第6章 Ⅱ
――脅迫だろう……。
いろんな感情が噴き出して、ユナは震え出した拳を握り締めた。
『つきあってよ……』
一見甘えにも聞こえる言葉は、エルフィスが口にすれば強制になる。
一応、ユナはエルフィスの部下だ。
上司が今日は出張だと決めているのに、拒否する権利はユナにはない。
―――――たとえ、その意図が不明であっても……。
妹のカナは、簡単に買収されてしまった。
エルフィスが乗ってきたのは、庶民が乗れるような幌馬車ではない。
…………四頭馬車だ。
白と金で装飾された豪華な馬車に乗りたくないという、少女はいないはずだ。
童話のお姫様みたい……と、久々に目を光らせる妹を無理に止める手立てを、ユナは持っていなかった。
大体……。
あの家の惨状である。
元々、汚い家だったし、不法に占拠した空き家だった。
けれども。それでも、一応はユナの私的空間だった。
(私の家だったのに……)
あれでは、生活できるはずがない……。
それを、エルフィスは片付けると口にした。
『僕の責任だし、どちらにしても、この家をどうにかしないと、君たちは寝る場所もない。でも、ユナは片付けるのは苦手でしょ? 少し君が外に出ている間に僕の家臣がこの家を綺麗にする。それで良いじゃないか?』
勿論、ユナは抵抗した。
そんな恥ずかしい真似はできないと最後の尊厳を主張した。
しかし、エルフィスは極めつけの一言をユナにお見舞いしたのだった。
『この期に及んで恥ずかしいものなんて、君に……あるの?』
(そうよ)
ユナは、涙目になっていた。
あれだけの衆目が見守っている中で、ユナが抗議すること自体が自分の私生活を暴露しているようなものなのだ。
「…………ああ」
ユナはうなだれる。
―――結局、言いなりである。
無理やり顔のすり傷の消毒もさせられたし、カナはとっくに施設に送り届けられた。セルジは失神しているマリベルと共にフェルナンディのもとに飛ばされてしまったので、何処に行くとも知れないまま、ユナはエルフィスと二人でいる。
考えてみれば、危険な状況だ。
あのヘラという女性がまたすぐに攻撃してくるような心配はないと、エルフィスとセルジは自信満々に言っていたが、そんなこと分かるはずがない。
それに……。
この女好きな王子、似非神官がいきなり襲ってくる心配も持っていなければならないのだ。
(まあ、その辺は……)
ユナも考えていた。
(天地がひっくり返っても、この私に寄ってくるはずがないわ)
これほどまでにエルフィスの理想を裏切っているユナが女性として見られている可能性など万に一つもない。
確信すると、心も穏やかになっていた。
「そ、そうね。まさか、私を殺すにしたって、あんなに目撃者が多ければ無理だろうし……」
「一体、何なんだい。その被害妄想は?」
「わっ!」
いつの間にか、向かい合わせただった座席から、ユナの隣ににじり寄ってきたエルフィスがいた。
(私なら、安心……よね?)
「面白いね。ユナは僕が君に危害を加えることしか考えていない」
「……あはははは。それは、ずっと盗み聞きされていた身ですからね。信頼という言葉が痛いくらいです」
もう自分の感情を隠す余裕がないユナは、皮肉たっぷりに言い返した。
エルフィスも、その辺では負けてない。
「だから、謝っているじゃないのさ。確かに僕は君の言う通り、わざわざ君の家に出向かなくても、君を護る手立てがあった。それでも、君の自宅に入り込んだのは、君の妹をこちら側に引き入れようなんて馬鹿げたことを考えていたからだろうね。悪かったよ」
「ほら、やっぱり」
ユナは精一杯の嘲笑を浮かべて見せたが、何故エルフィスがユナにそこまで固執するのかまでは、考えることはなかった。
(やっぱり……)
「とうとう、幼女にまで。いくら女好きだって……、よりにもよって」
「はあっ?」
それには、エルフィスも黙っていなかった。
「どうして、そういうことになるのさ? 君、どうかしているよ。大体、自分の私生活にやましいことがあるから、そんなに怒っているんじゃないの」
「よくも、そんな馬鹿げたことを!」
もはや、それは犯罪者の論理である。
ユナは大きく揺れている馬車から、咄嗟に降りようとして、エルフィスに止められた。
「手を放して下さい。変態」
「嫌だね」
(くそー)
