第3章 Ⅱ
青年は、暗闇の中で剣を振るっていた。
一心不乱に振り続けて宙を切る刃は、青年にとって心の檻を洗い流す行為だった。
青年は、それでも荒んでいる気持ちを落ち着けるために目を閉じた。
「今年も日照りが多い」
静かな武道場に、乾いた声が響く。
「都では、度々雨が降っていますが」
女は、反駁したわけではなかった。
青年を慰めようとしたのだろう。
……分かっている。
だが、青年は苦しい胸の内を明かさずにはいられなかった。
「俺は地方のことを言っているんですよ。一番苦労しているのは、都から離れて暮らしている人たちですからね」
青年は、剣を下ろして、胸元で揺れていた首飾りを握り締めた。
ルビ教の象徴でもある金色の十字。
信仰は貫いている。
正義感も持っているはずだ。
……なのに、どうして立ち行かないんだろう。
「壁のせい……です」
女が小さく呟いた。
青年は微笑で、肯定した。
「そう、壁を除くしか、残された道はないと思う。これがもっと危機的になる前に、俺達は広い世界に出ないといけない」
「しかし、レンフィス様もエルフィス様も……」
「石頭だからな。レンフィス兄様も……。エルフィス兄様は何を考えているか、さっぱり分からないし」
「私が……、どうにかしましょうか。エルフィス様はとにかく女性に弱い。最近も素性の知れない少女を安易に雇っているくらいですから」
「命を狙われたという噂を聞きましたが、相変わらずエルフィス兄様は不用心ですね」
「それは……」
女は、何か言いかけてそっと首を振った。
青年は目を開いた。
多分、彼女は誤解をしている。
エルフィスを狙ったのが青年だと思っている。
しかし、青年は何も言わなかった。
殺意があるかと問われれば、ないわけではなかった。
この時世に、暢気に女遊びを繰り返している兄は、青年にとっては理解が出来ない存在だった。
「貴方は、心配しなくても良い。エルフィス兄様が、またロクでもない女性に引っ掛からないように監視さえしてくれれば」
「その女性は私も怪しいと思うので、排除する予定です。でも、そんな単純なことではなくて、私はもっと貴方のお役に立ちたいんです。貴方が支援して下さったおかげで、私はこうして今生きているんです。アカデミーを人並みに卒業することも出来たのですから」
「貴方は、当然受けられるはずだった教育を受けただけじゃないですか」
青年は穏やかに言って、剣を鞘に戻した
「それに、俺は貴方にはもう一つ危険な仕事を頼んでしまっている」
「別に、危険ではないです。私は元々ガイナ教に入信するつもりでいたんですから」
……ガイナ教。
最近、急成長を遂げた新興宗教で、アルメルダを覆う壁を壊すことを狙いにしている珍しい宗教だ。入信する人数はどんどん増えているのに、教祖は信者の前にほとんど姿を現さないらしい。
だから、五百年生きたルーガスとも、ルビ教の主神アルキスの化身だとも噂されていた。
「貴方に潜入してもらったのは、他でもない。教祖の顔を見て欲しいのです。教祖は精霊魔法を使う人物だとか? いまだに実在している魔法使いならば、もしかしたら壁の壊し方も知っているかもしれない」
「教祖様は滅多に顔を出さないのです。私も入信の時に一度だけ影のようなものを見た程度で。ただ、私が神殿に就職することが出来たのも、ガイナ教と人事院が癒着しているおかげでしょうから、やはり教祖様は、神殿の上位神官か、それとも神殿に顔が利く上位貴族なのかもしれないと、調べているのですが……。すいません。大きなことを言っても、この程度のことしか分からなくて」
「…………構いませんよ」
青年は漆黒の上着で汗を拭った。
「とりあえず、俺は動くつもりです」
「動く?」
「長く地方を回っていて、都を留守にしていましたからね。挨拶ついでに、兄に壁を取り除くように説得しますよ」
「では、神殿にいらっしゃるのですね? フェルナンディ様」
女は、薄っすらと笑顔を浮かべた。




