第七話『家族』
「結婚しないか」
目の前の白髪男は、確かにそう言った。
「エイプリルフールにはまだ早いわよ」
と言ってみたけど、相手は動かない。
っていうか、婚姻届がクリスマスプレゼントって、どんだけ自分に自信を持ってる発言? 人の事を何だと思ってるの?
……いや、さっき『破って捨てるのも自由』って言ってたわよね。
それなら、奪い取って粉々に――
そう思って紙に手を伸ばしたんだけど、手が止まった。
何故って、そりゃ、私にも分からないけど、だって、俯いてる凌の顔が、見えちゃったんだもの。二十センチ低い私の位置から見た凌の顔は、真っ赤だった。
手は小刻みに震えてるし、まるで……――。
「チワワ」
声に出して言ったら、笑いが込み上げてきた。
「あははははは! プルプルして、チワワみたい!」
私が声を上げて笑うと、凌は真っ赤な顔のまま怒鳴ってきた。
「嫌なら嫌で、早く破り捨てろよ。馬鹿!」
ムカっと、一気に頭に血が上った。
「馬鹿とは何よ! 馬鹿とは! 馬鹿って言った方が馬鹿なのよ! ばか!」
「馬鹿だから馬鹿つったんだ。ばぁか!」
こんのガキ……言わせておけば、毎度毎度付け上がって! あぁもう、腹が立つ!
「アンタね! 先輩に向かってその口の利き方はないんじゃない!?」
「お前の事を先輩だと思った事はねぇよ。この熊女!」
「何よ、白髪頭のビビリ!」
「脳筋女」
「頭でっかち!」
「がさつ」
「神経質!」
「不器用」
「マニュアル人間!」
「破壊魔」
「若年寄!」
「そんなだから、嫁の貰い手がねーんだよ!」
「そんな女に婚姻届持って来たのは、どこの誰よ!」
「嫌なら早く破れよ!」
「嫌だとは言ってないでしょ!?」
「それなら早くサインしろよな!」
「うるっさいわね! アンタが持ってたら書けないでしょうが!」
「あ、そうか」
って、何で急に冷静になるのよ! 何かよく分かんないけど、すっごく恥ずかしいじゃない!
「ってか、外野ぁ! アンタらも、何とか言いなさいよ!」
思わず尚巳と倖魅に反応を求めるくらいには、テンパってる自覚がある。どうしよう。すんごい顔熱い。耳まで熱い。
で、私が助け舟を求めたふたりはと言うと、
「いやぁー、お前らがお互いの事をこれだけ言い合えるって事に、おれは心底驚いている」
「ホントー。清々しいくらい息の合った、悪口の応酬だったよー」
と、呑気な事この上ない。
あぁ。駄目だ、こいつら。八方美人の冷徹漢と、他人に対する興味が希薄な優男だったわ。
私がうんざり脱力していると、凌が婚姻届を手渡してきた。
「クリスマスプレゼントは、オレとの結婚じゃねーよ」
は? 何言ってんの、こいつ。
私はまじまじと婚姻届を見てみたけど、特に種も仕掛けもなさそう。なるほど。婚姻届がお菓子に変わるとかっていう類の手品じゃないって事だけは分かったわ。
今ひとつ状況の理解が追い付いていない私を察して……かどうかは分からないけど、凌は、あー、とか、えーっと、とかはっきりしない声を発してから、婚姻届を指差した。
「これはだな……“婚姻届”っつーか、まぁ、そうなんだけど。えっと、オレ的には、それが本命なんだけど……」
歯切れの悪い物言いで、凌は婚姻届を差したまま、指をくるくる回してる。多分、無意識の動きだわ。
「この紙は、“潤先輩の妹になれる券”……的な?」
何で疑問形なのよ。とか思ったけど、それに勝ったのが……、
「何、その最高に希少価値のあるプレゼント……」
だった。
婚姻届の、向かって左側に書かれている名前を凝視した。確かに、“二条凌”って書かれてる。そういえば、さっき倖魅も凌の事をそう呼んでた。
って事は、つまり……。
「凌……やっと社長の養子になったの?」
「何言ってんだよ。それじゃ、恵未が潤先輩の妹にゃなれねーだろ」
即座に突っ込まれた。でも、そうか。って事は、つまり……。
「義弟になったんだ。つまり、オレは四兄弟の末っ子」
へぇー、なるほどー。
…………。
はい? ちょっと、待って。
「え? あんた、ちょっと、『社長の息子だ』って言ってた方が、後々、色々スムーズなんじゃないの? 何でわざわざ弟を選んだのよ」
「え、だって、息子になったら、オレじゃ恵未を潤先輩の妹にしてやれないだろ?」
当然だろ、みたいな顔して、何言ってんの、こいつ。私を潤先輩の妹にする為に、社長の弟になったっていうの? アホなの? いや、アホだわ。アホ以外の何者でもないわ。
そんなもん、破り捨てれるわけないじゃない。
「凌ってホント、ムカつくわ」
私は机の上にあるペン立てからペンを取り、“潤先輩の妹になれる券”にサインをした。凌はそれを見て、すかさずひと言。
「相変わらず、汚ぇ字だな」
相変わらず、ひと言多い奴ね。
「あ、ボク証人欄に名前書きたーい」
「じゃあ、おれもー」
何で男ふたりはこんなに能天気なの? 他人事だから? まぁ、そうでしょうね。そういう奴らよね。結婚って、こんなモンなの? これでいいの? よく分かんないんだけど!
