粉砕
さらさらと砂は滞る事なく落ちて行った。
レベンディスは視線の先を落ち行く砂に固定したままで外すことはなかった。
たった数分で落ちきる砂時計がとてももどかしく思った。砂はしっかりと落ちていて下方に積もる砂の山はどんどん嵩を増しているのに上方の砂の減りが下方の砂の山とは比例していないかのように遅くて多くあるように見えたからだ。
次第に上方の砂も少なくなり、真ん中に窪みができ始めて心なしか砂の落ちる量も多くなったようにレベンディスは感じた。
円形の中心に出来た窪みを中心に円形の砂は徐々にその形を小さな円形へと変えていき、そのまま円は消えて無くなった。
微かにオルフィスに残った砂塵を振り落とし、全て砂が落ちきった事を確認すると砂時計を置きレベンディスは森へと入っていった。
「得物は……なくてもいいか」
掌を動かし、魔石が落ちないことを再度確認していた時に視界に入った武器の付けていない腰を見て言葉を漏らした。
「そっちの方が良いかも知れないな」
1人で納得をして、鬼の存在を脅かす討伐隊を見つける『鬼ごっこ』を始めた。
地面に微かに残るグレイの足跡を見る事はなく、ズンズンとレベンディスは躊躇なく森の奥まで入って行った。
〆〆〆〆〆〆〆〆〆〆〆〆〆〆〆〆〆〆〆〆〆〆〆〆〆〆
「よしっ、やっと来たな」
グレイは自分の視界に入って来た金髪の壮年男性であるレベンディスを見て頬を思わず緩める。
レベンディスはまだグレイの存在には気が付いていない様子で歩いていた。距離はまだ遠く、グレイの魔法の精度では魔石に確実に当てる事が出来そうにない程、遠い距離であった。
「チビ、声出すなよ」
グレイは逸る気持ちを抑え込み、犬歯が見える獰猛な笑顔を湛えながらフードの中にいるチビに声を掛けた。
チビはフードから這い出て、小さな首を上下に動かして返事をする。それからレベンディスの場所を確認したいのかグレイの頭の上へとよじ登っていった。
「そろそろ来ないかなぁー」
レベンディスは梢に止まる鳥の囀りを聴き、警戒心など皆無に思える程の呑気な声音で独り言つ。
グレイとの距離はまだ遠く、レベンディスの声はグレイには聞こえていない。
レベンディスは視線を葉越しに見える真空色の空に上げて、幹などを見ずに避け、どんどんと進んだ。
「グレイ君にはちゃんと、面白い事を見せてあげるって俺に興味を持たせるように言っといたからな。そろそろ来てくれても良い筈なのに、ちょっと遅いなぁ」
レベンディスは雑に切られた後頭部の髪を撫でながら、辺りを見渡した。するとレベンディスの口角が微かに上がった。その瞬間、短くて耳を突く鋭い高音が鳴った。
レベンディスは立ち止まった。髪を触れていた右腕は振り下ろされておりその筋張った太い筋肉から音が響いていた。
「グレイ君、み〜つけた」
レベンディスは此方に掌を向けて眼を見開いて聳動しているグレイへと顔を向けた。まるで地獄の深淵から這い出た鬼に見つかってまったかのようにグレイの身体は止まっていた。
「なんで魔法が効かねぇんだよ!」
グレイは吐き捨てるように言い、脱兎の如く走り出した。レベンディスはその光景を慌てる事なく眺め、身体をほぐし始めた。
ほぐし終わったレベンディスはグレイの逃げた方向へゆっくりと歩き始め、歩き、走った。
「ジジイかあいつなら、魔法の効かない理由がわかるだろ」
グレイは手慣れたように魔力を身体に循環させ攻煌神体をしていた。
視線だけ辺りを見渡して、レベンディスの情報を持っている筈の2人を探した。
「ははっ、そんな必要はないよグレイ君」
グレイの耳に入った声は後方で距離を保ちながら余裕綽々と走っているレベンディスのものであった。
グレイはその声にたまげて、頭の上のチビをを振り落とす勢いで振り向いた。グレイはレベンディスの接近に気づいていなかった。
グレイの眼に映ったレベンディスの表情は徒歩の時と同じ様であった。呼気を荒げる音は聞こえず、手足だけが素早く動いていた。
「さっきのが、グレイ君に見せたかった事だからね。取り敢えず、前危ないよ」
「は?」
グレイは急いで顔を正面に戻した。
「うわぁ! あぶねぇ」
視界を埋め尽くしそうなまでに迫っていた幹を、慌てて横に避けて、走り続けた。
