第六十話 無名の男 その3 津田算長
紀伊の険しい山道を超えて根来寺に至ると、まるで異界にでも迷い込んだかと思うほどの、豪奢な堂塔伽藍の数々が立ち並んでいた。
異様なのは、街並みばかりではない。
道々にたむろする男たち、その風体までも異様であった。
長く垂らした髪を後ろにまとめて編んで垂らし、法衣の下に具足を身に着けている。その中の多くが、今まさに戦に出ようとするもの、そして戦から帰ってきたものたちである。
各地の紛争に鉄砲一式を担いで参戦し、外貨を稼いで帰ってくる。
根来の行人たちは、そうして日々を暮らしているのである。
ここ根来寺は、傭兵たちの街であり、砦であった。
「もし、津田監物殿はいずこにおられるか?」
男が、行人のひとりにそう声をかけた。
行人は立ち止まり、じろりと男の姿を見ると、ひどい紀州なまりで言った。
「てきゃあぞこの人よ?」
「は、敵? 敵ではござらぬ、津田監物殿はいずこにおられるかと……」
男が困惑しながら重ねて問うと、行人は笑って言った。
「おもしゃいね。あんたぁぞこから来たんて聞いちゃあるよ」
ザ・ダ・ラの音が入れ替わるのは紀州弁の特徴である。
男はしばらく面食らっていたが、行人と会話するうち、たちまち要領をつかみ、紀州人の言葉を即座に解するようになった。
「なるほど、杉ノ坊におられるのだな。感謝いたす」
話してみると、行人たちは風体こそ怪しいものの、性格は軒並み陽気で楽天的であり、明らかな他国者の男に対しても、さほどの警戒感を抱かず接するようであった。
行人たちが言う「杉ノ坊」は、根来寺に数ある僧院のひとつで、津田監物算長が率いる行人たちの住まうところであるらしい。
杉ノ坊に近づくにつれ、鉄砲を担いだ行人たちの数はおびただしくなり、この狭い土地に集積された火力の異常さに、男は恐怖すら感じた。
杉ノ坊で来意を告げると、男は人気の少ない僧房に通される。
そこかしこに火薬のにおいが満ちており、今もどこかから鉄砲で狙われているのではないか、突然頭を撃ち抜かれるのではないかと不安になる。
緊張に身を固めながら待っていると、小僧がひとり来て、こう告げた。
「監物殿はいま忙しくお会いできぬゆえ、二、三日ご逗留めされよ」
そうして、有無をいわさず宿坊に案内される。
事情の説明などはほとんどない。
従うほかなかった。
それから、三日が経った。
三日間、拘束こそされなかったものの、周囲に常に監視の目が光っていることが、男にもわかった。
そして三日目の昼過ぎ。
小僧が男を呼びに来た。
「妻木三郎殿、監物殿がお会いになる。こちらへお越しを」
そうして、人気のない僧房に案内される。
男は腹をくくって待った。
しばらくして、緊張に身を固める男の前に、大柄な行人が現れた。
絹の法衣をぞんざいに着崩し、肩に鉄砲を担いでいる。
四十半ばほどであろうか、無精ひげに白髪が交じっているが、その肉体は戦場で鍛えられたものらしく、独特の熱を放っていた。
行人は微笑を浮かべながら、男の前に坐した。
「待たしてしもて、悪かったね。こらえてな。わえが津田監物じょ」
声が、明るく、ゆるい。
これが、種子島まで乗り込んで鉄砲を買い付け、日本で最初の鉄砲部隊をつくり上げたと言われる、津田算長なのだろうか。
男は平伏して名乗る。
「妻木三郎にございまする。此度は高名な津田監物殿の部隊に加えていただきたく、鉄砲持参で罷り越した次第にございまする」
名乗りを聞いて、算長は笑った。
「あっはは、芝居はもうええよ。調べさしてもろたのし」
男の背筋に冷たいものが走る。
三日間、津田算長が現れなかったのは、身元を調べるためだったのであろう。
早くも間者であることがばれてしまったのか。
「しかしね、わからんかった。てきゃあ何者じょ? おおかた三好の間者やろと思うて調べさしたけど、身元はなんにも掴めへんかったよ」
言いながら、算長は機嫌よく笑っている。
間者が入り込もうとしたことに、不快すら感じていないようであった。
男は、開き直って言う。
「何者でもござらぬ。もとは近江の住人で、傭兵稼業をしておりましたが、いずこの家にも召し抱えてもらえぬ素浪人でござる」
「ほーん。その素浪人が、ぞうしてそんな立派な鉄砲担いで、偽の紹介状までもって、こんな山の奥まで来たのよ?」
算長の言葉に、詰問するような調子はない。
興味のおもむくままにただ聞いている。
そのような印象を受けた。
男は、腹を決めた。
そして、すべて洗いざらいぶちまけることにした。
「三好家に仕官すべく、松永殿を訪ねたところ、鉄砲と紹介状を与えるゆえ、根来寺に潜入し、その戦術、戦法、砲術を盗め、さすれば召し抱えると言われ、参った次第にござる」
その言葉に、算長は盛大に噴き出した。
「ぶっはは! なるほどね、いかにも松永弾正のやりそうなことのし。そいで、鉄砲に興味あるちゅうんは本当け?」
突然の話題の転換。
男はここで何をどうつくろっても無意味と、心のままに答えた。
「はい。できうることなら、たしかな師について学びたいと、常々思うておりました」
「おう、たしかな師ならここにおるよ。日本中探しても、わえより鉄砲詳しいもんは一人もおらんのじょ」
そう言って、また笑う。
目の前の男が間者として入り込もうとしたことなど、もう忘れてしまったかのようであった。
「よろしいのですか!? 拙者、三好の間者として潜り込もうとした次第にて……」
「てきゃあ、なんでここに来たのよ。兵を率いて戦に勝つ、将軍になるためじゃないんけ?」
「そ、それは勿論のこと!」
「人の地を視て之を有ち、人の民を分かちて之を畜うは、必ず能く内に其の賢者有ればなり」
算長は突然、呪文のようにそう言った。
男はほとんど無意識に、その言葉に応じる。
「『尉繚子』にござるか?」
「ほう!」
算長はにやりと笑って言う。
「てきゃあ賢そうじゃと見たが、思った通りのし。こんなん知っちょるもん、そうはおらんじょ。根来に行人はあまたおっても、将として人を率いるもんはおらんのし。学侶はあまたおっても、能吏として国を富ませるもんはおらんのし。鉄砲教えちゃるから、てきゃあわえのもとで働くしかええわ。松永弾正なんどより、わえが高う買うちゃる」
算長はそう言って、また大声で笑った。
男は、この奇妙な鉄砲師のもとで、働いてみようと思った。




