夜中の現実 昼の夢
大きなテーブルと小さなテーブルが混在に設えてあり、木材と石材の混ざった建築は温かみもあり、格好良さも感じる趣のある造りをしている。
時刻は昼を過ぎたあたり、昼頃までの喧騒も落ち着き、わざわざ声を張り上げなくても会話が出来るくらいにはなっていた。それでも店にとってはありがたいことに客は大きなテーブルに2人組と3人組が居て、小さなテーブルには1人でいる客が一人いた。カウンターには3人座っている。
「もう、坊主は働いてないのか」
カウンターでちびりとエールを飲んでいる50近そうなおじさんは辺りを見渡してから、厨房にいる亭主より亭主なラミィに聞いた。おじさんの朱色に染まった頬は口角が自然と上がってしまっているようだった。
「ええ、今頃冒険者ギルドに行き終えて、旅に出ることだと思いますよ」
エールの補充などの雑務をしながら、ラミィは答えた。
「へぇー、てっきりここで働くもんだと思っていたよ。冒険者にねぇ」
男は驚いたように反応した後、エールをさらにちびりと飲んだ。
「確かにあの食事を運ぶ器用さはあったが、冒険者にねぇ。冒険者はギャンブルだ。他の仕事よりは金の入りは確かにいい、けど、死んでしまうリスクの高い。命を賭けたギャンブルだ」
エールをちびちびと飲む。その言葉はラミィに聞いて欲しそうに言うのではなく、独り言でも呟くような小さな声であった。それでも、少し離れたカウンターの席に座って少し遅めな昼食を食べていたメアリーにも聞こえていた。男の声には忌避感が含んでいるように思われた。
先ほどまでちびりと飲んでいたエールを急に、遭難中の旅人がオアシスの水を無我夢中で飲むようなせわしなさで呷ると、ラミィに再びエールを頼んだ。次のエールが届くと今度はそれを飲むことなく、じっと眺めた。そして、今度は空いているカウンターの台を拭いていたラミィに視線を向ける。
「俺は冒険者という名前も気に食わない。若者は、皆、冒険者という名前に惹かれて入ってしまう。冒険者がやっているのは冒険じゃない。魔物の駆除に、護衛に、力仕事。他にも依頼を出せは何でもやってくれる。騎士まがいのことだってする。もう、未開の土地の方が少ないというのに。あれは何でも屋だ」
男の声には怒っているように刺々しく話しているのに、言葉の端々に悲しさが覆っていて、その棘を虚しく脆いもののように感じさせていた。
「エールを飲むペースが速いじゃないかい。今日はもう飲むの止めときな」
ラミィがそう忠告すると、男はなみなみと注がれたエールを奪われる前に飲み干した。男は喉が焼ける思いをしながら、硬貨をカウンターに置くと、申し訳なさそうに席を立った。
「その方がいいみたいだ。酔っ払いの俺の頭に冒険者という言葉は良くないな。あの坊主も死なないと良いな」
「死なない! ……すみません。その、グレイさんは強いから、死なないと思います」
カウンター席で聞いていたメアリーが突然、珍しい大きな声を出した。カウンターの男はメアリーの大きな声に驚き、さらにその声の主がメアリーであることにも驚き、目をしばたたかさせた。メアリーは自身に皆の注目が集まっていることに気付き、いつものようなたどたどしい話し方に戻った。メアリーの隣で座っていたルルでさえも姉の突然の行動に驚いたようだ。
「……いや、なんだ。悪かったな」
男は薄くなった頭に手を置き、謝り出て行った。
「どうしたんだい、メアリーらしくないね」
ラミィは出て行く男に挨拶をすると男の座っていたカウンター席を清掃し始めた。
「心配なのかい?」
ルルは、チビが居なくなった後で泣いた泣き後の残した頬のまま、メアリーを心配そうに見上げている。
「そんなことはないの。グレイさんが強いことは知っているから心配はしてないの。ただ」
「ただ?」
「ただ、死んでしまうとか聞くのが嫌だなと思って。ごめんなさい、お客さんに向かって声を荒げてしまって」
ラミィは溜息を吐いた。
「あのお客さんは昔ながらの常連さんだからね。メアリーのことを小さな頃から知っているから、メアリーが大きな声を出したことに少しばかり驚いただけさ、またいつものように来てくれるよ」
「どうして冒険者を嫌っているの?」
「あの常連さんがいつも、エールを飲みすぎると話し始める話があるのさ」
「私、知らない」
「そりゃ、そうよ。夜が更けてから話し始める話なんだから、酔いが深くなるとこんな話を始めるのさ」
──俺には弟が居たんだ、3つ年の離れた弟だった。小さい時はいつも俺の後ろをついて来てな、可愛い奴だった。俺が冒険者になって、5年目の時だった。
俺は万年E−だったが、弟は冒険者になって2年目でⅮランクになっていたんだ。弟はクランの仲間のおかげだと言っていたが。俺よりも強かったよ。弟の前ではそうだよな。なんて意地を張ってしまって素直にほめることはしなかったがな、後からどれほど悔やんだことか。
