二度目の二日酔い
頭の中で何かが暴れ回っている。それなのに思考がそのことに頓着しない。
今が起きているのか、寝ているのか、夢の途中なのか、自分が何をしていたのか判然としない。それが酔いであることに、次第に気付く。すると、辺りの情報が入って来た。
上半身を持ち上げた、自分はベッドの上に眠っていた。
「水」
かすれた声で腰の巾着を探し、銀のコップを取り出し水を注ぐと一気に飲み干した。喉が潤うと、何か忘れているような感覚に襲われて視線を彷徨わせる。
「あれ、チビ」
視線を右上に動かし、微動だにせずにいたが、後頭部を掻いて立ち上がった。
ここは「ワイバーンの泊まり木」の自分が泊まっていた部屋だった。
「坊主、今回は自分で起きたんだな」
部屋を出るとスミルが頭をさすりながらホールの後片付けをしてる姿を見て昨夜の記憶がゆっくりと朧げに蘇ってくた。
〆〆
「ルル、聞いて。今すぐに出て行くわけじゃないんだよ。修行が終わったらの話だよ」
グレイはラミィ達の視線がこちらに向いたことに眉を顰めると「なんだよ、今は休みじゃねぇよな」と小さなテーブルにいる見慣れたフードの客を確認しながら言った。
「休みじゃないけど、休みみたいなもんだよこの時間帯は。それよりなんだい、お早いお戻りだね。世話になったな、なんて言って出て行ったからてっきり、この町を出て行っちまっていると思ってたよ」
「本当だったらそうなってたんだよ、けど色々あったんだ。それでも明日には出て行くから、今日は客として来たぜ」
「それなら、お客様として丁重に対応しようか」
「ほら、あんた厨房に戻りな。メアリーはテーブルの片づけをそのままやっちゃいな。ルルは食事の途中だろ、あったかいうちに食べ終わらせな」
ラミィはカウンターに入り、目の前の席をグレイに指し示す。グレイが席に着く中、スミルは後ろ髪を引かれながら戻り、メアリーは手際よく片づけを終わらせにかかった。これで先ほどの会話がうやむやに終わってしまうかと思われたが、涙目のルルだけは違った。
「グレイのバカ!!」
「ちょっとルル!」
メアリーは慌ててルルを抱き上げる。グレイは後ろへ振り返った。
「グレイが来たから、おねぇちゃんが出て行っちゃうんだ。グレイなんてきらい、きらい」
「グレイさんは私が出て行くのと関係はないから、ルル落ち着いて」
「やだ、やだ」
グレイは眉を寄せ、立ち上がった。口をひん曲げ、メアリーの抱き上げたルルと視線を合わせて挑発をする。
「バカだと? バカって言った方がバカなんだよ! バーカ、バーカ」
「ルルはバカじゃないもん、バカはグレイだ、バカバカ」
ルルは簡単に挑発に乗った。怒りを表すために頬をパンパンに膨らませ、陸に揚げられた魚のように手足をばたつかせた。
グレイがさらに挑発をする前に、一人の大きな声が響いた。
「ルル! おねえちゃんが出て行くのとグレイさんは関係ないから。グレイさんを困らせないで! これ以上暴れたら、おねえちゃん今からでも出て行っちゃうからね」
ルルは掲げたままの右手は止まり、足は空を駆ける途中で止まった。突然身体の力が抜けたように四肢がだらりと落ちた。
小さな鼻の啜る音が聞こえ、ひとつ大きな呼吸があると叫ぶような力強い泣き声が鳴り響いた。判然としない言語の中で聞き取れるのは、「いや」という拒絶の言葉だった。
「どうした!?」
厨房から飛びだしてきたスミルは、メアリーがあやすように揺らしていたルルの所へ駆け寄り、何があったかと訊ねる。
「ただのわがままだよ!」
答えたのはラミィだった。ラミィは黙って突っ立ているグレイに謝罪し、奥のテーブルにいるフードの男にも謝罪しにいった。
「わがままって、そんな突き放した言い方しなくたっていいじゃないか」
「ルルもこんなに嫌がっていることだし、もう少しルルが大きくなってからでもいいじゃないかな」
状況を理解したスミルは、ルルの抱き上げを試みながら言った。ルルは更に抱きつく力を強めた。しゃくりを上げていたルルは、次第に泣くのを止め、そのしゃっくりとよく似た呼吸だけを残した。
メアリーが返事をするより早くラミィが言う。
「なに言ってんだい、また終わった話を掘り返して。娘の夢を親である私たちが先送りにしてどうするんだい、それもルルを使って。情けない。娘のやりたいことを応援する権利はあれど、止める権利は私たちにはないよ」
納得のいってない表情を浮かべたスミルをみて、ラミィはこれ以上の話はしないといった様子で視線を外した。
「ほら、何ぼーっと突っ立てるんだい、席に着きな」
ラミィに言われ、グレイはカウンターに座って、そのまま料理を注文した。一週間以上も働いたからには、メニューを見なくたってほとんど知っている、そのため、すんなりと注文することができていた。
注文をされたからには作らなければならない、作る人スミルはルルを最後まで気にしながら厨房へと入って行った。
