第六十七話 教興寺の戦い その4 飯盛城包囲
その日、細川藤孝は吐き気を覚えるほどの緊張により、歌作にまるで集中することができなかった。
三好家の本拠・飯盛城で、三好長慶の主催する歌会に、幕府奉公衆の一人として藤孝もこれに参加していたのである。
藤孝は後に三条西実枝より古今伝授を受けるほどの教養人であったが、このころまだ齢二十八の若者である。
一方、長慶は宗祇の流れである宗養と深く交流し、その教えを受け、すでに連歌界で名声を集めている。
これと比べれば、藤孝はまだ歌の道において未熟といえた。
ただでさえ心を張らねばならぬ場なのである。
加えて、このとき三好家は誰が見ても窮地にあった。
京に六角承禎が進出し、畠山高政は堺のすぐ手前まで兵を進めている。
さらに飯盛城の目と鼻の先、三箇城が河内国人の奇襲を受け、落城した。
長慶は目前に敵を抱え、実休や義興の援軍に向かうどころか、飯盛城を離れることが出来ない状況なのである。
いつこの飯盛山城にも敵兵が押し寄せてくるかわからない。
その状況が、藤孝の緊張を一層高めた。
藤孝の動揺ぶりを見て、奉公衆の重鎮、飯尾為清はあえて明るく声をかけた。
「見よ、修理殿(長慶)のあの落ち着きを。泉州はともかく、ここ摂津はまだまだ安泰よ」
藤孝はこれに精一杯の笑顔で応じたが、とてもその言葉を真に受けることはできなかった。
むしろ、今このとき将軍が三好家を見捨てて六角氏につけば、たちまち京の戦線は崩壊し、三好政権そのものが瓦解するという局面なのである。
だからこそ長慶は、内外に幕府との友好を喧伝すべく、奉公衆を本拠に呼び寄せ、歌会を行っている。
ここで長慶が泰然としているのは、もはや義務と言えた。
それでも連歌は進んでいく。
折しも、歌想が湿地の冬へと移っていた。
蘆間にまじる すすき一村
黒々とした荒涼たる湿地に、白い薄が一群混じっている、寂莫とした水墨画のような句である。
この句が出て、次を長慶が受ける、その時。
長慶の新世代側近である鳥養貞長が、顔面蒼白で部屋に入って来た。
貞長は青い顔のまま、長慶に何事かを告げる。
誰がどう見ても、ただ事でない報告である。
十中八九、京か和泉の敗報であろう。
長慶はいつもの通り、伸ばした背筋を少しも崩さず、音も立てずに扇子を置き、苦吟する様子も無く句を書きつけると、朗々たる声で詠んだ。
古沼の 浅き方より野となりて
歌の情景が変わった。
次々と季節が変化していくのが連歌の常であり面白みであるが、この転調はことに鮮やかであった。
先程の白と黒の水墨画の世界から、一転、草花が萌芽する色鮮やかな春の野が現れ出たのである。
藤孝は思わず感嘆の声を漏らした。
長慶は続けて言う。
「物外軒実休、久米田の地にて討たれ卒わんぬれば、本日の歌会はこれまで。各方、京まで護衛お付けいたす」
衝撃の報せであった。
先程の句の余韻が無ければ、場は凍りついていたであろう。
しかし今、これほどの敗報を耳にしてさえ、藤孝は思う。
――三好長慶は、おそらく勝つ。
根拠があるわけではない。ただ、この長慶が負けるところが思い浮かばない。
藤孝が長慶に抱いた畏怖に似た感覚は、彼だけのものではなかった。
この苦境にあって、なお長慶の敗北を想像できないと思う者たちが、畿内にはまだ数多くいたのである。
一方、畠山高政と安見宗房は久米田での大勝を「天下の御勝」としてさかんに喧伝した。
これは六角氏への牽制であると同時に、三好氏に恭順している国人たちを分断し、糾合して一気に勝勢へと持ち込まんとする策である。
これを受けて義興は、石成友通を護衛としてその兵とともに将軍義輝に預け、石清水八幡宮まで退避するよう願い出た。
将軍に、再び京を捨てて逃げよという申し出である。
意外にも義輝はこれを素直に受け容れ、洛中を去る。
京を捨ててまで、敗勢にある三好家を依然支持する構えを見せたのである。
禁中の女官たちはその義輝の様子を「みよしと御ひとつ」と表現し、日記に書き記している。
同時に、松永久秀は大和の国人たちに書状を発する。
この書状は「当国之儀、よわもの共、敵へ城を渡し候共、我等罷り越し候て、則時に相果たすべき候間、御心安かるべく候」という、どう読んでも虚勢としか読めないものであったが、それでも久秀にしてみれば、虚勢であっても強く押し出さねばならぬ状況であった。
こうした状況の中、義興と久秀は先手を打って京から三好勢を撤兵し、全版図の兵力を結集すべく、摂津鳥養の地に陣を敷いた。
「なんとか追撃を受けずに撤兵できたようですね。情勢はどうです?」
京に残った最後の兵を連れて陣に入った義興が、久秀にたずねる。
「良くはない。堺は吉成殿が踏み止まり、辛うじて持ちこたえたが、河内は大略、敵の手に落ちた。すでに畠山勢は北上を開始し、月が明ける頃には飯盛城を包囲にかかるだろう」