それから、その年に弟のクランのメンバーがワイバーンの攻撃にあったらしいんだ。それも群れだったらしくてな、弟たちは逃げながら戦ったらしく、いつの間にかバラバラにらなってしまったらしい。そうクランの一人が俺にそう話たんだよ。俺は茫然としたよ。
その後、俺はその地に向かったよ。ランクはE−だったから、強いクランに高い金を払って見に行ったんだ。……居なかったよ。それでも俺は待ってたんだよ。……待ってたんだ。けどよ、俺の目の前には弟は姿を現れてくれはしななかったんだ。俺はその3年後に冒険者を止めたよ。
……? なんで3年後だったかって。金が掛かるんだ。強いクランへの同行依頼、移動の馬車。俺は払えなくなったのさ。そしたら急に諦めっていうか、理由が出来たっていうか。
もうお金が尽きるずっと前からうすうす気づいていたのによ、認めたくなくて、辞め時がわからなくなって。お金が尽きた時に本当に一瞬『ああ、終わって良かった』て思っちまったんだ。お金を言い訳に弟を探す区切りをつけたんだ。サイテーだよ、俺は。そんな状況で依頼をこなせる訳もなく、俺は冒険者を辞めた。
「悔しそうに、悲しそうに話すのさ」
メアリーは黙って聞いていた。ラミィの脳裏には更に酔いが深くなって話す客の姿が思い浮かんだ。
──弟は、多分どっかで生きてる。なぁ、そう思うよな? どんな形で生きていたっていいんだ、あいつが幸せを感じて生きてさえいればいいんだ。本当だ、本当にそう思っている。
──俺が悪いんだよ。俺が冒険者になんかなるって言って出て行っちまったから、あいつまでついて同じ道を歩んでしまったんだよ。なまじ、あいつに才能があったばかりに、いろんなところに行ってしまって、俺みたいに都市周辺でちまちまとゴブリン退治でもしていればよかったのに
だが、それをメアリーには話さなかった。これ以上は脅しすぎると思ったからだった。
「でも、こういう話は別にさっきのお客さんだけに限らないよ」
大きなテーブルの二人組と三人組のお客が続けざまにお会計をして出て行った。残るは小さなテーブルにいるフードの男と、カウンターにいるルルとメアリーだけとなった。
ルルはメアリーとラミィの顔をちらちらと交互に見ていた。木製のスプーンで掬ったまま、少し冷めてしまったスープがルルの不安と興味の入り交じった顔を写していた。
メアリーは何もしゃべらなかった。
「不思議なものだけどね。お酒は心の蓋のネジを緩めるのさ、それも何故か、固く閉じられている蓋の方が簡単に開いてしまうもんみたいでね。まぁ、お客さんのこういう話はいくら身内だとしてよ話すのは良くないことだけど、常連さんだからね、夜中に時々話すことがあるからね。大人になればいつかは聞く話さ、それが速いか遅いかの話だからね」
ラミィは大きな机の清掃に向かったまま話したが、メアリーのそれに付いて行って手伝った。
「冒険者がそういうものだってことは、分かっているだろう。店には冒険者だって来るんだから」
少しずつラミィの話したい話題へと推移してしていっていることにメアリーは気付いていた。今一度、メアリーに訊ねているのだ。少し踏み込んだ話を。あの時に話すのを辞めて、止めた時を進めに。冒険者になるのか、と。メアリーはその問いを答える前に訊ねた。
「お母さんはどこにも行って欲しくないの?」
会話としては飛躍した質問ではあるが、ラミィはその飛躍した道筋の会話を済ませていたかのように驚かなかった。
「……」
だからか、ラミィは自身の答えがメアリーにどのくらいの影響を及ぼすのかも理解していたようであった。
宿場、食事処、酒屋と、どれを名乗っても良いほど多種多様な対応をしている仕事を小さな頃から手伝っているせいか、メアリーは人に対し、人見知りに似た、距離を作るようになっていた。それは、小さな時から、従業員と客という関係で周りと接してきていたからだろうか、それとも粗暴の悪い冒険者が吐いた暴言を真摯に受け止めてしまって、傷つき、壁を張ってしまったのか。彼女は、人の表情を良く読んでいた。
その癖は、壁を張っていない家族にさえも時々向けられた。
ラミィは何時ものようなあっけらかんとは、答えなかった。ラミィは脅すようにいうのではなく、雑に言うのでもなく、メアリーの目を見てしっかりと真剣に言った。
「私は先には答えないよ。これはメアリー、あなたの決断だからね。私の答えに影響されて決めたなんて、言った日にゃ、叩きだしたくなるからね。そうならないためにも、私は言わないよ」
数年前にメアリーから冒険者になりたいと言われた時に驚いた表情を浮かべた時のように、慌てて取り繕って前言撤回をした時のようになるのなら、なってしまえばいい。そうなってしまった方が、どれほど嬉しいものか、そんな考えが頭をよぎる。
「その話だけど」
メアリーはラミィの目を力強く見返した。その力強さに、驚きつつも嬉しくも感じた。
「私、冒険しゃ──」
「俺は、許さん」
その力強いメアリーの言葉をここの本当の亭主スミルが乱暴に遮った。
