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無職占者と迷惑神官  作者: 森戸玲有
不本意な同居
42/64

続編 3

 温かい豪勢な夕食が目前に所狭しと運ばれて来る。

 至るところに華やかな花が飾られた食卓に、艶やかなドレス。

 人生で初めて人間扱い、むしろ貴族扱いされていることに、ユナは大いに戸惑っていた。


 ――困った。


 少し前まで笑えるくらい貧乏で、風呂もない生活を送っていたことを忘れてしまいそうだった。

 しかし。

 それにしたって、主役のエルフィスが現れないというのは、どういうことだろう。

 余所者のユナを待たせること自体、配慮が足りない。

 空腹なのに、いつまでも、料理と睨めっこしていなければならないのだ。

 こんな拷問他になかった。


「お姉ちゃん。食べちゃ駄目?」

「駄目よ」


 今にもフォークを取りそうなカナの手を握って、ユナは強めに諌めた。

 それが気にかかったのか、配膳の神官たちは不審な目でユナを盗み見ていく。

 ユナとカナが庶民だということが、丸分かりなのだろう。

 貧しい庶民以下の姉妹がエルフィスにタカリに来たのだと思われてはいないだろうか?

 どうにも落ち着かない。 

 よくよく頭を働かせてみれば、いくら、家を壊されたからといって、元々不法で占拠していた山小屋なのだ。

 本来なら法律に則って罰せられるのが筋で、弁償以外にここまでしてもらう義理はないのだ。

 これでは、余計に悪目立ちしてしまう。

 どうしたら良いのだろう。

 やはり、ここは働かざる者食うべからずの格言通りに、動くのが一番なのかもしれない。


 ――何かユナでも、手伝えることはないだろうか?


 タダ飯食いのタダ泊まりで、ふらふら内殿の中を徘徊していたら、他の神官から苛められること間違いない。

 以前、同僚のマリベルから受けた回りくどい嫌がらせだけは受けたくはなかった。


(エルフィスが来たら、聞いてみよう)


 丁度、そう思った時に、後ろで物音がした。

 給仕に回っていた数人の神官たちがそそくさと無言でその場から退散していく。

 さすがに場の空気を呼んだユナは、カナを誘導して立ち上がった。


「ああ、気を遣わせてしまったね。遅れてすまない。座ってよ」


 エルフィスはユナの背後から回り込むと、当然のように、ざっと二十人は腰掛けられそうな長机の真ん中に、丁度ユナと向かい合うように、着座した。

 相変わらず、彼が通るだけで花の甘い香りがふわりと漂う。

 セルジはエルフィスが落ち着くのを待って、エルフィスより少し離れた端の席に乱暴に座った。

 そして、ユナも慌てて腰をかけた。

 エルフィスは当然のように、給仕の神官から葡萄酒をグラスに注がせ、それが済むと、片手を軽く横に振った。

 言葉もない、たったそれだけの所作で、その場に(はべ)っていた人間は、あっという間に退出してしまった。

 こういう時、エルフィスはユナとは違う。雲の上の人間なのだと実感してしまう。


「窮屈なところで申し訳ないね。ユナ。本当は大食堂を貸し切ろうと思ったんだけど。神官のジジイ連中に見つかると面倒なんで、僕の私的な食堂で済ませようと思って」


(そうね……)


 エルフィスは偉い人だ。

 だから、これは自慢話ではない……はずだ。

 愛想笑いを懸命に貫きながら、ユナはエルフィスの上から目線な話に耳を傾けた。


「僕の領域でのみしか君たちを自由にさせてあげられないけど、許してくれるかな」

「領域って?」

「君たちの部屋は、僕の部屋の右隣だよ」

「隣?」

「左隣はセルジだけど、もし左が良ければセルジにはどいてもらおう」

「おいっ」


 …………隣?

 この何かきっかけがあれば、予想外に接近してくる謎の男が隣室で眠っているわけか?


(大丈夫、きっと部屋は広いはずだわ)


 それに、カナもいるのだ。

 いかにエロフィスとはいえ、おかしな真似はしないだろう。


 ……しかし。


「ああ、それにしてもユナ。とても似合っているよ。そのドレス。君は性格も服装もとても保守的だけど、せっかく色白で綺麗なんだ。もう少し肌を出したほうがいいと思うけどね。とりあえず、明日の服もちゃんと用意してあるから、楽しみにしていてね」

「……楽しみ?」


 ――心配だ。

 今、とてつもなく究極に心配になってきた。

 やはり、エルフィスがドレスの選択をしていたのか?

