1話 死神は放課後に現れる
カーテンから漏れ出る光によって昼過ぎの図書館は薄明るく照らされている。
本特有の紙の匂いと、物音ひとつしない静けさに包まれている空間の中、机に突っ伏して静かに寝息を立てている黒髪の少年――フォードはこの場所がお気に入りだ。
つんつん……。
誰にも邪魔されることなく退屈な授業をサボって惰眠を貪ることができる。ここは最適な場所だった。
つんつんつん……。
だから今、不躾に頬を突かれる感覚に、フォードは疑念を抱いていた。
「もしもーし、起きてください」
透き通った可愛らしい声。それと同時に優しく肩を揺さぶられ、フォードは観念するかのようにゆっくりと思い瞼を持ち上げた。
「こんにちは、寝坊助さん」
未だぼんやりとしているフォードの視界の先、対面に座っているのは一見するとあどけない少女。
肩の位置まで伸びた透明感のある白い髪、その白さに負けないほどのきめ細やかな肌。紫水晶を彷彿とさせる大きな瞳は眼と共に細められ、頬杖をついてフォードを見つめている。
どこか儚げな雰囲気を漂わせながらも、聖母のように慈しみに満ちた優しさを感じさせる、そんな少女だ。
しかしそんな美しい容姿とは裏腹に、小さな体に纏う黒いローブがこの学園の生徒ではないことを示していた。
「確認ですが、貴方がフォードさんで間違いないですか?」
少女は優雅に微笑み、質問を投げかけた。
「……ああ、そうだが……君は?」
壁に掛かった時計をちらりとのぞき込む。今はまだ授業の真っ只中、部屋には鍵をかけてないものの、普通なら誰も来るはずがない。
フォードはいまだ呆けた表情のまま状況を飲み込めないでいた。
「初めまして、私はルノー。誇り高き冥府の使いである死神です」
少女はそう告げると、音を立てることなく優雅に立ち上がった。
瞬間、周囲の空気が一変する。空間が陽炎のように揺らぎ、その揺らぎがフォードの手足にまとわりつくように絡む。
は? という彼の疑念に満ちた声は静寂に包まれた図書館の中で響くことはなかった。
「ごめんなさい、拘束と沈黙の魔法をかけさせていただきました」
ルノーと名乗る少女は、少しだけ申し訳なさそうな表情をして。
「あなたの魂、いただきますね」
彼女の周りに集まっていく尋常ではない魔力を肌で感じ、フォードは全身から冷や汗が流れる。
襲撃か、暗殺か、はたまた本当に死神という存在がいて、命を刈り取ろうとしているのか。白昼堂々、それも学園の中で襲い掛かられることになるとはさすがのフォードも想像していなかった。
助けを呼ぼうにも口を押えられたような感覚で声を出すことができない。ましてやここは無人の図書館、室外を含めても周囲に人の気配はない。逃げるにしても反撃するにしても拘束の魔法によって椅子に縛り付けられ身動きが取れない。まさに絶体絶命のピンチ。
気づけば、彼女の細い手には鎌が握られていた。
小さな彼女の身体にはあまりにも不釣り合いに見える大きな鎌。しかし、漆黒のそれはどこか禍々しく、底知れぬ恐ろしい力を隠しているのではないかと感じさせる。
「大丈夫です! すこしザクっとするだけで痛くないですから。安心してくださいね!」
(絶対嘘だろ! あんな物騒なもので切られて痛くない訳あるか!)
少年の心の叫びなど聞こえるはずもなく、いきますよ~と、ルノーは朗らかな声と同時に大鎌を振り上げた。
(――っ、どうにでもなれ!)
フォードは脳内で魔法を構築する。
彼女が使用した『拘束』と『沈黙』の魔法。フォードはその魔法を一瞬で解析し、『魔法無効化』を使って解除した。
その間、およそコンマ3秒。
「せーいっ!」
降りてくる大鎌を避けるため体をめいっぱい反り上げ、椅子ごと派手に後ろへと倒れこんだ。
弧を描く漆黒の刃はフォードの鼻先ギリギリを通過し、その勢いのままズドンッ、と鎌の根本まで深々と突き刺さる。
「もう、避けないでください。せっかくの綺麗な床に傷がついたじゃないですか」
柔らかな声色に少し怒気の含まれた声で少女は文句を垂れる。
(自業自得だろ! というより、殺されそうになって避けないやつがどこにいる!)