スミルとメアリーの会話は久しぶりであった。スミルは、グレイと会話をした後、メアリーに何度も話しかけようとして、話しかけることの出来ていなかったのだった。
だが、注文を出し終えて、食器を洗おうと思っていた時、メアリーとラミィはの会話が耳に入った。その中の冒険者という言葉に反応し、厨房とカウンターをつなぐ小窓にへばり付き、割って入る隙を伺っていたのだった。
スミルは、テーブル席の方に離れて行ってしまった2人の表情が真剣に変わったことに気付き慌てて、出てきていた。
「あんた、盗み聞きなんかしてたのかい」
突然の声に驚いたラミィとメアリーがびくりと肩を震わせて、スミルを見ると呆れたようラミィが言う。
「俺は冒険者なんて断固として認めない」
「あんた、何言ってるんだい。これはメアリーの人生の話だよ、それを親である私たちがとやかく言うものじゃないんだよ」
いつもは奥さんに弱い男でも、今回は弱腰になるつもりも、負けるつもりもないらしかった。珍しくラミィを押し切った。
「うるさい、ダメだと言ったらダメだ」
「何がダメなんだい! あんた、もう一度言ってみな!」
だが、ラミィの方が力強かった。
「その、だって、危険だろ」
怯んで、同感を促すように弱弱しく話すが、その眼は意思を曲げるつもりはないという、力強さもあった。
「そんなの、あんたに言われなくたって知っているよ。私だって、メアリーだって。分かってて、それでもやりたいとメアリーは言っているんだ。メアリーが考えもなしに言うような馬鹿な子に見えるのかい?」
「見えない、が」
スミルはメアリーをチラリと見た。まだまだ小さいと思っていた娘がこんなに大きくなっていたんだと、娘の成長に改めて気付かされた。認めたくはなかったが、認めなくてはならない時期が来たのかもしれないな。と諦めの気持ちが湧いて出た。いくら何でも、こんなに早く大きくならなくても良かったじゃないか。もう少しゆっくりと成長してくれても良かったじゃないか。
そう思ったら、いつのもように想像に拍車がかかる。いつか、男を連れて帰ってくるのかもしれない。そいつは多分、いけ好かない奴で、そいつと多分そりが合わなくて、そいつとの結婚を反対したらメアリーが出て行ってしまう。そんな、妄想が脳に浮かんだ。
「行かないでくれ」
いつの間にか、瞳に涙が滲む。
「お父さん、お母さん」
スミルは娘に呼ばれ、慌てて目を拭った。
「私、冒険者になりたい訳じゃないの……」
ラミィとスミルは驚きの表情を浮かべるが、何か言いたげなメアリーに気付き、先を促した。
「私は、夢のために強くなりたかったの。だから、冒険者になって強くなろうと考えていたんだど、でも、それは、もういいの。私、強くなる方法を学んだから」
宿屋の娘としては珍しい固くなった掌を握り絞めた。
「その夢ってのはなんだい? 私はてっきり冒険者になりたいとばかり思っていたよ」
心なしか安堵した表情になってしまったラミィは気を引締め直して、次のメアリーの言葉を待った。
「私、絵描きになりたい。いろんな国の景色や人を美しく描く絵描きになりたい」
ラミィとスミルは、ポカンとした表情をすると、次第に飲み込めたメアリーの言葉に顔を渋くさせ、スミルは首をゆっくりと振った。
「絵描きなんて、食っていけないことを仕事とにすることはダメだ。……分かってくれ、お父さんはお前がやりたいことをすべて否定したい訳じゃないんだ。ただ、どうして、こうも不安定で危険な仕事を選んでくるんだ。これじゃ、冒険者と同じじゃないか」
メアリーはラミィの方に縋るように見た、母親からの助け船を待っていた、だが、ラミィも同じように首を振った。
「どこの工房にも所属していないメアリーの絵で、生活できるほどのお金を稼ぐとは思えないね」
「それは、でもそれは冒険者だって同じじゃない」
視線は交わり、互いの意思が交差する。
「……」
「……」
それでもなお食い下がらないメアリーの言葉に折れたのはラミィだった。
「それもそうね。いいわ、一年経って生活出来なかったら戻ってきな、それまでは死ぬ気でもがくんだよ」
「……ラミィ!? 何を言っているんだい」
スミルは驚き動揺していた。
「ありがとう。お母さん」
メアリーはニコリと笑った。
「やだ!」
幼い拒絶の声がしたのは、下の方からだ。
「ルル」
視線を下げると瞳を潤ませたルルがメアリーのスカートの袖を掴んでいた。
「やだやだやだやだ」
頭を振り、全身で抗議を表しているルルにスミルは近づき頷いた。
「そうだよな、ルル。お父さんはルルの味方だぞ」
同調した父親を一瞥し、再び拒絶の声を上げた。
「……それはどっちの意味──」
「──いや!」
頭を落とすほど落ち込む父親。
「ルル、聞いて。今すぐに出て行くわけじゃないんだよ。修行が終わったらの話だよ」
扉が開いた。そこにはグレイが立っていた。
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