王都以外の始めての都市
「これが王国の一番端っこの町かよ。王都と同じぐれぇーでかいな」
シルバーズと住んでいた場所から離れて、飛んでいるのか滑空しているのかわからないチビを掴んではや三十分、上空から見えるようになった町は王都と似て石の壁で町を囲まれており、微かに見える反対側の壁がこの町の大きさを示していた。
「キュア」
「もうそろそろ降りるか」
チビの鳴き声にグレイはシルバーズの話していた「グレイ、町に入るときはチビの姿が見えないようにした方がいいのじゃよ。もしお主がチビの姿を見せびらかすように過ごしたら、チビを奪って売ろうとする狼藉者がおるかもしれんしのう。それに、身分証をもっておらぬ山から下りた奴がワイバーンを手名付けていたらどう思うかのう。儂が市民じゃったらそんな奴怖くておちおち暮らして居れなくなってしまうじゃろうな。そんな怖い奴は町に入れんじゃろ?」という言葉を思い出した。
チビによってゆるゆると木と木の頭の隙間を縫ってどんどん下降していく。地面にふわりと降り立つと森の清涼な風が優しく吹いた。後ろに括られた銀髪が踊るように揺れる。頭の上に乗ったチビの尻尾も同じように揺らした。
一歩斜め下に足を踏み出すと同時に足先にあった小石が転がっていく。小石の回転数はどんどん上がっていき滑るように流れて立木に当たり、ようやく止まった。山は急勾配なのであった。よく見れば周りの立木の根は数多く、太く、山にしがみつくように根先を地面に埋めていた。
「チビ、楽しいことを思いついた」
「キュア? キュアキュア!」
グレイは目を爛々と輝かせ、両頬を対照的に持ち上げる。自分の想像した一寸先の出来事をまさにいま体験し終わった者のように自信に満ち溢れ、それを断固とした愉快さを保証された出来事であるかのように話した。
チビは小首をこてんと傾げて、よくわかってはいなかったが、グレイの楽しそうな笑みをみてチビも鳴き声を上げて楽しそうに長くなった尻尾をバシバシと首から背中にかけて叩いて喜び、皮膜のついた両腕もバシバシとグレイの頭に当てる。
「そうか、そんなに喜んでくれるなんて思わなかったぜ。……逃げんなよ」
「キュア!?」
逃げんなよと声のトーンの変わったグレイの言葉にチビはその言葉の意味を瞬時に理解し、地の底から吐き出された地鳴りのような低いグレイの声音に、グレイの笑みほど完全に信じてはいけないものはないことを一年の間に学んでいたことを思い出して急いで皮膜を羽ばたかせるが、その両足にはグレイの手がすでに回っており、微かにグレイを浮かしたところで逃げるのは無理だとチビは悟り羽ばたくのを辞めた。
「逃げんなって言っただろ、大丈夫だからよ安心しろ」
「キュウ~」
安心できないとチビは目を眇め、疑いの眼差しを向けた。
〆〆〆〆
「フォ~!! ア~~ァ~ア~~!!」
腹の底から吐き出された空気はカッと開いたのどを通り、管楽器のような音が鳴る。気分は上々。視界も良好、景色は踊り狂い、後方へと流れていく。風は顔に張り付き、引っ張るようにもしくは削るように去っていく。
現在、滑空中である。空ではなく、森の中をだ。チビには動くなとだけ指示が出され、両腕の皮膜をこれでもかと広げた格好で固定されていた。
前方にはグレイが幹に抱き着いても回した両手が触れ合いそうもないほどの樹木が一本悠然とたたずんでいる。グレイは速度を緩める気はないようで、楽しそうに笑っているだけでチビに何も指示を出さない。
「キュッ!!キュア!!」
チビは鳴き声を上げて危険を知らせるが、グレイは何も返答しない。チビは独断で衝突を避けるために、職人が張ったかのように薄い膜を羽ばたこうとしたが、
「大丈夫だから動くんじゃねぇ!! ほらっ! 楽しいだろ?」
グレイはそれを止めた。そして、グッと左のチビの足を引くとチビの驚きの鳴き声と共に身体は傾き、勢い良く左に曲がり、立木を小さく迂回した。チビは目を見開き驚いて、走るように流れる血流がジンジンと身体にめぐるのを感じた。そして
「キュア!!」
同意するように鳴き。背中の羽をパタパタと動かす。
〆〆〆
あの単眼のサルの魔物のような奇声を上げた一人と一匹はすぐに麓までたどり着いた。足先で勢いを殺して止まった地面には二本の線が残る。遠くにある石の壁はまだ距離はあるが、上空から見たときとは全く違い、とても大きく見えた。ちらと後ろを振り向けば、町に劣らないほど大きな、今しがた降りてきたばかりの山の一部分が見える。
「もう一回やろうかな」
「キュア!」
そう独り言のようにつぶやいた内容にチビはすかさず反応をする。すっかり嵌ってしまったようだ。
「じゃあ、次一回だけやったら町に向かうか」
「キュアキュア!!」
