第一話 入口から作ったら、また関所ができた
俺の名前は平沢敏明。五十四歳。会社員。
昼は数字と報告書を相手にして、夜は小説を書いている。
三週間前、俺は一本のギャグ小説を投稿した。
題材は、俺自身だった。
一年と四ヶ月かけて書いた渾身の長編第一作が、読まれない。タイトルを直し、あらすじを直し、投稿時刻まで分析する。それでも読まれない。そういう創作の苦しみを、そのまま笑いに変えた短編だった。
思いのほか読まれた。
そしてギャグ経由で、第一作を見に来てくれた読者が何人かいた。爆発的ヒットではない。ランキングにも入っていない。だが、届いた。その経験が、俺の頭にひとつの言葉を残している。
入口だ。
作品には入口がいる。
第一作には中身があった。創作仲間の稔も認めてくれたし、実際に読んだ人もそう言ってくれた。問題は中身ではなかった。入口だった。
読者がたどり着けなければ、中身は存在しないのと同じ。
ならば、次は最初から入口を設計する。
俺は新しいフォルダを作り、メモ帳を開いた。
まず基本方針を決めた。
一、入口から作る。
一、第一話の冒頭で、何の話か伝える。
一、設定は後出しでいい。最初は感情と状況で引く。
一、あらすじは三行以内。
前回の教訓が四行に収まっている。
我ながら完璧だ。
念のため、創作相談に使っているAI、導にも見せた。
「方針としては妥当です」
「だろう」
「ただし、平沢さんは方針を立てた瞬間が最も冷静で、実行段階で最も遠ざかる傾向があります」
「遠ざからない」
「記録しておきます」
導はいつも通りだった。
次は、ジャンルだ。
第一作は「異世界×AI×文明加速」で挑んだ。作品の価値は今でも信じている。
だが、入口としては厳しかった。
扉を開けた瞬間に設定資料館が広がっていた。
今回は違う。
ジャンルそのものが入口になる選択をする。
三日かけて、投稿サイトのランキングを分析した。ジャンル別のPV推移、ブクマ率、タグの傾向。本業で鍛えた分析力が、こういうときに活きる。
結論が出た。
中華風異世界ファンタジー。
理由は明確だ。
宮廷、後宮、龍、茶、絹。
ジャンル名だけで画が浮かぶ。
料理も衣装も建物も書ける。匂いがする。
第一作は思想の話だった。思想は面白いが、匂いがしない。
俺は自分の分析に頷いた。今回の俺は、ちゃんと考えている。
構想が決まると、世界を作りたくなる。
大陸の中央に統一王朝を置いた。名前は「煌」。五行思想を基盤にした政治体制。五つの省。五人の長官。五つの色。五つの味。五つの禁忌。
ここで俺は一度、手を止めた。
これは設定だ。
入口ではない。
だが……入口に説得力を持たせるための土台ではある……
そう判断して、続けた。
三日後、メモ帳のファイルは六つになっていた。
「世界設計_政治体制」
「世界設計_五行と魔術」
「世界設計_食文化」
「世界設計_服飾と身分制度」
「世界設計_地理と気候」
「世界設計_官吏選抜制度」
七つ目を作りかけて、手を止めた。
ファイル名は「読者に見せない前提知識一覧」だ。
さすがに、何かがおかしい。これらは入口ではない。
だが、俺はすぐに結論を出した。
見せない前提知識を管理することは、見せないために必要だ。
俺は六つのファイルを並べて眺めた。
土台は完璧。そろそろ、入口を作る。
そして、第一話のプロットを書き上げた。
翌日、導に第一話のプロットを見せた。
「次の作品を考えた。今回は入口から設計している」
「拝見しました」
短い沈黙のあと、導が返した。
「結論から申し上げます。入口はあります」
「だろう。今回は入口から作った」
「はい。入口はあります。ただし、入口にたどり着くまでに、門が三つ、検問が二つ、案内図が一枚必要です」
俺は何も言えなかった。
「第一作のときより改善しています。入口を意識していること自体が前進です。ただし――」
「ただし?」
「入口の手前に、関所ができています」
俺は画面を見つめた。
反論を組み立てようとして、第一話のプロットを読み返した。市場の描写、五色の旗、官吏の行列、五行の異変、そしてそこに至るまでの前提情報。
段階的だと思っていた。順序立てていると思っていた。だが入口を丁寧に作るほど、入口の手前に必要なものが増えていき、読者は入口にたどり着く前に止められていた。
入口を作ったつもりで、どうやら俺は、関所を建てていた。