打ち付けた頭の痛みを堪えながらフォードは心の中で毒づく。
一言言ってやろうと思ったが、彼女は魔法が解除されたことは未だばれていない。状況を優位に進めるため、泳がせておくことにする。
「まあ過ぎたことは仕方なしです。もう1回です。…………あれ?」
ルノーはそう言うと突き刺さった大鎌の柄へと手をかけ……そこでピタリと動きが止まる。
「んんん……? てりゃーっ! このーっ!」
気の抜けるような掛け声を上げながらルノーは必死に持ち上げようとする。しかし、刺さった鎌はピクリとも動かず靴底を滑らせる音だけが響くのみ、漆黒の鎌は相も変わらず床の中で鎮座したままだった。
「どうしましょう、全く抜けません。いつもならあんなに軽いのに、人間の体になってから全く操作が効きません。なんでこんな不自由なんですか……⁉︎」
涙目になりながら必死に引っ張っている少女。先ほどの付きみなカリスマ性はどこへ行ってしまったのか、最早ただのドジっ子美少女である。
二転三転と迷走する滑稽な少女を見て、フォードはしばらく呆然とするしかなかった。
(なんでこんな奴が死神を名乗ってるんだ……?)
少年がルノーを観察していた時間はそんなに長くなかっただろう。
フォードは倒れた椅子を起こし、制服に着いた埃を手で払う。
そんなフォードの動きにすら、ルノーは気付くことなく未だ抜ける気配のない大鎌に四苦八苦しながら奮闘している。
すこし離れたところでフォードは冷ややかな視線を送ることしかできなかった。
「あの、さ――」
「待っててください! 今取り込み中です。もう少しでぇぇぇ……!」
彼女の目的はフォードの魂を奪うことから、目の前の仕事道具を取り戻すことに切り替わっているらしい。
最早少年が普通に話していることにさえ気が付いてない。
フォードはため息を吐いてルノーへと指を向けると、魔法を唱えた。
「――拘束」
「ふぎゃっ⁉︎」
フォードの指先から放たれた白く輝く糸はルノーに向かって真っ直ぐに飛んで行き、彼女の体をぐるぐる巻きにする。
バランスを崩したルノーは情けない声を上げて、あっさりと倒れ伏した。
「ちょっと! いきなりなにするんですか! 卑怯ですよ!」
「卑怯もなにもそっちから仕掛けてきたんだろうが!」
ぐ、と声を詰まらせ、ルノーはバツが悪そうに視線を逸らす。
「というよりも……お前本当に死神か? にわかには信じられないんだけど」
「失礼ですね、どこからどう見ても死神じゃないですか」
「いや、見た目も態度も実力もそうなんだが、それ以上に威光がないというか絶対的な圧がないというか…」
「下界の皆さんは天使とか死神とかなんでもかんでも神格化しすぎなんです! 実際は私のように親しみがあってマイルドな気質の死神の方が多いんです!」
(そうだとしても、おっちょこちょいすぎるんだよなぁ)
奇襲のやり方といい、刺さった鎌の時といい、天然を通り超えておっちょこちょいと言わざるを得ないだろう。
今フォードが自由に動けていることになんの疑問も持っていない彼女の眼差しがそれを物語っている。
「で、だ。俺の魂を奪いに来たっていうのはどういうことだ?」
フォードはルノーに向けて掌をかざすと魔力の球を作り、敵意に満ちた鋭い視線をぶつける。
返答によっては魔法の行使も致し方なし、そういう意味合いを含めた行為。
だからルノーも青ざめながら、しかし真剣な面持ちではっきりと答えた。
「わかりません!」
「…………は?」
「私はあなたの魂をもらいに来た理由を知りません。なぜなら私は上司の指示に従ってここに来ただけなんです。そもそもあなたをターゲットにしている理由なんてこれっぽっちも知らな――はひゃっ⁉︎ ちょ、ちょっと氷の魔法はやめてください⁉︎ 首っ、お尻が! 冷たい、冷たいです!」
ルノーの頭上から、容赦なくぱらぱらと氷の粒が降り注ぐ。
「お前はアホかッ! 訳も知らずに人のことを殺しにくるんじゃない!」
「業務命令なんですぅうあああ! 冷たいっ、冷たいですううぅ!」
図書館に響き渡る、死神の情けない悲鳴。
呆れも通り越してまた怒りが湧いてきたフォードは、この怒りを収めるため諸悪の根源で憂さ晴らしするしかなかった。




