第三十九話 舎利寺の戦い その1 氏綱急襲
平穏のうちに二年が経ち、天文十四年(1545)。
細川氏綱が再び挙兵する。
これに呼応する形で細川国慶および丹波の内藤国貞も再起。南山城の井出城を攻略するまでに至った。
晴元政権にとっては、久方ぶりの危機である。
晴元は自家の兵力のみでは心許ないと見て、六角定頼に援軍を要請。
大戦の気配が濃厚となったが、折も折、氏綱の最大の支援者であった畠山稙長が急逝した。
これに乗じて晴元は二万の軍勢で宇治田原へ出兵。
氏綱方は戦力の再編が間に合わず、この戦は晴元の圧勝に終わる。
さらに晴元は長慶を丹波に派遣、内藤国貞の籠もる前線基地を攻撃し、これを下したことで、ひとまず畿内の危機は去った。
戦を終え、長慶は京に帰還し、晴元に戦勝を報告する。
晴元と二人になったところで、長慶は諫言した。
「氏綱方の勢力、決起の度に大きくなっております。お味方の不満に耳をお傾けください。さなくば、次は摂津諸勢からも離反者が出ましょう」
摂津池田氏をはじめ、長慶のもとには摂津の国人たちから、宗三の国人統制方針に対する憤懣が次々に届けられている。
国人らの怒りは、もはや宗三だけでなく、晴元にも向けられつつあった。
晴元は表面上鷹揚に、長慶に問い返す。
「どう応ぜよと?」
「国人衆の惣領選抜に対し、宗三殿の介入を抑止していただきたい。大小問わず、非難の声が聞こえております」
晴元の眉根が、ぴくぴくと痙攣している。
ここ数年で現れた症状で、遅々として進まない畿内の平定に相当の苛立ちを抱えているであろうことが知れた。
「宗三の進める政策は、京兆家のもと国人を編成し、統治するための策です。多少の不満が出るのは折り込み済みのこと。氏綱の挙兵でそれを断念したとあっては、彼奴らの思うつぼではありませんか」
「さりとて、負けては元も子もございませぬ」
食い下がる長慶に、晴元は不快感を顕わにして言った。
「控えよ。もとはそなたが煽った反感であろう」
「それは誤解にございます。かつての反目も、もとより国人の不満があったればこそのこと」
「いずれにせよ、方針を変えるつもりはない。この話は終いです」
晴元は話を切り上げ、席を立つ。
長慶は引き下がらざるを得なかった。
この前年のこととして、『足利李世記』は和田新五郎なる長慶の被官が、次期将軍菊幢丸の侍女と不義密通に及び、晴元がこれを鋸殺に処したとの事件を記している。これは同時代資料に記述無く、史実とは捉えがたいが、とはいえ、長慶と晴元との間には、政権構想の齟齬が重なりつつあった。
なかなか治まらぬ畿内の情勢に焦燥感を抱いていたのは、晴元ばかりではない。将軍義晴は、すでに晴元の手腕に疑念を抱いていた。
そこに、遊佐長教が目を付けた。
長教は主君稙長の死後も氏綱を支持し続けていた。
その長教が、秘密裡に将軍家に接近していたのである。
「長教は何と?」
義晴は、長教との取次を担う大舘常興に問う。
常興はしわがれた声で、義晴の問いに答える。
「氏綱殿いわく、晴元殿に代わって上様、菊幢丸様をご奉戴申し上げる意志とのこと。長教の言によれば、氏綱殿は仁なる人柄にて将軍家への尊崇厚く、自ら畿内を制覇せんよりは、将軍家のもと、乱の終結をこそ望んでおられると」
聞いて、義晴はうなずく。
「意に適う」
将軍までが、すでに氏綱方に傾いている。
晴元の地盤が、目に見えぬうちに揺らぎ始めていた。
そして、明くる年天文十五年(1546)、八月。
細川氏綱三度挙兵の報を受け、晴元は急遽、長慶に対し堺への出兵を命じた。
長慶は久秀を連れて堺へ向かい、軍備にかかる。
兵を集め始めたところで、陣所に久秀が駆け込んできた。
「長慶、まずいぞ。敵だ!」
「なんじゃと、数は?」
「一万を超えてやがる! 旗印見るに、主な兵は大和の筒井、河内の遊佐だ」
久秀の報せを聞いて、さしもの長慶も流石に動揺を隠せなかった。
まだ堺に着いたばかりで、募兵もほとんど進んでいない。
「速すぎる。これは受けきれぬぞ」
時を経ず、堺は包囲された。
絶体絶命の窮地である。
軍議にあって、軍装の久秀が言う。
「船は駄目だ。向こうにも早舟がいやがる。包囲を突破するしかない。おれが血路を開く」
「待て、久秀。お前をこんなところで捨て石にするわけにはいかん。今、手立てを考える」
長慶はそう言ったが、手立てなどあるはずも無かった。
沈黙する議場。
そこに、一人場違いな人間が現れた。
堺の商人、天王寺屋津田宗達である。
「三好殿、仔細、聞いとります。ここはあたしにお任せいただきたい」
宗達の申し出に、長慶は驚く。
「宗達殿……しかし、それでは会合衆が氏綱殿を敵に回すことになる。下手をすれば、堺が焼き討ちに遭いかねん」
「承知の上ですわ。三好家二代、堺で死なせたとあっては、会合衆の名折れ。此度ばかりは商人の掟を曲げて、不利なほうに命張らせてもらいます」
言って、宗達は議場を出た。
しばらくして、堺の街から非武装の商人たちが数名、氏綱方の陣に向かって歩んでゆくのが見えた。
細川氏綱の陣では、残んの蝉が細く鳴いていた。
氏綱は瞑目して、遊佐長教から会合衆の申し入れを聞く。
「……会合衆の申し入れ、かくの如し。断れば堺衆との戦となるやもしれませぬが、戦力は我が方が圧倒しており申す」
長教の口ぶりからすれば、申し出を破棄してでも攻めるべきという意見のように思われた。
氏綱は目を閉じたまま、しばらく思案を続ける。
やがて、蝉の声が止んだ。
氏綱は目を開き、穏やかな声で言う。
「河内(長教)殿、堺にて三好殿に詰腹切らせるは、元長殿の末期を思わせまする。此度は包囲を解きましょう」
長教は驚き、思わず反論する。
「しかし、三好孫次郎は若年とはいえ、大強の者。ここで討ち取らば、晴元の片翼もいだと言って過言ではありませぬぞ」
氏綱は少しも激せず、ふた周りも年長の長教に、諭すように言う。
「三好殿は知勇兼ね備え、教養厚き見事な将と聞きます。そうした優れた方だからこそ、敢えて命を取らず、解放すべきなのです。我々は晴元殿とは違う。それを世に示すことが、迂遠ともいえ、唯一我らが天下に通ずる道と存じます」
長教はこの新たな主に圧倒される思いであった。
氏綱は、晴元とは違う。
いや、これまでのあらゆる管領家当主と、ものの考え方が根本的に違っている。
長教は深く頭を垂れ、氏綱の言葉に従った。
間もなく、堺を包囲する兵たちが、波の退くように退いてゆく。
長慶は九死に一生を得た。




