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ローブを纏う、無くしもの多し。

「ここだ、ここ」


 おじさんが指し示す場所は大きな通りに面した建物であった。石レンガで作られたその建物は辺りのパステルカラーに彩られたものとは違い、質素で重厚さを感じさせられた。看板にはジョッキが描かれており、この建物は酒場のようであった。


 グレイは揺れる視界でそれを認めると木製のドアを開けて入った。その瞬間、先ほどまでの夜のしじまが嘘であったかのように、盛り上がりの声が開け放たれた扉から逃げ出した。


 中は外観と少し雰囲気が変わり、木造建築が混ざったようであった。大きなテーブルと小さなテーブルが混在に数個並び、それらは酔いどれ客で半分以上埋まっていた。


  グレイ達はカウンターを横に並んで座ると、この店を紹介したおじさんが注文を始めた。


  カウンター越しのおばさんはグレイにお金の心配はないかと何度も心配そうに尋ねるが、グレイは大丈夫だと笑って答え、出されたエールを口に含んだ。


  気の抜けただらしない笑い声が響きわたり、酒場は大盛り上がりであった。


  祭りの為によういされていたのか、客の中にいたのかわからない音楽隊が音色を奏で、エールのジョッキを豪快にぶつけ合い、跳ねた飛沫は音に合わせて踊り出す。


  調子に持った客がテーブルに乗りあがる。それをおばさんはキッと眉尻を吊り上げて、怒鳴るために口を開こうとするが、グレイのとなりのおじさんがそれを止めた。


「今日ぐらいは、良いじゃね~かよ」


「今日ぐらい、じゃなくていつものことじゃないか」


 祭りという免罪符を手に入れた男どもは、いつもよりも酒を飲むペースが速い。


 グレイはこの客の中では一番年が若い、姿をフードで隠している筈なのに、なぜかほかのおじさんに絡まれた。そして、酒を奢られ飲み干すのであった。


 現実と夢と幻想が入り交じり始めたグレイの意識は所在をはっきりとさせず、いつの間にか夜が明けていた。


 店の往来に人が歩き始める音が聞こえはじめた。そして、牛竜の嘶きが聞こえ、続けて車輪のあばれ狂う音が地響きと共に聞こえた。


「ふぁあ」


 大きなテーブルの上で大の字に寝転がっていたグレイは大きく伸びをする。見渡すが店の中には誰もおらず、グレイ一人だけがこの酒屋に居た。「うっ」と凝り固まった身体を限界まで伸ばしきったグレイは苦鳴を洩らし、固まった。


 突然、グレイの頭は何者かに殴打されたされたのだ。誰もいないと思われていた酒場なのに、誰かが外から何度も思い切り鈍器で振り降ろしたようでグレイは頭を抱えた。しかし、その痛みはおかしなことに頭の内部からもするのだった。


「二日酔いだな。まぁ、あれだけの量を成人したての奴が飲んだら、地獄を見ることは火を見るよりも明らかだな」


 突然の人の声に、勢いよく振り上げたグレイの頭は急な動作に疼痛が生じる。


「っ、二日酔い?」


 話しかけてきた男はここの酒屋に連れてきた男であった。昨日のようなだらしない顔つきではなく、別人のようにきりっとしていた。短く刈り揃えた茶髪の髪が昨夜の情報と一致した。


 グレイは未だ止むことのない痛みに眉を顰め、はたから見れば恫喝でももくろんでいるかのような凄んだ表情で聞き返した。


「なんていうか、エールの飲みすぎでなるやつだな。これ食べな。治りやすくなるよ、痛いだろ、頭」


 レモンをグレイの方に放って渡し、頭を指し示した。


 頭から脱出を試みている痛みを今すぐ捨て去るために、何時ものようにグレイは頬張った。


「う……うげぇ」


「吐くなよ」


 一口噛んだ瞬間に刺激的な酸っぱさが口を支配し、グレイは顔の部位を中心に集めてしわくちゃにした。


  口を開き、歯型のついたレモンを吐き出そうとするが、わかっていたかのようにおじさんに止められた。どろどろとした唾液が湯水のごとく湧き出す。


「あとは、水を飲むと良いよ」


「う゛ぅ……んぐ。あ゛あ、わかった」


 魔力草を食べる時と同じように咀嚼数を極限まで少なくして、無理やり飲み込む。粘っこい唾液に喉が絡み、返事にドスが効いてしまう。


「それじゃあ、そのレモンの値段も合わせて」


「合わせるのかよ!」


  小さなメモ帳にレモンの値段を書き込むおじさんにグレイが思わず大きな声で突っ込みを入れてしまった。おとなしくなり始めていた二日酔いの魔物が目覚めたかのように暴れだし、グレイは頭を縦横無尽に暴れまくった。


