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廃嫡

新学期が始まった。

教室に入ってゆくと皆の視線が瞬間集まりすぐに散った。

あからさまな視線は向けられなくても婚約を解消()()()令嬢に対する同情と少しの侮りを感じてグレイスは相変らずだとうんざりした、久しくこの空気を忘れていたのだ。

冬季休暇の間はいろいろあったけれどルーファスと一緒にいられたので幸せだったのだなと思っていたら「ご機嫌よう。グレイス」明るい声がした「バーバラ。お元気だったかしら?」

バーバラは休暇中婚約者の領地に居たので報告の文を送った。ルーファスの事は書けなかったから代わりに婚約解消の歓びを書き送っておいたグレイスなのだ。

「良かったわ!グレイス()()な婚約解消が出来て一安心ね。おめでとう!」皆に聞こえる大きさの声で言ってくれた。本当にこの娘大好きだわ!と思いながらグレイスは「どうもありがとう」と答えた。

ライアンと取巻き令嬢の顔は見たくないので敢えて視線は向けないでおいた。

昼休み、久し振りにグレイスはバーバラとレストランへ向かった。

ルーファスはラッセル家の件の片が付くまで姿を現せないので学園へは来ていない、今後の見通しが立たないのは困り物だが今は仕方が無かった。

レストランに入るとアリスがトーマスと共にいて「お姉様⋯」と小さく手を挙げてグレイスを呼んだ。「実は(ふみ)⋯?みたいな物を渡されて」

ライアンとの接触を避ける為アリスは新学期から受ける講義をトーマスと合せてずっと共に行動していた。この事もありアリスはトーマスとの婚約を周知させてからは安堵した様子で登校にも抵抗が無くなった矢先なのだ。

「午前中の講義終わりに教室を出ようとしたら知らない令嬢から押し付けられたんです」トーマスが一枚の紙片を開いて言った。

「令嬢は逃げるように去って行かれて止めようがなかったのですがライアン殿から⋯の様です」令嬢は取巻きの一人でもあろうか。

紙片には〈今は近付けないが、必ず君を救うから待っていてR〉とあった。

バーバラが「え?何これ、どこかの騎士様からですの?」

と言ったので皆の緊張が少し緩んだ。

グレイスは「この事はお父様に報告して対処して頂きましょう。トーマス貴方の方からお父様に、お願いね」と言ってアリスを見、安心させるように頷いた。

ライアンは自分が欲したら必ず相手は喜ぶはずだと思っている。不快だが悪いのはライアンではなく彼の環境だとルーファスを知った今、理解(わか)って来ていた。

自己肯定感の異常に高いライアンと低いルーファス。

グレイスは自分のありったけを注いでも愛しいルーファスを支えたいのだ。

その日の帰りの馬車でアリスが思い出した様に「バーバラ様はまだお義兄様を御存知ないので昼休みは話題にしなかったのですが、レストランの壁の肖像画の令嬢にお義兄様って似てらっしゃるわ」と言った。

アリスはルーファスの母親の事情は知らない。顔を隠すのは恥しがり屋だからだと思っているふしがある。

「トーマス様とそう話していたの、お姉様はお気付きにならなかった?」

「⋯そうね、そうかも知れないわ。造形は美しければ似て来るものなのかしらね」グレイスは誤魔化すつもりで言った。

「お惚気ですの?お姉様ったら。本当に面食いでらっしゃるのね」

アリスは面白そうに誂ってきた。

アリスの気が逸れてからふと思う。

あの肖像画の令嬢とルーファス、確かに似てはいるが印象がかなり違う。性別の違いもあるが何か、似て非なるものの様な⋯例えるなら黒真珠とオニキス⋯?

わたくしは彼と絵を重ねる事が無かった。本当に彼の母親がモデルなのかしら⋯。

(やしき)へ戻るとルーファスがいつもより弾んだ声で報告してくれた。

「私書箱に返信があった。サイン済みの契約書と相続権放棄の書類だ。

サインして侯爵家に送れば後は王宮の認証だけだ」「では⋯」

「ああ。後少しで自由になるし学園へも通える」

一緒に居たアリスが「でしたらもうすぐ三人での登校になりますわ。嬉しいですわねお姉様、ふふっ!」と、誂ったのでルーファスは微妙な顔で軽く固まった。

私の妹ときたら昼は(ふみ)の事で悲壮な顔をしていたくせに⋯気に病む質なのか楽観的なのかよく分からないわ、とグレイスはいつもの事をまた思った。


それから数日後の教室。

参考書を開いていると「グレイス!」物凄く久しぶりにライアンの声が聞こえるような気がするけどきっと気の所為だわ。

物凄く久しぶりに現実逃避しようとしたグレイスに容赦なく

「グレイス先程の態度の説明をして欲しい」また聞こえた。

仕方無く振り返るとライアンと取巻き令嬢が二人居た。

「私の名の呼び捨てはもうお控え下さい。ラッセル侯爵令息様⋯先程の態度とは?」物凄く低い声が出た。「⋯バートン伯爵令嬢。⋯僕をアリスと引き離そうとした態度の事だ」物凄く不機嫌そうだ。

