第七十話 多聞山城棟上
教興寺の戦いののち、松永久秀は軍を維持したまま、大和国へと侵攻した。
天下分け目の決戦で勝利した三好氏の前に、大和の国人は軒並みその旗色を改め、恭順の意志を示した。
筒井氏とともに最大の抵抗勢力を形成していた十市遠勝が久秀に降り、自らの娘、お鍋を松永久通へと輿入れさせたことにより、大和計略は完結を見る。
頑強な抵抗を続けていた筒井順慶や島左近も、大勢には抗えず、ひとまず矛を収めることとなった。
ついに三好氏は、五畿内ことごとくをその領土に収めたのである。
「父上、多聞山城の棟上げ、予定通り執行できまする」
久通がそう告げると、久秀は胸を撫で下ろすように言った。
「これで長慶にも、よい報告ができるな」
永禄五年(1562)八月。
久秀は大和の群衆を多聞山城下に集め、盛大な上棟式を執り行ったが、その様子は特異なものであった。棟上げを行う建造物そのものが、途方もなく大きかったのである。
すでに柱と梁の基礎構造が完成したその建物は、地上四階層に分かれる高層建築であり、通常見られる櫓よりもはるかに高く、天を衝くようにそびえ立っていた。
人々はその奇っ怪な城を見上げ、驚嘆する。
群衆中、ひとりの男がこう呟いた。
「魂消たのう。世は変わるもんや」
世が変わる。
城を眺める人々の抱いた思いはそれぞれであったが、誰もがそのことを感じずにはおれなかった。
上棟式も終わり、日が暮れてから、密かに城を訪れた一団があった。
その集団の中心に、塗輿がある。将軍義輝により、限られた大名だけがその使用を許される、権威の象徴である。
その塗輿を、久秀が迎える。
輿を降りて現れたのは、今や天下の覇者となった男、三好長慶であった。
「来てくれるとは思わなかった」
「来るさ。お前に生涯の傑作と言われてはな」
夜の闇の中、二人は棟上げの終わった四階櫓の木組みを登る。
上棟式のために設えられた階段は、簡素なものであったが強く、堅く、少しの揺らぎも感じさせない。
その階段を登りながら、長慶が言う。
「山城の中に立つ四階櫓か。まるで天へと登る階のようじゃ。天下の奇想じゃな」
その口調が、二人だけのときのものに戻っていた。
久秀は照れたように応える。
「おれの独創ではない。かつて摂津で、小さいものだが四階層の櫓がある城を見た。その櫓の下には自然と市が立ってな」
「珍しき建物のもとには人が集まる。人が集まれば市が立つ。道理であるな」
長慶の言葉にうなずき、久秀は言葉を繋ぐ。
「大和は統治の難しい土地だ。興福寺と春日大社の権威が圧倒的に強く、民も武家を寺社の下に見る。それを変えるには、象徴が必要なんだ。誰の目にも見える、新しき象徴が」
「戦のための城でなく、統治のための城か」
そして二人は櫓の究頂に立つ。
大和の街々は無論のこと、夜の闇に遠く、堺の街の灯までが浮かんで見えた。
空には満天の星が煌めいていた。
「天守、と名付けた」
「天守、か。よい名だ。なるほど、飯盛城にも同じものを築くつもりか?」
名付けから、長慶はすでに久秀の狙いまで読み取ったようであった。
久秀は情熱を込めて言う。
「この天守は四層だが、条件が揃えば九層までの設計が可能だ。九重天守、天下の守護を担う者の城にふさわしいだろう」
長慶はしばし沈黙し、それから、静かに言った。
「久秀、わしはお前の才が存分に開かれたことを、何よりうれしく思う。じゃが、その城はわしではなく、義興のために建ててやってくれ」
言われて、久秀は長慶の顔を見つめる。
三十年来の主従である。長慶の声は悲壮でも苦しげでもなかったが、その言葉が戯れの類ではないことを、久秀はすぐに理解した。
「長慶、まさか、お前」
「心の臓の病らしい。保って、あと二年の命だそうじゃ」
久秀はしばし言葉を失い、それから、震える声で言った。
「こ、ここまで来て……ここで死ぬやつがあるかよ」
長慶は笑う。
「はは、そう、ここまで来た。こんな途方もないところまで来てしまった。天下の何物たるかも知らず、無邪気に志を語っていた頃が懐かしい」
星空を見つめながら、不意に、長慶は胸を押さえた。
平静を装っているものの、額に玉の汗が浮かんでいた。
酷暑の歌会でも涼し気な顔をして、汗一つかかなかったこの男が。
「長慶、すぐに降りよう。こんなところまで呼んで、すまなかった」
久秀がそう言って肩に触れると、長慶は首を振って言う。
「いい夜じゃ。もう少しだけ、星を見よう。いつか言ったじゃろう、天下を取ったところで、お前が隣にいなくては、取り甲斐がないと」
久秀の目に、涙が溢れた。
滂沱として止めることのできない涙の中で、久秀は答える。
「ああ、いい夜だ。本当に」
二人の男が、天を眺める。
天はこの一時、間違いなくこの二人のものであった。




