第7章 Ⅷ
「生贄っていったら、新鮮な心臓を捧げなきゃ意味ないじゃないの」
「でも、エルフィス様。あの時、確かに心臓も脈もなかったんですよ!」
「そりゃあ、無理もないよ。ユナ。だって、僕は半分死んでいたからねえ」
「はあっ!?」
夕焼けが差し込んでいた。
ユナの怪我の治療という名目で、貸しきられた真っ青な壁紙の部屋は、一応宮殿の中のエルフィスの部屋らしい。
椅子と純白の寝台しか用意されていない、広いだけの寂しい部屋だったが、日頃エルフィスはいないのだから、仕方ないような気もする。
カナの無事を確認するために、一刻も早く自宅に戻りたいと主張したユナだったが、とりあえず後頭部に出来てしまったたんこぶを消毒するのが優先だと、周囲に説得されて渋々部屋を変えることを認めた。
治療はとっくに終わっている。
ユナは、大げさに頭に包帯まで巻かれていた。
しかし……。
まだ自宅には返してもらえないらしい。
馬車の手配がどうのと言って、セルジは部屋を出て行ってしまい、レンフィス、フェルナンディも姿を消していた。
部屋にはいきなり死の淵から蘇った青年……、エルフィスしかいなかった。
感情に先走ったなら、ユナには言いたいことだらけだ。
(でも……)
まずは、根本的な謎を解いておかないと、気持ち悪くなりそうだった。
「……半分死ぬっていうことは、体の一部が何処か機能しなくなったとか、そういう類のことですか?」
「ああ。それは」
エルフィスは侍女が運んできた茶を、ユナの向かいの席で上品に啜った。
「そのままの意味さ。いくらなんでも、生きたまま心臓抜かれたら、怖いし、痛いじゃない。だから、いざとなったら、仮死状態になる薬を服用しようと、先々代の大神官から取り決めていたんだ」
「……ズル?」
「合理的だと言ってくれないかな」
「しかしですね。納得できません」
ユナは頭の中で物事を整理しながら、たどたどしく問いかけた。
「仮死状態っていったって、陛下があのまま短剣を向けていたら、エルフィス様はこの世にはいないじゃないですか?」
「……だね」
「陛下が自分を殺さないという確信があったというのですか?」
「まあ……、あれは賭けだよ」
重々しい話題のはずなのだが、エルフィスはさらっと答えた。
「別に、殺されるのなら仕方ないと思ったんだ。その覚悟はしていたはずだから。あの場にユナがいたのは僕にとっては想定外だったことだし。もしかしたら、ヘラが君を誘導したのではないかと考えてもいるんだけれど。とにかく、僕は死ななかった」
「陛下は、エルフィス様を殺せなかった……のですね」
「真意は、分からないけれどね」
(この人は……)
きっと、父親を信じたい気持ちと、信じられない気持ちで長い間、揺れていたのだろう。
仮死状態だったなんて……、
騙されたことには、腹を立てているが、エルフィスが生きていて良かったと、ユナは心から思っていた。
「おーい、馬車の用意が出来たぞ」
セルジがつっけんどんに言った。
「……一度、あの世に旅立った王子様は、寝てなくて大丈夫なのか?」
皮肉を告げながら、最後の一口を飲もうとしていたエルフィスを激しく小突く。
「危ないじゃないか」
「この程度で済んだから良いと思え。ぼろぼろに殴られたくなかったら、今回のようなことは二度と起こすなよ」
「お前が繊細な僕の心に気付かないから、いけないんじゃないのか?」
「何だと!?」
「……と、言いたいところだけど、まあ悪かったよ。ユナにもね」
「………………はい」
「どうしたんだ。お前、やけに素直じゃないか?」
「僕はいつだって、素直だよ。今頃気付いたのかい?」
エルフィスは言って、開けっ放しの扉から廊下に目を向けた。
去ったはずのフェルナンディと、レンフィスがそこにはいた。
武人のくせに、身長が低いフェルナンディと、温和な表情なのに、ひょろりと背の高いレンフィスとは、兄弟なのにまったく似ていない。これで、中性的なエルフィスを入れれば、益々兄弟とは見えないだろう。
「フェルは、レンフィス兄様に謝ったのですか?」
「一応、謝ってもらったよ」
レンフィスは長閑な日差しのような微笑を口元に浮かべた。
だが、緊張の面持ちで、あらぬ方向を向いているフェルナンディからすると、謝罪といっても、口だけの簡単なものだったと思える。
「さてと、じゃあ行こうか? ユナ」
「えっ?」
「君の家だよ。帰りたかったんでしょう」
「じゃあ、フェルナンディ様は?」
「フェルも君の家に行くんだよ」
「………………はっ?」
「フェルは殺すつもりはなかったって言っているけれど、レンフィス兄様を狙ったんだ。悪さをしたのは確かなんだから、罰を受けてもらうのは当然でしょう」
「確かに、罰というのは必要なのかもしれませんけど、何も私の家でなくとも良いような気がするのですが?」
「いいや」
エルフィスは腕組して、横に首を振った。
「神殿に呼んだところで、人は足りているからね。フェルに出来そうな雑用なんてないんだ。精々、彼に出来ることは、ユナの家を片付てもらう程度じゃないかな。せっかくだから、邸宅に置いてきたっていうマリベルも呼んだら? ユナも凄く綺麗になって良いでしょう?」
――良いはずがない。
あまりの言い分に、ユナは絶句してしまった。
これでは、むしろ、ユナの方が罰を受けている感じだ。
(私が何をしたと……?)