そういえば今朝、馬車から降りた時ラッセル家の馬車が後方に見えたので

アリスが急いで待っていたトーマスの背に隠れていた。

その事かしら、と思いながらグレイスは答えた。

「私の妹の名も呼び捨てはお控え下さい。⋯おっしゃる意味が分かりませんわ」

「とぼけなくとも良いよ。君は妹をいつもあの野蛮人に見張らせて僕に近づくのを邪魔させている婚約も無理矢理なのだろう。君が妹に嫉妬している所為なのか?」何の夢物語のお話をされているのかしら。

「グレイス様。私達もライアン様に憧れていますから婚約解消がお辛かったのも理解(わか)りますわ。でも愛し合うお二人の事を思うとお可哀そうで⋯」

「そうですわ。ですからお二人の仲を許して差し上げて下さいませ」

この、ご令嬢達の意図が理解(わか)らない。

自分が優しい振りでライアンの次の婚約者を狙ってらっしゃる?それとも愛人?だとしてもこの場では部外者なのでは⋯?などと考えながらグレイスは暫し無言でライアンと取巻き令嬢を眺めてから席を立って言った。

「申し訳ございませんが、あなた方とのお話は致しかねます」

“馬鹿馬鹿しすぎて頭が痛くなるから”とまでの言葉は我慢した。

グレイスはむしろライアンが心配にすらなった。

どうすればライアンの思い込みが無くなるのだろう。いっそアリスに直接断らせる?いや、逆に無理矢理言わせたと突っかかられるかも。

⋯これもお父様に報告案件だわ。

「君はもう少しアリスに対して優しさを持つべきだ」

と言い捨ててライアンは踵を返した。取巻きを引き連れて。


「君はもうライアンには一切関わるな」

次の休日、時間が空いた伯爵に先日の馬鹿馬鹿しい会話を打ち明けている

グレイスに側に立ったルーファスが言った。

「そうおっしゃられても話かけられれば致し方ございませんし」

見上げるグレイスに「無視すればいい」不機嫌に言った。

「そんな事をすれば余計変に勘繰られてしまいますわ、あの方は自意識が⋯」

まあまあ、と伯爵が笑いながら言った。

「グレイス、そう言い返さずルーファスの嫉妬くらい見逃してやりなさい」

「し⋯⋯?」「⋯義父上」

じわじわと赤くなっていく二人を眺めながら伯爵は

「学園に戻ったらルーファス、君がグレイスを守れるだろ?今暫くの辛抱だ」

と鷹揚に笑った。

私書箱に侯爵家からの文書

〝王宮から廃嫡の認可が降りたので次男を嫡男とする。

侯爵家の長男の相続権等は一切抹消された〟

旨が記された絶縁状が届いたのはその翌週だった。

それを見たバートン伯爵は翌朝、取る物も取敢えず王宮へ向かった。

王国からの婿養子の認可状を取る為である。

早朝に出掛けた伯爵が帰邸したのは深夜に近かったが待ち受けていた家族に向ける顔は疲れを隠せずにはいたがそれでも明るかった。

そして不安を滲ませるルーファスを思わず抱き締めてから言った。

「勝ち取ったぞ!」得意満面である。

伯爵が覚悟の上で始めた仕掛けではあったが貴族家から廃嫡された者を婿に願うのはやはり困難を極める作業であった。

渋面を向ける審査官に由緒ある王立学園の在籍簿を提示し何等不始末は無く、

事情による()()()()退()()()した上での廃嫡である旨を大きく強調して

申請したが二度の差し戻しを受けた。

粘り強く上申し最期は上納金の大幅な上乗せで押し切ったのである。

申し訳なげに口を開こうとしたルーファスを黙らせるように抱き寄せ

「明日は教会に行って来る。君を迎える事は法外の喜びだよ」

と軽く背中を叩いた。

本来なら数日を要する作業を審査官を威し透かしして袖の下さえチラつかせ

金と権力という力技で根負けさせた末、たった一日で成し遂げたのである。

担当した審査官は暫くはバートン伯爵の顔を見るのも嫌だろう。

「義父上!」見る見る涙を溢れさせ言葉の出ないルーファスを見て、

最近のルーファス様は泣いてばかりだけれど仕方の無い事だわとグレイスも

