第十六話 「ちっぽけな存在」
「なんか、わかったようで何もわかってない気がする」
数日後、僕は学校帰り再びいつもの公園のベンチで空を仰いでいた。今日は生憎の曇り空で分厚い雲に阻まれた世界は何とも言えない薄暗さを感じる。
考え事をするなら、お気に入りのあの場所に行くのがセオリーなのだが、あんなことがあった後だし以前より少し近寄りがたくなっていた。
その代わりと言っては何だが、一人にはなれないものの癒しが存在するここに当分身を寄せることに決めた。
「君は、僕のいない間もここに来てたの?」
膝の上には癒しと言う名の見慣れた黒猫が我が物顔で昼寝をしている。偶に、にゃむにゃむ鳴いているので何か美味しいものでも食べているのかもしれない。
この子を撫でながら考え事をして一時間近く経過したのに、未だ考え事は山のようにある。
「蓮牙もあれ以来タイミング合わないし」
溢れでたため息は空気に混じる。
「本当さ、何で色とか形が変わっちゃうかなぁ。気になってしょうがないじゃん……」
初めて見たのは蓋雫さんの紫。何か言った後に、突然紫光に輝く刀身が姿を現した。そこからは、濡羽さんの黒い拳と空木さんの緑の弓。色も武器も人によって違ってる。何か法則でもあるのかも……?
それにここまでくるとたぶん、いや、間違いなく知座さんのランタンも色彩が変化するだろう。彼は一体何色の光を灯すのかな。
そんな四人の共通点は緑のランタン。赤や白じゃなくて、緑。
緑一色の光なんて信号機以外でそうそう目にすることは無い。それでも、ありふれた色である事には変わりなくって。だから、彼らは何故そこまで特別視してるのかもわからないし、その色合いに何の意味があるのかも知りたくて仕方ない。
それに、僕のランタンが一瞬だけ緑の光を放った様に見えたことと、獣型が飛び出してきた時に感じた謎の滲み。これらは僕の中では見過ごせない変化になっていた。
あれから閃時が訪れる度に目を閉じて辺りに意識を集中させてみても残念ながらあの滲みは見えないし、ランタンが緑に光るわけもない。一体あれは、何だったのだろう。
黒猫を撫でている手と逆の手で僕はランタンを外すと目の前に持ってくる。その変わらない姿に安心と落胆が交互に顔を覗かせる。
もうこうなったら、空木さんあたりに聞いてみようかな。他の三人は無理だとしても彼なら教えてくれる気がするし。まあ、でも、一つ気掛かりがあるとすれば彼の言う覚悟を僕は持っているかはわからないことだなぁ。
「何でこんなに気になる事がそこかしこにあるのに、皆知ろうとしないのかな」
僕は独りごちる。
空は先ほどよりも濃い灰色が広がっていた。これはもう直ぐ一雨来そうだと腰を浮かせようとした時、突然黒猫が跳ね起きどこかに向かって背を逆立てる。
「どうした?」
反応を示さないにゃんこを持ち上げようと今度は腰を曲げた途端、世界が黒く染まった。閃時か、と握ったままのランタンにいつもの調子であかりを灯す。
この子は閃時の前兆を感じ取っていたのかな?動物は人間にはわからない何かを感じることができるらしいけどまさか閃時まで感じ取れるとは。
「僕はそろそろ帰るけど君も……」
その危機察知能力に舌を巻きつつ猫が警戒する方に視線を合わせる。闇に慣れていない瞳に映るものはない。
まさかそんなわけないよなと、悪い予感を振り払うように今度はそちら側にランタンを向ける。あかりを頼りに目を凝らすと今度は何やら蠢く地面が見えた。
