21.ロアゾオ・ノワール <黒い鳥>
「――以上の通り、現段階における調整はまだ途上ではありますが、制御用インターウェアの性能はすでに高いレベルにあります。
これらを将来的に価値のある警邏救命用の商品とするためにも、現段階での開発中止は好ましくありません」
〈セレスティア〉の会議ホールで演台に立ち、ミツルは熱弁を振るう。
「これらを可能にしたのは、従来とは異なる蓄積型、学習型のアルゴリズムであり、これもまたイスルギ・グループにおける新たな市場アプローチの材料となります。
いま部署を閉鎖する事は、今まで蓄積してきたノウハウを、新たな市場への鍵を自ら捨て去る事に他なりません。
どうか皆さん、今一度私たちの部署にチャンスを与えてください」
ミツルは大学院以来、いや大学でだってこんな大規模なプレゼンをした事はない。
居並ぶのはイスルギ民警の経営陣、イスルギ本社の経営戦略室などそうそうたる面々。さらに奥には参考に呼ばれた研究者や、少数だが経済関係のニュースネットまでいる。
そして目立たない部屋の端には、白い制服の〈国防陸軍〉の関係者たち。
その全てを相手にミツルは震えるひざを机で隠して一世一代の勝負を挑んでいた。
ステージ脇にはレンとトクガワの姿。
オーナー席からはゲンジが鋭い目を飛ばしてくる。
前半戦の技術的な説明を任された彼は、あらん限りの言葉と声を振り絞った。
そして一瞬の静寂のあと、浴びせられたのは控えめな、しかし少なくない数の拍手であった。
経営陣や軍関係者は憮然としているが、イスルギ本社やオーナー会は総じて好意的な顔だ。デモンストレーションと、そこに付けられた魅力的な商品概要が彼らに受けたのだろう。
この日のために、六月二十七日のためにミツルが心血を注いだプレゼンテーション。
それは意外にも三人娘を直接的に売り込むのではなく、彼女たちを産み出した係そのもの、環境を売り込むものであった。
係の存続を願う意見なのだから当然の気もするが、成果を競うのが当たり前の世界でそれは掟破りにも等しい。
だがミツルはこれしかないと知っていた。
三人娘を、彼女たちの〈森澄リンク式〉をレベルエイト水準まで押し上げたのは広報三課という環境そのものだ。それが適正であったかどうかなど誰だって評価できるはずがない。
世界にひとつだけの仕事をしているなら、それが輝かしい成果を上げつつあるなら、それを誇って悪い道理など無いはずだ。
つまるところ彼は成果を盾に横車を押しているだけなのだが、それを彼は巧みに商品価値という甘言で隠し通した。世は金次第などと言いたくはないが、人情だけで動いてくれるならそもそも解散などという話は出なかっただろう。
演台を降りたミツルに、トクガワが握手を求める。
「なかなかやるじゃないミツル君、ちょっとズルいけど」
「課長ほどじゃないです」
当初、経営公聴会にオーナー会の参加は予定されていなかった。
だがトクガワの働きかけにより彼らが名乗りを上げ、そしてゲンジの音頭でミツルたちの支持に回った。
旧経営者として決してグループと円満とはいかない彼らだ。重機係のベンチャー精神に素直な賛同を示した者も多い。
「オーナー会がいなかったら、いまごろ針のムシロでしたよ」
「ちょっとやりすぎな気もするけどね」
慣れないレディスーツに窮屈そうなレンが、呆れ果てた様子で目をやる先。ゲンジがオーナー会のひと癖ありそうな老人たちとお茶で差しつ差されつやっている。
「レンちゃんはまだ若いねぇ。借りられる力は、借りられるときに借りとくもんだよ。意地を張ってもろくな事はないからね。
さあ二人とも、午後までちょっと時間あるし何か軽く食べに行こうよ」
係の代表としてレンとミツルが話し終えたことで、経営公聴会の前半戦は終了した。後半戦は午後で、それはトクガワの独擅場、経営と総括の論戦となる予定だ。
