魔法巾着と秘密
空が白ばみ太陽が木の隙間から陽光を溢れさせる。昨夜の赤月は色を薄め名残り惜しそうに空の端へとゆっくりと消えてゆく。そんな天気の良い朝の光景をグレイは横目に眺めながら、対面に立ち並ぶレベンディスとエレナをみる。
はじめ出会ったとき両者互いに良い第一印象を持ってなかったが、今ではそこまで悪い印象を持っていない。
「それではのう、道中気を付けての」
来訪時と同じ服装に少ない手荷物、それは今から冒険に行き夜には再び戻ってきてもおかしくはないような姿であった。
「ありがとな、バズ兄。だが俺は加護持ちだから、心配はいらねぇぜ」
「儂の言葉は、レベンディスだけに向けた言葉ではないぞ」
シルバーズはエレナに目配せした。
「ご心配ありがとうございます、シルバーズさん。でも私も守られてばかりいるほど弱くありませんので」
その視線に気づいたエレナは恭しく頭を下げて礼をいい、少し自慢げに胸を張った。
「そうか、要らぬ心配であったようじゃ。だが、気を緩ませすぎるのもよくないからの」
その姿が微笑ましいものだったのか、シルバーズとレベンディスは頬を持ち上げた。そして用心するようにと忠告を付け加えるとレベンディスとエレナは深々と頷いた。
「じゃあ、俺たちはもう行くぜ」
「あっ、ちょっとまって」
レベンディスの言葉にエレナは待ったをかけて、会話に入ってこなかったグレイの方に一歩近づいた。
「まだ、私。お別れのあいさつを聞いていないのだけれど」
「じゃあな……これでいいかよ」
小首をかしげ、先ほどからいつ言おうか探っていたグレイに機会を与える。そういう配慮がされたことに気恥ずかしさと怒りが沸き上がり、語調が荒くなる。
「うん。グレイにしてはいいんじゃない。ふふ」
エレナは挨拶ができた弟を誇らしげにほめているお姉さんのような態度であった。
「うるせぇ、おめぇが帰る瞬間に言うつもりだったんだよ。だから、おめぇに言われなくてもちゃんと言ってたわ!」
グレイはエレナのその得意げな表情が気に食わなかった。
「ふーん。出会ったころのように挨拶がないのかと思ったわよ。でも、これでシルバーズ様に悪いイメージがつかないわね」
グレイは出会った時のエレナを思い出した。突然怒りながら部屋に突入し、無理矢理起こされ気分の良くないグレイに対して怒りで髪と同じような赤い顔をしながら、シルバーズ様に悪いイメージがついたらどうするんだとまくし立てたその姿を。エレナはその時の言葉をまだ覚えていたのだろう。
「チビちゃんにも、挨拶してもいいかしら」
エレナは今度は、とグレイの腕の中でうつらうつらとしているチビへと視線を変え、腕を差し出しだ。グレイはまだ現実と夢を彷徨っているチビをエレナに渡した。
「チビちゃん、また遊ぼうね。王都で待っているからね」
「キュア、キュウ」
エレナはチビを抱きかかえて声を潜めて話すと、返事にも寝言のようにも取れる鳴き声が返ってきた。
「可愛い、とても可愛いわねチビちゃん」
ワントーン上がった声で興奮したようにチビを愛でる。
「起こすなよ」
エレナがチビを抱きしめる力が強くなったように見えたためグレイは咎めた。
「わかっているわよ。はぁ、持って帰りたいくらいだわ。ねぇ、お父さん」
「じゃあ、もって帰るか」
「本当に!?」
「持ってくなよ!!」
グレイは目の前で行われたおかしな会話に思わず大きな声で突っ込んでしまった。発した後にチビを思いだし、すぐに確認するが瞼を閉じたままであった。これほどの大声に意識が覚醒しないということはもう熟睡してしまったようにも思えた。
「ハハッ、冗談だよ。グレイ君」
レベンディスは笑いながら否定をするがエレナからは冗談とも取れない驚きの声が上がった。
「おいっ、冗談じゃなかったみてぇだぞ」
グレイはエレナを唆したレベンディスへとクレームを入れる。レベンディスもエレナの反応に少し驚いたようであったがすぐに大声で笑いだした。
「冗談よっ、冗談。私も本当に冗談よ。……本当によ」
エレナは自分のミスを取り繕うように言葉を重ねるが言葉を重ねれば重ねる毎に自身で冗談という殻をぶっ壊してしまっていた。
