【序章】家が足蹴りで壊れたとき
アルメルダ神国に嵐がやってきたのは、季節外れの霜の降りる頃だった。
元々、都は温かく真冬でも上着一枚で事足りるのだが、今年は違っていた。
寒いし、雨は降るし、風は強いし……。
明らかに、季節が狂っている。
それもこれもすべて。
壁のせいに、他ならなかった。
五百年前の国王が魔力で国全体を覆った壁は、当初国外の圧力から国を守るための偉業の一つであったが、長い年月で逆に天地の理を乱す結果となり、アルメルダの大地に歪みが生じてしまった。
この嵐も、その無駄に頑丈な壁の影響に違いない。
「私のせいだわ……」
ユナ=リンディスは溜息を吐きながら、立てつけの悪い玄関の扉を押さえていた。
いい加減、手がしびれてきたが、とにかく気合いで乗り切るしかなかった。
暴風が直撃すれば、こんなあばら家一溜りもない。
元々、無人の山小屋らしき廃墟を不法に占拠していたのだが、住めば都だ。
何としても、この大切な自分の場所を死守しなければならなかった。
何よりユナには、妹がいた。
「ねえ、どうして、お姉ちゃんのせいなの?」
甘ったるい声で、ユナの上着の袖を引っ張るのは妹のカナだ。
まだ六歳のカナだが、順調に成長しているようで、最近は何にでも好奇心を抱くようになった。
「それは。その……」
(言いたくはないんだけどね……)
自分の至らなさを、妹に話すには勇気がいる。
しかし、事実は事実だった。
どうせ、ユナが話さなくてもバレるのだ。
「お姉ちゃんが、ちゃんと魔法を使えないからよ」
「どうして? あんなに勉強してたのに?」
「そうね」
確かに、勉強はしていた。
半強制的にだったが……。
ユナは失われたはずの魔法を学んでいる。
しかし、一向に力が発揮できなかった。
最近では、ユナに魔力の才能があるなんて勘違いなんじゃないかと、信じ込んでいる人達一人一人を尋問してやりたい心境だった。
呪文を憶えろと言われて、憶えてはみたが、未知の力が働いたことなど一度もない。
時間の無駄のように思えて、最近ではやる気自体が失われつつあったが、しかし、こうして実際に天災の被害を受けてみると、無力な自分が情けなくなった。
ついでに、誰かと一緒でないと部屋一つまともに片づけられない自分も痛い。
(手の打ちようがないわ……)
一発殴ってやった方が自分という怠惰な人間には、良いのではないかと本気で思ったが、誰かが手を下すまでもなく、風雨がぼろぼろな小屋を叩きつけるように揺らした。
唯一の光源だった蝋燭の灯がふっと消える。
「わああっ! 怖いよ」
カナが泣きながら、体を震わせ怯えていた。
小屋が軋んでいるのか、近くの森の木がなぎ倒されたのか分からないほどの暴風だ。
カナは覚えていないだろうが、ユナの心に両親が亡くなったときの記憶が蘇る。
小屋が潰れたら、どうなることか……
しかし、ユナは姉だ。
幼い妹と同じように、泣き叫ぶわけにはいかない。
「大丈夫よ、カナ。お姉ちゃんが何があっても、守ってあげるから」
実際、なす術もないわけだが、何とか妹を安心させてやりたかった。
しかし……。
ガタガタガタッ
押さえていた扉が激しい音を立てて、風と共に開け放たれようとしている。
ユナは必死で押さえるが、自然の力には逆らえそうもなかった。
「もうだめっ!」
「お姉ちゃん!」
「向こうに行ってなさい」
「嫌だ!」
カナがユナの腰に手を回して、強く抱きしめてくる。
このままでは、ユナが力尽きた時、解放された扉から吹き込む雨風で、カナが危ない。
仕方なく、ユナは一人でも守ろうとしていた扉を諦めて壁際に退避した。
……と、ほぼ同時だった。
ズドゥンと、凄まじい音を立てて、あるかないかの扉が見事に吹っ飛んだ。
木端微塵だった。
てっきり激しい風が襲ってくるだろうと予期していたユナは、異常な光景に目を丸くした。
ユナの瞳の中に飛び込んできたのは、人の足だった。
誰かが扉を蹴破ったのである。
そして、こんな無茶なことを平気でやるのは、奴らしかいない。
「呼んでも出てこない。お前が悪いんだからな!」
聞きなれた男の声。
「…………呼んだ?」
(嘘でしょ)
風の音ではなかったのか?
カナが呆然としたユナの腕の中から、笑顔になって飛び出していく。
「カナ。待ちなさいっ!」
追いつけない現実に、瞬きを繰り返していると、小屋の内部が今までにないくらい激しく、がたがたと揺れ始めた。
「やべえっ! 本当にここ崩れるぞ。来い。ユナ!」
――ああ。
なんて、行儀の悪い足をしているのだろう。
カナを抱きかかえたセルジが大声を上げて小屋の内部に侵入し、呆けたユナを誘う。
しかし、安心したのか、呆れたのかで、ユナの体には力が入らなくなってしまった。
「ごめんなさい。なんか腰が抜けたみたいで……」
「はあっ!?」
「それは、いけない。一大事だ」
「えっ?」
………………そして。
ユナの想像通り、案の定セルジの後ろから、彼が飛び出してきた。
仄かな明かりに照らされた白のローブの姿。暗がりの中でも眩い紫銀の髪が強風に少しだけ煽られていた。
「……一体、何してるんですか? エルフィス様」
「見て分からないのかい?」
――唯一、分かったのは、セルジの足蹴りで、家が見事に全壊したということくらいだった。