賢いイソギンチャク
蜂蜜カフェオレとミルフィーユが目の前に置かれ、店員が礼をして去っていった。ぼーっとミルフィーユの層を眺めながら、一学期の夏を思い出す。
中三の夏休み前、一学期の期末考査であなたの頭がいいということを知った。
「あなたに追いつくためにわたしが努力したことなんて、一ミリも知らないでしょ。」
と一人で不貞腐れてみたりもしたけれど、何度思ってもあなたがわたしの気持ちも努力も知らないという事実は変わらないんだから、現実は怖いものだ。
つーちゃんとあなたは小学校から同じで、塾も同じで、2人とも頭がよかったからよく喋っていた。わたしはつーちゃんの後ろから楽しそうなあなたを見つめることしかできなくて、かわいそうだった。自分で言うなとは思うけれど、誰も言ってくれないんだから仕方がない。つーちゃんは学年で有名なくらい賢い女の子で、ピアノも勉強も運動もできるスーパー中学生だった。(ちなみに、つーちゃんの魅力はこういった能力じゃなくて、すごく賢くてしっかり者なのに、ときどき抜けているところだ。)だからわたしは、なおさらつーちゃんとあなたが難しい数学や歴史の話をしているのを見ているしかなかった。
廊下であなたとすれ違ったことがあった。あなたはわたしのことなんか見えてないみたいな顔をして、すぐに通りすぎて行ったけど、わたしはあのときのことを水族館の水槽の中のイソギンチャクみたいにカラフルに、鮮やかに覚えていた。でもわたしはイソギンチャクみたいに柔軟ではなくて、鮮やかでも華やかでもなくて残念な子だったけれど。
ふっとすれ違った瞬間、嗅いだことなようないい香りがして振り返った。給食を準備している時間帯で水道が混んでいたけれど、それを嬉しく思ったのはそれが最初で最後だった。わたしはあなたになんの柔軟剤を使っているのか聞けるほど仲良くなかったから、すごく頑張って、ドラッグストアとかの柔軟剤エリアでその匂いを探し回った。
「流石にないかなあ、そんなに鼻がいいわけでもないし。」
なんて思ってたら本当に見つかっちゃうからすごいびっくりした。それから何年か経ったけど、相変わらずわたしはその柔軟剤を手放せずにいる。嗅ぐと無性に涙が出そうで、でも出なくて。小さい頃、力加減がわからなくて、オレンジジュースをコップいっぱいに注いだときみたいな感じになる。わたしは正直、自分を表面張力を起こす天才だと思っている。まだ人に言ったことはないけれど。
思い出していたら泣きそうになってきたのであわてて外から机上に目を戻す。そこにはなみなみに注がれたカフェオレがあった。
一口飲むと、冷めかけていてぬるかった。