ドンっと地響きが伴う音がグレイの後方から聞こえ、再び後ろへ振り向くと丁度、先程まで聳え立っていた木の幹が倒伏した時であった。低く重い音がグレイの鼓膜を長く震えさせた。
木粉が宙を舞って、先程まで幹のあった場所からレベンディスは出てきた。眼前に交差させた腕を後方へ振るうと木っ端が飛んだ。
「このように私の身体は硬いんだ。とてもね」
レベンディスは体当たりで木を粉砕させたのだった。
「はっはっは! とても面白いだろ!」
「ちっとも面白くねぇよ。筋肉魔力バカも硬護身が上手いのかよ。……ん? あれ? でも筋肉は魔力操作が得意じゃないってジジイが言ってたけど、あれは嘘か?」
グレイが木を避けてから数秒後に再び音が響いた。
「嘘じゃないよ。でも、バズ兄から俺の苦手な事ももう聞いていたとは、こりゃ参ったなぁ」
髪を乱雑に掻き、木っ端を落とす。
「グレイ君は、くれぐれもその話を広めるような事はしないでくれよ」
レベンディスは優しく念を押した。
「わかったけどよ、やっぱり、弱点を広めるのはよくねぇんだな」
微かに脚が重くなった。グレイは距離を保って近付いて来ないレベンディスに気付かれぬ様に少し速さを落とした。
「俺のは、そこまで秘匿にしていないから良いけどね。嫌がる人は多いからなぁ」
後ろを振り向き、レベンディスとの距離が近付き始めた事に気づいたグレイは速さを元に戻した。レベンディスに疲れた様子は見えず、グレイは差を広げるために循環させる魔力を増やした。
「そうなんだな。でも、魔力操作が苦手なことが嘘じゃねぇなら、その硬さはなんだって言うんだよ。あっ、まさかあれか? 魔眼や加護だったか、チビと同じ変異種ってことか?」
「正解だよ、グレイ君。バズ兄の弟子なだけあってグレイ君は優秀だね」
グレイはレベンディスに褒められても、今のグレイの心には喜ぶ余地は無かった。
魔力の量を増やしたグレイとレベンディスの差が開く事が無かったからだった。
「それは、嬉しいなぁ」
気持ちのこもっていないグレイの返事に対して気にした素振りを見せずに会話を続ける。
「俺はね、加護持ちなんだよ。加護には名前なんて付いてはいないんだけどね、周りの人からは『完璧硬護身』とか言われたりしているよ。硬護身のその先ともね」
レベンディスとの差が微々たる程度に近づいた。
グレイは後ろに振り返り、その事に気がつくと、わざと木の側で避けるようにし始めた。
木がどんどん倒伏していった。倒れた木に巻き込まれた木が倒れ始め、少し遠くからでも腹に響く音が鳴り続けた。
「グレイ君、もう面白い事を見せる事が出来たから捕まえるね。これは『鬼ごっこ』だからさ」
「そうだな、そろそろ俺も疲れたわ」
グレイは攻煌神体に注ぐ魔力を増やし、硬護身を纏った。そのまま駆け出し、レベンディスとの距離を引き離す。
レベンディスもすぐさま追いかけ、距離を縮めた。目の前のグレイが何時も通り木の幹を避けた。レベンディスも何時も通り木を木っ端微塵に粉砕させた。
腹部に違和感を覚えた。痛みは加護のおかげで感じる事は無い、だが、木では無い何かが砕けた感触があった。
魔石であった。砕けた魔石が辺りに零れ落ちる。
「やられたな」
レベンディスは立ち止まって、粉砕された木を観察した。そこには、土で汚れた茶色の大きな石が混じっていた。
レベンディスは木の幹を体当たりで壊す時、腕を交差させ、両脚を抱える様に上げていた。その脚の部分が幹に突き刺さっていた石の出っ張りに押され、お腹と脚で魔石を潰してしまったという事だった。
「いつ、拾っていたんだよ。あの石」
石を木に埋め込む音は鳴り続けるの木の倒れる音でかき消されていた。
今もなお遠くの方で木の倒れる音が鳴り続いていた。
〆〆〆〆〆〆〆〆〆〆〆〆〆〆〆〆〆〆〆〆〆〆〆〆〆〆〆〆〆〆
*グレイがレベンディスを待っていた時間のこと*
「石を投げて魔石を壊すのも良いな。魔法よりも当てやすそうだし、それなら出来るだけ持ちやすくて大きい奴がいいよな」
「あっ、これは!…… 駄目だ、小さい。 これは! ……ちょっと大きすぎるな」
「にしても、おせぇーな」
「キュイ!」
「おっ、良い大きなの石だな。さすがチビ、よく見つけたな」
投擲目的で探した石が、まさか違う方法で魔石を壊すとは思いもよらぬチビとグレイの石探しはまだまだ続いた。
「これも良いな」
「キュイ!」