横浜の罠㈢
「混沌」の魔女と「秩序」の堕天使。最悪で最強な二人の狂気の共闘劇!
東の魔女と西の堕天使。互いの存在を「許しがたい不協和音」として認識し、水面下で強烈な殺意と嫌悪感を募らせていた彼女たちの日常が、唐突に破られたのは、それからさらに数日後の夜のことであった。
横浜の北條家。
自室のアンティークなデスクで、明日の古文の予習をしていた孝子の耳に、部屋の隅に飾られていた古い真空管ラジオから、突然、ザーッという耳障りなノイズが飛び込んできた。電源は抜いてあるはずの、ただの骨董品である。
「……ガーディ」
「へっ。ええ、お嬢様。何者かが、私の張った地獄の霊的結界を強引にすり抜け、この部屋の電波に直接干渉してきておりやすぜ。ただの人間に出せる業じゃありません」
影から現れたガーディが、油断なく周囲に地獄の瘴気を漂わせながら警戒の態勢を取る。
ノイズは次第に一つの音声のようなものに変わり、やがて、機械で合成されたような、性別も年齢も分からない不気味な声がラジオから響き始めた。
時を同じくして、神戸の高清水家、地下ラボラトリー。
次世代のガジェットの設計コードを猛烈な速度で打ち込んでいた亨の手が止まった。ラボの壁面を覆う全てのモニターが、突如として真っ黒にブラックアウトし、エラーを知らせる赤い警告灯が明滅を始めたのだ。
「何事ですの、亨さん?」
ソファで難解な哲学書を読んでいた凉子が、柳眉をひそめて立ち上がる。
「……信じられません。このラボのメインサーバーは、外部のネットワークから物理的にも論理的にも完全に遮断されているはず。ハッキングなど不可能なのに……!」
亨が驚愕の声を上げる中、ブラックアウトしたモニターの中央に、白い文字で暗号化されたメッセージが、まるでタイプライターで打たれるかのように一文字ずつ表示され始めた。
横浜のラジオから流れる合成音声と、神戸のモニターに表示される文字。それは、全く同じ内容のメッセージであった。
『拝啓、赤き混沌様、青き秩序様』
「……ほう? わたくしたちの正体を知っている者がいるとは。面白いですわね」
孝子は、ラジオに向かって冷たく、そして妖艶に微笑んだ。
「……何者かしら。わたくしの神聖なラボに、土足で踏み込んでくるなんて。ええ度胸しとうやん」
凉子は、モニターを鋭く睨みつけた。
『先日の関ヶ原における、お二方の素晴らしい「演習」、とくと拝見させていただきました。つきましては、お二方のその類まれなる異常な才能を見込み、当方より極秘の依頼をご提案したく存じます。
明日の深夜二時。横浜港、本牧埠頭の第七D倉庫。
そこにおいて、東南アジアの巨大裏社会シンジケートと繋がる、大規模な人身売買組織の非合法な取り引きが行われます。取り引きされる「商品」は、およそ三十名の少年少女。
依頼内容は、この組織の完全なる「殲滅」。報酬は、裏社会の相場の十倍をご用意いたします。
――そして、もう一つの情報として。
この取り引きの場には、貴女方が探しておられる「青い稲妻」、そして「赤い閃光」もまた、それぞれの目的のために姿を現す手はずとなっております』
「……ッ!」
その言葉を聞いた瞬間、孝子と凉子の瞳の色が、同時に鋭く変わった。
『なお、当方は「神託」と名乗る者。お二方がこの舞台に上がることを、心よりお待ち申し上げております』
メッセージはそこで途切れ、横浜のラジオは元の沈黙に戻り、神戸のモニターは再起動して通常のデスクトップ画面へと復帰した。
「お嬢様、これはどう考えても罠ですぜ」
ガーディが、影の中から低く唸った。
「『神託』などという得体の知れないブローカーの名前、裏社会の長きにわたる私の記憶の中にも一切存在しやせん。奴らは、お嬢様とあの『青い光』の女を、意図的に同じ場所に呼び出し、衝突させようとしている。我々二つの『異常』をぶつけ合わせて、何かよからぬデータを取ろうという魂胆が見え見えですぜ」
「凉子様、極めて危険です。この非論理的な依頼は完全に無視すべきです」
神戸のラボで、亨が緊迫した声で進言する。
「相手は、我々の情報を極めて深く探っています。人身売買組織の殲滅などただの口実。真の目的は、凉子様とあの『地獄の炎』の主を接触させること。これは、第三者が用意した悪意ある実験場です」
常識的に考えれば、サポート役の二人の進言は完全に正しかった。姿も見せない謎の存在が仕掛けた、見え透いた罠。それに自ら飛び込むのは、死地に赴くようなものである。
だが。
「まあ、ガーディ。あなたらしくもない。そんなに怯えることなどありまして?」
孝子は、机の上の引き出しからアタッシェケースを取り出し、愛用の電光剣のグリップを撫でながら、心底楽しそうに、妖艶な笑みを浮かべた。
「得体の知れない『神託』とやらが、わざわざわたくしのために、最高のお稽古の舞台を用意してくださったというのに。それを無碍にするなど、お嬢様としての礼儀に反しますわ」
「しかし、お嬢様……相手は未知の存在ですぜ!」
「罠であろうと構いませんわ。あの忌ま忌ましい青い光の主を、この手で八つ裂きにし、極上の悲鳴を奏でるパーティーにいたしましょう。明日の夜は、忙しくなりますわね」
彼女の魂は、未知の罠への恐怖よりも、ライバルを自らの手で蹂躙できるという強烈なサディズムの誘惑に、完全に敗北していた。
「……罠であろうと、関係ありませんわ、亨さん」
一方、神戸の凉子もまた、純白の特殊戦闘スーツが収められたクローゼットを開きながら、絶対的な自信に満ちた声で言い放った。
「そこに、人身売買などというこの世で最も醜く、処理すべき『ゴミ』が存在し、さらにあの下品で忌まわしい赤い炎の主も現れるというのなら。わたくしが自ら出向き、その全てをまとめて『浄化』する。ただそれだけのことですの」
「凉子様、お待ちください!」
「ダボが。わたくしの完璧な論理を、得体の知れない罠ごときで崩せるとでも思っとんのかしら。思い知らせてやりますわ。この世界を支配するのは、醜い混沌ではなく、わたくしの秩序であるということを」
凉子の瞳には、もはや一切の迷いはなかった。
東の魔女と、西の堕天使。
決して交わるはずのなかった二つの絶対的な異常が、今、「神託」と名乗る見えざる者の掌の上で、互いの首を掻き切るために、漆黒の夜の海、横浜の港へと引き寄せられようとしていた。
偽りの鎮魂歌の第一楽章が、静かに、そして残酷に、幕を開けたのである。
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魅力的なキャラクターたちが躍動する物語をお楽しみください。




