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剥ぎ取り、額に飾りたい

 グレイは人に教えるのは乗り気ではなかった。人に何かを教えたことなどなかったからであった。享受に甘んじている、シルバーズの弟子でしかないグレイにはそれがとてもめんどくさいことであった。しかし、強くなりたいというメアリーの言葉にとうの昔のように感じられる二年前の自分に重なった。


 理由は違えどグレイはそんなメアリーに修行を付けようと考えた、しかし、グレイの予想滞在期間は短い、今すぐにでもお金があれば王都に向かおうと考えていた。


 その短い時間に教えようにもグレイにはメアリーを鍛えられる自信はなかった。それでも鍛えるためにはどうすればよいのかと考えた。その結果グレイは思った。普通に自身の修行をすればいいだけのことに。


 グレイは教えるのを拒否した。いや、保留にしたのだ。それまでは鍛えたり、強くする必要はないと。


「あいつ、どれだけついてこれんのかな」


 少し口角を上げてこぼすグレイの言葉は壁一枚隔てた先に居るメアリーの鼓膜を打ち付ける前にしんと静まった空気に溶けて消えた。


〆〆〆


 グレイはまだ窓の外が暗い時分に酒屋に入った。メアリーはカウンターに座っており、グレイの姿を見るなり立ち上がった。


「おはようございます。今日はよろしくお願いします」


 昨夜のいざこざでグレイにも慣れたのか、家族と話す時同様の照れのない話し方に変わっていた。まだ声はか細いがこれが通常なのだろうとグレイは理解した。グレイはわざと無視をして通り過ぎる。メアリーは昨日グレイが話していたことを思い出し、真一文字に口を堅く結んだ。そして黙ってグレイについていった。


 大通りに面した『ワイバーンの泊まり木』からまっすぐ伸びだ石畳を二人は無言で進んでいく。まだ夜明けだからか気温は寒く、さらに部屋との空気の温度差で肌がかじかみ、メアリーは肩を縮こませる。


 まだ夜明けだというのに人は働き始めているようで、遠くから石畳を走る人や牛竜の足音、轍の音が聞こえる。


 睡魔に襲われて船をこいでいた門番二人はめったに音のしない扉の音に驚き意識を無理やり覚醒させる。こんな時間に何事かと熱意を抱いてあたりを見渡すが、特段可笑しなことはなく。中で厄介事が起こったのではないかと急いで門を開く。


「こんな時間になんの用ですか? って、あの時の坊主じゃねぇか。なんだよこんな時間にどうしたんだ? 隣に『ワイバーンの泊まり木』の娘さんまで連れてきちまって」


「おっと、これはあれか。愛の逃避行ってやつだな。坊主、男だな」


 ゴシップを見つけたとばかりに元気になる門番二人にグレイは睨みつけ、二人の間をすり抜ける。メアリーは「ちがっ、そっ、そんなことないです」と顔を赤し、頭を物凄く勢いよく振る。お下げも頭と垂直になるほどであった。


 通り過ぎるグレイたちを見送った門番は誰もいないのに小声で話す。


「なぁ、あれは付き合ってると思うか?」


「うーん、メアリーちゃんはいつもからかわれるとあんな感じだからな。俺はないに賭ける」


「じゃ、俺は付き合っている方に賭ける。あれは親父さんの方も厄介だが、奥さんもなかなかじゃないかな。坊主、苦労するぜ」


「まだ、決まってはないだろ。……あいつらこっちになんの用があったんだろうか?」


「それはお前さんが言った、愛の逃避行だろ」


「あれは冗談だ」


「しかし、どっちにしろ心配だな」


 門が再び叩かれて、門番たちの会話は終わった。


グレイの後ろを歩くメアリーが歩いている姿から視線を外し、門番の仕事へと戻る。今日は珍しく門が叩かれる日だと、ぼやきながら。


〆〆〆


 グレイはどんどん歩く速度を上げていった。最初は歩いていたメアリーは早歩きになり、急ぎ足、小走り、駆け足へと変わっていった。時間が経てば経つほど、グレイとメアリーの距離が離れる。メアリーは一生懸命に後を追う。


 数時間にも感じられた時が流れ、奥に見える王都最東端の都市コロンよりも東にあるヘルケルヴィア帝国を隔てる、自然の防御壁である竜血山が黒く陰り、それを飲み込むかのように周りが赤く燃えていた。


 朝日であった。

 

 刹那の間、あの朝日が辛い身体のことを思考から燃え尽きた、見惚れていた。この瞬間を視界を剥ぎ取り、額に飾りたいとさえ思った。それが出来ないと分かっているから。私は……


