第二十一話 交渉出来
伊勢長島願証寺は蓮淳によって創建された寺である。
よって住職もまた蓮淳のはずだが、証如の後見として畿内に常在する蓮淳に代わり、早くからその子、実恵が住職となっている。
近年、その実恵が病がちであることから、三代目として住職の実務を継ぐと見られるのが、実恵の子、証恵である。
理玖はこの証恵を久秀に紹介するという。
久秀にとっては、願ってもない申し出だった。
主君三好千熊、さらにその上位者たる細川晴元の書状に、天王寺屋津田宗達の仲介状をも携えてはいたが、それでも今回の交渉相手は敵なのだ。
容易に蓮淳と会えるとは思っていなかった。
しかし、この何者ともつかぬ女が、本願寺勢力の有力僧と本当に渡りをつけられるのだろうか?
実際のところ、久秀自身も半信半疑であった。
願証寺に招かれ、目の前に証恵が座るまでは。
「願証寺実恵の子、証恵にございます。こうしてお会いする御縁に恵まれたこと、嬉しく思います」
理玖の家を訪ねた、二日後のことである。
早くも証恵は、久秀のために対面の時間を取った。
久秀の前に現れた証恵は、当年で十七という朗らかな若者だった。
長島という商業の土地で育ったためか、弁舌さわやかで人当たりよく、僧侶というより商人の雰囲気を纏った男である。
「三好千熊家臣、松永久秀に。急な訪問にも関わらずご対座いただき、恐悦の至りにて」
久秀の慣れぬ名乗りに、証恵は穏やかに笑う。
「久秀殿、あなたは近年まで武士ではなかったと聞きました。堅苦しい挨拶は無用です。理玖殿から、三好家に奇妙な才人が登用されたという風聞を聞かされていて、私もお会いしてみたかった」
どうやら平時より理玖はこの男と交流があるらしい。
いったいあの女は何者なのだろうか?
ともかく、今は交渉に専念することだ。
久秀は頭を掻きながら、率直に応えた。
「かたじけない。正直、三好家臣と知られれば、直ちに敵視されるものと思っておりました」
久秀が言うと、証恵はつるりと自らの丸い頭を撫でる。
「いやあ、畿内と違って長島はまだ大きな戦もなく、平和ですからね。危機感も薄ければ、敵愾心も薄い。もっとも祖父上は……」
証恵がそう言いかけたとき、がらりと襖が開き、奥から巨きな男が入ってきた。
「のほほんとした孫と違うて、わては三好家を敵やと思うとるでぇ」
人と思えぬほどの肥満体と、ぎらついた獣のごとき瞳。
怪僧、蓮淳である。
本願寺の最大権力が、身分もない敵国の使者に直接相対するなど、ありえないことであった。しかし、目の前にすでに目的の人物が現れてしまっている。
久秀はさすがに驚愕し、頭を下げる。
蓮淳は証恵の横にずしりと腰を下ろした。
「これは……祖父上殿、いつお戻りに」
証意が額に浮かんだ冷や汗をぬぐいながら聞く。
「ついさっきや。まったく、畿内のぼんくらども、せっかく晴元を堺から追い出したっちゅうのに、手間取りおってからに。ようやく上洛の目処が立ちよったわ」
蓮淳はあからさまに久秀に聞こえるようそうつぶやくと、続けて言った。
「せやから三好の使者はん、あんたらはもうお終いや。さっさと晴元の首ィ差し出して、命乞いしたほうがええで」
威圧感の強い風貌に、傍若無人な態度。
並の者であれば、これで萎縮してしまうのであろう。
しかし久秀はむしろ、かえって腹が座ったようであった。
「……その必要はござらんな、蓮淳殿。お初お目にかかる、三好千熊が家臣、松永久秀にござる。此度は降伏を願い出るためではなく、和睦を申し出に参った」
「ほう、三好の生きのええのはぜーんぶ元長と一緒にぶち殺したったと思うとったんやが、まだ手前みたいなのが残っとったとは驚きや。ここで殺しとこか」
蓮淳の威圧を受け流し、久秀は言葉を返す。
「細川晴国殿ご上洛のための御坊の骨折り、また堺への奇襲、いずれも敵ながら御見事と存じ申すが、六郎様を討ち漏らしたるは千慮の一失。六郎様ご健在のうちは、晴国殿が京に兵を進めたとて、畿内の覇権、覆すには至りますまい」
「言いよるわ。晴元がそれほどの武将とは思えへんけどな」
蓮淳が久秀の話題に食いついた。
しめたとばかりに、久秀は滔々《とうとう》と語る。
「晴国殿の調略、各所に放たれておるとはいえ、その半数は失敗に終わり申す」
「ほう、言うやないか。根拠を出せや、根拠を」
「まず摂津は池田、伊丹の両家がすでに六郎様にご同心。河内、紀伊、大和の畠山家では、重臣歴々の意見大方六郎様支持に傾きたれば、晴国方につくのは稙長殿お一人となりましょう。丹波勢と本願寺勢を加えても、畿内の戦力は五分。これに三好の四国勢が晴元様につくとなれば、晴国方の不利は明らか」
これに蓮淳は大きく鼻をふんと鳴らし、反論する。
