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無職占者と迷惑神官  作者: 森戸玲有
大神官の湯殿にて
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続編 5

 覚悟を決めたユナは、濡れてもいい薄着を、その神官に用意してもらい、カナを預けて、早速、エルフィスの部屋に出向いた。

 エルフィスはユナが来ても来なくても、どちらでも良かったようで、迎えに行ったユナの方をむしろ訝しげな顔で見ていた。

 それでも、ユナの意気込みを語って聞かせてみたものの……

「えっ。何だ。本当に行くんだ?」

 結局、軽い反応のみだった。


(…………何。それ?)


 別に、ユナは誉めてほしかったわけではないが、だからといって、まったく期待されていないのも、ちょっと……、いや、かなり癪である。

 ……とはいえ、今更決意を翻す勇気もない。

 少しの間、エルフィスの仕事が終わるのを待って、内殿の更に奥にあるエルフィス専用の浴場まで共に行くこととなった。


「いつも一人だから、二人で浴場に行くのも楽しいね」


 肩を並べて歩きながら、能天気に腑抜けた声を掛けてきたエルフィスは、岩盤を切り開いた洞窟のような通路を真っ直ぐ行って、通り抜けてすぐ横が脱衣所なのだ……と、頼んでもいないのに、余計な説明をしてくれた。


(こんな奥に大神官専用の浴室があるなんて……)


 最初、不機嫌だったユナも、次第に楽しくなってきた。


 地下なのに温かく、むき出しのつるつるした岩肌からは、わずかに湯気が出ていて、水滴がぽたぽたと伝い、地面に流れ出していた。通路の両側は、その流れを集めて、小川のようになっている。

 自然と一体となっている浴場までの道程は、幻想的な雰囲気を醸し出していて、大神官の沐浴に向かうに相応しい条件だった。

 はるか昔から、大神官のみに連綿と受け継がれてきた場所なのだと思うと、身の内が引き締まる思いがする。

 更に、脱衣所の周辺になると、大神官以外は立ち入り制限区域らしく、鬱陶しいくらいすれ違う機会のある神官の姿も見当たらない。

 こつこつと、エルフィスとユナの足音だけが、辺りに響き渡っている状態が、尚一層、神聖な場を演出しているかのようだった。


(本当に良いのかしら? 私なんかが同行してしまって…)


 一国民のユナは、心の底では、素直に感動していた。

 おそらく、こんな所に来ることができるのは、一生に一度のことだろう。

 多分、エルフィスが大神官だと知っていなければ、もっと敬虔な気持ちになっていたかもしれない。 

 ぼうっと周囲の景色に見惚れていると、突然、立ち止まったエルフィスがくるりと振り返った。


「ユナ。ほら、着いたよ。そこが脱衣場なんだ」

「えっ?」


 エルフィスがユナの視線を前方に誘導する。

 もっと豪奢なものを想像していたのに、脱衣場(そこ)は原始的なところだった。

 扉なんてものは、ないし、覆いなんてものもない。

 壕の中に、必要最低限の白い棚が置いてあるだけの小さな場所だった。


「古代からの大神官専用の場所だから、特に整備していないんだよ。僕はあちらで脱いでその奥の湯殿に行くけれど、どう? 何なら君も僕と一緒に準備する?」


 せっかく、良い気分だったのに、エルフィスの軽口ユナを眉を顰める羽目となった。


「エルフィス様。私はちゃん濡れても良い着物で来ていますから」

「僕としては、裸でやってくれた方が嬉しいんだけどね」

「冗談……ですよね?」

「冗談だよ」


 うすら寒い冗談だ。

 この青年の謎の余裕がユナには理解できない。


「私はここで後ろを向いて待っていますので、準備ができ次第、呼んでください」

「はいはい」


 そう言って去ってゆく、エルフィスの気配が遠くなるのを確認して、ユナは自分自身に最後の仕上げを施した。

 不器用な自分を懸命に奮い立たせて、頭の後ろで持参した布をきつく結ぶ。

 そうして、不敵な笑みを浮かべた。


「…………完璧だわ!」


 気合の一声を発し、万全の態勢でエルフィスを出迎えた……つもりだったはずが…………。


「……………て、あれ? ユナ。一体、君は何をしてるの?」


 待ちに待ったエルフィスは、がっかりしたような、呆れたような、……つまり、怪訝な声でユナに接してきた。

 やっぱり、ユナとエルフィスは噛み合っていない。

 ユナは唇を尖らせた。


「何って、貴方様の沐浴のお手伝いをするために、私なりの工夫をしていたところです」

「工夫? それが?」

「はい」

「…………えっと、目が見えていないよね?」

「秘密兵器の目隠しですから!」

「秘密……兵器ねえ…………?」


(何で?)