 ドレスの色は良い。

 真夏の空のような真っ青のドレスを、ユナは嫌いではなかった。

 けれど、胸元が大胆に開きすぎだろう。

 ――明日になったら、裸同然にされているかもしれない。


(……そうだ。こいつは誰でも良いんだった)


 元々、一度だって異性にモテたこともないユナだ。

 エルフィスはきっと、ただ単純にそういう女が珍しくて、いじり甲斐があると思っているだけに過ぎないのだ。そう言い聞かせなければ、とてもじゃないが、やっていられない。


「どうしたの? ユナ」

「いえ。とても食事が美味しいなって。ねえ。カナ」

「うん!」

「……そんなこと思ってなさそうだったけど?」


 ……おかしい。

 見識の腕輪という難儀な盗聴道具もないくせに、エルフィスはユナの気持ちを当てにかかっている。


「ユナ。相変わらず君は僕に対して、とんでもない誤解をしているんじゃないかな?」

「誤解……ですか?」


 まさか。

 普通に現実的なことしか、脳内に思い浮かべてはいないはずだが……。

 再び無理な笑顔で向き合うと、エルフィスは少し悲しそうに微笑した。

 だけど、その顔が反則だった。

 ユナが悪いことをしているわけでもないのに、罪の意識を覚えてしまう。

 もしも……。

 自分がもう少し性格が良くて、女の子らしくて、可愛げがあったのなら……。

 そうしたら、エルフィスにそんな顔をさせなくても、済むのかもしれない。

 エルフィスがユナに対して、本気だろうが、なかろうが、ユナさえ良いと思える強さがあったのなら。

 振り向いて貰える自信があればいい。好きになってもらえるような自分であったら……。

 そうしたら……。


(でも……)


 こんな自分に誰が惚れるものか。

 とっくに分かっているのだ。


「あっ、そうだ!」


 ユナは悪い考えに蓋をするように、声を弾ませた。


「エルフィス様。私思ったんです。お世話になるからにはタダは悪いんじゃないかって」

「何を言っているんだい? 君の家を過激に壊したのはコイツじゃないか。ちゃんと、責任は取らせなきゃ」

「まるで、俺に取らせようとしている物言いだな。それは」

「ええっと」


 ――また二人の仲の良い舌戦が始まった。 

 だけど、エルフィスの方こそ誤解をしているのだ。

 ユナは自発的にそんなことを、思いついたわけではない。

 周囲の目が気になるだけだった。

 今まさに給仕をしている神官からして、奇異の目でユナを見ていたのだ。

 じきに、ユナがエルフィス付きの秘書をやっていることはバレるだろうし、魔法という裏事情を知らない周囲の人間にとっては、ユナは単なる泥棒猫。偉大なる大神官エルフィスを誑かしている悪女にしか見られないに決まっている。

 内殿で下働きでもしていたら、少しくらい印象も違うかもしれないし、それに、いち早く、自分を自分で庇うことも出来るではないか。


「エルフィス様、お願いします。……私、やりたいんです。何かお手伝いできることはないでしょうか?」

「君の口から、そんな殊勝なことを聞くとは思ってもいなかったよ。早速、誰かに苛められたの?」

「なっ!?」

「ええっ。お姉ちゃん、誰かから苛められたのー?」

「…………カナ」


 何てことを、可愛いカナの前で言いやがる。

 ユナは、カナの頭を軽く小突いた。


「いやね。カナ。お姉ちゃん、誰にも苛められてなんかないわよ」

「ふーん。それならいいけど。君が自発的に意欲を持つというのが不思議な感じがしてね」


(コイツ……) 


 図星も何度も当てられると腹が立つ。


「でもね、君も知っての通り、神殿には人が足りているんだ。むしろ多いくらいだ。そもそも、君、炊事、洗濯、裁縫……できるの?」

「エルフィス様。私がお嫌いなんじゃないですか?」

「それとこれとは違う。僕はあくまで冷静に現実を言ってるだけだよ。君が出来るなら、何も言わないけどね」


 ……悲しい。

 言い返せない自分が痛かった。

 エルフィスは問答無用で、ユナの家に押しかけて来るので、普段の家の惨状を目の当たりにしている。

 ユナの本性を心得ているのだ。


「心配しているんだよ。ユナ。生半可な気持ちで本職の仕事を手伝うと、かえって、君は自分の立場を悪くする」

「うっ」


 そうかもしれない。

 でも、それにしたって、第二王子という、とんでもない地位にいるはずなのに、人間関係の何たるかを熟知しているのはなぜなのか?

 やはり、再三話題で出てくる派手な女性関係から得た知識なのだろうか?