っていうか、倖魅はずっと私に気があるって言ってたくせに、何なの? あっさりしすぎじゃない? あ、倖魅だからか。こいつが他人の事で本気になる事なんて、まず無いわ。それは、ずっと一緒に居た私が、よーく知ってるわ。
だってほら、証人のサインを済ませた倖魅ってば、
「ボクは祐稀ちゃんでも誘って、遊びに行こうかなぁー」
とか言ってるし。
私が駄目なら、今度は祐稀ちゃん? ふふふ。残念だったわね。
「祐稀ちゃんなら、英志君と付き合い始めたらしいわよ」
そう教えると、私以外の全員が驚愕の叫び声を上げた。
ビックリした後、ガックリしたのは倖魅で。
「ボク、聞いてない……」
何で祐稀ちゃんがプライベートな内容を倖魅に知らせなきゃいけないのよ。確かに、最近よく一緒に居た気はするけど。
「あー、もう、この際誰でもいいや。尚ちゃ――」
「節操なさすぎでしょ。おれは丁重にお断りします。おれは今まで通り、たまに風俗にでも行って遊べれば、それで満足なんで」
「え、尚ちゃん、風俗とか行くの? なんかショック……」
また倖魅は、ひとりで項垂れてる。何がそんなにショックなんだか。好きにさせとけば良いじゃない。まぁ、倖魅の場合はショックを受けてる人の真似をしてる――って感じなのよね。本心じゃ何とも思ってないんだから。
「んで? 婚姻届どうすんの? 倖魅に頼めば一瞬で済む手続きでしょ?」
私が記入済みの紙を指差すと、尚巳は苦笑した。
「おいおい。それは役所へ持って行けよ。あ、ちゃんとふたりで行って来いよな。んで、婚姻届受理証明書も貰って来とけ。お前らなら『結婚? そんなのしたっけ?』とか言いかねないからな」
それもそうね。寝て起きたら忘れてそうだわ。
「ところでさぁー。ボク、間接的にフラれた身だから気になるんだけど……」
うん? 倖魅ったら何を言ってんの? 私は、散々直接フリまくってきたんだけど。何で伝わってないの? 脳みそがお花畑なのかしら。
私の考えなんて知りもしない倖魅は、構わず言葉を続けた。
「恵未ちゃんは、凌ちゃんの事どう思ってるの?」
「へ?」
「好きなの?」
「え……」
好き? すき……。好きなのかは分からないけど、そうね……。
「クレープの皮とか、アイスキャンディーの棒……みたいな?」
これは結構、良い線行ってる例えじゃないかしら。
いや、でも待って。これじゃ……。
「それって、おれの解釈が間違ってなかったら“お前がいなけりゃどうにもならない”って事だよな?」
!
尚巳に直球で言われた!
「ちょ、待って! ちょっと待ちなさいよ! ちょっと、言い過ぎたっていうか! もうちょっと……えっと、そうね、アイスクリームで言うと、コーンとか!」
凌は半眼になって、じっとりとこっちを見てるし……。
「何で例えが食い物ばっかなんだよ。しかもコーンって……。レギュラーコーンとワッフルコーン、どっちだよ」
はぁあ!? そこ、気にするトコなの!?