何が悲しくて、第三王子にあんな汚い部屋を整理してもらわなければならないのだろうか。
エルフィスは、弟だからこそ、手加減しているつもりなのかもしれないが、もう少しまともな罰はなかったのだろうか。
「さあ、行こうか」
「ちょっと、待ってください。大体、どうしてエルフィス様まで一緒なんです? 大体、明日になったら、私は違う職場に行くっていう話だったと……」
「それは、昨日、僕の命が風前の灯だったから、そういうことにしたんだ」
「何……それ?」
エルフィスの強引な物言いに、ユナは目が点になった。
「どっちみち、君は僕の監視下にいてもらわないといけない」
「はい?」
ユナは頬を引きつらせた。
「分からないのかい? 僕がただ仮死状態になった程度で、壁にひびが入るわけないじゃないか」
「じゃあ、ヘラさんが?」
「ヘラはこのためだけに、何十年も修行してたっていうわけでしょ? それでも駄目だったんだ。彼女が壁を壊すことは出来ない。そこから導き出せる結論なんて、たかが知れている。あの夜ヘラの魔法を打ち破り、壁にひびを入れたのは君なんだ」
「そんなはず、ありませんよ……」
「いや、それ以外考えられない」
レンフィスが細い水色の双眸を細めて、真摯に告げた。
「今、父上に許可を取ってきたよ。ユナ……君だったかな。君は正式に神殿に仕えて、精霊魔法を習うんだ」
柔らかな物腰だったが、レンフィスはエルフィスとは違う迫力があった。
「……ということで、君には魔力がある。占いの結果を見た時、もしかしたら、才能があるのかもしれないと思ったけれど、ここまで凄まじいとは思ってもいなかった」
エルフィスは死に掛けたくせに、楽しそうだ。
(生きてたのは嬉しい。……嬉しいけど。……ちょっと、待ってよ!)
ユナは話の飛躍についていけないのだ。
「私も意外だったな。父上がヘラという娘を育てながら、精霊魔法を使って壁を壊そうとしていたのは知っていたが、その娘は叶わず、こんな普通の女の子に力が宿っていたなんて」
「レンフィス様。納得はまだ早いです。これは何かの勘違いで……」
「見苦しいぞ、ユナ。国の大事に一個人の意思は反映されないと、人騒がせな陛下もよく口にしているぞ。まあ、もっとも、そこにいるやつの個人的な感情は、うまく入りこむようだがな」
セルジの皮肉は、そのままエルフィスに向かっているようだった。
「とにかく、ユナ。君にはもしもの時の切り札として、精霊魔法を覚えてもらわないといけない。特訓が必要だと思って、レンフィス兄様に宮殿にあった文献を持って来てもらったんだ。まあ、神殿にある資料は、僕がどうにかするにして……」
エルフィスはとっとと歩き始めている。
「帰らないんですか?」
「でも……」
「貴方の部屋の惨状は聞いていますから、大丈夫です」
目つきの悪いフェルナンディに冷たく言い渡されて、ユナは肩を窄めながら、歩き始めた。
(一体、私の家のことって、どれくらい噂になっているんだろ……)
先頭を歩く、エルフィスは、ユナの心情を知ってか知らずか、上機嫌で鼻歌交じりだった。