父ラウガルが彼女を重んじるのも分かるというものだ。
御前様――彼女の名は『ヌバタマ』。
はるか東方の出身である。
膝を折って控えるメルニアの後ろには、六鍵の四人――ショージー、サルマール、セイロ、ショー――とハフネ、キオリス、カトムの七人が控えていた。
彼らは城が出した費用で礼服を仕立て、本日この場に参上していた。
その衣装はそれぞれの国の様式に沿って仕立てられており、ミルユルの格を示していた。
「よく戻りました」
その声は玲瓏としてよく通り、誰にも逆らえぬ威厳を備えていた。
「貴女が行方不明になったと聞いた時は、どれほど心配したことか……無事……とは言えませんが、それでも本当に、よく戻りました」
赤毛の少女は視線を伏せて黙ったまま。
後ろに控えるハフネやセイロは、顔を上げないままに疑問を抱いた。
なぜメルニアは返事をしないのかと。
「貴女がどのような目に遭ったのか、あの審問会にて知っています。さぞ辛かったでしょう……大丈夫ですよ。そんな穢れた貴女でも、嫁に貰ってくれる家が見つかりました」
どこからか、含み笑いが聞こえた。
おそらくヌバタマの侍女からだろうと思われた。
しかし、それを咎める者はいなかった。
「ようやく、女として役に立つ時が来ましたね。ヌバタマは嬉しく思いますよ」
その言葉は自然だった。
あまりにも自然な口調だったため、その場の誰もが一瞬、その意味を受け入れてしまいそうになった。
しかし当然、受け入れられない者が居た。
ハフネとセイロである。
ハフネは昨夜、赤毛の少女と深い仲となったのだ。
そんな相手が、誰かの嫁になるなど、『はいそうですか。おめでとう』となるはずがない。
そしてセイロはと言えば、赤毛の少女を『いつかは俺の嫁に』と考えていた。
彼なりに純粋に、真剣にメルニアに恋している。
そんな二人だ。
抗議の声を上げても不思議ではなかった。
実際にはセイロが立ちあがろうとするのを、サルマールが無言のうちに阻止したのだった。
しかし、ハフネはメルニア本人に詳しいことを聞くべきだと判断した。
ある種の余裕を備えていたのだ。
仮に立ちあがり声を荒げたらどうなっていたか――
そんな事をしたら、最悪の場合……次の朝日を拝むことができなかっただろう。
目の前の麗人は、それだけの権力を持っているのだから。
赤毛の少女が、流石に抗議しようと顔を上げた時、ヌバタマと目があった。
子供の頃から彼女は絶対的存在であった。
親に逆らうなどもってのほかだと、躾けられてきた。
そんなメルニアは、目が合った瞬間、まるで射すくめられたかのように、目を伏せてしまっていた。
「ミナリカ、面をあげなさい。穢れてしまったとは言え、それでもそなたは我がミルユルの――あの女の娘。お父上のお役に立てるのですよ。喜ぶべきところでしょう?」
ミナリカとは、メルニアの諱である。
ヌバタマの言葉は、この時代この世界においておかしくはない。
けれども――伴侶はお兄さんだと決め、さらにハフネともすでに契りを交わしている。
メルニアには、とうてい受け入れられるものではなかった。
故に今度こそ――目を逸らさず、正面から堂々と、宣誓したのだった。
「私、ミルユル・メルニア・ミナリカは、すでに伴侶と定めた者がおります。契りも交わしました。ゆえに此度のこと、お受けできません!」
周囲から憶測混じりのざわめきが起こる。
そんな中、セイロだけは別の意味で落ち着かなかった。
「俺のことかな!?」
あるはずもなかった。