「そりゃ、もちろん。こっちも商売だからね」


 短くなった鉛筆を持ちながら、あれやこれやとぶつぶつ言い、真剣に計算しているおじさんはグレイを見もせず答える。


「商売って、お前。レモン売りなのか?」


 静まった魔物を起こさぬように、声を張り上げずに尋ねた。


「違うよ、違う。俺はここの酒場の亭主だよ。昨夜の店の人は俺の奥さんだよ。ラミィって言うんだ。呼ぶか?」


 手を顔の横で振り、グレイの顔を見る。そして、ラミィを呼ぶかと先程自身が入ってきた奥の扉に目をやり、笑顔を浮かべる。おじさんの、紹介の名目で惚気たそうな甘ったるい笑顔にグレイが噛みつき


「呼ばなくてもいいわ! っつ、いてぇ!! 頭が割れる」


 再び割れるような痛みに襲われ、机の上でもだえる結果となった。


「てか、そしたらオメェ、自分の利益のために俺を連れてきたのかよ」


 おじさんに差し出された水を飲み、痛みが落ち着いたグレイは思ったことを率直に尋ねる。


「まぁ、そういわれたら否定することはできないが、俺の中でのおすすめの店ははここだからさ」


「そりゃ、そうだろ。まぁ、いいやそんなこと。で、幾らなんだ? これから俺、王都に行かなきゃならねぇんだ。なんか、竜走鳥っていうやつを借りなきゃならねぇから金貨は使うなってジジィが言ってからよ、そこまで高くねぇでくれるといいな」


「き、金貨?!」


 グレイが机を下りながらそう話すと、おじさんは驚愕したように声を出し、慌てて口を押えた。そして、周りを注視し、人がいないことを確認する。変わらず、この酒場にはグレイしかいない。入口に目をやるが、誰かが入ってくる様子もなく、昨夜の騒ぎが幻であったかのようにシンと音が潜り込んでいた。


 外の往来の騒音が壁越しに聞こえる。天井からも人の声が聞こえるがおじさんは安心したように、息を吐き、グレイに近づいた。


「なんだよ」


 ガシッとグレイの両肩を掴み、フードを覗き込むように顔を近づける。グレイは離せよ、と言わんばかりの冷たい視線をおじさんの掴んでいる手を見るが、おじさんはそんなグレイの視線をものともせず、真剣な表情で話す。


「坊主、それが嘘だとしても口にするなよ。もし、その言葉を鵜呑みにした馬鹿どもが居たら、坊主は狙われるぞ。話が分かる俺だったからよかったものの」


「なに疑ってんだよ、本当のことだぜ。それに、俺やられねぇしな」


 獰猛な獣のような笑みを浮かべて、おじさんの肩に手を置く。おじさんはその言葉を若さ特有の無謀ととらえているのか、諦めたように両手を上げ後退した。


「わかったよ。本当だとしたら村のみんなが一生懸命渡してくれたお金だろ、そう見せびらかすんじゃないよ。危ないだろう。それじゃあ、お代の方が大銅貨二枚のエールを八杯に、その他食事が大銀貨一枚と銀貨五枚。合わせて大銀貨一枚に銀貨六枚に大銅貨六枚だが、今回は特別に大銀貨一枚と銀貨六枚だけにしとくぜ」


  何度も計算し直して黒くなった余白の少ない、小さなメモ帳をグレイの眼前に差し出した。下に小さく1、6、5と書かれており、5だけが横棒で消されていた。


「……」


 グレイは一度メモ帳の方に目を向けるがすぐに目を下ろし、自身の腰を何度も触りながらあるはずの物を捜していた。


 頭は途端に白く真っ新にになり、その白さを汚すように焦りなどの入り交じったインクが染み出し、中心からジワリと侵食していき、すぐにそのインクに頭が支配された。


「おい、どうしたんだよ」


「……ねぇ」


 体を何度も触れて確認しているグレイは机の下までも探すが、見つからなかったのかカウンターの方にまで進んでいく。


「何がねぇんだ? もしかしてあれか、昨日持っていたワイバーンの人形か? あれだけの精巧に作られている物だから相当値は張っているだろう。いくらだったんだ? それこそ金貨一枚か?」