義興が重ねて問う。
「敵の数は?」
「四万と聞いている」
久秀の答えに、義興は息を呑んだ。
「……こちらの兵力は京での戦いの損耗もあり、実質戦えるのは一万五千といったところ。飯盛城の後詰は無理ですね」
「我らの戦力のみではな。しかし良い報せもある。甚助が来る」
丹波国主となった松永長頼こと内藤宗勝は、北方戦線に少数の抑えを残し、丹波のほぼ全兵力をもって南下を始めていた。
その数、およそ一万。
「日向殿(長逸)は摂津諸勢を説いて回っている。四国でも篠原殿と安宅殿が兵を再編している。全軍結集すれば、戦える戦力になるだろう」
「それまで、飯盛城は保つでしょうか」
義興の問いに、久秀は力強く答えた。
「父を信じろ。三好長慶は、天下でいちばん戦が強い男だ」
果たして四月五日、畠山勢は四万兵に及ぶ大軍で摂津飯盛城を囲む。
畠山高政はこれを一息に陥落せしむべく、即日強攻したが、城の守りは固く、攻め手すら見出だせぬまま、支城攻略を優先する形に方針を転換。周辺の出城は間もなく落とされ、四月の半ば、飯盛城は孤城となった。
しかし同時に、鳥養の義興陣には続々と兵が集まっていた。
兵の受け入れを終えた久秀が問う。
「池田殿ほか、摂津諸勢着陣した。これでおよそ二万五千だ。日向殿も兵をまとめてこちらへ向かっている。長慶はなんと?」
義興は厳しい表情で、長慶からの文を握っていた。
「まだ、待てと」
「そうか。早馬によれば、明日には甚助も着陣する見込みだ。四国もようやく兵が集まりつつあると、安宅殿からの報せがあった」
そう応じる久秀に、義興は問い返した。
「しかし、畠山勢は明日にも二度目の総攻撃を行う様子。現有戦力二万五千もあれば、畠山の後背を突けます。今こそ後詰に向かうべきでは」
父の窮地にあって、ただ包囲される城を眺めていることしか出来ない悔しさからであろう。義興の声には怒気があった。
「ああ、おれもそうしたい。だが、長慶が違う答えを出した」
久秀は静かに言う。
「自らの生死は無論のこと、天下の帰趨まで決めてしまうような戦いに挑むには、何かを信じて賭けねばなるまい。おれは天道を信じない。あの実休ですら敗死したのだ、人智も信ずるに足らない。それでもなお信ずべきものがあるとすれば、それは長慶の決断だけだ」
その、二日後。
畠山勢は飯盛山城に対し、二度目の総攻撃を開始する。
すでに支城は無く、いかに要害とはいえ、籠もる兵はわずか数千。四万の大軍でひと月囲んで落とせぬとは、誰も思っていなかった。
鉄砲の音が響く中、苦い顔で城を眺める津田算長に、無名の男が問う。
「監物殿、なぜあの城は落ちぬのでしょう?」
「上兵は謀を伐ち、其の次は交を伐ち、其の次は兵を伐つ。城を攻むるは其の下なり。攻城の法、已むを得ざる為なり……城ゆうんは、中に籠もっちゃある兵が『この城は落ちぬ』と思う内は落ちぬもんじょ」
そう語る算長に、一人の武士が近づいてくる。
見上げるほどの巨漢であり、見惚れるほどの美丈夫であった。
武士は低く太い、しかしどこか奇妙な温かみのある声で言う。
「孫氏にござるな。いや、拙者もまったく同じ思いにござる。あの城、今はいかに攻めても落とせぬ。城兵ことごとく、三好長慶が負けるはずがないと思っておる」
武士はそう言ってからニカッと笑い、名を名乗った。
「失敬。拙者、大和筒井家が臣にて、島左近清興と申す者。津田監物殿とお見受けいたす。よろしゅうお見知り置きくだされ」
島左近。
松永久秀の大和侵攻以来、畿内にその武名が轟いている若武者である。
算長は陽気に笑って左近の肩を拳で小突きながら応じる。
「おお、筒井の侍大将か。五畿内の名だたる将が集まるこの戦にて、島の左近こそどてらい強者と聞いたのし」
「はは、かの実休を討ち果たせし大武功者に言われては、恥じ入るばかりの戦果にて。さるにても監物殿、よもや根来へのご帰還をお考えでは?」
左近の言葉に、算長は笑いながら明け透けと答える。
「帰れるもんなら帰りたいのし。旗頭が畠山殿では、三好長慶には勝てん。局地戦ならともかく、天下の帰趨を決する大戦となれば、敵兵にも味方の兵にも、大将の器量が問われる。この殿様のために死ねるかっちゅう話よ。戦の潮目がみるみる変わっちゃあるのし」
「やはりの、拙者も同じことを考えており申した。筒井家の当主・順慶殿はいまだ齢十三。ここで拙者が死ぬわけにはいかぬ。万一にも退き口とならば、互いに助け合いたく、平にお願い申し上げ仕る」
そう言って、左近は深く頭を下げた。
見事な武者ぶり、見事な忠義の士である。
算長はうなずいて言う。
「わかったよ。退き口に島左近がおれば、わえらも心強いのし。退くときゃつれもて退こら」
左近は謝意を示して去った。
やがて日が落ち、飯盛城は二度目の総攻撃を耐えきったのである。