「嘘くせぇな」
あの一驚を喫した姿を冗談であると話したエレナをグレイは訝しむ眼差しで睨みつける。
「本当よ。ただ、グレイが要らないのなら欲しいわ」
それでもなお本当だと引かないエレナであるがやっぱり諦めきれないのかチビの事を控えめに要求する。
「あげねぇよ」
グレイは要求を簡単に一蹴した。エレナは悲しそうな悔しそうな表情をし「むーー」と洩らす。よっぽどチビが欲しかったのだろう。だがグレイはチビを手放す気は毛頭なかった。それは非常食だからという理由ではもうなかった。
「あっ、グレイ君。ちょっと、いいかい?」
はたと、笑うのをやめ何を思い出したのかグレイを誘い、ログハウスの裏へと回る。裏には昨夜冷やされた空気がまだ残されているようで表よりも一段と寒く感じられた。日夜鬱蒼とした森の陰により壁の下の方には苔が青々と生えて、心なしか湿気っているようにも感じられた。
「なんだよ、人前で話せねぇことか?」
やっと止まったレベンディスにグレイは訝しむ。
「いやいや、話せないことじゃなくてな、渡せないものだよ。危ない危ない忘れるところだったよ」
身を翻し、ごそごそと身体中を弄りながらそう話すとやっと目的の物を見つけられたのか、右の掌で包み隠してグレイの目の前に差し出した。その大きくて無骨な指をグレイは怪訝な面持ちでみる。小指の方から順々と開かれるとグレイは眼を見開き、奪い取るようにレベンディスの掌に置いてある巾着を取った。
「これって、まじか!? ジジィが持っているのと同じやつだよな」
グレイは興奮しながら巾着を両手で掲げてみて真正なものか確かめるように透かすようにみたり、引っ張ったりした。
「まぁ、バズ兄のよりは能力は劣るがそれでもないよりましだろうなっと思ってね」
レベンディスは肯定するように1つ頷いてから話した。
「よっしゃー、まじでうれしいぜ。ありがとな筋肉」
グレイは溢れ出す喜びを体で表し、強く拳を握る。そしてレベンディスにお礼を言った後、あることを思い出した、人前では渡せないということを。
「でもよ、なんでジジィから離れたんだ? もしかしてジジィには貰ったこと内緒にしなきゃいけないのか?」
レベンディスにより一層近づき、先程とは違い声を潜めて話した。
「ハハッ、そんなことはないぜ。安心して使うといいよ」
そんなグレイの態度の変化に何時ものように豪快にわらい、グレイの懸念を否定した。グレイには疑問符が溢れ出て止まらなくなった。
「じゃあ、なんでここで渡したんだよ」
レベンディスが普通の声量を出すため、グレイも声をひそめるのをやめ何時もの声量で理解の出来ぬ意図を問いた。
「それはだな、エレナが持っている魔法巾着よりも今渡したグレイ君の魔法巾着の方が少し多くものが入るんだよ。見ただけではわからないとは思うんだが、万が一そのことに気づいてしまったら……。無いとは思うんだけどな。そのことに気づいたエレナが拗ねてしまわぬようにとこうしてグレイ君を連れてきたわけだよ」
「ふーん」
グレイは何の気なしに返事をしたふうを装うが、自分がエレナの持っているものよりも性能が良いという自尊心を増長させる言葉が耳障りが良く。ついつい語調も明るくなっていた。
「そろそろ、バズ兄たちの方に戻るか」
「ああ」
レベンディスの言葉にグレイは口ではそう言うものの視線は魔法巾着から離れなかった。
「おっと、また忘れるところだったぜ。グレイ君、今話した内容ももらった物もエレナには秘密で頼むよ」
いけない、いけないと髪を掻き、身を翻す。
「大丈夫だ!俺はこの魔法巾着とかいう巾着よりも口は堅いぜ」
グレイは魔法巾着を印籠のように前に突き出し、キュッと口元をきつく縛る動作をする。レベンディスはその姿に噴出し、爆笑しながらシルバーズの方へと戻っていった。
グレイはうれしくなってはしゃいでしまったことが急に恥ずかしくなり、はしゃぐ原因となった諸悪の根源を封印するかのように強く握りしめ、腰に付けている普通の巾着に押し込んで入れた。
