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第24話 滑稽なピエロの終幕

 午後8時55分。

 ジャスティス・マスクによる『緊急暴露配信』の開始まで、残り5分と迫ったアンチフレアの地下ハッキングラボ。

 張り詰めた緊張感が漂う中、モニター群の前に立つ佐藤のスマートフォンが、不意に軽快な着信音を鳴らした。


 画面には、佐藤が保護した子猫を預けている動物病院の獣医師からの、ビデオ通話の着信が表示されている。


「……こんな時間に、何かあったのか」


 佐藤は僅かに眉をひそめ、通話ボタンをタップした。


『あ、佐藤さん! 夜分遅くに申し訳ありません。どうしても、今すぐ佐藤さんに見ていただきたいことがありまして!』


 画面越しの獣医師は、なぜか興奮気味に声を弾ませていた。

 カメラのレンズが切り替わり、保育器の中でふかふかのタオルに包まれている、サビ柄の小さな子猫の姿が映し出される。その傍らには、佐藤が自身の匂いをつけるために置いていった、ネイビーのシルクのネクタイが丸められていた。


『佐藤さん、画面に向かって、少しだけ声をかけてみてくれませんか?』

「……? ああ。……元気か」


 佐藤が低く、しかし普段の冷酷な処刑人のそれとは全く違う、深くて優しい声で画面に呼びかけた。

 すると、その声に反応した子猫の耳がピクッと動き、まだ薄い粘膜に覆われた青い瞳が、タブレットの画面をしっかりと捉えたのだ。


「みゃあ!」


 子猫は短い鳴き声を上げると、まだおぼつかない足取りで、タオルの上をよちよちと這い進み始めた。

 そして、画面に映る佐藤の顔の真正面までやってくると、まさかの行動に出た。

 小さな両前足をタブレットの画面にペタッと押し当て、佐藤の指が映っているあたりに自分の頬をすりすりと押し付けながら、ゴロゴロと喉を鳴らし始めたのだ。


『生後数日で、画面越しの飼い主の声を認識して甘えに行くなんて、普通はあり得ないんですよ! よっぽど、佐藤さんに命を救われた時の手の温もりが安心したんでしょうね。あまりにも可愛くて、ついお電話してしまいました』


 画面の向こうで、小さな毛玉が必死に佐藤の映像に寄り添おうとしている。

 その信じられないほど愛らしく、そして健気な生命の輝きを前にして――佐藤の表情筋が、かつてないほど劇的に、そして限界までだらしなく緩みきった。


「おお……。なんという賢さだ。本当に、私を呼んでいるのか……。よしよし、もう少しで迎えに行くからな」


 画面に向かって本気でデレデレに相好を崩す佐藤の姿を、背後から見ていたヒロインたちは、全員が信じられないものを見るような目で固まっていた。


「……ねえ千尋ネエ。うちの悪魔みたいなボス、完全に顔が溶けちゃってるんだけど」


 襟華が引きつった笑いを浮かべる。


「え、ええ……。法廷でもあんなに無防備な顔、一度も見たことないわ……。あの猫、恐るべきハニートラップの才能があるわね。グレタも形無しだわ」


 千尋も、驚きのあまり手に持っていたコーヒーカップを傾けたまま硬直していた。


 背後の不穏な気配に気づいた佐藤は、ハッと我に返り、一瞬で『死神』のような本来の冷徹な顔へと表情を戻した。


「こほん。……獣医の先生、わざわざありがとうございました。引き続きよろしくお願いします」


 佐藤は冷静さを装って通話を切り、咳払いをしてネクタイを締め直した。


「……小さな命の力強さは、素晴らしいな。よし、英気は十分に養われた」

「ボス、いくら誤魔化しても手遅れだよ。さっきの顔、ラボの監視カメラのログにしっかり保存しといたから」

「襟華、後でそのデータを完全に消去しろ。これは命令だ」


 ラボ内に一瞬だけ、和やかな笑い声が響く。

 しかし、時計の針が午後9時を指そうとした瞬間、その空気は一変し、極度の緊張感と殺意を伴った『情報戦の最前線』へと完全に切り替わった。


「時間だ」


 佐藤が宣言すると同時に、大型モニターに映し出されたジャスティス・マスクの生配信がスタートした。


★★★★★★★★★★★


『さあ、全国15万人のリスナーども、待たせたな! 今夜は、日本のネット史上最大の巨悪を暴く、伝説の配信になるぜ!』


 不気味なピエロのマスクを被った男が、歪んだ優越感に満ちた声で吠える。

 彼の背後で稼働しているPCのUSBポートには、黒幕『ネットフィクサー』の中枢サーバーへのアクセス権を持つ物理暗号キーが、しっかりと接続されていた。


『今日俺が血祭りに上げるのは、最近メディアでも持て囃されてる炎上対策コンサル会社、アンチフレアの代表・佐藤だ! こいつは正義の味方面をしてるが、その本性は、自分で企業を炎上させてから対策料を巻き上げ、インサイダー取引でボロ儲けしていた最低のクズ野郎だ!』


