服装は個人の自由だけど、TPOは守りましょう。
商店で買ったカナディルの街の地図を地面に広げ場所を確認。目の前にある店を見て、視線を店名の書かれた看板に向ける。
「ここ、だよね」
疑念が拭えず、周りの建物と地図に記載されている店の位置、店名を見比べ再度確認。
「間違ってないのがおかしい⋯」
位置を照らし合わせ、この店で間違ってないことが分かると顔を上げる。
買った地図とセルンさんが語った内容から〈熊八亭〉という宿屋を探し当て、店前までやって来たのだけれど⋯。
「んー⋯やっぱり変だなぁ⋯。なんで普通に営業してるの⋯?」
普通の宿屋が普通に営業している分にはなんらおかしなことはない。
じゃあ目の前の宿屋は何がおかしいのか。
それは、娘であるセルンさんが3ヶ月以上も前から行方不明だというのに、街中や店の外等に娘を探してますみたいな張り紙が見当たらないこと。そして帰ってこない娘を心配しているような雰囲気を感じないこと。
その2つが気になって変だなと声が出た。
いやまあ、お金がなくちゃ生活していけないから、お店を長期間閉めるなんてことはできないだろうし、やるとなればお客さんに落ち込んでいる姿を見せるのは良くないから、元気よくっていうのは分かる。
所詮は初めてここに来て初めてここを見た私が、個人的に感じ漏らした感想に過ぎない。
もしかしたら、一人は店を開け生活費を稼ぐ、他の人達でセルンさんの捜索をする。といった具合に捜索活動をしているのかもしれない。
彼女がこの場所この街から失踪して3ヶ月とちょっと。
その間の彼らの行動を何も知らない第三者が、初めて見て得た情報だけで推測し決めつけてしまうのは良くないこと。反省しつつ、宿屋の周りにある低い生垣から少し顔を出す。
樹木を並べて植えた垣根は、店に合わせた雰囲気作りとしての意味合いが強い。
なぜなら、外から簡単に中の様子が見えるから。
飛んでるから見えるとかじゃなくて、そもそも垣根が低くて宿屋の大きな窓ガラスを隠せていない。だから外から中の様子を確認、観察し放題。
「⋯普通に宿屋って感じの宿屋ですね。宿屋だから当然だけど」
〈熊八亭〉という宿屋は、大きくもなく小さくもない建物で営業中。
一階は食堂になっているようで、食事している人がちらほらいる。
朝食というには遅く、昼食というには少し早い時間。この時間にこれだけの客が入っているというのは、かなり人気のある宿屋と言えるのではなかろうか。
「お、会計かな」
手前にあるテーブル席を立つ70代と思われるご夫婦らしき2人。食事が終わり、会計をしに店員さんの元へと向かう。
年配の方だし常連さんなのかもしれない。セルンさんが失踪している間、そして今現在何か行動を起こしているのかいないのか何か知っているかも。
宿屋から出てきたところで声を掛けて、さりげなく情報を引き出しましょう。
探偵とか刑事みたいだな。なんて思っていると、左側から感じる気配または視線。
パッと振り向くとそこには、少女が着るような服を身に着け眼鏡をかけた20代くらいの男性が立っていた。
「いらっしゃいませっ。お泊まりですかっ?お食事ですかっ?よろしければ中へどうぞっ」
足音なんて聞こえなかったぞと驚いていると、目の前の男性が無邪気といった感じの笑顔を浮かべ元気に挨拶をしてきた。
絞り出したような無理やり高くした声に、大人がしているのはあまり見かけない無邪気な笑み。正直ちょっと不気味に感じる。
「あ⋯ど、どうも」
「あれ⋯?先程からうちの店を覗いていたので、入るのに躊躇してるのかもって声掛けに来ちゃったんですけど⋯違いました?違ったらごめんなさい」
細身の体型とはいえ男性は男性。サイズが小さいのか、着ている白のTシャツは体に沿いピチピチパツパツ、丈が足りずにへそ出し状態。
中にインナーと下着を着ているようで、2つの幅が違う肩紐が透けて見えていた。
「あー⋯いえ、そうなんです。入ろうかなどうしようかなって迷ってました」
「やっぱりそうだったんですねっ。どうでしょう、泊まる泊まらないは中で考えませんか?涼しいですよー?」
下に履いているのはデニム生地のショートパンツだが、ボタンが閉まらず金具も閉じておらずで開きっぱ。無理やり履いたような下半身を覆う窮屈そうなスパッツが顕になっており、薄っすらと女性物の下着の線が浮かぶ。
服の趣味は人それぞれ。別に何を着ようが本人が良いと思っているのならそれでいいし、他人がとやかく口を出すことじゃない。出していいことではない。
でもね、だけどね、一個だけ言わせてほしいんだ。TPOっていうかなんていうかそういうのはあると思うんです、よね。
なので、あの⋯そのボタン、閉めた方がいいと思いますよ⋯?