涙が流れるのを止める事が出来なかった。

伯爵夫人とアリスもそれぞれもらい泣きの喜びの涙でグレイスを抱き寄せた。


バートン伯爵は有言実行の人だった。

翌日の午前中に教会の手続きを済ませ、午後には学園での雑多な諸変更を全て

熟し終わり満面の笑顔で再び抱き締めたのだ。

「さあルーファス正式な我が婿よ!これで明日から安心して学園へ行ける」

もっともその翌日は疲れ果てたのか仕事も放ったらかしで夕方まで起きて来なかったのだが。伯爵の明日から学園へ行ける、の言葉を裏切ってその明日は週末だったので学園は休日だ。夕方起きて来た伯爵の慰労とルーファスの婿入を祝って家族でいつもより少し豪華な晩餐を楽しむ事にした。

食事を終わりサロンに移動したのだが、気を利かせたマーガレット夫人が残念そうな夫の腕を取りアリスと共に早目に引き上げてくれた。

二人になってからルーファスがベストの腰ポケットから大事そうに取りだしたのは小さな深い緑色のガーネットを一粒飾ったネックレスだった。

「君に⋯。その、僕達は今日から夫婦だろ?今は書類上だけだから指輪は早いと思ったんだ。けど君に何か贈りたくて義母上に頼んで一緒に見立てて貰ったんだ」

マーガレット夫人に相談したら宝石商を呼んて選ぶのも手伝ってくれたという。

「これは雑貨商を辞めた時最後に貰った給金で買った。高価な物ではないけど伯爵家の援助金からじゃないんだ」両手で捧げるように差し出した。

グレイスは歓びが込み上げて来て「付けて下さる?」と頼んだ。

頬を染め声が少し震えた。

後に回り緊張した手付きで首にネックレスを掛けたルーファスは

留金を留めたあとグレイスの肩を抱いて振り向かせ

「よく似合うよ。これにして良かった。君の瞳と同じ色」と頬に軽く口吻けた。

「ありがとうルーファス様、大切に致しますわ」

涙ぐんで顔を見上げたグレイスにルーファスも幸せそうに頷いた。

穏やかな雰囲気にグレイスは予てからの思いを切り出す事にして口を開いた

「ルーファス様。私お願いがございますの」

「うん?」ルーファスは首を傾げ顔を見つめた。

すると突然、軽く握った拳を口にあて堪えきれない様に笑い出した。

きょとんとするグレイスに「ごめん、すまない。す、少し思い出して、君、君が脅迫や命令する時っていつも、もの凄く可愛いんだな⋯って思って」

「?な、何ですの。私、脅迫なんて⋯お願いと申し上げたんですのよ」

心外そうな言葉に「だって以前、図書室で脅迫とっ、命令をされた時と同じ顔つきでっ⋯言うから⋯⋯可愛いくて」

笑いが止まらないルーファスに呆れたグレイスは口を閉じた。

しばらく笑い続ける彼を見て憮然としたような表情をしなからも、しかし内心では明るく笑うルーファスの姿を見る事の幸福を噛み締めていた。

「僕は君の為だったら脅迫も命令もお願いも何だって全力で叶えるから」

少しあと、笑いの収まったルーファスは真剣な目をして言った。

「だって、僕は君のものなんだから」

重い。なんて重い言葉だろう、グレイスは目をみはる。

だがその重さを歓んで軽々と担げる自分を感じたグレイスは

「では必ず叶えて下さいませ」と笑った。

レストランの絵が気にする程には似ていないと思うと話し、

もう侯爵家の思惑も気にする必要などなくなったから⋯と話した。

「もう顔をお隠しにならないでルーファス様。自分に自信を持って背を伸ばして堂々と学園にお戻り下さい。あなたは(わたくし)にとって素敵な自慢の殿方ですわ」

ルーファスはグレイスを少し見つめてから「分かった」ひとつ頷いた後

「君の自慢の男になる為に頑張るよ。だから君も僕の名を()を付けず呼び捨てにして欲しい」ときれいな笑顔で言った。

「⋯ルーファス」呼び捨てたグレイスにルーファスが静かに口付けを落とした。


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