「情勢は見えとるようやけどな、戦力の見積もりは大間違いや。手前の言った通りになったとて、兵の数は三好を加えて五分か、晴元方がやや劣勢ちゅうとこやろ。そもそも晴元に有利な戦局が見えとるなら、わざわざ長島くんだり、わてを説き伏せに使者が来るかいな」
横に座る証恵には、客観的に見て蓮淳の言葉がもっともに聞こえる。
久秀は笑った。
「はっは、それでは負けて五分といたそう。畿内の情勢は五分。ならば本願寺が晴元方に鞍替えせば、はっきり六郎様の勝ち。本願寺が手柄総取りでござろう」
あっ、と思わず証恵は声を上げそうになる。
彼我の戦力について論じていたはずが、いつの間にか、商人じみた交渉に乗せられてしまっている。
もとより久秀は戦況分析を議論するつもりなどなく、蓮淳を無理やり交渉の席に座らせてしまうことを狙っていたのであろう。
蓮淳も同じことを思ったらしく、苦笑を返した。
「ふん、おもろいこと言うやないか。しかし五分の状況から鞍替えさすには、ちと手土産が足らんのとちゃうか?」
「ごもっとも。用意の手土産は二つ」
「ほう」
蓮淳もこの“手土産”は予想をしていなかったようで、思わず身を乗り出した。
久秀はさらりと言う。
「まず、今和睦に応じていただけるのであれば、六郎様および三好家、ともに本願寺への遺恨、惣て忘れ申す」
久秀は多くを語らなかったが、蓮淳はこれにしばし沈黙した。
三好元長のことは言うに及ばず、堺で晴元の腹心にして父代わりであった可竹軒周聡を討ち取ったという報告を、蓮淳も受けている。
仮に和睦が必要な状況が生じた場合、この感情的なしこりが、後になって交渉の道を閉ざす原因となりかねないことは、蓮淳にとっても大きな懸念であった。
「……なるほど。もうひとつは?」
蓮淳の口調から、芝居じみたものが消えていた。
「次に、先程の議論から漏れていた大勢力のこと」
「六角定頼か」
蓮淳は即座にその名を出した。
定頼は京で山科本願寺を焼き討ちしたあと、晴元と会談し、近江に帰ってしまっている。
しかし現状、六角氏は畿内における最大勢力と言ってよく、定頼がこのまま沈黙を続けるとは到底思えなかった。
久秀は蓮淳の言葉にうなずく。
「然り。もし本願寺が和睦に応じていただければ、六角家も当然、本願寺と和睦と相なるが、六郎様が正式にこれを仲介いたす」
六角家との和睦。
蓮淳にとって、これは大きな課題である。
晴元対晴国の情勢が五分になってしまっている以上、定頼の動向如何によっては、本願寺は再び滅亡の危機に立たされることになる。
すでに定頼は山科を焼いているのだ。大坂が同様に灰になることだけは、なんとしても避けねばならない。
条件としては妥当と言って良かった。
蓮淳はしばし沈思黙考し、それからひとつの問いを投げた。
「使者はん、あんた口だけでなく、頭もよう回るようやな。素性を隠しとるようやが、どこの家の出や」
久秀は驚いた。
まさか蓮淳が、自分のことについて聞いてくるとは考えていなかった。
予想外の問いに、久秀はつい素を出してしまう。
「どこの家の出でもない。おれは摂津国五百住の住人だ」
「武家やないんか」
「……武士ではない。千熊の家臣になったのも、昨年のことだ」
久秀は観念し、正直にそう告げた。
その答えを受けて、蓮淳は再び考えに沈み込む。
ここに来て、使者が信頼に値するかを蓮淳は考えているように見える。久秀の額に、汗が一筋浮かんだ。
家格どころか武士ですらない使者。
そこを問題にされれば、久秀に打開策はなかった。
蓮淳が口を開く。
「ほんならよう憶えとき。家格ちゅうんはいつの日か、今あんたが思っとるよりもはるかに強く、分厚く、立ち塞がってくるで」
それから蓮淳はふんと鼻を鳴らして言う。
「まあええ。そこまで情勢見切った上での条件用意してくるようなら、晴元の評価は見直さなあかんやろな。晴国より何枚か上や。和睦の件、承りまひょ」
行ってから、蓮淳はこう付け加えた。
「しかし、一揆衆ちゅうのは武士と違うて、一度振り上げた拳ィゆっくり下ろすことはできひんのや。晴国が立てば、戦にはなるで。そこから手前の言う通り、五分まで持ち直してみなはれ。頃合い見て、本願寺は兵を引くわいな」
そう言って、蓮淳は席を立った。
久秀は頭を下げる。
蓮淳が去った後、大きな息を吐き、久秀は証恵に礼を述べた。
「……ご仲介、まことに痛み入る」
証恵もまた、久秀同様、大きく息を吐いて言った。
「いや、お見事。あの祖父上に、ああも食らいついた方は初めて見ました」
こうして、松永久秀は最初の任務を完遂する。
本願寺と三好家、そして細川晴元との和睦が、ここに出来したのである。