 コメント欄が爆発的な速度で流れ始める。


『え!? あのコンサルが!?』

『マジかよ、サイテーだな』

『証拠はあるのか!?』


『当然、完全な証拠がある! まずはこれを聞きな!』


 マスクが得意げに、匿名のタレコミフォームから送られてきた「音声データ」を再生する。

 自らのインサイダー取引とマッチポンプを冷酷に語る、佐藤の声が全世界に流れると、視聴者の怒りは一気に沸点に達した。


『うわぁ、真っ黒じゃん』

『逮捕確定だろこれ』

『ジャスティス・マスク、よくやった! お前こそ本物の正義だ!』


 絶賛の嵐を浴びたマスクの承認欲求は、今まさに天を突き破るほどの絶頂に達していた。


『はははっ! 見たか佐藤! お前のような偽善者は、俺の正義の鉄槌で社会から完全に抹殺してやるよ!』


★★★★★★★★★★★


 同じ頃、アンチフレアの地下ラボ。


「ボス、対象が物理暗号キーの認証を通したまま、配信のトラフィックを限界まで広げてる! 彩ネエが仕掛けたスニッファ経由のバックドア、完全に全開だよ!」


 襟華が、キーボードを狂ったような速度で叩きながら叫ぶ。


「黒幕の中枢サーバーの暗号キー、ダウンロード開始! 対象の強固なプロテクトを突破しながら抜くから、完了まで約3分!」


「よし。その3分間、奴のPCをネットワークの最前線に繋ぎ止めておく必要がある」

 佐藤は、画面の中で勝利を確信して笑うピエロを、絶対零度の瞳で見据えた。


「罠の第二段階を起動しろ。……あちらの『自滅プログラム』のスイッチは、奴自身に押させよう」


 佐藤の静かな号令とともに、襟華の指がキーボードを滑る。

 アンチフレア側から大々的なサイバー攻撃を仕掛けるのではなく、マスク自身がダウンロードして開いている『捏造された告発データ』の中に仕込まれた、時限式のスクリプトを遠隔でアクティブ化したのだ。


★★★★★★★★★★★


『さあ、さらなる決定的な証拠の裏帳簿を見せてやるぜ!』


 赤羽のマンションの一室で、マスクが勝ち誇ったようにマウスをクリックし、配信画面に裏帳簿のPDFファイルを大写しにしようとした、その時だった。


「……あ? おい、なんで画面が勝手にスクロールしてんだ!?」


 マスクが手を触れていないにもかかわらず、裏帳簿のページが高速でめくれ上がり、一番最後のページでピタリと止まった。

 そこには、先程まで彼が見ていたはずの架空の口座番号の羅列ではなく、巨大な太字で『404-NOT-FOUND(そんな証拠は存在しない)』という文字が躍っていた。

 さらに、インサイダー取引が行われたとされる日付の欄が赤くハイライトされ、『※この日は証券取引所の休場日です。基本的なフェイクにも気づかないのですか?』という、小馬鹿にしたような注釈が自動でポップアップ表示される。


『は? なんだこれ……!?』


 マスクが困惑して固まっている間に、今度は先程流したばかりの『佐藤の音声データ』が、配信ソフト上で勝手に逆再生され始めた。


『……ンセマシテシ楽ン高最、ローピな稽滑。ンセルレ踊てし信を嘘い甘……』


 奇妙な逆再生の音声が、やがてクリアな機械音声へと自動的に変換され、15万人の視聴者の耳に届けられた。


『……甘い嘘を信じて踊る、滑稽なピエロ。最高のエンターテインメントでしたよ』


 それは、最初からそのデータが「釣りのための精巧なフェイク」であったことを、技術的な種明かしなどせずとも誰にでも理解できる形で突きつける、痛烈なネタばらしのメッセージだった。