的中する予感に「勘弁してくれよ」心の中で悪態を吐く。
とりあえず、その全貌が明らかになってから逃げても遅いことは経験済みなので、今できることは一つ。
「にゃんこ逃げるよ」
僕は猫を抱えたまま公園の出口へと駆け出した。荷物は後で取りに来ればいい。今はあそこから現れるのが人型や完全体じゃないことを祈りながらこの場を去ることだけを優先する。
歩数にして後二、三歩。入口の車止めをすり抜けれる所まで近づいた時、僕らの頭上を通過した何かが無情にも目的の柵に飛び乗った。
ランタンが仄かに僕らの周囲を照らす。そのわずかな光で姿を消さないそいつは、期待外れの結果をこの場にもたらしたことを案じていた。
人型じゃなかったことに安心すべきか完全体だったことに焦燥を感じるべきか。
冷静に自身の感情を分析している意識とは別に、足裏は縫い付けられたようにその場から離れようとしない。その感覚は留まることを知らず全身に広がり関節を固定していく。
僕はこの場を離れることも己の急所を守ることもできずに、ただ立ち尽くすことだけを許されていた。
ーーどうしよう。
思考の隙間から滑り落ちたのは情けない一言。
過去二回の遭遇時は頼れる誰かがそばにいてくれた。でも今は僕一人。自分の力で切り抜ければならない。
今日ここに立ち寄らなかったらこんなことにならなかったのに。
自分の行動を今更責めても何の意味もないことはわかっている。けれど、この感情を今どこかにぶつけないと落ち着かない。
目の前の煤はこちらに気づいていないのか、それとも警戒するほどではないと思っているのか頭を足元のポールに擦り付けている。
心臓が普段よりも早いペースで鼓動を刻む。その拍動に釣られるように大きく響く心音は、全身を拡声器代わりにして僕の所在を知らしめようとする。そんな感覚に陥りながらも、身体が動かない今、息を殺してこの場をやり過ごすしかない。
身体は冷える一方なのに冷汗はどんどん滑り落ちる。足首を伝うむず痒い感覚に思わず踵を上げた。
ザリッ。
静まりかえった公園に響く小さな砂利の囁き。
ーーしまっ
直後、音に反応した目の前の怪物が顔を上げる。
歪む真っ黒の体に浮かぶ二つの瞳は、ランタンのあかりで微光の橙を帯びていた。
完全に気付かれた。
そいつは細長い何かをしなやかに地面に叩きつけ、軽い音と共に跳躍する。段々と迫る気配にこのままでは押し潰されると理解しながらも僕の足は役立たずのままだ。
「さっきまで動いてたじゃんか、このポンコツ」
固まった喉からどうにか捻り出した声は、僕の全身を固定する恐怖を振り払ってくれるーー筈もなく刻一刻と迫る最期にただ鼻息を荒くする。
ずっしりとした重みを失う。
終わりを迎える前に、僕の意識は生を諦め体から抜け落ちてしまったのだろうか。
暖かさが無くなった腕を風が撫ぜ、視線は生気のない橙に吸い込まれる。
んにゃ。
どこかで鳴き声が聞こえるーー鳴き声?
その声に気が付いたのは僕だけでなく目の前の煤も同様で、空中で体を捻ると距離をとって優雅に降り立つ。そして着地場所から動くこともせず、周囲の歪んだ範囲を大きく広げた。
こいつ鳥か?
死にかけたにも関わらず冴え渡る頭の中。その反面、体は一向に動かない。
ズボンの裾が引っ張られ、右足に小さな温もりが広がる。それは馴染み深いあの黒猫の体温で、僕は今まさにこの子に助けられたと気付く。
奴は僕の懐から急に飛び出し声をあげた猫を警戒したのか!