閉まらないのなら閉まるサイズのものに変えればいいし、ないならちゃんと着れるものを着てください。
あなたにとっては見せることで完成するコーデなのかもしれないですけど、他から見たら変態に見えますよ。それ本当に見せていいやつですか⋯?
口を出したら藪蛇なので、心の中で思うだけ。言葉にして届けることはしません。
伝われこの思い。目を閉じてテレパシー。
「セルンちゃーん、注文いーい?」
そう思っていると、店の中から客らしき人の声が聞こえた。
こんな時間からお酒を飲んでいるのか、顔を赤らめたスキンヘッドの男性がドアを開けこちらに手を振っている。
「はーいっ。今行きまーすっ」
客の声に反応したのは目の前にいる彼。笑顔でそれに応え手を振り返す。
「セルン⋯?」
聞き馴染みのある名前に首を傾げる。どうして彼がセルンと呼ばれているのか分からなかったからである。
目の前の男性はNPCではなくプレイヤー。頭上に浮かんでいるのは、SPIRITsnackという文字。確実にセルンという名前ではない。あだ名だろうか?
「それでお客様はどうします?入りますか?」
「あの、不躾にすみません。先程聞こえたのですが、あなたの名前はセルンさんと言うのですか?」
不躾であることを自覚しながら相手の問いを無視する形で質問。気になりすぎて聞いてしまった。
だってうちの店って言ってたのは〈熊八亭〉のことで、その宿屋の客からセルンちゃんと呼ばれていたのだから。
「はいっ。アタシ、セルンって言いますっ。そこにある宿屋、〈熊八亭〉の娘ですっ」
返ってきた答えは確定の言葉。
やはりうちの店というのは〈熊八亭〉のことで、彼の名前はセルンだった。
「⋯⋯はい?」
そして同時に生まれた疑問が1つ。娘ってどういうこと?
男性に見えてただけで実は女性⋯⋯いや、どう見ても男性アバターだな。
娘と言いながら女性アバターでないのはどういうことなのか、体は男性のまま女性として扱ってもらってるということなのか、色々と疑問湧き。
実際堂々と〈熊八亭〉の娘と言っていることから、あの宿屋にいるNPC達から娘として扱われているであろうことはなんとなく分かるが。
しかしながら自身のことをセルンと名乗り呼ばれるSPIRITsnackさんは、私の知っているセルンさんと住んでいる所が一緒で名前も一緒。
これを偶然と言われて信じれるほど馬鹿な頭はしていない。
彼がなぜ自身をセルンだと語るのか。なぜセルンと呼ばれているのか。
意図的に別の名前を語り呼ばれる理由で思いつくのは2つ。
一つ目は、〈熊八亭〉のNPC達に気に入られ娘として受け入れられて、セルンという名前で暮らしているということ。
ただし、本物のセルンさんから聞いた話の中にそれらしい人物は出てこなかったしエピソードもなかったので、娘として受け入れられたとすれば失踪後。
娘がいなくなったことを機に全くの赤の他人を娘として向かえる、それも娘の名前で。
これは狂人の行動。何も言わなくてもおかしいと分かるので、この理由ではないはず。
二つ目は、なりすましの線。
何らかの意図をもってセルンさんになりすまし、目的を遂げようとしているということ。
しかし言動と服装は少女然としていてそれらしいとは言えるが、それ以外の全てが知っているセルンさんとは違う。パッと見て違うとすぐに分かるのでなりすましは不可能なように思える。
だが、この世界に存在する魔法や魔術等の超常的な力の中には、私が知らないものが山とある。前世のゲームプレイであまり触ることはなかったから余計に知らないものは多い。
もしかしたら他者を欺く魔法や魔術があるのかもしれない。
もし二つ目の理由が当たっているとするならば、彼の目的は一体⋯?
失踪中のセルンさんに代わり、自身がセルンとなることで達成できる目的とはなんなのでしょう。成り代わることで手に入れたい何かがあるのでしょうか。
目の前の彼が着ているものは自分で購入したものなのか、自分で作ったものなのか、それともセルンさんの衣類を盗んで着用しているのか。頭の中でぐるぐる考えながら口を開いた。
〘地図アイテム︰コアキュヨウ帝国首都カナディル内の地図〙
技術の都と呼ばれるカナディルの街の地図。
大体の施設やお店等が描かれている。
新しい建物が建ったり取り壊されたりすれば、地図職人が新たに地図を作ります。購入時の最新地図。