「バズ兄、待たせた」
「そうか、では今度こそお別れじゃな」
シルバーズはレベンディスとエレナに一瞥する。
「ああ、色々世話になった。今度は王都の方俺の家に遊びに来てくれよな、ちゃんとおもてなしはするからよ。まぁ、王都のドラゴンの肉はここのより劣るかもしれねぇがな。それに、グレイ君も次の年には来るんだからよ」
「……そうじゃな。機会があればお世話になるかの」
シルバーズは緩く頬を持ち上げて、そう返した。
「いつでも大歓迎だぜ。て言っても俺が毎日王都に居るわけじゃないけどな。ハハッ」
レベンディスはシルバーズの乗る気では無い表情をみて、想像通りだったのか。そんなシルバーズの表情を気にした様子はなく笑った。
「今度会うときには余裕を持ってグレイを倒せるようになっているわ」
大人の会話には混ざらず、そこの隣で話していた少年少女の少女の方であるエレナは宣言という形の宣戦布告をする。
「ハッ、冗談じゃねぇ。おめぇが倒しているのは過去の俺じゃねぇか。次会うときにはおめぇが敵わねぇほどに強くなってやるよ」
グレイはそれに乗っかった。
「私も負けるつもりはないわよ。今度会う時が楽しみね」
エレナは嬉しそうに笑顔になった。
「エレナもう帰るぜ。グレイ君一ヶ月間色々と楽しかったよ、タマゴも美味かったしね。王都に来た時は盛大にもてなすから予定よりも早めに来てもいいからな」
レベンディスはエレナに声をかけてから、グレイに近づきニカッと白い歯を見せた。
「じゃあね。グレイ」
エレナとレベンディスはゆっくりと森の方へと歩いて行った。
「おいっ!」
グレイはエレナを呼び止めた。
「どうしたの?」
振り向いたエレナはきょとんと小首を傾げる。
「どうしたの? じゃねぇよ。さりげなくチビを持っていこうとしてんじゃねぇよ」
その腕にチビを乗せて。
「あれ? ばれてた? 冗談だよ、冗談」
エレナは茶目っ気のたっぷり含んだ笑みをしながらグレイに近づきチビを返す。
「今のおめぇの言葉が俺には冗談には聞こえねぇよ」
グレイはそのエレナの行動に人知れず戦々恐々としていた。そして起こさぬようにエレナからひったくり片手で抱える。
「キュピー、キュピー」
チビは寝言のような寝息のような鳴き声を出しながら安眠をしていた。エレナは「じゃあね」と言い残し、レベンディスと共に鬱蒼とした森の中に入り消えていった。
「帰ったな」
グレイがそう呟くと、
「なんじゃ、寂しいのかのう」
茶化すような声が帰ってきた。
「うるせぇ、そんなんじゃねぇよ。エレナには練習試合で負けたままだからな、それがムカつくだけだ。筋肉は騎士の話ばかりだし、エレナはジジィの話ばかりだったからこれで聞かなくて済むと思えば清々するぜ」
グレイは一息でまくしたて、最後に鼻息荒く吐き出した。すると何故かシルバーズが落ち込んだ。
「儂は少し傷ついているのう」
いじけたように地面にのの字を書き始めた。そしてぶつくさと呟く。
「なぜ、儂を師匠と呼ぶ前にエレナの名前を呼んだんじゃ。これまで一度も呼んでおらんじゃったはずなのに、それなら儂のことを師匠と呼ぶ方が先じゃろ」
「そんなことかよ」
シルバーズは「そんなこととはなんじゃ」とグチグチと小言を更に洩らすが、グレイはチビが掴んでいた何かに意識が向いた。折りたたまれた小さな紙であった。グレイはチビを起こさぬようにそっと紙をつかみ取り開いた。
『グレイへ、
手紙に気づいてくれてよかったわ。随分前の夜に話したことなんだけれど、私がシルバーズ様の弟子なりたがっているという話はシルバーズ様には秘密にしておいてね。
エレナより』
グレイは一度目を通すとシルバーズには見えないように右の掌に乗せて燃やした。瞬きのような一瞬の炎であった。灰化した紙は触れずとも風にさらわれ宙を舞った。
「言うわけねぇだろ、一人しかなれねぇって聞いてんのに。……今の代替品は俺だ」
呟くように吐き捨て、右の掌を強く握った。そうして、
「なぁ、ジジイ。俺が強くなるために修行しようぜ」
まだ落ち込んでいるシルバーズにそう声をかけるのであった。