「でもまぁ、前向きな感情みたいで安心したよ。ね、倖魅先輩」
「そーだねー。ボクとしては、もうどーでもいーやーって感じだけどねー」
尚巳と倖魅は文字通り他人事だし……! 倖魅も、あんた、移り気早すぎだし! 興味関心が失せるの、早すぎよ! もうちょっと気にしなさいよ!
何なのよ、もう。叫んでないのに、異様に疲れるわ。
私が理解不能な疲労感に重く伸し掛かられていると、尚巳が凌の背中をポフンと叩いた。
「っつーか、早く役所行けよ。ついでに、社長にも報告して来いよ」
凌は背中越しに尚巳を見ながら、
「社長は昼頃帰って来るって。昼からオレら、営業先アポ取ってあんだろ」
「そんなの、おれだけで行って来るから――」
「そうはいくか。事業閉鎖と変更の説明するってのに、オレが不在でどうすんだよ」
相変わらず、真面目ねー。
「社長には私から言っとくわよ。婚姻届受理証明書ってのを、社長に突き付ければいいだけでしょ?」
私が言うと、凌は不本意そうではあるけど、頷いた。
「んじゃ、頼む」
尚巳は、はいはい、と肩を竦めてから、
「そうと決まれば、早く婚姻届を提出して来いよ」
と私たちを送り出した。
◆◇◆◇◆
そして、お昼。本社へ帰ってきた社長を突撃!
「社長、私結婚したんですよ! 相手を当ててみてください」
と報告した時の、社長の何とも言えないお間抜けな顔ときたら……。きっと私は、忘れる事はないと思うわ。
私が突き付けた、婚姻届受理証明書を穴が開くほど見て、見て、唸りながら見て、更に辺りを見回して、社長はこう言った。
「“ドッキリ大成功”っていうプラカードは、誰が持って来るのかな?」
「社長を驚かせるためだけなら、こんなネタ使わないですよ」
私が言うと、社長はまた解せない表情で婚姻届受理証明書へ顔を近付けた。そして数秒経ってから、ようやく顔をこっちへ向けた。
「分からないこともないんだけどさ。あまりの出来事にビックリしちゃったよ」
そりゃ、そうでしょうね。三時間前の私に報告したとしても、同じ様にこの紙を眺めると思うわ。
社長は柔らかな笑みでこう言ってくれた。
「まさか、一日に家族がふたりも増えるなんて。大人にもサンタさんって来るんだなぁ」
しみじみと言う社長。
喜んでくれているなら、まぁいっか。
「私の所に来たサンタさんは、白髪頭だったけど髭がなかったです。服もスーツだったから、きっと偽者ですね」
「ふふ。偽者かどうかは、そのサンタさん次第だよねぇ」
「いいんです。もし偽者だったら、私がボッコボコにしてやりますから!」
拳を振り上げると、社長は声を上げて笑った。子どものような笑顔だ、と思う。
「ところで、恵未。寿退社っていう道もあるけど、どうしたい?」
…………。
……ことぶきたいしゃ……? 琴を武器にして、どうするの?
私がグルグルと混乱していたら、社長は苦い笑顔で説明してくれた。
「寿退社っていうのはね、結婚を機に、会社を辞める事だよ」
へぇ。そういえば、聞いたことがあるような、ないような。――って、ちょっと待って。会社を辞める……?
「会社を辞めたら、潤先輩に毎日会えなくなるじゃないですか! 絶対に嫌です!」
私が声を荒らげると、社長はまた声を出して笑った。
「恵未なら、そう言うと思ったよ」
愚問だったね。と、肩を竦めてる。
私は両足の踵を付けて、敬礼した。
「それでは、社長。二条恵未は仕事に戻ります!」
「うん。報告ありがとう。あ、ところでこの事、あとふたりのお義兄さんたちには言ったのかな?」
私は敬礼を解いて、笑った。
「いいえ。今日の夕方から、事務所でクリスマスパーティーをするから、その時に言うつもりです」
「それは、ふたりもビックリするだろうね。ごめんね、引き止めて。行ってらっしゃい」
社長に見送られ、私は社長室を出た。
あのふたりの驚いた顔なんて滅多に見れないし、結構楽しみにしてるのよねー。
灰色の瞳のお義兄ちゃんと、真っ赤な瞳のお義兄ちゃんの顔を思い浮かべると、自然と鼻歌が出た。
ここまでお付き合い下さり、有り難うございました!
この後に『ウサギ印の暗殺屋~13日の金曜日~』を読んだ方向けのおまけを付けますので、お時間がありましたら、宜しくお願いいたします。