 グレイははっとして体を叩き、チビのいないことを確認する。


「チビも居ねぇ。……あいつどこ行ってんだよ」


「チビ!? そうか、くっく。いい名前だな。うちの娘と気が合いそうだ」


 悪態をつくグレイに、笑いをこらえているおじさんが近づく。


「ちげぇよ!! あいつは……クソッ、それでいいよ」


 おじさんが変な勘違いをしているために訂正しようとして声を張るが、すんでのところでシルバーズの言葉を思い出し、諦めてそのまま受け入れた。


「って、それもそうだけどよ。ねぇんだよ。金の入っていた巾着がよ!」


 腰には普通の巾着に魔法巾着が二つ付けていたが、幸いなのことなのか無くなってしまっていたのは普通の巾着だけであった。ただし硬貨のすべて入っているものであるが。


「なんだって!? そりゃ本当か。いつから持ってなかったんだ?」


 先ほどまで茶化していた表情がガラッと変化し真剣な表情へと変わる。


「いつからって、ずっと持ってたに決まってんだろ」


 おかしなことを聞くなとばかりに、不遜に返答する。


「持っていたら無くなるわけがないじゃないだろ」


「知らねぇよ。誰かがとったんだろ、俺が寝てるときに」


 諭すようにゆっくりと話すおじさんに、埒が明かないとばかりに短慮なグレイはおじさんに疑いの眼差しを向ける。


「取るわけないだろ。坊主みたいな成人したての奴の懐の金を奪うほど落ちぶれちゃいねぇよ、俺たちは」


 そんな風に見えるのか? と心外な心境のおじさんは心なし寂しそうな表情をする。


「じゃあ、誰が取ったんだよ。俺に触ってきた奴なんてオメェらしか居ねぇじゃねぇか」


 お金が無くなってしまった焦りがグレイの思考を退行させていく。


「おいおい、疑う相手が違うんじゃないのか。居るだろ。俺たちのほかに坊主に触れた奴が」


「誰だよ、そんな奴居ねぇよ」


 グレイは考えることなく、瞬時に返答する。


「いるじゃないか、ほら、思い出してみろよ。カッカせずに、落ち着いてよ」


 グレイは息を一つ吐く、インクが少し流れていった。


「ほら、ここの店に入る前に居たじゃないか、坊主に思い切りぶつかってきた奴が」


 グレイは思い出した。気付いたグレイの表情におじさんは肯定する。


「そうだ。多分、スラムの奴だろうよ。あいつらはほんと仕方ない奴らだよな」


 グレイは少し心に引っ掛かった。スラムという言葉が。別段おじさんが蔑みの意図の含んだ声音ではなかったが、諦念のような、これ以上踏み込むのを拒むようなニュアンスをグレイは感じた。


「どうするよ、騎士にでも伝えるか? それとも冒険者ギルドで依頼をするか? 依頼金はしょうがねぇが、俺が立て替えておいてやるからよ」


「いや、いい。依頼はしない」


 おじさんは立て続けに提案をしてくれるが、グレイは首を横に振った。


 自分は同じ穴の貉なのだ。そう言えばこのおじさんの態度も変わるのだろうかと頭によぎるが、グレイはすぐにそんな考えは棄てた。俺は俺なのだからと。


「お、そうか」


「それじゃあ金は、あとからでいいか?」


 チビのことが少し気掛かりではあるが、金をなくしたことの方が大きな気掛かりであるらしく。金の工面をグレイは優先した。


「おう、いつにだったら、返せそうか?」


「すぐにでも、返せるつもりだ」


 グレイには考えがあった。幸い魔法巾着があるため、この中には山の中でコツコツと貯めていた小さな魔石が沢山入っている。それを換金してもらおうと出口へと急ぐ。


「待ちな! 無銭飲食でもするつもりかい?」


 場を支配するような声量でグレイを呼び止める。昨夜のおばさんラミィであった。グレイは苛立ち気に身を翻した。ローブの裾がふわりと靡く。


 〆〆〆〆〆〆〆〆


「いらっしゃい!」


 威勢の良いラミィの声が野郎どもの声に負けじと響く。


「……しゃい」


 グレイの覇気のない声は、周りの声に押しつぶされ消えた。


「もっと声を出しな!」


 ラミィは叱責の声までも周りに打ち消されることなく、グレイの耳に入って来た。


 ここは『ワイバーンの泊まり木』という酒屋である。グレイは今エールを運んでいた。



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