最終話 隣にいたいのです
刺客が来てから三日後、また来た。
今度は五人だった。
朝早く、まだ霧が残っている時間に、家の周囲を囲むようにして現れた。エルザが先に気配を察知して、私を起こした。
「リリア、起きろ」
目を覚ますと、エルザが部屋の入口に立っていた。すでに鎧を着けて、剣を下げていた。
「来ましたか」
「五人だ。前回より多い」
「一緒に出ます」
「待て」
「待ちません」
エルザが少し眉を動かした。
「前回と同じです。私も戦います」
「お前はまだ」
「できます」
エルザが私を見た。
真剣な目だった。値踏みしているんじゃなくて、ちゃんと確かめようとしている目だ。
「……無理はするな」
「しません」
二人で外に出た。
霧の中に五つの影があった。前回と同じ黒い外套だ。ただ、今回は剣だけじゃなく、魔力の気配がした。魔法使いが混じっている。
「やはりエルザ殿は邪魔をするおつもりですか」
「三日前にも言ったはずだ。次に来たら容赦しないと」
「今回は我々も準備をしてきました」
五人が同時に動いた。
エルザが前に出た。私は後ろに下がりながら、力を呼んだ。
深呼吸。流す。方向を定める。
エルザが二人を相手にしながら、残り三人が散らばった。うち一人が私の方に向かってくる。魔力を纏った剣を構えていた。
怖かった。
怖かったけど、止まらなかった。
来た剣を横に力を叩きつけてはじいた。相手が体勢を崩した隙に、足元に光を当てた。前回と同じやり方だ。
もう一人が背後から来た。
振り返る間に合わない、と思った瞬間、横からエルザが飛んできた。
その一人の剣を弾いて、そのまま地面に押さえ込んだ。
「後ろに気をつけろ」
「ありがとうございます」
「礼は後で」
エルザが次の相手に向かった。
残り二人だった。一人は魔法使いで、距離を取りながら詠唱を始めていた。
あれを止めなければいけない。
私は詠唱している方に向かって走りながら、力を溜めた。溜めすぎない。蛇口を調整する。方向を定める。
手の先から光が飛んだ。
詠唱が止まった。魔法使いが後ろに吹き飛んだ。壁に当たって、動かなくなった。
息があるのは確認した。気絶しているだけだ。
最後の一人がエルザに向かっていた。
エルザが剣を弾いて、腕を取った。倒した。
静かになった。
五人全員が動きを止めていた。
霧の中に、私とエルザだけが立っていた。
エルザが周囲を確認してから、私の方に歩いてきた。
「怪我はないか」
「ないです。エルザは」
「ない」
「本当に?」
「本当に」
エルザの腕を掴んで確かめた。今日は鎧の継ぎ目のあたりに少し傷があった。
「ここ、切れています」
「かすり傷だ」
「かすり傷でも傷です」
「大げさだ」
「大げさじゃないです」
エルザが少し黙った。
「……家に入れ。手当てする」
「私が手当てします」
「できるのか」
「治癒の練習もしていました」
「いつ」
「エルザが夕食を作ってくれていた時間に、こっそり」
エルザが少し眉を上げた。
「こっそりやっていたのか」
「驚かせたかったので」
「驚いた」
倒れた五人を縛って壁際に置いてから、二人で家に入った。
台所でエルザに椅子に座ってもらって、鎧の一部を外した。かすり傷、と言っていたが、それなりの深さがあった。
「痛くないですか」
「騎士がかすり傷で痛いとは言わない」
「人間なら痛いはずです」
「少し痛い」
「素直に言えるじゃないですか」
エルザが口を閉じた。
私は傷に手をかざして、力を呼んだ。
細く、丁寧に。光を傷口に送り込む。
治癒は攻撃より繊細だった。多すぎると組織を傷つける。少なすぎると意味がない。量の調整が特に難しかった。
でも、こっそり練習してきた。
少しずつ、傷が塞がっていった。
「……できるじゃないか」
「できます」
「いつの間に」
「エルザが教えてくれたことの応用です」
傷が完全に塞がった。
エルザが傷口のあたりを指で触れた。
「跡も残っていない」
「ちゃんとできました」
「そうだ」
いつもの「そうだ」だった。
でも今日は、その声がいつもより柔らかかった。
倒れた五人は、しばらくして気づいた村人たちが王都への連絡を取り、昼過ぎに迎えが来て引き取られた。
それからエルザが後処理をしている間、私は家の中で待っていた。
今日のことを整理しようとしていた。
五人来た。戦った。怪我をさせなかった。かすり傷を治した。
それだけを見れば、うまくいった話だ。
でも、今も胸がざわついていた。
エルザが危なかったからだと思った。後ろから来た一人。あのとき私が気づいていなければ、エルザが間に合っていなければ。
そう考えると、手が少し震えていた。
エルザが戻ってきた。
「全員引き取られた」
「また来ますか」
「しばらくは来ないと思う。今日ので懲りたはずだ」
「しばらく、ということは、またいつか来るかもしれない」
「可能性はある」
私は少し考えてから、言った。
「エルザ」
「なんだ」
「私のことを追っているのは、王都の神官長の指示だと思います」