急勾配の坂を駆け上がり、少しでも滞空時間を延ばすためにどんどん山奥へと潜り込んでいき、飛ぶポイントを探すのであった。
〆〆〆
町を守る壁は近くで見るとほんの一部分しか見ることが出来ず、遠くで眺めていたよりも威圧感がある。年季の入った石はコケや野草に蝕まれ、どこかしら王都のように穴が小さく空いていても気づくことはなさそうであった。
「おい、何者だ?」
「こんな時間にこっちの門を通ろうとするなんて」
門番らしき二人は門を守るように槍は交差されていたが、グレイがこの門を通ろうとした瞬間、素槍の穂先を向けてきた。反射的に腕が柄を掴みかけ、グッと思いとどまる。
空は仄暗いグラデーションの彩られ山から顔を覗かせた朧げな月が天を泳いでいる。あれから、結局一度の滑空では飽き足らず、何度の何度の飽くなき探求心を満たすために遊んでた。そのため、空が橙色の幕が張られるまで時間の経過を忘れていた。慌てて、門のもとへ走ったのだが、結果は今の通り、疑われている。
グレイはシルバーズに何度も言わされていたセリフを言う。
「夜分遅くにすみません。私は遠くの小さな村から出てきたものでしてお金を少ししか持っていません。これで入れますでしょうか」
最初に夜分遅くにすみませんというセリフは練習では言っていない言葉ではあったが、グレイは機転を利かせて付け足したのである。そしてキラキラと輝くほど綺麗な銀貨二枚を差し出す。事前に魔法巾着から取り出した銀貨であり、魔法巾着の中にはまだ大銀貨や金貨が数枚入っている。
門番の二人の男は振り返り、額を寄せ合う。そしてグレイには聞こえないようにとこそこそと話し出す。
「気味が悪いほどの棒読みだ」
「こっちの方角に小さな村なんてあったか?」
グレイが歩いてきた道をなぞるように視線を向ける門番が不思議そうに見て、隣の門番に尋ねる。
「どうだろうか、俺はあっちには用がなけりゃ行かないからな。俺は知らねぇな」
「そうだよな、だってあそこ竜血山のふもとだろ。魔物がそこから下りてくるというのに立てるバカがいるなら見たいもんだな」
「でも、無いとも言えないからな。どうするよ」
「入れちゃおうぜ、こんな成人なり立てくらいの子供を怪しいから入れませんでしたなんて言って、外で魔物に殺されているのを見てしまったら俺は何のための門番かわからんよ」
ちらりと、グレイを見る。帯剣はしているもののくすんだ灰色のローブを纏っており、まだ自分の適性の武器を見定めている時期の初心者冒険者のように見えて、弱そうに見える。
「そうだよな。別に竜血山から下りてきたわけでもないし、北東の方の村の出身の奴が間違えて北門ではなく東門の方に来てしまった可能性もあるもんな」
「ああ、それに今日は竜血山から変な鳴き声が聞こえたからこの子供を外に置いておくのは危ないかもしれないな」
くるりと二人の門番は振り返り。片方の男が話す。
「よし、入門を許可しよう。入門料は銀貨一枚だけで大丈夫だ。そしてこれが仮だが滞在許可証だ。なくすなよ。田舎の奴はもってないと思うから渡しておくが仮じゃないのが欲しかったらギルドで正式な手続きを踏んでからもらいなよ」
有効は五日間なと四角い青く塗られた木の板を渡された。
「よかったな坊主。これからどんなギルドに入るか大方予想はついているが、坊主がこれからどんな伝説を作ってくれるが期待してるぜ!!」
もう一人の男がよくほかの場所の門番をしている時に冒険者を目指していそうな少年、少女に向かって掛けている定番のフレーズをグレイにも話す。大概の少年、少女はこのフレーズに喜びや照れ、気合を入れるなどのアクションを起こすのだが、グレイは早く門の中に入りたくてじれったそうに凄む。早く開けろよと目線だけで訴えている。
「落ち着けよ」
一人の門番がグレイをなだめ、もう一人は小さな石の壁の隙間から内側の人へと指示を出している。門はゆっくりと開かれ、人が2、3人ほど通れる細さで止まった。
「全開にするのは大変だからさ。王様が訪れたら全部開くけどさ」
門番の後ろを歩いていたグレイに振り返って、わざわざ理由を説明してくれた。グレイはそんなことどうでもよさそうに適当に頷く。
「それでは、改めてサンロ・ミゼリア王国最東端 都市コロンへようこそ!」
男2人が声を合わせてそういうと、パッと男二人は細い通路から離れた。グレイの眼前には赤い提灯が空に揺れて、出店の屋台が列をなし光を放つ。その光に吸い寄せられる虫のように近づく人間が映った。
久しぶりにみたシルバーズとは違う人間であった。
衆人は一瞬こちらを驚いたように見たが、グレイの姿を見るとふっと興味を失ったように日常へと戻った。これがグレイにとっての初めてみた王都以外の都市であった。