011 命の香り①
「ええ、ええ。分かりました、居場所。どうやら、下水道に潜ったようですわ」
「そうかい。相変わらず、気持ち悪いぐらいに正確な鼻だね――」
薄暗いバー。カウンターの上の、小さなネオン看板ばかりが主張する空間。並ぶ酒の量に比べて、客の数は随分と少ない。中に居るのは、二人の客と、バーテンダーの二人。
「――其れくらいしか、取り柄が無いもんでございまして」
客の一人は、小柄な男。顔面の四割を覆う、奇怪なマスクが特徴的な男。ストローで、甘いカクテルをチュウチュウ吸う様は、悍ましいと言う他ない。
「そうだね。だからこそ、君は優秀だ」
其れに比べて、隣の男の、何と優美なことか。その一投足、どれを取っても優雅で、洗練されていた。
銀髪の隙間から見える眼差しも美しく。
ただ、釣り上がる口元だけが、怪しさを湛えて。
「其れじゃあ。追手、放とうか。誰が良いと思う?」
その、彼。紳士で、キザ男。駒のように、彼は人を動かす。その先に在る、人の生死にを、彼が気に掛けるコトは無い。
「良いのが居ますよ。パウダーと云います。嗅覚の通し番の出来損ないですが、火薬ばかりはよく嗅げる男でございます」
「そりゃ面白い!」
態とらしく声を上げて、キザ男が手を叩く。
「じゃあ、その火薬くんに任せよう! 兵隊は好きなだけ与えていいよ」
「仰せつかりましたぜ。火薬にはそう伝えておきましょう」
マスク顔の男が、にたりと笑った。
「其れでは、ネイザン様。御機嫌よう」
そして、マスク男は席を発つ。
手を掛けたドア、ギィィと鳴らして、外に出て。そして、扉は締まった。客は、遂に一人に為る。
ネイザンと呼ばれたキザ男は、静かにグラスを開けていく。
「ネイザンの貴方は、そうですか。では、シャーホルツとしての貴方は、どうするのでしょう――」
そのとき、問があった。今まで口を閉じていた三人目。バーテンダーのもの。
「そうだね――」
キザ男の、顔つきが変わった。
そこに、先程までの巫山戯た様相は無い。
「――報道の準備をさせる。テロルがあった、レジスタンスの仕業だ、と。芸は無いけれど、市民には其れくらいで丁度いい」
「そうで御座いますか」
肯定も、否定もせず。バーテンダー、グラスを磨く。
今日は此れで店じまいだ。次の客は来ない。否、そもそも――此処に来る客は、キザ男とその連れだけだから。
「じゃあ、また来る。次はフレンチ・コネクションが飲みたいから、ブランデーの良いのを入れておいてくれ」
「承知しました」
グラスが空いた。丁度良い頃合いだから、終いにする。
羽織ったチェスターコートを棚引かせ、外へ出る。
(エリザベスの名を持つ君。君が、ジョンと共に在るのならば――)
外には、二人の黒服と、オートモービル。
彼の迎えだ。
(――此れぐらいは、難なく乗り越えてくれないとね)
懐かしむ様に、ネイザンは思いを馳せた。
このネイザンと言う男。彼は何者であろうか。裏社会の支配者とか、秘密結社の人間とか。そういた類で無いのは確かだ。
暗躍する彼を知るものに、其れを聞けば。皆、口を紡ぐばかりであろうけれど。表の彼について聞くならば――
彼は貴族で。
彼はインテリで。
彼はキャリアで。そして――
――彼は警察で。彼は正義だ。