三人はエレベータで高層フードコートに上がり、トクガワのおごりで高級イタリアンレストランに席を取った。
「なにげに課長って金持ってますよね」
「まあね、こう見えて高給取りなんだよ。だって二重職務だし」
「はい?」
「僕は三課長であると同時に博物館の館長だけど、この二つ、実は職権上は別れてるんだよ」
「館長職はグランパからの委託だよ。
……ジョー、あの人からいくらもらってるの?」
「はっはっはっ、ノーコメントだよレンちゃん」
ミツルはとぼけた顔でカルボナーラをつつくトクガワの、奇妙な人脈と職務上の立ち位置に呆れる。
何か事あるごとに外出していたのも、もしかしたらその辺が原因だろうか。
「ま、いいじゃない。それよりミツル君、ここのパスタはどうだい?」
「美味いと思います。このミートソース――」
「ボロニェーゼ」
「なんだよレン」
「和製英語を恥ずかしげもなく……ミートソースが通用するのは日本だけだよ。
高級レストランのそれをミートソース呼ばわりとか君は」
「いやそれ、ミートソースの方なんだけどね」
トクガワのツッコミにレンが目を剥き、メニューを着用端末でチェックして肩を小さくする。
「ミートソースって、昔イタリア人シェフが日本人にも馴染みやすいようにって作ったオリジナルパスタなんだよ。
ともかく味が深いでしょ? ここのはいいワインを使ってるし、隠し味にドライトマトが入ってるんだよね」
「はぁ……いや、俺には美味いとしか」
職業に似合わず、そして見た目通りにグルメらしいトクガワのうんちくに、普段の食事がコンビニ水準のミツルは返しようがない。
そんな彼の肩を叩いて、トクガワは屈託無く笑った。
「いいんだよ。料理なんて美味しいか不味いかだけわかってればそれで。
そういえば、あの娘たちにもご飯の味がわかったらいいのにねえ」
「ジョーはときどき高望みしすぎ」
冗談だよと笑うトクガワの横で、ミツルも自分が同じ感想を持っていた事に苦笑する。
三人娘には擬装用に食事をする機能があるが、何かと面倒な代物なので使われる事は滅多にない。
どうがんばっても液体容積で300mlまでしか入らないし使用後の洗浄が大変なのだ。ミツルも洗浄風景を一度だけ見たが、精神衛生の時点でよろしくなかった。
もちろん味を感じるようなセンサーも搭載されてない。
三人が真の意味で食事をすることがないとしても、味を語り合える未来はたしかに素敵だ。
「でもまあ今日の午後が上手くいったら、いつかは付ける事になるんじゃない?」
「どうだろうね。
ま、ホントに上手くいったら考えてあげてもいいよジョー」
「期待してくれていいよレンちゃん。それにミツル君。
僕だってやる気になってるからね。ミツル君のお手本になるような説得をみせてあげようかな」
そう言ってパスタを口に運ぶトクガワの幸せそうな顔からは、冗談であるかどうかの判断は付かない。
だがミツルもレンも、それを単なるジョーク以上の宣言に感じていた。
この課長の得体の知れなさは、二ヶ月付き合えば誰もが感じるところだ。
これだけ人脈に通じた人物がなぜ場末も場末で課長職などやっているのか。どうせ詮索したところでウナギみたいに躱される、というかすでに躱されたあとだ。
だからミツルは疑問をそっと胸にしまう。
三人がパスタをあらかた片付けたところに、レストランのシェフが現れてワインを勧めてきた。知り合いらしい彼が持ってきたワイン。トクガワはそのラベルを見て、迷うそぶりを見せた。
「一応勤務中だけどこいつはもったいないな……キープしてもらっていいかい?」
シェフが快く引き受けたのを見て、トクガワはミツルとレンにウインクする。
「全部終わったらあれをみんなで飲みに来よう。あれはいいものだ」
