バレン伯夫人の昔話②
「こんな場所に彼女を置いてはおけない。とパーシーは申しました。
こんな場所?お二人の不幸は本当に私の愛するこの地の所為なのかしら?
ぼんやりと思いました」
オーレリア夫人は昔話を再開し、無言で夫人を見ていたルーファスは重ねたグレイスの手をそっと握り返した。
パーシーは日を置かずにヴィクトリアだけを連れて王都に戻って行った。
赤児は出来るだけ早く何らかの手配をするからとオーレリアの手に残され、当時まだ健在だった前バレン伯爵夫妻が近隣に住む乳の出る女に金をやって日に何回か乳を貰いに赤児を抱いた女中を向かわせてくれた。
オーレリアは暫く魂が抜けたように過ごしていたから、一人ではきっと何も出来無いでいただろう。
そのうちに小綺麗な装いの老いた男が乳母だと云う女を連れて赤児を迎えに来た。
「ラッセル侯爵様のご指示で来たと言っておりましたのできっと退かれた
前侯爵様のもとに連れて行くのだろうと思いましたが⋯
私が口出し出来る事ではございません⋯。」
オーレリアはどうか幸多かれと祈る気持ちで赤児を見送ったのだ。
オーレリアもそのうち、少しづつ気力を取り戻し王都のバレン邸に戻った。
邸にはパーシーの姿は無く留守を守っていた使用人に聞くと、旦那様は先週に一度だけ戻られて身の回りの物だけ持って直ぐに出られたきりだと言う。
パーシーは侯爵邸に行きっきりなのかと思い、仕方無く明日尋ねる事にしてその日は休んだ。
翌日訪えば出迎えた執事が取付いでくれたが、あれほど豪奢だった筈の邸の中は人も少なくなって何となく寂しい様子であった。
パーシーは直ぐに出て来て赤児の事は手筈どうりに行ったかと聞いた。
オーレリアが頷くと軽く溜息の様な息を吐いたあと自分が侯爵家の後見を務める事になったと言った。
オーレリアはそれはまあ順当な仕切であろうと思ったが、後継の赤児を放り出しておいて何が後見なんだろうとも思った。
そのあとパーシーが言った事にオーレリアは大層驚いた。
「なんと、ヴィクトリア様がご懐妊なさっておいでだと申すのです。それで湖での衝撃でか王都に着いた途端、流産しかけられたと。自分はそれ故バレン邸に戻る事が出来なかったと申しては⋯おりましたわ」
今は何とか落ちついていて四ヶ月目なのだという。
ヴィクトリアは自分の体調の変化に気が付いてはいたが何となくフレドリクに言いそびれている内にあんな事になってしまった。
自分の子の誕生も知らず逝かせてしまったとヴィクトリアが
嘆き続けているので、いつ帰れるか分からないと言った。
言葉通りパーシーは殆ど帰って来ず、かといって尋ねるのももう億劫であった。
オーレリアが未亡人になった気分を味わっているうち時は過ぎ月は満ち、王都が雪に埋もれた寒い朝に無事ヴィクトリアは男児を生んだ。ライアンである。
ライアンが無事生まれたと云う知らせを受け取ってからますます、と云うより全くパーシーはバレン邸に姿を見せなくなった。
オーレリアは事情を理解はしていた。
前にラッセル邸を訪問した時の何となく寂れた感じは気の所為ではなく本当に侯爵家は火の車のようだった。
フレドリクは美男で愛に一途な男だったが事業の才は無かったようだ。
前侯爵が引退して以来幾度か投資に失敗して財を擦り減らし、その上
病みがちな前侯爵や領地を訪れる事も無く経営も丸投げであった現侯爵の目が無いのをいい事に代官が好き勝手財政を弄って破綻させる不始末を犯した。
ヴィクトリアの実家、スペンサー家の援助を頼り体面を保つので
今は精一杯の状態なのだ。
パーシーは無能な男では無いが借金返済のやり繰りだけで限界なのだろう。
バレン家の事は全く省みない。
今は領地の前バレン伯爵が運営しているがいつまで出来るかは分からない。
オーレリアは前伯爵が晩年になってやっともうけた一人子だ。もう年なのだ。
このままだとバレン家の方が傾いてしまいかねない。
「思い詰めた私はパーシーに文を出し離縁を申し出ました。領地への不安と⋯これはお若いかた達にお聞かせするお話でもございませんが後継の事でございます。
このままでは私に子は望めません。」
グレイスもルーファスも黙って頷いた。後継は何よりも大きな問題であり軽い話では済まされない。
その事は幼い頃から貴族社会に馴染んで育ったグレイスには当たり前の事でルーファスとて貴族の子である限りその常識に違和感はない。
「こんな事なら領地の縁戚からでも新たに婿を取り直した方が有効でございましょう?」その通りだ。
パーシーからは直ぐに文が返って来た。侯爵邸への訪問依頼だった。
オーレリアはこんな時でも帰っては来ないのかと失望を深めながらも再び訪問の途についた。
はたして、侯爵邸で待っていたのはヴィクトリアであった。パーシーの姿は無い。
「私、あなたの気持ちは痛い程良くわかるわ。とヴィクトリア様はおっしゃいました。意味がわからず戸惑っていると、私も帰って来ない夫を憎みましたわ。虚しくそして惨めに待つ日々を過ごして参りましたもの。だから憐れなあなたにパーシーを返して差し上げるわ。ただし半分だけですわよ。と申されるのです。私、驚いてしまって⋯」
この方は何をおっしゃっているの?