 目が見えない分、彼の気持ちが声に乗って、よく伝わってきた。

 エルフィスは、ユナの作戦を好意的に思っていないようだった。


(酷いわね)


 我ながら、良い考えだと思ったのに……。

 エルフィスを待つ間に、ユナは自分に目隠しを巻いていたのだ。

 これで、エルフィスの全裸を見ずに済む。

 世の人様にも、顔向けができるだろう。

 下手したら、面倒なことには梃子でも動かないユナだ。

 我ながら、目隠しをしてまでエルフィスの役に立とうとしたのは、ちょっと頑張った方ではないか?


(別に、この男にどう思われようが、私の知ったことではないのよ。私は私の責務を全うするだけだわ)


「では、エルフィス様。準備万端ということですね?」

「……準備も、何もねえ。服を脱ぐだけだし」

「じゃあ、今、もう既に?」


 ……と、そこまで口にして、ユナは黙り込んだ。

 さすがに、もう裸ですか……と、声に出すのは、恥ずかしかった。


「では、行きましょう。とっとと……」

「うん。行こうって、ははっ、何かこれ、新手のお見合いみたいだね?」


 エルフィスの朗らかな笑い声が、二人の微妙な距離感にさざ波を起こす。


「見合い?」

「いや、ごめん。何でもない」


 エルフィスも失言だったと気づいたのか、静かになって……。

 …………お互いに、黙り込む。

 気まずい沈黙の中、ユナは大きく一歩を踏み出したのだが……。


「あっ……れ?」

「どうしたの。ユナ?」


 目敏いエルフィスは、すぐさま呼びかけてきた。

 ユナは決定的なことは告げずに、あえて、遠回りに尋ねたる


「あのー……、今、エルフィス様は、どちらにいらっしゃるんでしょうか?」


 駄目だった。

 遠回りも近道もなかった。

 バレバレなのだ。

 最初から。

 エルフィスはあからさまに笑っていた。


「やっぱりねえ……。君、薄ら見える程度に、力の加減しなかったんだね。そうじゃないかとは思ってんたんだけど」

「…………裸を見ちゃいけないという、一点しか考えていませんでした」

「それは、君にしては頑張ったね。……だけど、何も見えなくなったら、何もできないじゃない?」

「……ですよね」


 もはや、弁解の余地すらない。


 ――愚かだった。

 布をきつく結ぶことに成功したのは良かったが、何も見えないという、短所を考えていなかったなんて。

 それこそが一番重要なことだったのに……。

 自分がどこにいるのか、エルフィスがどこにいるのか、さっぱり分からないのに、浴場など目指せるはずがない。


(いっそ、この場で縛りを緩めて、調整を……)


 しかし、懸命に結び目を解こうとしても、きつく結び過ぎて緩めることが上手くできない。目隠しを取ってしまうことなら出来そうだが、ここにはエルフィスがいる。


「まったく……、君は」


 自身の後頭部で勝手に悪戦苦闘しているユナの手を、エルフィスががっつり掴んだ。


「一体、何をやっているのかな。ユナ?」

「私は……」


 混乱の中、ユナは答えるしかなかった。


「もう一度、少し緩めに結び直そうとしているのです。だから、エルフィス様は、その間どこかに隠れて頂ければ……」

「今、ここで取れない程度、見える程度に目隠しを調節して結ぶの? 結構、それ難しいよ。君にそんなことをさせたら、朝になってしまうんじゃないかな」

「でも」

「……だから、もう、そのままでいいじゃない」

「はっ?」


 呆然としているユナの手を有無をも言わさない勢いで引っ張ったエルフィスは、迷いなく、すたすたと歩きはじめた。


「えっ、ちょっと……」


 動揺はしているが、ここで嫌だと駄々をこねたところで、全面的にユナが悪いので、なすがままになるしかない。

 嫌味なくらい、エルフィスの機嫌は絶好調になっていた。


「いいね。そうそう。とっても、いい感じだよ。ユナ。いいかい。僕の手をしっかり掴んでおくんだよ。道がでこぼこしてて、危ないからね」

「………………はあ。何か、本当にすいません」

「謝る必要はないさ。こういう趣向も斬新で面白いから」


 何やら、後半にかけて不届きな言葉があったようだが、もう、どうだって良かった。

 …………まったく、本当に。

 何たる事態だろう?