尽きるはずの寿命が多少伸びただけで事態は何も好転していない。けれど、今ここにいるのが僕一人じゃない事実がどれだけ安心できるか。
全身に熱がじんわりと巡り、あれだけ強固に固まっていたのが嘘のように楽々と動ける。
「ありがとうね」
僕は煤から目線を逸らさず友人に礼を言う。
にゃッ。
返答を全て聞く前に、駆け抜けた風と僅かに聞こえた水音。
視線は外していなかったのに、いつの間にか大きく広げられた歪みが半分消えていた。見ていた筈なのに、だ。これが信じたくない現実であるとすれば、奴は此方が視認できない速度で変化したことになる。
ーーまじで?そんなの敵いっこないって。
今は少しでも温もりが欲しくて足元にいる猫に近付こうと身を寄せる。
けれど、どれほど動かしても目的の安らぎは見つからず右足はただ中を彷徨うばかり。耐え切れぬ不安にまずいとわかっていても友人の位置を確認すべく視線を外す。
闇に慣れた瞳がとらえたのは、細い羽が顔や胸に突き刺さり小刻みに痙攣しながら地面で藻搔いているあの子だった。
口や鼻から赤い泡を噴き、痙攣かはたまた痛みから逃れようとしているのか必死に脚を動かしている。小さな命の燈が消える姿にしてはあまりにも残酷な仕打ちだろう。
「にゃん……こ?」
目に映る全ての景色が消え、ただ一点にのみ色彩がのる。
黒に纏わり付く鮮紅は仄かな光に照らされ、キラキラと反射していた。
僕はただ、ぼんやりとその光景を眺めた。
ふと、小さな体が消える。
不思議に思い視線を動かすと、先程よりも後退した場所に羽数が増えた状態で倒れていた。
なぜ? と思う間もなく左手に熱が生じる。
見ると、今し方、猫に刺さった羽根と同じものが己の肉に先端を埋めていた。
熱の原因を視認した途端、突き抜けるような痛みが血管の拍動と共に襲う。
「っうあ゛!?」
腕を抱き込み、反射で震えた喉の振動は痛み信号へと変換され声を出すことすら許されない。それでも感じる苦痛から逃れたくて呻き声を絞り出す。
思考を痛覚以外に割くこともできず只々その場にうずくまっていると、側で地面を擦る音が聞こえる。
溢れ落ちる涙をそのままに顔をあげると、至近距離に二対の橙。
ーーそうだ。こいつのせいで。
気づけば拳が奴目掛けて突き進んでいた。
黒い塊に突き入れた反動で全身を駆け抜けた痛みに、崩れ落ちるのをこらえようと必死にを顎や下腹に力を入れる。
しかし、思わず放った一撃は奴が首を傾げる程度の結果しかもたらさず、代価として内臓への鋭い痛みを支払うことになった。
体側への打撃により口内に迫り上がった液体は、叩き付けられた衝撃で鮮血となって飛び出す。
頭を地面に擦り付け、霞む視界で捉えたのはゆったりとした足取りで迫る死の影。それは解けた恐怖を再び呼び覚ます。にじり寄る奴から距離を取ろうと試みるも、無様に転がった体は鉛を着けられたように重く、地面に爪痕を残すのみ。
喉が引き攣り、圧迫された気道を通過した空気が喉笛を鳴らす。
ーー死ぬのかな。
自らの手で作った浅い谷に液が満たされるのをぼんやりと眺める。
近寄る足音とは裏腹に段々と遠のく意識に瞼を震わせ逆らおうにも、息も絶え絶えな体では成す術もない。
カンッ
軽い音が鼓膜を揺らす。
どこか聞き馴染みのある物音に、さっきまでの出来事は夢で今からが日常ではないかと重い瞼をこじ開ける。
けれど現実は無常で隙間から見えた世界は、変わらず黒を携えていた。
どうにか音の正体を探そうと目だけで辺りを見回す。煤は動かなくなった獲物には興味が無いのか僕に背を向け毛繕いをしていた。
長い尾が地面を擦り、知らぬ間に僕の元から離れていたランタンは打たれる度に悲鳴を上げる。ガラスの割れた体は弱々しく周囲を照らしていた。
胸から熱いものがジリジリと込み上げ、視界が滲む。
大事にしてたのに。
フォスタシスが助けてくれるんじゃなかったの。
修理できるかな。
強いって言ってたじゃん。
無理なら新しい子は個性的な形にしよう。
市民がピンチなんだよ。
色変えれるのもいいかも。
……なんで来てくれないの。
顔を三つの筋が伝い力無く垂れる。
知りたい事も、やりたい事もまだまだある……それ……なのに……
目を奪うのはゆらゆら揺れるか細い光。
こんな事になるなら、なりふり構わず調べればよかった。
そしたら今だって僕があいつを……
助けてよ。お前にはその力あるんだろ……
祈るような思いでランタンに縋った。
いつもご覧いただきありがとうございます。
次回で一章完結です。この二話は初心者なりに特に頑張って書いてます。良ければ来週も見ていってください。
また、長い間執筆を休止していたにも関わらずブックマークをいただけて感謝でいっぱいです。
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引き続き僕らの蘭燈をよろしくお願いします。