オーレリアは自分の心臓がひとつ大きく跳ねた気がした。
この話の通りであればやはりヴィクトリアはフレドリクの愛を乞うていて
クラリスに嫉妬していた事になるではないか。
嫉妬があったのであれば自分の見たあのボートの光景は⋯
オーレリアは自分がパーシーに離縁を願った理由を曲解された事より、ヴィクトリアのその恋情に気付いてしまった事の方が衝撃だった。
動転したオーレリアは挨拶もそこそこに侯爵邸を去ったのだが、その夜にパーシーが帰って来た。
帰って来てひたすらオーレリアの許しを請うた。
虚しい気持ちで、ああ⋯この方は私と離縁となれば爵位を失うのだったわ
と思った。
この方は最初からヴィクトリア様だけを愛していたのかも知れないとも思った。
それからはヴィクトリアの話し通りパーシーは週の半分をバレン邸で過ごすようになった。望みだったバレン領経営の方は相変らず顧みなかったがオーレリアにはもう何を言う気力も起きなかった。
淡々と日々を過ごしていたオーレリアだったが何と幸運な事に一年を待たずに身籠る事が出来た。
悪阻を理由にして一人バレン領に帰り、そしてそのまま男児を出産した。
オーレリアは出産して三年程領地で過ごしたが、その頃孫の顔を見て安心したかのように前バレン伯爵夫妻が相次いで亡くなった。
一時は泣き暮らしていたオーレリアだったが一年余り過ぎた頃、息子を連れて王都に戻って来た。王都で女でも引き受けてくれる家庭教師を見つけ自分で経営を学ぶつもりでいた。
「夫には頼れないし頼りたくもなかったので五年近く何の連絡もしておりませんでした。ええ息子が生まれた事さえも。
勿論パーシーからも何の便りもなかったですわ。
私が去った後パーシーはすぐに侯爵邸に戻りずっとヴィクトリア様と御一緒のようでしたから。
関わるのは億劫でした。でも王都に居る限り何処かで出くわすかも知れないし人の口さにものぼるでしょう。
挨拶くらいは、と仕方無く何年振りかで侯爵邸を尋ねましたの。
それがルーファス⋯先に話した、あなたを見つけたあの日ですわ⋯」
あの日は、前振れを出していたにも関わらずパーシーは留守だと言われヴィクトリアと面会する事になった。
侯爵邸の応接間に通されて待つ間、何となく息苦しさを覚えて窓を開けようと窓辺に寄って偶然見つけた外に居る子。
ヴィクトリアが入って来たので窓辺を離れ相対したが思考は外の子から離れない。
そう言えば前ラッセル侯爵夫妻も領で四、五年前に流行った悪い風邪に罹って亡くなったと聞いた。
聞いたその時連れて行かれたルーファスの安否と行末を気にした。
乳飲子を抱えていたから余計ルーファスの姿と重なって気が沈んだのだった。
あの外にいた子は⋯あの頃ここに引き取られていたのなら?
あの子はルーファス!?
