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第五十八話 妻が、二人

「松永はん、折り入っての願いがありますのや」


 何度目かの訪問の後、広橋国光はあらたまった態度でそう言った。


「保子を、もろうてやってほしいのです」


 久秀は耳を疑い、聞き返した。


「とんでもないことです。なぜそれがしなどに?」


 国光は声を落として言う。


「今から言うことは、他言無用です」


「無論」


「実は、帝のご容態、思わしからず。あくまで万一です。万一ですが、近く践祚せんそあるやも知れまへん。それを見越して太子たいし殿下は、後ろ盾たる三好氏との間にしっかと気脈を通じておきたいと思し召しなのです。とはいえ、皇室と武家との間に婚姻政策はありえへんこと。次善の策として、武家伝奏と取次との間で、縁を結ぶ策が浮かんできたわけです」


 国光の言葉は容易ならざるものであった。

 後奈良天皇崩御となれば、践祚、ことによれば改元の可能性もある。そのとき、朝廷と将軍との関係はどうなるであろう。


 すでに三好家は将軍の仲介を経ず、朝廷に直接上奏して、武家に対する官位の斡旋をおこなっている。

 さらに改元まで将軍不在で行われてしまえば、将軍の機能は実質的に不要のものとなるのである。

 これは三好家にとって好機であるとともに、重大な危機でもある。


 朝廷と三好家がどのような対応を取るにせよ、慎重かつ密接な連携が必要であることに違いはない。

 そうした観点からは、むしろ実務者同士の縁組は理に適っているのかもしれない。


「意図は、よくわかり申した。しかし、長く寄り添うた妻がおりまする。糟糠そうこうの妻は堂より下さずと故事にもありますれば」


 久秀の言葉を遮り、国光が言う。


「側室でよろしい。保子もそう言っておます」


「保子殿が……」


 そう言われてしまえば、久秀にはもう返す言葉が無い。

 もはや固辞すれば広橋家との関係を致命的に毀損しかねなかった。


「承り申した。無論のこと、保子殿は拙者などにはもったいなきお方。主家に並ぶ礼を以て遇しまする」


「松永殿、感謝いたします。これで私らは兄弟です」




 その日、久秀は芥川山の自邸に戻り、理玖にこのことを話した。


「すまない、断りきれなかった」


 久秀が頭を下げると、理玖は驚いて言った。


「ええんよ、っていうか、ほんまにうちが正室のままでええの?」


「当たり前だ、側室降下なんぞ聞いたことがない」


「お家の事情で離縁ちゅうのはよう聞くけど……」


 四十を過ぎたというのに、相変わらず理玖は美しい。

 それでも、自らの年齢を感じているのだろう。

 理玖は俯いたまま、遠慮がちに言った。


 久秀は理玖を抱き寄せる。


「お前を離縁なんぞ、できるわけがないだろう」


 久秀の腕の中で、理玖が声を押し殺して泣いているのがわかった。


「あれっ、おかしいな。ごめんね、そんなつもりやないの。なんでかな……」


 理玖はそう言いながら、涙を止めることができなかった。

 理玖が嫁いできてから、久秀は一度として理玖を泣かせたことが無かった。

 久秀自身、それを小さな誇りとしてきた。

 しかし、今日、それを崩してしまった。


 久秀は涙に濡れる理玖の頬を両手で包み、唇を寄せる。

 理玖は逆らわず、その口づけを受けた。


 二人はその夜、長く睦み合った。

 もう若かったころのような激しさは無かったが、互いに労りがあり、恋の代わりに友情のようなものがあった。


「そういえば、長慶はんにはそのこと、言うたの?」


 裸のままで、久秀の腕を枕にしながら、理玖が聞く。


「いや、長慶には明日伝えようと思う。まず、お前に言わねばと思った」


「阿呆やね。うちのことなんか、ええのに」


 それから、理玖は笑って言う。


「うちね、きっと仲良うできると思うよ。嫉妬には、慣れっこやし」


「おい、おれは他所よそに女をつくったことなんてないぞ」


「なぁんもわかってへんのやね。まあ、そういうとこも好きやけど」


 夜が、更けていった。

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