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Don't Touch!  作者: 鳴海 葵
Lesson4
98/127

file2 「emergency」

『淋シイヨ……答エテ』


 ダルイ。ダルイ。ダルイーっ。

 頭が重くて痛くて、わずかに火花が散るような痺れが消えない。


「死にそう」


 カバンを抱えて温室に向かいながら、私はひとり、うなだれてつぶやいた。

 最後の授業が終わると、HRなんて待たずに教室を飛び出してきた。

 あの日、三日前に体育館で声を聞いてからというもの、気が緩むと今みたいに、例の「声」が聞こえてくる。

 でも、初めての時のように、扉をこじ開けようとする感覚はない。

 むしろ、私の隙をみて、声をかけてくるような気がする。

 相手が絶え間なく私に何かを発しているのか、それとも、私の隙を見抜くことができているのか、わからないけれど。

 頭の中は緊張しっぱなしだし、相手が誰なのか、一時無くなりかけた人間不信も復活しつつある。


「もしかして、ユーレイとか?」


 いや、ナイナイ。

 そんなんじゃないと、自分自身に首を横に振る。

 ユーレイなんかより、生きてる人間のほうが恐ろしいことを、私は知ってる。

 それにしても、今は勉強に集中しなきゃいけない時なのに。

 独り言の次に溜息をついて、私は足早に温室へと向かった。

 温室内に逃げ込めば、どんなに頭のネジを緩めても、「声」は聞こえない。

 結界、シェルター、なんでもいいけど、そんな感じ。

 悲しみを帯びた哀願に背を向けることに、抵抗がないわけじゃない。

 助けを求めているなら、手を差し伸べたいし、出来ることはしてあげたいと思う。

 そうやって、いままで香奈や川島くんが「友達」と呼べる存在になったのだから。

 でも、今回は違う。

 四日前に私のこめかみを突き抜けた何かによって、脳内にできてしまった空洞。修復しきれないそこを通って、呼びかける声は響く。

 私が読み取ろうとせずとも、向こうから入り込んでくる。

 おそらく、意図的に。

 

 誰が? 何のために?


「うーっ、もう、やめやめ!」


 温室に入ると、入り口にカバンを置いて私専用の丸イスを持ち、この時期次から次へと花を咲かせるクリスマスローズの前に座った。

 冬の日差しに溶けてしまいそうな、やさしい薄桃色の花が、はずかしそうにうつむいて花びらを広げている。

 何本か切って、部室に飾ろうかな。


「今日は少し、暖かくなったね」


 花びらに触れようとした時、南海先生の声がして、私は入り口のほうを向いた。

 やれやれと少し疲れたように頭を抱え、溜息をつき私に向かって苦笑する。


「先生、HRは?」

「ん? きみと同じ」

「え……いいんですか?」

「あの教室が、こんなに窮屈だとは思わなかったよ」


 きっちりと締めてあったネクタイを緩めると、ポケットに手を突っ込んでそばにあった丸イスに座る。

 本来、それは川島くんのイスなのだけど、この三日間、こうして放課後やってくる南海先生の定位置となった。

 私と先生は顔を見合わせると、思わず笑った。


「ダメな生徒と先生ですね」

「ちょい待ち、俺まだ先生じゃないし」

「じゃあ、ダメな実習生?」

「……そういうの、ヘコむからやめてくれよ」


 情けない顔をする先生をちょっとだけ笑ってから、私はごめんなさいと謝っておく。

 川島くんは一瞬でいいヒトなんてわかんないって言ってたけど、やっぱり南海先生はいいヒトだと思う。

 いつもは担当しているクラスのHRが終わると、少しの間ここに顔を出して、私と他愛ないおしゃべりをしてくれる。

 本当の先生みたいに隔たりも感じないし、かといって決して同じ高校生的視点でもなく、香奈が言っていたように、ちょっとオトナな存在なのだ。

 南海先生が担任だったら、私だってもうすこし勉強も頑張れたかもしれない。

 先生とふたりでいられるこの時間は、とても居心地が良い。


「可愛い花だね」


 立ち上がった先生が、私の目の前にあるクリスマスローズに触れる。


「あぁ、今、切って部室に飾ろうと思ってたんです」

「切っちゃうの、可哀相だね」

「……でも、花は咲いたら切っちゃった方が、また次の花が咲くんですよ」

「ふぅん」


 首をもたげた花を優しく手のひらで包む南海先生の表情が、言葉の通り悲しそうで。

 私はその横顔に息を飲んだ。

 優しく力の抜けた笑顔とは対極にある、悲しみの後ろに何かを隠しているような。

 不意に彼の瞳がこっちを向いて、私はすぐさま目を逸らした。


「は、鋏持ってきます」


 妙に早鐘を打つ心臓に手をあてて、落ち着かせようと立ち上がると、動揺したままあたりを見渡した。

 最近は川島くんがあちらこちらに鋏を置いたままだから、きっとその辺に転がってるはずだけど。


「あった」


 ちょうど手が届くか届かないかの距離、棚に置かれた鉢と鉢の間に、赤い持ち手の鋏が見えた。

 横着な私は、もうちょっと足を進めればいいのに、ぐっと腕を伸ばした。


「あと、ちょっと……」


 そう思って、爪先立ちする。

 届、いた?

 指先に硬い物が触れたか触れないか、その時、頭の中で黄色信号が点滅した。

 マズイと思ったときには視界が揺れ、バランスを崩した身体は、重力にしたがって地面に不恰好に落下する。


「桜井さんっ!?」


 鉢を道連れにしてはいけないと頭の中ではわかっていたものの、人間、いざとなると必死に何かにすがるのだ。

 無様な格好で地面に横たわった私の身体には、ひっくり返してしまった鉢の土が降り注ぎ、空っぽになった鉢が、私の横に転がっている。


「大丈夫?」

「………」


 い、い、痛い。

 痺れるように痛む腕に、なんとか力を込めて体を起こすと、土がパラパラと地面に落ちた。

 そして、目の前で南海先生が堪えきれない様子で噴出した。


「あは…ご、ごめん」


 謝りながらも大爆笑してる。

 そりゃあ、そうだろうけど。

 恥ずかしいやら、情けないやら、制服に付いてしまった土を払いながら、私のテンションは果てしなく下降していく。

 鉢の横に無残に転がっているミニバラの株を見ながら、私は溜息をついた。


「大丈夫?」


 まだ笑みを含んだ声に、笑えない私は恨めしく南海先生を見た。

 屈託のない無邪気な彼の笑顔が、次の瞬間、ふと大人びた微笑に変わった。


「はい……」


 頷いた私の頬に、ゆっくりと南海先生の指先が伸びて、私は思わず体をこわばらせた。


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