「その日はあなたを見つけたのにお菓子を渡す以外何も出来ず半ば呆然と邸に帰ったのですがその翌週に文が届きました。パーシーからでした。
ヴィクトリアに聞いた。子が無事生まれたなら父親の権利として是非一度面会したいから侯爵邸に連れて来るようにと、あらかたそんな内容でした」
オーレリアはルーファスを見つけていなかったならその文に腹を立てただろう。
義務を果たしても居ない者の権利とは?それに何故呼びつけるのだろう?会いたければ来ればいいだろうに。そう思ったに違いない。
だが気になる事の方が大きすぎる。
もう一度会って様子を見たい、出来るならパーシーに事情を聞きたい、出来るものならルーファスを守りたい。
そんな思いでさっそく翌日には息子を連れて侯爵邸を再び訪ねた。
パーシーは想像したよりずっと父親の顔を見せうっすら涙ぐみさえして息子を抱き上げていたがオーレリアはそれより窓の外ばかり気にしていた。
今日はまだルーファスの姿が見えない。
パーシーから何か探れないだろうか。
そう思っていたところへヴィクトリアが子を伴って入って来た。
息子のライアンだと紹介された姿にヴィクトリアに顔立ちが良く似た子だと思った。
そう言えば私の息子の顔立ちは私に似ているし。そうだルーファスはクラリスに良く似ている。そういえば男の子は母親に似ると良く聞く。
そう思いかけてオーレリアは気が付いた。ライアンが横にいるヴィクトリアを見上げたのだ。耳の形が目に入った。
特徴的な耳、上部がほんの少し尖って見えるエルフ耳と言われる特徴。
私の息子も同じ耳、良くみれば手の形や身体付きも息子と良く似ている。
でも従兄弟なのだ似ていても不思議は無い。
ではルーファスは?ルーファスだって従兄弟だ。
ルーファスには息子と似た所など無い。
母親違いとはいえルーファスとライアンは兄弟のはず、息子はただの従兄弟。
でもこれはまるでライアンと息子が兄弟のようではないか。
オーレリアは確信に似た気持ちでパーシーを見た。
パーシーのその少し尖った耳を。
黙って聞いていたルーファスもグレイスもその事実に驚愕を覚えて目を見開いた。
ルーファスの手は少し汗ばみグレイスの手をしっかりと握り返した。
「ルーファス⋯私は成長したライアンの姿は知りません。
今はあなたと少しは似ている?」
沈黙するルーファスにグレイスは答えた「似て⋯いません。何から何まで。目の色がブルーなのだけは同じですが深さが違います。暖かさがまるで違いますわ」
「あら⋯まあ、そうですの?ルーファス、今はお幸せなのね⋯本当に素敵な方を見つけて。私も⋯救われる思いですわ。」
夫人は微笑み少し誂うように二人を見た後また話を続けた。
「私、その時はもう全く誰の話も耳に入らない状態で頭の中のパズルが次から次へ嵌るようにいろんな疑惑が浮かんで来てまた浮かんで⋯ええ、まるで目眩でも起こしているようでした。で、ふとヴィクトリア様の目に気が付いたんですのよ」
パーシーが息子に何か話し掛けて膝に抱いた。
それを微笑を浮かべて見るヴィクトリア。その目。
「恐ろしかったのです。口は笑顔の形でしたが目が虚ろな空洞のようで⋯表現出来ません、ただ恐ろしいとしか。その目が見ているのです。息子を⋯私の息子を。
逃げたい!逃げなければ。もうそれ意外考えられなくなって⋯」
オーレリアは息子を抱きかかえる様にしてパーシーから奪い返し、唐突に辞意を口にした。
パーシーは驚いたようだったがヴィクトリアは薄く笑っているように見えた。
全てを無視して息子の手を取り走るように玄関ポーチを抜けた時、ふとルーファスの痩せた幼い姿が頭に浮かんだ。
待たせていた馬車に転がるように乗り込み通用門の近くまで急がせると息子を馬車に置いて中を伺った。
その時も使用人は少なく庭師も居ない庭でなんとか誰にも見咎められる事無く門を潜れた。
「小屋が見えたのです。それで、もしやと思ってノックをしたらあなたが出て来たの⋯」夫人はルーファスを見た。
「その時なのですね、僕に金銭を置いていって頂いた⋯」
「ええ⋯ですが。私はその日のうち荷を纏めさせ翌日には息子を連れ王都を逃げだしました。ただ、ただ息子を守りたかっただけの愚かな母親だったのです⋯お分かりでしょう?私は何もしなかった。ただ恐ろしくて逃げ出しただけなのよ。
許してルーファス⋯」
薄く涙を滲ませ顔を伺うように見上げる夫人にルーファスは
「いいえ。それでも僕は救われました。あの時僕を、僕の存在を赦してくれた人はあなただけだったんですから。⋯感謝いたします」眉を下げて少し微笑んだ。