「チビ、なんとかしろ」
有無を言わさずチビを腹からはがし、ルルに渡しに立ち上がった。ルルは小さな声でありがと、と言ってチビを、……もといベルメリルを強く抱きしめた。
鋭く冷たい目線を背中に受けながら席に戻ると、エールは飲まないのかい、と場を和ますようにラミィが聞いて来た。グレイが飲んで辛い思いをしていたことを知っての質問だった。しかし、ラミィの訊ね方がまずかった。場を和ますように、茶化して言った様子をグレイは挑発と受け取り、頼もうと思ってた、なんて言ったのだった。
この前のようになるよ、と忠告するようにグレイの方を見ながら、いつ止められてもいいように緩慢な動きでエールを入れた。
出されたエールをグレイは豪快に飲み干した。すぐに二杯目を頼んだ。
フードを外し、長く束ねた灰色の髪をローブから引っ張りだし、放りだした。長い息を吐いたタイミングで二杯目のエールが届く。
ラミィは初めてあった時のようにお金は大丈夫かと訊ねた。グレイもその時と同じように大丈夫だと笑って答えた。当時と違うのはグレイがお金の価値を知って、本当に大丈夫だと言っている所だった。
「働かせたことで、お金の価値を学ばせたつもりなんだけどね、これから大丈夫かね」
いつの間にか料理が出されていた。豆の入ったスープを一口飲み、肉を頬張る。三杯目に頼んだ果実酒を飲んでいると、客がちらほら入って来た。
メアリーが働いている姿が見えた。ルルは自室で泣き疲れて寝ていると話していたのを聞いた気がした。
〆〆〆
そこから先に記憶があいまいだった。痛い頭のままカウンターに座った。
「レモンはいるか? 今回はオレンジもあるよ」
グレイはオレンジを購入し、すぐ食べ終わるとスミルの手伝いをした。最初は遠慮していたスミルだったが、礼を言って一緒に片付け始めた。
「ラミィは買い出しに行ってくれててね、メアリーは君に貰った剣にあうベルトを買いに行ったよ。ルルは君に借りているベルメリルを抱きしめて寝ているよ」
昨晩のことを思い出そうと周りを見渡していたグレイのことを家族を探していると思ったスミルが教えてくれた。
「あっ、そうか」グレイは少しだけ記憶がよみがえった。
「ベルメリルと言えば、昨日は変に酔い過ぎてベルメリルが瞬きしているように見えたんだよ、おかしいだろ」
グレイはへたくそな愛想笑いでごまかす。
〆〆
隣にメアリーが座って、反対隣にはスミルが座っていてグレイは挟まれていた。
「おめぇに渡しとこうと思ってたものがあったんだ」
グレイは脈絡もなく突然、思い出したように言い始めた。
「俺もジジイにお祝いで貰ったからさ、お祝いに渡そうと思って」
「えっ、いいんですか。嬉しいです」
メアリーは目を輝かせて鞘から剣身を少しだけ引き抜いて眺めていた。
そこから何かを話していたが、グレイの記憶からこぼれ落ちていた。微かに覚えているのは、酔って愚痴っぽく絡んできたスミルに何か文句を言われていたという事だけだった。
〆〆
「チビを……、なんだよ」
「いいやっ、なんでもないよ」
グレイがチビと呼ぶと、スミルはグレイから顔を背けた。小刻みに震える肩のせいで言葉も震えていた。
「ああ、取って来るよ。本当にありがとうね。あ、このワイバーンの玩具ってどこかで売ってはいるのかい、あれだけ精巧な物だと名のある人が作ったものだろう。オーダーメイドってことで少々値が張るかもしれないが、ルルが気に入っているから買ってやりたいんだ。難しくなければ教えてくれるかい?」
可能なら譲ってほしいけど。と言ってきた。
「なんだ、その。あれは、……拾ったんだ。だから売ってない」グレイは口ごもりながら答えた。
「そうか、それならしょうがないな。ルルには何か他の玩具でも買ってあげるか」
スミルは腕を組み、部屋の方へ向かって行った。チビを持って戻ってくると、持ったことがなかったのか、思った以上にずっしりしているな、この鱗もリアルであったかいな。なんて言って撫でまわしている。チビからはスミルが見てない時に拗ねたように睨んできていた。
スミルからすぐに受け取ると、ローブの中にしまいこみ、会計をすぐに済ませた。
「もう、行くのか。そうか、元気でな」昨日と同じようにあっさりとした会話で終わった。昨日と違うのは他の家族がいないという事だけだった。
「まぁ、昨日も言ったから良いだろ。世話になった」
扉を出て、振り返る。ジョッキの看板の『ワイバーンの泊まり木』は周りの派手で綺麗な建物の中で浮いていたが、建物が木々なら迷わずにこの木に止まるだろう。そうグレイは思った。本物のワイバーンも泊まった宿。
グレイは抜けきっていないアルコールのまま冒険者ギルドへと向かった。
「キュア」
「痛いわ、分かってる飯だな」
チビからの飯の催促に答えながら歩いた。
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