「ちょっとジョー、私は未成年なんだけど」
「だまってれば一杯ぐらい構わないでしょ? あ、ミツル君これオフレコで」
「言われなくても」
おおよそ警察官らしくない会話を交わして笑い合い、三人はレストランを出る。
高層フードコードの中央広場でエレベータを待つ三人。
ミツルは何気なく吹き抜けの手すりを眺め……
彼女を見つけた。
コート三階の手すりにもたれ、白いワンピースにアメリカンボンネットを被った彼女。他の誰でもなくミツルを見下ろし、切れ長の目を細めて艶然とする。
そして幻の存在であるかのように、彼女は手すりの奥に姿を消した。
ミツルの手は我知らず震え、胸の奥で早鐘が鳴る。
「そんな、まさか……ハナ」
「? どうしたのミツル君?」
「レン、課長すみません! 先に行っといてください!」
彼は不思議がる二人を残して駆けだし、エスカレータに滑り込むと上がるのももどかしく駆け出す。
二階を過ぎ三階へ。
見回すが、色とりどりの看板とまばらな客のすき間に彼女はいない。
「夢でも」
その靴音がミツルに聞こえたのは、はたして偶然だったのだろうか。
職員向けの通路から、ただカツンと一音、ハイヒールの踵が鳴る。
ミツルが好きだったあの青いハイヒールの音。
「!」
彼は通路に飛び込む。
なぜ施錠されていなかったのか、それを疑問に思う余裕はすでに彼にはなかった。
通路の先で白い布がひらりと舞う。
彼は無機質なプラスチックの床を駆け抜け、角を曲がり。
その顔と再会した。
「ハナ――」
瞬間、彼の身体に、意識に、そして空気に紫電が駆け抜けた。
射出式スタンガン――その女性の手に握られたものを見てすら、彼は現実を認識できなかった。信じたくなかった。
「ミツルくん、お久しぶりね」
生ける女神のような穏やかな微笑みに見守られ、ミツルの意識は途切れた。
***
「遅いねミツル君」
「いきなり飛び出していったけど、いったい……でもハナってたしか」
エレベータシャフトの前でミツルを待つレンとトクガワ。
しかし待てど暮らせど彼が戻ってくる気配はない。
「花?」
「ううん、ハナ。人名、ミツル君の元カノらしい」
「いまどき古風な名前だね。急いでたのは追っかけていったのかな――」
トクガワが興味深そうに腕を組んだその時、フードコートの大画面が前ぶれも無く切り替わる。
変わったのはその一面だけではない。この時、イスルギにあった表示機能を持つ多機能プラスチックパネルのほぼ全てが、その画面に切り替わったのだ。
映ったのは白い背景と鳥かごに入った一本の木。CGだろうか、さして大きくない木には黒い葉が茂っていた。
「葉っぱじゃない!」
瞬時に見抜いたレンがその異様さに呻きを上げる。
枝という枝、幹という幹に茂る葉は、その全てが黒い小鳥だった。
「広告にしてはずいぶん悪趣味だな」
いつぞや見せた絶対零度の素顔でトクガワが鋭く画面を見る。
と、出し抜けに静かな女性の声がこう告げた。
『これは私たちの宣言です。そして犯行声明と取っていただいて構いません』
「犯行声明?」
「いやはや、犯罪の告白とはまた」
不穏な言葉に驚く二人の前で、声は淡々と先を続ける。
『私たちはイスルギにあるほぼ全てのエージェントを掌握しました。
私の〈黒い小鳥〉は皆様すべての命を預かっています。
要求は単純、イスルギ〈特区法〉の即時全失効と、現金で二百億円の支払いです。こちらへの連絡方法は小鳥に聞いてください。
これが受け入れられるまで毎日三回、どこかで人の命が失われます。五日後までに受け入れられない場合……』
木から一斉に黒い鳥が飛び立つ。
『イスルギは海に沈みます』
感情をうかがわせない宣言と共に、画面が元の内容に復帰する。
しかし一点だけ、元とは違う箇所があった。
画面の右端に、赤い眼をした黒い小鳥が止まっていた。