「そうだろうな」
「だとしたら、このまま逃げ続けることはできない。また来る。エルザを巻き込み続ける」
エルザが私を見た。
「だから出ていくと言いたいか」
「違います」
私は立ち上がった。
「向き合おうと思っています。逃げるんじゃなくて、ちゃんと正面から。神官長が何を考えているのか、私の力が何なのかを、きちんと明らかにしたい」
「一人でやるつもりか」
「違います」
エルザの目を見た。
「一緒に来てほしいです」
エルザが少し間を置いた。
「頼むつもりじゃなかったんだが」
「頼みます。一人でできることには限界があるので」
「頼まれなくても行くつもりだった」
あっさり言われた。
「え」
「お前が向き合うと言うなら、俺も行く。最初からそのつもりだった」
「なんでそうなるんですか」
「守ると言った。守るとはそういうことだ」
エルザが当たり前みたいに言った。
私はしばらく何も言えなかった。
守ると言った。その言葉が、こんなに広い意味を持っていたとは思っていなかった。
「エルザ」
「なんだ」
「私、エルザに伝えたいことがあって」
「今か」
「今言わないと、ずっと言えない気がするので」
エルザが私を見た。
静かな目だった。何も急かさない。ただ待っている。
「追放されたとき、全部終わったと思いました。聖女としての立場も、居場所も、未来も。自分は無能で、力は危険で、誰の役にも立てないと思って、それが当たり前だと思っていました」
「うん」
「エルザに拾われて、一緒にいて、力の練習をして。少しずつ変わりました。自分の力が無能の証拠じゃないとわかって、ちゃんと使えるようになって」
「そうだ」
「それだけじゃなくて」
一呼吸置いた。
「エルザのことが好きです」
言えた。
エルザが止まった。
完全に止まった。呼吸まで止まったんじゃないかというくらい、静かになった。
「感謝とか、憧れとか、そういうものを全部足したより、もっと大きいものが積み上がっていました。気づいたらそうなっていて、向き合うのが怖くて、でも今日エルザが危なかったとき、この気持ちから逃げたくないと思いました」
エルザはまだ黙っていた。
「返事がなくても構いません。言えたから、それでよくて」
「リリア」
エルザの声がした。
低くて、少しだけ、いつもと違う温度があった。
「待て」
「はい」
「整理させろ」
「はい」
しばらく沈黙があった。
エルザが少し視線を外して、窓の方を見た。それから天井を見て、また私を見た。
「俺は感情を表に出すのが苦手だ」
「知っています」
「だから今まで言葉にしてこなかったが」
「はい」
「お前のことを、最初から気にかけていた」
静かに言った。
「道端で倒れているのを見たとき、放っておけなかった。それだけだと思っていた」
「思っていた、ということは」
「今は違う」
エルザが私を見た。
「練習するたびに変わっていくお前を見ていた。笑うと明るくなる顔を見ていた。礼はいいと言っても毎回ありがとうと言う、そういうところを見ていた」
「エルザ」
「全部見ていた。見ていたくて、傍にいた。それが何かということは、わかっていた」
エルザの耳が赤かった。いつもより、ずっと。
「俺も、同じだ」
短い言葉だった。
飾りも何もない、まっすぐな言葉だった。
私は少し目が熱くなった。
「泣くな」
「泣いてないです」
「目が赤い」
「風のせいです」
「屋内だ」
「換気していたので」
エルザがため息をついた。
でも今日のため息は、いつもとまるで違った。呆れているんじゃなくて、困っているんじゃなくて、なんか、柔らかかった。
エルザが立ち上がった。
私の前に来た。
少し屈んで、目線を合わせた。
「リリア」
「はい」
「これから、王都に向き合うんだろ」
「はい」
「俺もそれに付き合う。隣にいる。それでいいか」
「いいです」
「お前の力が、ちゃんと自分のものになるまで」
「なってもいてください」
エルザが少し目を細めた。
「……欲張りだな」
「欲張ります」
「好きにしろ」
また「好きにしろ」だった。
でも今日の「好きにしろ」は、これまでと全然違う意味を持っていた。
エルザが少し手を伸ばした。
私の手に、そっと触れた。
あたたかかった。剣だこがあって、大きくて、少し不器用に触れた。
私も握り返した。
「エルザ」
「なんだ」
「私も、エルザの隣にいたいです」
エルザが少し間を置いてから、静かに言った。
「いろ」
たった一言だった。
でも、それだけで十分だった。
窓の外で、朝の霧が晴れていた。
霧の向こうに青空が見えた。
追放されてから、ずっと先が見えなかった。行き場もなくて、力も使えなくて、自分が何者なのかもわ
からなかった。
でも今は、隣に誰かがいる。
向き合う場所がある。進む理由がある。
「行きましょう、エルザ」
「ああ」
二人で外に出た。
繋いだ手を離さないまま、青空の下を歩き始めた。
追放された場所の先で、本当の居場所を見つけた。
そこから始まる話は、まだ終わらない。