 ……強くなりたいと思ったのだ。


 メアリーは息も絶え絶えながら、グレイを追いかけた。


 しかし心とは裏腹に身体は正直で、足は沼から出すように鈍重になっていく。


「す、すみません。少しだけ待ってくださいっ」


 悲鳴をあげる肺や心臓に鞭を打ち、やっとの思いで声を上げるが、グレイには届いていないのか、振り返ることもせずに走り続けて、遠くへ行ってしまう。


 メアリーは梢から舞い落ちる葉のようにふらつきながら、掌を地へと下ろした。身体の全てが渇望する酸素を自身の意思とは関係なしに喘ぐように呼吸し求めた。空っぽの胃が絞られるように痛み、胃酸が食道から這い上がってくるのを感じた。


「おいっ、大丈夫か? ゆっくり息を吸うんだ。そしたらちょっとは落ち着く」 


 頭上から声が聞こえ、かぶりをやおら上げた。グレイはしゃがんでおり、顔が同じ高さにあった。そのことにいつものメアリーなら驚いて顔を背けたり、跳ね上がったりなどの行動を慌てて起こすだろうが、今のメアリーにはそのような余力は残っていなかった。しかし、メアリーは言わなければいけないと思っていたことがあったため無理をしてグレイに話しかけようとした。


「お、遅れ──」


「うるせぇ、黙って息吸っとけ」


 メアリーは謝辞を言おうとしてグレイに止められた。


 それから数回、数十回も息を吐き、呼気が落ち着き始めたときグレイは「飲め」木製ではない銀のコップを差し出した。中には澄んだ綺麗な水が入っていた。メアリーは礼を言って水を呷った。すごく冷たく、雑味のないとても美味しい水だった。すぐに飲み切るのが惜しかったが、そう思った時には無くなっていた。


「合格だ」


 グレイの言葉にメアリーは数秒を有してやっと飲み込むことが出来て、喉から「えっ」とおおよそ振動のない空気で構成された息が出る。


「……って、ジジィだったら言うだろうけど、俺はまだジジィの弟子だ。弟子を取る気はねぇ、けど修行の方法は教えてやるよ。まず、目標はこの距離を百本だな」


 メアリーの位置から王都を目線で図り、グレイは愉悦の含んだ笑顔でそう言った。


 〆〆〆〆


「おい、坊主大丈夫か! メアリーちゃんに何かあったのか!?」


 門に近づいたら門番が慌てて駆け寄ってきた。


「大丈夫だ、眠っているだけだ」


 グレイはそう言って慌てる門番二人の誤解を解いた。しかし、門番二人の誤解も当たり前だろう。グレイの背中にはぐったりとしたメアリーがいるのなら、魔物による被害だとまず考えるのが普通なのだから。そのことをわかっているグレイは門番をいつものように邪険に扱わずに背負ったメアリーを見やすいように首を傾げ、顔を見やすくした。


「何があったんだ?」


「なんもねぇよ。戻るから開けてくれ」


 ラミィから貰った滞在許可証を見せる。しかし、門番の一人が食い下がる。


「魔物とか大丈夫だったか? 変な草が生えてたとか」


「なんもなかったから安心しろ。眠ったのはそういうのが原因じゃねぇから」


 グレイがそう話してもなお心配そうな門番をもう一人の門番が止める。


「大丈夫だって言ってるんだ。大丈夫だったんだろう。坊主、これからはちゃんと睡眠と計画を練ってからだな」


 門番のグレイを見る目は少し生暖かい。グレイは門番の言葉など耳から流し、少し開いた門を通る。


 グレイ達が通りすぎ、閉じ終えた門番は誰にも聞かれないのに関わらず小声で話す。


「お前、あれは無粋な質問だぞ」


「そうか、昔から知っている店の娘さんだから、心配になってしまってな」


「それは、わかるがな」


 門番の一人は同意をしつつ言葉を続ける。


「あれは、俺の推察によると。前日の夜、二人は愛の逃避行をすることを決めたんだ。しかし、メアリーちゃんの方は緊張をしてしまっていたため睡眠不足。更に急遽決めた逃避行先は明確に決まっておらず、歩き通して疲れたメアリーちゃんは寝てしまった。坊主はもう一度出直すことを決めた。どうよ、この俺の冴えわたる推理を。これは騎士への転職もありだな」


 自身ありありと話す門番だが、もう一人の門番は話半分で聞いていた。その話にはありえない点があったからだった。


「面白い話だが、坊主たちが出ていってから歩き疲れるほど時間たってないぞ」


 2人して太陽を見る、これから朝本番とばかりに照り付けた、白く見える陽光がひんやりとした空気を温める。


「ちぇっ、惜しいな」


「……そうだな」


 本気で悔しがる門番にもう一人の門番は無愛想に笑って同意をする。

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