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第一話 変身、だる……

私、五十嵐よし子、三十七歳。


三十七歳にもなると、だいたいのことは「まあ、そんなもんか」で済ませるようになる。


朝起きて腰が痛いのも。

コンビニの揚げ物とストゼロで胃がもたれるのも。

付き合って四年になる彼氏との会話が、ほぼ事務連絡みたいになっているのも。


 全部、「まあ、そんなもんか」だった。


「今日遅くなる?」


 洗面所で歯を磨きながら、私はリビングにいる彼へ聞いた。


「んー、会議次第」


「そっか」


「冷蔵庫にプリンあるよ」


「あ、ほんと」


 優しい人だ。


 本当に。


 付き合ってきた男の中で、たぶん一番まともで、一番ちゃんとしていて、一番安心できる。


 でも。


 好きかどうかと聞かれると、少し困る。


 昔みたいに、胸が苦しくなる感じはない。

 LINEが来て嬉しいとか、会いたくて仕方ないとか、そういうのもない。


 ただ、一緒にいる。


 静かな湯船みたいに。


 冷めてもいないし、熱くもない。


 でも、たぶん、それでいい年齢なのだと思う。


 歯を磨き終えた、その時だった。


 ——ピリ。


 耳の奥が痛む。


 頭蓋骨の内側を爪でひっかかれるみたいな感覚。


「あー……」


 来た。


 私は天井を見上げる。


 右目の奥に、金色の紋様が浮かぶ。


 緊急招集。


「どうした?」


「ちょっと仕事」


「今から?」


「うん」


「また?」


 “また”。


 その言葉に、少しだけ苛立つ。


 でも、彼は悪くない。


 普通そう思う。


 土曜の朝八時。

 三十七歳の女が、急に「仕事」で飛び出すのは。


「ごめん」


「いや、いいけど」


 よくない顔だった。


 最近ずっとだ。


 当然だと思う。


 デート中でも呼び出される。

 旅行も途中で消える。

 夜中に突然いなくなる。


 浮気を疑われないだけマシかもしれない。


「晩ご飯いる?」


「たぶん食べる」


「わかった」


 私は玄関でヒールを履き、ため息をつく。


 行きたくない。


 心の底から。


 できれば今日は、ソファでゴロゴロしていたかった。


 動画でも見ながら、プリン食べて、ストゼロ飲んで、昼寝したかった。


 でも。


 世界は、そういう日に限って滅びかける。


     ◇


 新宿駅東口。


 雑踏のど真ん中。


 誰も気づいていない。


 空に巨大な亀裂が入っていることに。


 その亀裂から巨大な猫が顔を出している。


 ニャアアアアアア。


 見えるのは、目に⭐︎が入っている私だけ。


「最悪……」


 あれが飛び出して来たら、人々の希望と幸運が食い荒らされ、何百人もの不幸な人が発生してしまう。


 猫は今にも飛び出さんとしている。


 ヤバい。


「……はぁ」


 私はビルのガラスに映る自分を見る。


 くたびれた顔。

 寝不足。

 うっすらクマ。

 昨日飲んだストゼロのせいか、肌も荒れてる。


 これが。


 これが魔法少女。


 終わってる。


「マジカルステッキ、セットアップ」


 誰もいない路地裏で呟く。


 瞬間。


 光。


 花びら。


 鈴の音。


 リボン。


 キラキラ。


 大量のキラキラ。


「うわぁぁぁ……きつ……」


 三十七歳には演出がきつい。


 本当にきつい。


 フリルが精神に刺さる。


 しかも最近、変身時に肩がつる。


 今日もつった。


「っだぁぁ……!」


 肩を押さえてしゃがみ込む。


 変身動作中に。


 最悪だった。


『マジカル・ミラージュ、出動完了♡』


 頭の中に妖精の声が響く。


『お疲れ〜よし子』


「♡つけんな」


『えー』


「あと衣装もっとどうにかならない? 三十七なんだけど」


『魔法粒子と乙女因子の共鳴が——』


「その設定まだ生きてたんだ……」


 私は立ち上がる。


 スカート短い。


 寒い。


 もう無理。


 でも。


 それでも。


 わたしはステッキを握りしめる。


「……マジカルミラー、展開」


 光の膜が広がる。


 新宿の雑踏が止まる。


 誰も気づかないまま、世界だけが一枚ずれる。


 私はヒールを鳴らして歩き出した。


 だるい。


 帰りたい。


 プリン食べたい。


 彼氏とも、ちゃんと話さなきゃいけない気がする。


 結婚とか。


 子供とか。


 老後とか。


 そういう年齢だ。


 でも。


 そんなものを考える暇もなく、悪のウィッチ組合は刺客を送り込んでくる。


「……ったく」


 私はステッキを構える。


 三十七歳。


 独身ではない。


 でも幸福とも言い切れない。


 魔法少女。


 勤務歴二十二年。


 そろそろ膝が痛い。


「残業代くらい出せっての……!」


 そして、私は空へ飛んだ。


 ステッキを構え、


「ワンダフル しゅーと」


 ステッキから大量の星マークのエフェクトと虹色のビーム光線が飛び出して、猫に直撃する。


 ギニャアアアアアア!


 猫が爆発して消え、空の割れ目も消える。


 『またいきなり必殺技出した!』


 妖精が、ぷんすか怒る。


 「はいはい、ごめんごめん、マジカルミラー解除っと」


 新宿の街が、何事もなかったように動き出す。


 意外にエグい敵だったが、早く終わってよかった♡


 あ、帰りにヤオコーで焼き芋買って帰ろっ♡


 



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