file1-5
「しおりちゃん、知ってる? 教育実習の先生、もう、超カッコイイの!」
朝のHRの後、臨時集会が行われることになって、私の前を行く相沢香奈は目を輝かせ、神様に祈りをささげるかのように両手を合わせて、そんなことを言う。
「香奈、そんなこと言っていいの? 楠木くんがいるじゃない」
「彼は彼、先生は別格」
「そういうモノ?」
「だって、憧れの北原くんはしおりちゃんに取られちゃったしぃ」
「あの、ね……」
触れた人の考えてることが聞こえてしまうという、厄介な能力のある私は、心を開ける友達なんていなかったのだけど。
そんな私が唯一親友と呼べるクラスメイトが、この香奈だ。
恋愛で辛い思いをした彼女も、先月新しい彼ができた。
それまで散々、北原のことが好きだ好きだと言っていたから、話を聞かされた時は、本当に驚いたんだけど……。
「だって、南海先生って、なんかちょっとオトナな感じなの。昨日の放課後、一瞬見かけただけなんだけどぉ」
「まぁ、確かに、ちょっとオトナだよね」
「え? しおりちゃんも見たの?」
「うん。昨日、温室に来てたから」
「えぇっ!?」
悲鳴に近い声を上げて、香奈が切ない顔をする。
「ずーるーいぃーっ。しおりちゃんには北原くんがいるのにっ」
ぶぅと唇を尖らせて頬を桃色に染める香奈は、彼ができてからますます女の子っぽくなった。
だけど私は香奈の彼じゃないし、そんなに可愛い顔をしても引きつった笑いしか返せない。
香奈をなだめながら、私も南海先生のことを思い出していた。
私の感覚を、共有しようとしてくれた人。
こんなふうに香奈や他の女子が騒ぐような容姿に、あまり興味はない。
でも、あんなことをしてくれた人は初めてだったし、生徒と同じ気持ちに立とうとする気があるのなら、きっといい先生になれると思う。
昨日の出来事を思い出すと、自然と頬が緩み、微笑んでしまう。
今回、教育実習に来た卒業生はふたりだと、HRで担任が言ってたっけ。
体育館に全校生徒が集まると、理事長から今回の実習生ふたりが紹介された。
南海先生が挨拶をすると、女子の一部がざわめきだす。
「南海先生、ステキ」
『ホラ、やっぱりカッコイイーっ』
香奈の声と同時に、彼女の中でしか響かないはずの、心の声が私の頭の中に届く。
触れて、いないのに。
幼い頃、この力をもてあました私のために、姉が『扉』というおまじないをしてくれた。
そのおかげで、頭の中に作り上げた『扉』を閉じることで、私は今まで他人の意識が勝手に入ることを拒んできたのだけど。
時々こんなふうに、コントロールできなくなる。
……よりによって、こんなに人間の多い時に。
私は香奈に気付かれないよう、息を整えて、おまじないの効力を取り戻すことに集中する。
拒みきれない意識の雨は、脳内に降り積もり、やがて私自身の意識を奪ってしまう。
倒れたり、妙な動悸が起きたり、先生や周りの一部の生徒からは、「奇病」扱いされてるのがツライ。
生徒や先生の声は聞こえないのに、まるで全員がおしゃべりしてるみたいに、様々な意識が絡まりあって頭の中で響き始めた。
このままじゃ、マズイ。
「香奈、私、保健室行ってくるね」
「大丈夫?」
額に触れると、薄っすらと冷たい汗をかいていた。
心配そうな香奈に頷いて、クラスメイトの列から離れようとした瞬間、昨日、こめかみに感じた衝撃と似た、でも、それよりもずっと柔らかくゆるやかな痛みが脳内を襲う。
『ねぇ、聞こえる?』
同時に、問いかけるような声が響いた。
『聞こえる? この声が、聞こえてる?』
無数の雑音のような意識とは全く違う、今まで感じたことのない声。
その声がはっきりと脳内に響くたびに、弱い電流を流されてるように、頭の中がぴりぴりと痺れる。
私はただ平静を装って、あくまで気分の悪い生徒として、体育館後方で立っていた担任のところへ向かう。
先生、頭が痛いんで、保健室に行きます。
そう、言ったつもりだった。
でも、上手く声に出せたか自信がない。
目の前にいる担任も、顔をしかめて私の腕を掴む。
何事を言っているのか、口が動いてるけど、もう私の耳に声が届かない。
『お願い、返事をして』
聞こえるのは、ただひとつ。
『答えて、聞こえてるんでしょう?』
誰、なの?
どうしてこんなふうに、話しかけるの?
私の能力を知ってる人間が、この中に、どこかに、居る?
……怖い。
もし、こんなチカラを持ってるなんて、みんなにバレてしまったら。
また私の周りから、誰も居なくなってしまう。
「嘘ツキデ、頭ノオカシナ子」
皆、そう言って笑った。
「アノ子ニ触ッタラ、オカシナコト言ワレルヨ」
小学生のころ、クラスメイトの女の子たちは、口々にそう言った。
嫌な思い出が、大きな恐怖心の塊となって私に覆い被さってくる。
だから、絶対、誰にも知られちゃいけない。
たとえ香奈にも、川島くんにも。
このことを知っていてくれるのは、ホリちゃんと北原だけで十分だ。
返事なんかしちゃいけない。
放っておいて。
『……助けて』
悲しみが沁みこんだ意識が、拒絶しようとする私の脳内に絡まりつく。
閉じようとする扉を、ゆるやかに、でもしっかりと握ったまま、引きとめようとして離さない。
『お願い、助けて』
返事をしまいと抵抗する私の視界を、白い光が覆い始める。
『ドウシテ、答エテクレナイノ?』
『ドウシテ、ソンナニ拒ンデルノ?』
『聞コエルナラ、返事ヲシテ』
聞こえない、私には聞こえていない。
だから何も、助けることなんて出来ない。
落ち着いて、ちゃんと扉を閉じればいい。
ちゃんと深く息を吸って、吐いて。
『結局、アナタモ皆ト同ジダ』
瞬間、まるで目が覚めたように視界が回復し、同時に全身の力が抜けた。
「桜井!」
扉が、閉じた?
それとも、誰かが私への接触を止めただけ?
担任の切羽詰った声に、生徒達のざわめき。
……戻って、来た。
糸が切れた操り人形みたいに、私はその場に崩れるように座り込んだ。
誰かが呼んでくれたのか、保健室にいるはずのホリちゃんが眉根を寄せてこっちに向かってくる。
だけど、振り返っちゃダメだ。
気付かれちゃ、いけない。
ただ、私は気分が悪かっただけ。そう、いつもみたいに。