ユナは必死だったが、エルフィスの細い腕は意外に力強い。
女好きの変態だと呼んでいるくらいなので、男だと分かってはいるのだが、じかに手を握られると、改めてこいつは男なのだと感じてしまう。
気持ちとは裏腹に、鼓動が早くなっていくのを、ユナは止められなかった。
「今のは確かに言いすぎたよ。だから、悪かったって謝っているじゃないか。僕だってね。あんな腕輪がなければ君のことなんて……」
「私のことが、何ですか?」
「――何でもない」
エルフィスは綺麗な顔を台無しにして、頬を膨らませた。
―――距離が近い。
ユナは少し窓側にずれて、怒りまかせに呟いた。
「謝り方というのがあるじゃないですか。…………誠意というものが」
「分かっているよ。でも、誠意って何? 言葉でなければお金? だけど君は僕がお金で解決すると言えば、嫌がるだろう?」
「私は」
エルフィスはユナを追いかけるように、椅子に手を置いて更に近づいてきた。
「次の就職先は、ちゃんと斡旋するよ。だから……」
「――えっ?」
(…………あら)
――一瞬、目眩がした。
馬車の揺れのせいではない。
いくらエルフィスと距離が近くても、心が離れていることに、ユナは気がついてしまった。
(そうだったわ……)
何を、ユナは怒る必要があるのだろうか。
この先、ずっと続いていく付き合いであるのなら、悔しいし、辛いけれど、もう二度と会わないのであれば、別段腹を立てる必要もないことなのではないか……。
第二王子が就職の世話を焼いてくれる機会など、滅多にあることではない。
ここは、鷹揚にエルフィスを許して、現実的に前に進むことが自分と妹のためなのではないだろうか?
……なのに、何故だろう。
(どうして、こんなに空虚な気持ちになるのだろう?)
先刻は、散々「出て行け」とか、罵声を浴びせたくせに……。
「ユナ?」
「いえ……。あ、そうですね」
さらりと作り笑いで、ユナは流した。
「では、私の勤務は今日までと?」
「そうだね。明日一日休みをあげる。翌々日には再就職先の候補の一覧でも、君の所に送るから、その一覧表から選んで検討してくれれば良い」
「……分かりました」
「どうしたの?」
エルフィスは本心だろう、きょとんとした様子で、ユナを覗き込んでいる。
「やけに素直じゃない。さっきまではキレてたのに?」
「急にね。悟りを開いたんですよ」
「はあ?」
決して、エルフィスの判断に非があるわけでもない。
でも、ユナはその鈍感な顔を直視することが出来ずにそっぽを向いた。
「ところで、何処に向かっているのです?」
「都の外れだよ」
「私の家もある意味外れていましたが?」
「もっと、奥。もしかしたら、君も知っているかもね。別に取って食おうというんじゃないし、近くなったら、きちんと話すよ」
「……それなら良いんですが」
都の外れに、何があるのかユナには分からない。
エルフィスはああは言っているものの、もしかしたら、ユナの身に危険が迫っているのかもしれない。
それでも……。
何故か動けない自分にユナも戸惑っていた。
エルフィスは、いくら待っても、ユナが自分を見てくれないことに諦めたのか、そっと体を背もたれに預けて、窓越しに外の景色を眺めていた。
「都の荒廃……と、までには及んでいないけれど、悲惨だな」
突如、そう呟いたエルフィスは、長くて細い人差し指を窓の外に向けた。
「あれが職選所でしょ?」
「はっ、はい」
ユナは何度も頷く。
馴染み深い施設だ。
ユナの自宅から、神殿とは逆方向に設けられている職選所。
煉瓦造りの小さな国の施設には、今日も長蛇の列が出来ている。
「仕事があれば良いけれど、ないのが実情だろうなあ。あると見せかけて国の助成金目当てっていうのも最近は多いみたいだし……」
エルフィスは、瞬く間に流れて行く景色を目に焼き付けているようだった。
「聞いてはいたけれど、結構、路上で生活している人もいるようだねえ」
「私も、知りませんでした」
ユナも、初めて目にした。
職選所よりも奥の地域は、物騒なので近寄らないほうが良いと言われているのだ。
仕事を失くし、帰る場所も失ってしまった人たちがひっそりと生活しているらしい。
暗い道を、馬車が駆ける。
所々で、生気のない虚ろな幾多の目がぼんやりとこちらを見ていた。
あまり、目にしたくはない光景だった。
