夏・特別編 前編
夏休みも終わりに近づいた頃、学校内には怪談の噂話が…。
そんな時、しおりは「彼」に出会ってしまった。
「そうなのよ、コレがね、最近出るらしいの」
保健室に立ち寄ると、ホリちゃんが「うらめしやぁ」なんて両手をダラリとさせて、こんな話をした。
「もう、夏休みも終わりなのに?」
怪談話は暑い夏の風物詩。
だけど夏休みは、本当にもうすぐ終わる。
川島くんの一件も落ち着いて、だけど補習の終わらない私、桜井しおり(さくらい しおり)は個人授業ともいえる特別授業を前に、ほんのちょっとだけこの室温管理された保健室で避難中、いや休憩中だ。
「昔、陸上部にいたコが、事故で走れなくなってね。結局転校せざるをえなくなっっちゃって」
「……うん」
「思い余って、理科実験室で首を自分で切って……」
話をするホリちゃんの目がすわってて、おまけにひそめた声も低い。
右手の親指で首を切る真似をすると、静かに首を振る。
私の頭の中では、本当に血に染まった理科実験室の景色が浮かんでいた。
「その彼が、首から血を流したまま、道連れを探して彷徨ってるんだって」
ごくり。自分の息を飲む音が、妙に大きく聞こえるのは気のせいじゃない。
暑い日差しを遮るために全窓にひかれた白いカーテンは、その明かりさえも閉ざし、保健室内を薄暗くさせている。
ちょうどいいはずの室温が、心なしか肌寒く感じられて、私はぐっと身を縮めた。
「なーんてねっ!」
「ぎゃあぁ」
突然大声になるホリちゃんに、私は驚いて思わず悲鳴を上げた。
そんな私を見て、ホリちゃんはげらげら大口開けて笑ってる。
「も、もうっ、驚かさないでよっ」
「ホラホラ、特授を前に目が覚めたでしょ」
「……ホリちゃんの意地悪」
「もう時間よ。今日もがんばってね」
ただでさえ、散々使えない脳ミソを酷使して疲れてるのに、ホリちゃんの余計な偽怪談話でどっと身体がダルくなった。
ひらひら手を振るホリちゃんを睨んで、私は保健室をあとにする。
学校という場所は、もとより怪談話が数え切れないほど存在するものだ。
まして、ここはトップを狙う人間ばかりが集められた学校。
たぶん、本当にそういう事件もあったのかもしれないし、誰かを蹴落とし続ける輩ばかり集まっているのだから、他人に恨まれたり、恨んだりするのも日常茶飯事。
だからこの世に未練を残した生徒のユーレイが彷徨っててもおかしくないだろう。
まぁ実際、私はユーレイなんてモノは信じてないんだけど。
「………」
このまま真っ直ぐ廊下を進めば、特別教室の別棟にたどり着く。
そこには、さっきホリちゃんの偽怪談話の舞台となった、理科実験室もある。
なんとなく……なんとなくだけど、ほとんど踏み入れることのないそっちの棟は、不気味で近寄りがたい。
「気のせい、気のせい」
そう自分に言い聞かせること自体、馬鹿馬鹿しいと思ったけど。
いつもなら気の進まない教室へ向かう足が、今日は何かから逃げるように小走りになっていたのは自分でも否めない。
☆ ☆ ☆
『そのユーレイ、超イケメンだっていうから、会ってみたい気もするのよね』
なんて、保健室から去り際、手を振るホリちゃんが楽しそうに言ってた。
「だから……大丈夫」
何が、だっ!
自分で言ったことに、心の中でつっこんでみる。
そもそも、大丈夫とか、わけわかんない自分への励ましは必要ないはずだ。
根本的に心霊現象なんて信じないしっ。
「……だけど」
特授も終わり、太陽も西に大きく傾いている。
私の目の前に広がる薄暗い廊下も、西日に照らされて鮮やかに赤く染まっていた。
そうだ、まるで、血の海が広がってるみたいに。
「やだっ、思い出さない、信じない」
ぶるぶると首を横に振り、そっちに足を進める。
実は、似たような話を香奈や同じ補習を受けてるコからも聞いていた。
理科実験室に現れるユーレイ。
近寄ったものを手招きして、そのあとは……。
呪い殺されるとか、首を絞められるとか、結末は様々だ。
だけどもちろん、実際そんな目に遭ったっていう人の話しは聞かない。
きっと、夏休みももう終わっちゃうのがつまんないと思う、生徒たちの単なるウワサ話だ。
倉田先生から、生物準備室に新しい鉢植えが置いてあるからそれを温室に移して欲しいとノートに伝言が書かれていて、ご丁寧に準備室の鍵まで用意してあったので、私はそこへ向かってるのだけど。
タイミングがいいのかわるいのか、今日に限って待てども園芸部員となった北原も川島くんも現れなかった。
「よりによって、あんな話を聞いた後に」
ちょっとやけになって溜息、いや気合の息を吐く。
なんの因縁か巡り会わせか、生物準備室の隣が、あの理科実験室なのだ。
……なんて、ちょっと大袈裟だよね。
でも、いつもなら気にならないはずの自分の鼓動が身体を揺さぶる。
ホリちゃんの言った話の想像が、私の背筋を冷たくさせた。
「もう、さっさと済まして帰ろうっ」
傍から見れば、滑稽なほど大股な早歩きになって、私は生物準備室の前にたどり着き、ドアノブに鍵を差し込む。
そのとき、不意に隣の理科準備室のドアが開けられた。
「きゃぁーっ!!」
開いたドアから現れた人影に、張りつめていた緊張感が一気にはじけ飛んで、悲鳴を上げると同時に私の身体は大きく飛び跳ねた。
「あ、ごめんね。驚かしちゃった?」
思わずぎゅっと閉じてしまった目を開け見上げると、端正な顔立ちの男のヒトがそこに立っていた。
グレーのズボンに白のシャツは、この学校の制服だ。
「えっ、あ、や、いえ……大丈夫です」
「わかった、あの話でしょ、理科実験室に出るイケメンユーレイの話」
実験室から出てきた彼は、そう言って笑う。
どっかの誰かさんとは大違いな優しい笑顔に、私の緊張と衝撃も緩んでほっとした。
「大丈夫、俺、イケメンじゃないでしょ?」
ユーレイじゃないのは認めるけど、このひと、カッコイイと思う。
背も高いし、日に焼けた肌に、短い髪も良く似合ってる。
何より笑うと目がなくなっちゃうところは、憧れの倉田先生に似ていて、私は好きだ。
「けど、その噂の原因は俺かもしれないな」
ドアが開かれたままの理科実験室を振り返り、悲しそうな瞳でその先を見つめる。
「話、聞いてくれる?」
淋しげな苦笑を向けられ、そんなことを頼まれたら、拒否なんてできない。
私は頷き、一旦ドアノブから鍵を外すと、彼のほうへと近づいた。