 お世話をするはずのエルフィスに連れられて歩くとは、痛すぎる。

 もしかして、これはユナ自身が自分を窮地に追い詰めているということなのか?


 エルフィスの手は温かく、繊細なようで大きかった。

 そんなことを、目が見えない分、しっかり認識してしまう自分が嫌で仕方ない。


(私は一体、何がしたいのかしら?)


 微妙に落ち込みながら、エルフィスの手を借りて、脱衣所を抜けると、凛とした外の空気を肌に感じた。

 浴場は神殿の外にあるようだった。エルフィスの導きで、段差に注意しながら、そっと素足を地面に下ろせば、石床だった。


 ――ここが大神官専用の沐浴場。


 今の今まで落ち込んでいたくせに、現金な奴だと自覚しつつも、ユナは思わず、歓声を上げてしまった。


「………………わあっ」

「どうしたの?」

「いや、いい香りがして。花の……」

「ああ、今日は薔薇風呂にしてもらったんだ」

「なるほど、だから……」

「どうしたの?」 

「……別に」


 そうか。

 だから、エルフィスは、いつも花の香りがするのか?

 ユナが一歩、進むごとに芳香を含んだ蒸気が顔を湿らせていく。


(あったかい……) 


 日頃、水浴びばかりのユナにとっては、お湯自体希少なものだった。


「アルメルダには意外に温泉って少ないけど、僕の湯殿と、王宮には温泉が沸いている。僕の後で申し訳ないけど、客用の湯殿に湯を移すから、君も浸かっていけばいい」

「私、温泉に入れるんですか。有難うございます」


 冷静を装おうとしているものの、自然とユナの声は弾んでしまう。

 今の季節の水浴びは、寒いのだ。

 何より温泉と聞いただけでも、心が沸き立つのに、薔薇まで浮かべられているなんて、凄いではないか……。


(ああ、邪魔だなあ)


 目を覆っている布の中にじんわり汗が滲んできて、鬱陶しかった。

 いっそ、エルフィスの裸なんて中世の置物として処理することにして、目隠しなんて、取ってしまおうか。


「嬉しそうだね」

「そう見えますか?」

「分かるよ。いつも君を見てるんだから」

「……はっ?」 


 そう言うエルフィスの手に力がこもって、ユナは狼狽した。


(今、何て言ったの?)


 華麗に、つきまとい宣言をしなかったか?

 珍しく突っ込んでみようかと悩みながら、おずおずと

「あの、エルフィス様?」

 呼んでみたが。

 ……しかし

「分かってると思うけど、ここ床が石なんだ。お湯に濡れると転ぶから、気をつけてね」

「えっ、はい。分かりました」


 まるで、保護者のように、やんわりと注意されただけだった。


 ――きっと、今のはユナの聞き違いだろう。


 そういうことにした方が楽だ。

 洗い場の椅子に腰を下ろしてもらったエルフィスには、そのままでいてもらって、ユナは手探りで盥を探しにうろうろ歩いた。

 体を洗う手ぬぐいは用意できたので、(たらい)を探し当てたら、温泉から湯を掬って、エルフィスの背中を拭くだけだ。

 何をそこまで、こんなことに躍起になってしまったのか、自分でも分からなくなってきたが、それをこなしたら、ユナの使命は終わる。

 全部こなしたら、先程の神官に自慢できるだろうか? 


(たらい)はそこ。右。そうそう」

「はいっ」


 やっとの思いで、ユナは盥を手にした。

 心なしか、エルフィスが楽しんでいるような気がしてならないのだが……。

 ともかく、次はお湯だ。  

 何もない空間を泳ぐように手をばたつかせて、勘を頼りに温泉に向かう。

 たかがこれだけの動作で、どうしてこんなに時間がかかるのか、悲しくなってきた。


「そう、ユナ。真っ直ぐ。そこそこ」


 エルフィスの声を頼りに、熱気の源に辿り着いた……ようだった。

 ユナは屈んで、盥をお湯に差し入れる。

 ホッと息をついたのも、つかの間だった。


「ああ、ユナ。さっきも言ったけど。……床が」

「えっ。わ、わっ!」 


 ――やっぱりだった。

 もしかしたら最初から、エルフィスの予想通りだったのかもしれない。

 湯を取ろうとしたはずのユナは、見事に床に滑って前のめりになり……。


 ――ばしゃん!

 ………………と。


 悲鳴を発する間もなく、豪快に、軽快に頭から浴場に落ちたのだった。


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