『え? 休場日に取引? あり得なくね?』

『逆再生のメッセージwww完全に釣りじゃん!』

『ジャスティス・マスク、裏取りもせずに飛びついたのかよ!』

『ダッサ! 正義のヒーロー(笑)がフェイクに釣られて大はしゃぎwww』


 コメント欄の空気が、一瞬にして「佐藤への怒り」から「マスクへの嘲笑と呆れ」へと反転した。


「ち、違う! 俺は騙されたんだ! 悪質な愉快犯の罠だ!! くそっ、一旦配信切るぞ!」


 パニックに陥ったマスクは、顔面蒼白になりながらPCの電源ボタンを長押しし、それでも反応しないと見るや、黒幕のシステムに繋がっているUSBポートの『物理キー』を直接引き抜こうと手を伸ばした。


 しかし、USBキーの側面のアクセスランプが赤く激しく点滅し、ポートの物理的なロック機構が作動して、キーはどうやっても抜けなくなっていた。

 襟華が裏からシステム権限を完全に掌握し、ダウンロードが完了するまで「鍵」を固定したのだ。


「なんで抜けないんだよ!! クソッ、動け!!」


 マスクが半狂乱になってPCのキーボードを乱打している間に、配信画面にはさらなる『本物の証拠』が次々と展開され始めた。

 それは、襟華がマスクのPCの深層領域から抜き出してきた、彼自身が過去に有名企業やインフルエンサーへ送っていた『脅迫メール』の文面と、暗号資産で数千万円の裏金を受け取っていた実際の送金履歴だった。


【あなたのスキャンダルを握っています。明日の配信で暴露されたくなければ、情報コンサルタント料として5000万円を以下の指定口座に振り込みなさい】


 ご丁寧に、脅迫の送信元アドレスが、現在彼が配信を行っているPCのIPアドレスと完全に一致している証明画面まで添えられている。


『は? これジャスティスの裏垢の履歴じゃん』

『暴露しない代わりに金要求してたのかよ!』

『ただの恐喝屋じゃねーか!』

『金払わなかった奴だけを正義面してネットリンチしてたってこと?』

『ヤクザと同じ手口。最低だな』

『ふざけんな! 俺たちを恐喝の道具に使ってたのかよ!』

『警察行け! 犯罪者!!』


 15万人の群衆は、振り上げた正義の拳の矛先を、一瞬にしてマスク本人へと向け直した。彼が他人の人生を養分にして膨れ上がらせた虚栄の風船は、たった一つの致命的な針で醜く弾け飛んだのだ。


「あ、あ、ああ……俺の、俺のチャンネルが……!」


 マスクはゲーミングチェアから転げ落ち、頭を抱えて震え上がった。


『ボス! ダウンロード完了! 黒幕の中枢サーバーの物理キー、完全取得したよ!』


 地下ラボの襟華から、歓喜の報告がインカム越しに飛び込んでくる。


「よくやった。……配信を切れ」


 佐藤が短く命じた瞬間、ジャスティス・マスクの配信画面はブツリと暗転し、アカウントも規約違反に対する大量通報で即座に凍結された。


 暗闇に包まれた赤羽のマンションの一室。

 すべてを失い、恐怖に震えるマスクのスマートフォンが、不意に『非通知設定』で鳴り響いた。


「……だ、誰だ……! 俺をハメたのは誰だ!!」


 マスクが半狂乱で通話に出る。


『……自分の身の程を知りましたか、滑稽なピエロ』


 電話の向こうから聞こえてきたのは、氷のように冷たく、一切の感情を排した男の静かな声だった。


「お前……まさか、アンチフレアの佐藤か……!?」


『あなたが不用意に噛み付いた餌には、猛毒が仕込まれていた。ただそれだけのことですよ』


 佐藤は、自らの立場を明言することなく、底知れぬ闇の中から冷酷に見下ろすように告げた。


『あなたが恐喝した企業の代理人からの刑事告発状は、すでに警察の手に渡っています。……これからは、リアルな檻の中で、己の偽りの正義を語りなさい』


 プツン、と通信が切断される。

 5年前、佐藤の大切な家族の命を奪ったシステムの模倣者は、自らが煽り立てたネットの怒りの業火に焼かれ、社会から完全に消し炭となって抹消された。


 そしてアンチフレアのチームは今、ついにすべての元凶である真の黒幕『ネットフィクサー』の心臓部へ至るための、絶対的な物理キーを手に入れたのである。

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