薄汚れてしまった襤褸の衣を、そのままに身につけている人たち。
下手したら、明日のユナとカナなのかもしれないのだ。
そんな所に、こんな豪華な馬車を走らせたら大変なのではないか……と思ったが、御者もその辺は考えているのだろう。
急に目が回るような速さで、走りはじめた。
「ぎゃっ!」
「大丈夫? ユナ」
平気だったら、叫声など上げていない。
エルフィスは、こんな時でも泰然としていた。
「この地域になったら、速度をだすように伝えておいたんだ。僕もまだ身包みをはがされたくはないからね」
「そういうことは、もっと早く言ってくださいね。うはっ!」
ユナは耐えられずに、馬車の窓枠を必死に掴んだが、気がつくと、エルフィスがユナの肩に手を置いていた。
「……あのー?」
「あの人たちがその気になったら、神殿も焼き討ちされたりするだろうし、お金持ちは襲われてしまうかもしれないね」
見事に、ユナの言いたいことから話題がそらされている。
「だ、大丈夫ですよ。今は福祉団体の方々が彼らに炊き出しを振る舞ったりしていますから」
「……まあ。僕も出資はしているけれど。でも、長くはもたないだろうな。去年の地震の影響も色濃いわけだし……。ユナのご両親も地震で亡くなっているんだものね」
「そうですけど……。それが何か?」
エルフィスが深刻な面持ちをしているので、ユナは、穏便に肩を抱く手をどけようとしたのだが……。
「ところで、君。この服はちゃんと洗濯しているの?」
「はあっ!?」
ぶんと、ユナは乱暴に手を振り払った。
考えてみれば、毎日同じ服で神殿に通っていたので、洗っていなかったような気がする。
「別にいいよ」
速度が落ちてきたところで、エルフィスは言って、ユナを複雑な心境にさせてくれた。
「お風呂にさえ入っていれば……」
痛いところだ。
ユナの自宅には風呂がないので、二日に一回の水浴びが主流で、川の水を沸かして風呂にするのは稀だった。
毎日、花の香りを撒き散らしているエルフィスとは大きな違いである。
先ほどとは違う事情で、ユナがエルフィスとの距離を広げていると、エルフィスはユナの心情を面白がっているのか、またしても距離を縮めてきた。
「あのね。ユナ」
ユナは、エルフィスに向き直るよりも、窓を開けるほうを優先させた。
「何でしょうか?」
吹き込んでくる風に、髪をなびかせて
「どうして、君と貴重な一日を過ごすことにしたのか、僕自身、さっぱり分からないんだ」
「…………そうですか」
(何を言っているのだろうか?)
半ば誘拐のように連れて来て、その言い草である。
どれほど、人を侮辱しているのだろうか?
しかし、エルフィスは
「本当、意味が分からないよね? それで、今また何でそんなことを君に話してしまうのか」
……と軽やかに笑っていた。
その笑顔がいつもと違っていて、少し淋しげなのがユナの気持ちに何故か引っ掛かった。
何か……。
怒鳴りつけてはいけないような、異様な気配があった。
「僕はその……、君の本音を聞いてきた。あれは、確かに犯罪でいけないことだったけれど、誰かの本音を聞けたのは、少しだけほっと出来た。僕は常に偽りの世界で生きているし、誰にも本音なんて言えないから」
「でも、ほら……、エルフィス様には、セルジ様がいらっしゃるじゃないですか?」
「セルジは家族みたいなものだからね。君が妹さんに言えないことがあるように、僕にも話したくないことはあるよ」
「だけど、他にも沢山の女性達が……」
「遊び友達ならば、沢山いるよ。男女の仲には駆け引きも重要だと思っている。それでも……、やっぱり疲れるよね。格好良いところを見せないといけないわけだから、本音なんて言えるわけないもの。その点、僕は君のことをなかば一方的にだけど、良く知っていて、気取らないで済む貴重な相手なんだ」
「……それは、褒めているんですか? 貶しているですか?」
「褒め言葉っていうか……、僕の本音を告白したつもりだけど、気に障ったのなら、謝るよ」
エルフィスは、ぺこりと頭をさげた。
(こんな最低なヤツに……)
心を許してはいけないと、頑なにユナの理性は叫んでいた。
けれども、その直後に馬車が止まり、エルフィスの手を借り地面に下り立った時、ユナは初めて彼の意図が見えたような気がした。