(どちらにしても、神殿にいる間は、私に立場というものはないのよ)


 やはり宿に泊まれば良かったのだ。

 そうしたら、こんなに苦労することもなかった。

 あくまでエルフィスが宿泊費を立て替えてくれたら……の話だが。


(腹を括るしかないって、ことね)


 沈黙していると、エルフィスが葡萄酒を煽って、ぽつりと言った。


「一つだけ、あるかな。君にもできる仕事が」

「本当ですか? 占いはまだリーディングの修行中なんですけど……」


 もうどうでもよくなってきたユナは、自棄気味に、良い焼き加減の柔らかい肉を頬張ったまま訊いた。

 しかし、次の一言はユナにとって圧倒的な衝撃をもたらすものだった。


「―――そうだね。僕の沐浴を手伝ってよ」

「もくよく? 何ですか? それは」

「簡単に言えば、僕の背中を流して欲しいってことさ。浴場でね」

「浴場で、エルフィス様のお背中を流す……と?」

「そう。大神官の沐浴を手伝うのも、神官たちにとっては、大切な仕事の一つなんだ。それくらいなら簡単だし、僕の目も行き届く。君にもできるでしょ?」

「お風呂?」

「そうだよ。今日は濡れたからちゃんと温まりたい」

「温まるって……、ごほっこぼっ」


 軽い調子で、投げつけられた言葉に、ユナは口にした肉を喉に詰まらせ、大いにむせた。


 ――何だって?


 縋るような眼差しをセルジに送ると、しかし、ぱくぱくとセルジは口の中に厚切りの肉を運びながら、適当に相槌を打っている。


「いいんじゃねえの。本人がやりたいって言ってるんだから」

「違います! 私は!!」


 ただの一言も、そんないかがわしい仕事をしたいとは口にしてない。


「へえ。一応、僕のことを意識してはくれているわけだ。ユナ?」

「……私をからかってるんですか。もし、そうだとしたら……」

「何を言ってるんだい。いくらなんでも、僕が公衆の面前で、下世話な命令を君に言いつけるわけがないじゃないか。沐浴は禊とも言われていて、穢れや不浄を祓う大切な神事でもあるんだよ。まあ、変な意味に聞こえたのなら、日ごろの僕のせいだから、謝るけれど。

 でも、そんなに怒らなくたって……」


 ……怒る?


(私が?)


 そうなのだろうか。

 ユナ自身、分からなかった。

 しかし、この状況でユナが笑っていたら、怖いじゃないか。


「どうしてかな? ユナ。君が脱ぐわけじゃないんだ。むしろ恥ずかしがるのは、僕の方じゃないか?」 


 …………何やら、混乱してきた。

 それとも、麻痺してしまったのか?

 つまり、ユナの方が痴漢の犯人ということなのか?

 エルフィスは、神が作り上げた傑作のように完璧な容姿をしている。

 長い肢体は繊細そうで、しかし均等に筋肉もついている。

 女でも男でもない、中性的な色気があった。

 エルフィスの裸など見た日には、ユナは鼻血を噴いて倒れてしまうかもしれない。


「お姉ちゃん、どうして怒ってるの? お兄ちゃんのお背中綺麗にするだけでしょ?」

「だけ……ってねえ?」


 末恐ろしい妹だ。

 大神官に触れることすら、あまりに恐れ多いとして、躊躇する国民だっているのに……。

 それに、問題は大神官云々だけではない。

 エルフィスは、男性なのだ。


「……「だけ」で済めば良いけど?」

「信用がないな。まあ、いいけど。分かったよ。神に誓って約束する。それ以上のことは何もしない。セルジもカナちゃんもいる前で宣言しているんだから、破りはしないよ」


 怪しい。

 本当だろうか……?

 どうしたら良いか迷っていると、エルフィスは留めの一言を放ってきた。


「まっ。嫌なら無理にとは言わないけどね」

「はっ」

「さっ、そうと決まったら、この話は、これくらいで良いんじゃない? ね? だから、君は黙って、僕の隣の部屋を使ってくれればいいんだよ」

「…………エ、エルフィス様?」


(何、それ?)

 

 …………これは、つまり。

 ユナの主張は、上手い具合にはぐらかされ、あしらわれたということなのか……。

 ――どうせ、ユナは何もできないだろう……と。

 あえて、説得するのでなく、違う案を 提示してユナを諦めさせたのだ。


(なんという腹黒……)


 呆然とするユナを尻目に、エルフィスは、その話題はおしまいとばかりに、葡萄酒を一気飲みしている。

 その予定調和な優雅な物腰に、ユナは何度も瞬きを繰り返し、そして自分の感情を再確認した。


(…………腹が立つわ! エロフィス!!)


 彼の手のひらの上で都合よく転がされているようで、ユナは屈辱感に身を震わせていた。

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