陽が昇る前に
会話変更あり ※2021年3月4日
「私を強くしてくれませんか」
グレイは水浴びをしたのか風呂に入ったのか、お下げのほどかれた少し湿り気を帯びている長い髪がばさりと前方へと広がっているメアリーのかぶりを注視した。グレイは少し、驚いていた。今日一日のメアリーの態度を見ていると積極的とは言い難く、いつも何かを気にしているようにおどおどとしていた。それなのに、今のメアリーは人が変わったようで気概があった。
「どうしたんだ。おめぇはそんなことしねぇような感じだったじゃねぇかよ。それに強くしてくださいって、俺のことをそんなに知れねぇくせにそんなこと俺に頼んでいいのかよ」
「わ、私。……知っているんです!」
かぶりを下げたまま、始めは平時の弱気な口調ではあったが、無理やりその殻を破るように力強く声をあげた。そして、言葉をつづけた。
「グレイさんは、昨日のことを覚えていない様子でしたけど、私は確かにグレイさんに聞きました」
グレイは記憶の不確かな昨夜を思い出そうと試みるが、幾ら思い出そうとしても、記憶の中にはメアリーを見た記憶はなかった。
「覚えてねぇんだよなぁ。俺、なんて言ってたんだ?」
グレイは自身が酔っている時にどんなことを話したのか、とても興味深くて心持ち身体を近づけ、前傾になる。メアリーは顔を上げ、近くにあったグレイの姿にたじろぎ、距離をすこし離れてから話した。目は合わせることをせずに。
「俺は、……シルバーズの弟子だって言っていました。」
「は、俺そんなこと言ったのかよ」
グレイは自身の発言が面白く、笑いの含んだ声になった。メアリーはそんなグレイの態度に困惑し、眼を丸くさせた。
「え。えっと。シルバーズ様ってあのシルバーズ様のことではないのですか? それとも、酔ってしまっていた戯言だったのですか」
自身が先走りしてしまっていたと思ったメアリーの顔は茹ってしまったかのように真赤になった。それはとても一瞬でグレイは自分の目を疑うほどであった。恥ずかしさに変わった顔色を隠すために頬に手を当ててメアリーは顔を覆い隠した。
「す。すみません。今日のことは忘れてください。私、気が動転してしまっていたために頭が回っていなかったようです。やっぱり、あり得ないですよね。それにあの人の弟子がこんな普通の宿に泊まるわけがないですよね」
急いで立ち上がり、何度も頭を下げたメアリーは逃げるように部屋から出ていこうとして、転んだ。濡れ髪を羽ばたくように宙に浮くが、されど空を飛ぶことはできず、足が踏ん張る地を踏みしめることも出来ずに顔面から豪快にぶつかる。派手に音を立てた。
「おい、大丈夫か? 落ち着けよ」
「す、すみません。きゃっ」
グレイは立ち上がりメアリーに手を差し出し、一人で立ち上がろうとしたメアリーの腕を強引につかみ立ち上がらせる。そして「まぁ、座れよ」と先ほどまで座っていた自身が座っていた場所に座らせるとグレイはメアリーを眼前にたたずむ。
「シルバーズは本当に有名なんだな」
グレイはメアリーに言うのではなくひとりごちる。しかし、メアリーの耳にはそんな小さな独り言も入らないだろうと思われるほどに慌てていた。それは、グレイが男であるということを思い出してしまったからであった。シルバーズという英雄の名前に惹かれ、のこのこと来てしまったが、グレイが軽々しくメアリーを引っ張り上げる力強さ、さらにはベッドに座らせるという強引さにやっとこれはいけない状況ではないかと思い至ったメアリーは恐怖心が身体を硬直させる。
「なぁ」
「きゃ、すみません! すみません。そんなつもりではなかったんです、ごめんなさい!」
グレイが話をしようと声をかけるとメアリーは腕を振り上げて、身を縮こませる。
「何言ってんだよ、会話ぐれぇさせろよ。そんなつもりはねぇって、俺はまだおめぇに返答してねぇじゃねぇかよ」
「ふぇ? 会話。……返答?」
予想外のグレイの言葉にメアリーは腕を開き、顔を覗き見る。グレイは眉を顰めてこちらを見ていた。メアリーは自分の想像が見当違いであったことを恥じて、また顔を赤くする。
「おめぇの顔色面白れぇな」
「す、、すみません」
「なに謝ってんだよ。怒ってねぇよ」
それでも、メアリーは小さくすみませんと洩らした。グレイは咳払いをすると大仰なに話し始めた。
「俺の名前はグレイ。ジジィの弟子だ。そして、本当にあっているか俺は知らねぇがジジィの名前はシルバーズ、剣神の弟子だ!」
「ほ、本当に本、当なんですか? 嘘じゃないですよね!?」
目を開き、縋りつくようにグレイのローブに抱き着き、グレイを見上げた。
「嘘もなにもてめぇがそう聞いて来たんだろ」
グレイはメアリーを引きはがしベッドに放る。メアリーは人が何度も入れ替わっているかのように快活であったり、恥じたりしているのでグレイはとても面白く感じた。「……シルバーズ様は存在するんですね」自身の言葉を確かめるように声にしてその言葉を出した。
「……それでは強くしてくださいますか?」
目を輝かさせ、それでも微かに不安の色で滲んでいるメアリーは先ほどの縋りつくという失態を恥じたのかメアリーの声は先ほどよりも弱弱しくなってしまう。それは、まだ店に居て大声ではしゃいでいる大の大人の幾重の壁でろ過された声よりは小さく、部屋にはめられている窓ガラス越しの足音よりは大きかった。
「……嫌だ」
一瞬迷った素振りを見せたグレイはメアリーの目を見据えてそう断言した。そういわれてしまうことは想定済みであるかのように、刹那の動揺を抑え込み理由を求めた。
「な、なんでですか!?」
「めんどくせぇから」
「そ、そんな。私には夢があるんです、この町から出ていきたいんです。そのために強くなりたいんです。弱くてはいけないんです!」
それでもいい返事をくれないグレイを見てメアリーは諦めたのか、顔に陰りを染み出させ、眉尻を下げた。
「……む、むりを言ってすみませんでした。夜分遅くに申し訳ございません」
涙をこらえた無理やりの笑顔に、か細い震える声が悲痛さを増大させる。
「俺はお前を鍛えないし、強くしない」
グレイに背を向けたメアリーに向かいグレイは追い打ちをかけるようにさらに言葉をかける。肩をこわばらせる。そして、いつものようにすみませんと口を開こうと口が開いたとき、グレイが再び喋る。今度は誰かに聞かせるのではなく、大きな独り言のように話した。
「明日、陽が昇る前に修行を始める。酒屋はそんな時間にはやってねぇよな」
「……」
「……ここにいる時間は短いから教えねぇ」
「ありがとうございます!」
「勘違いするなよ。俺は鍛えないし、強くしない。なりたきゃなればいい、勝手にな」
グレイのその言葉にメアリーは部屋を出ていった。ばたりと絞められた扉の前でメアリーは両手でガッツポーズをして喜んだ。一方のグレイはベッドに身を投げ、尾てい骨の衝撃に顔を顰め、重い溜息を吐いた。




