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君の夢の裏側  作者: 鈴鯉
第10章 踏み出した一歩
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 幸野は足を運ぶ先を迷う。三田の言葉を信じれば、今回のレポートにも光明は見える。だが本当だろうか――試しに行く勇気が出ない。三田がいないのだから、声を掛ける相手は知らない人か貴城かの二択なのだ。

 一つ息を吐いて、幸野は門に向かう。レポートの期日まではまだ時間があるし――言い訳めいた言葉を胸中で繰り返す。

 バス停には誰もいなかった。時計を見るとちょうど行ってしまったばかりのようだ。他に行くところもないし、とその場で待つ事にする。

「あれ……、沢渡さん?」

 聞き覚えのある声がして振り返ると、顔をのぞき込むようにしている安藤がいた。

 幸野はきょとんとする。

「え、何で?」

 大学に安藤がいる理由が分からなかった。安藤は見透かしたように微笑して幸野の隣に立った。

「兄さんに用があって」

「そうなんだ……」

 幸野は頷いた。

「あの……、木原さんの様子とか聞いてる?」

 意外な言葉に幸野は目を見開いた。

「え? 何も聞いてないけど……」

「俺、昨日おばさんのところに行ってきたんだけどね。今のところ、精神安定剤? みたいなのが効いてて落ち着いてるらしいよ。症状に合わせた薬も飲み始めたみたい」

「そっか」

 できるだけ智のことは気にしないようにしよう、と思っていて、智の母ともまだ連絡は取っていない。智を心配する気持ちはあるのだが、今、智のことを考えると、どうしても『そのままでいいのに』という思いが頭をもたげてくる。それは治療に向かおうという智に、そして何より周りに迷惑だろう。

「本格的な治療はこれからなんだって」

 安藤の言葉に、幸野は黙って頷いた。順調にいっているならそれで良いと思った。

「学校は辞めちゃうみたいだね。なんか、ほとんど行けてなかったみたいだし」

「うん……」

 あの様子では通えないだろうと思った。智が夢を持って選んだ道を、今は諦めなければいけないことは幸野の胸も締め付けた。

 安藤が一息吐いて、その場に沈黙が流れた。バスを待つ人が、一人、二人と現れたが、バスはまだ来ないようだった。

「兄さんとうまくいってる?」

「は?」

 唐突な質問に、幸野は思わず大きな声を上げた。安藤はその反応が不思議なようで、小首を傾げる。

「二人、仲良いんでしょ?」

「え、何で何で? 違うって」

 幸野は一生懸命首を振った。

「そうなの? てっきりそうなんだと思ってた」

「いや、だって……。あの人、好きな人いるって」

「ん? いや、もう失恋したって聞いたけどな」

 違う人かな、と呟く安藤に、幸野は目を瞬かせる。

「し、失恋?」

「うん。相手の人、結婚が決まって、それで遠くに引っ越しちゃうんだって。そう言ってたよ」

「そうなんだ……」

 まるで三田みたいだな――先ほど会ったばかりだから思い浮かんだだけなのに、そう考えると頭の中でいろんなことが繋がっていって幸野は目を見張る。まるでパズルのピースがぴたりとはまるように納得できる。――三田に言われて幸野のレポートを見てくれたこと、三田と話す時のあの笑顔。

 まさか、本当に――? そう思って口元に手をやった幸野を、安藤は不思議そうに見ながら軽く笑う。

「だから沢渡さん、頑張りなよ」

「え? いやいや、だから違うって」

 慌てて顔の前で手を振る幸野の心を見透かすように、安藤は、そうかな、と言う。

「兄さんって、沢渡さん相手にいつも素って言うか遠慮がないじゃない? だから結構仲良いんだな、って思ってたんだけど」

 いやいや、と幸野は首を振る。

「いつも怒られたり文句言われたり、そんなだよ?」

 くすりと安藤が笑った。

「兄さんってそういう付き合い方しかできないから。誤解されやすいんだけどね」

「ああ、それっぽい……」

「少なくとも、嫌われてはないと思うよ、沢渡さん」

 強く言い切って、安藤は一つ頷いた。

 その時、突然、幸野の頭に貴城の顔が浮かんだ。優しい顔なんて一つも見せてくれない、いつものあの表情が。

 遠くからバスの重い走行音が聞こえる。――動くなら、今しかない。

「あ、安藤君」

 ん、と答えた安藤の目を見れずに、不自然に足下を見ながら幸野は言を次ぐ。

「私、れ、レポートやらなきゃいけないの、忘れてて……!」

 視界にバスが滑り込んできた。

「またね!」

 幸野は短く言って駆け出す。またね、という安藤の声が、バスのドアの開く音と重なった。

 大学の門を抜け、講義棟の前を一気に駆け抜けた。折れ曲がる道を走り、はあはあと息を切らせながら広場で足を止めた。

 どうしても今、会いたい――幸野は目の前にそびえる図書館の建物を思いを込めて見つめた。乱れた横髪が顔にかかる。

 睨まれて、溜息を吐かれて、だがその顔の貴城に会いたい。

 レポートの質問をしよう。それなら別におかしくない――心の中でそう唱えて頷いた。今ならきっと、嫌そうな顔で舌打ちされても落胆せずにいられる気がする。そして素直な言葉を返せると思う。貴城先輩ともっと色々話してみたい。

 どういうことか分からないが、それは智に会いたいと思う気持ちよりも強い気持ちだった。走ってきたせいか、体が熱い。胸の中で心臓がドクンドクンと大きく鳴っているが、不思議と心地よい。この気持ちは何なのだろう。

 突き動かされるように一歩、幸野は足を踏み出した。




 

 End

これで完結になります。

最後までお読みいだたきありがとうございました。

幸野の成長はほんの小さな一歩で分かりにくいかもしれませんが

確かな一歩だと私は願って書きました。


評価・感想などいただけると幸いです。

長い間ありがとうございました。

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