↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

22/81

第二十二話 初陣

 願証寺での交渉を終え、久秀は直ちに船を探した。

 運良く明朝西へ向かう船を見つけ、交渉の末、阿波に寄港することを約束させる。慌ただしい出発となった。


「理玖、堺に帰らないか? 畿内はまだ戦乱の真っ只中だが、おれも女一人食わせていくくらいの仕事はするつもりだ」


 久秀がそう言うと、理玖は笑った。


「ふふ、ありがとう。でも、もう少しここで女検断人をやっていたいんよ」


 言いながら、理玖は文机から和綴の本を数冊取り出すと、久秀にそれを渡す。


「『韓非子《かんぴし》』の写本と、うちがちょこちょこつけた注釈。相論の術――法術で天下取るんやったら、必ず読んで。それから、こっちは堺を出るときにかき集めてきた畿内の判例集。うちにはもう要らんけど、きっと役に立つわ」


 それから理玖は少しうつむいて言う。


「情緒のない贈り物で、ごめんね。でもうち……」


「そんなことはない。最高の贈り物だ」


 久秀がそう言って笑うと、理玖は久秀の唇の指を当てた。


「笑うと、歯が見えるんやね。可愛い」


 二人はそこで語るのを止めた。

 長島の最後の夜が更けていった。




 久秀が阿波に戻ったのは、天文二年四月も半ばを過ぎてのことであった。

 撫養《むや》の港で船を下りると、春雨を受け満々たる水をたたえた吉野川《よしのがわ》が、阿波を抱くように流れているのが見える。その吉野川をわずかにさかのぼれば、三好舘《みよしやかた》に着く。


「久秀! よう戻った!」


 三好舘では来着を聞いた千熊が、待ちかねていたように駆け寄って来た。


「遅くなってすまない」


「なんの、予期したよりも随分早い。して、首尾はどうじゃ? ちょうど大和守《やまとのかみ》(篠原長房)も来ておる。すぐに評定を開くぞ」


 そのまま篠原長政を加えた評定が開かれ、久秀は伊勢での交渉経緯を報告する。


「なんと……蓮淳本人と会えるとは、思ってもない成果。しかも、和睦の内約を得られたというのは、まことで?」


 長政は心から驚いたようにそう問う。

 久秀は書状を取り出して渡した。


「秘密の内約だからな、ぼかした書き方にはなってるが、この通り書状もある。蓮淳の花押入りだ」


 千熊は書状を確認すると、すぐさま長政に命じる。


「……よし、これなら六郎殿も信用能(あた)うであろう。直ちに遣いを」


「承り申した」


 長政が退出したところで、久秀は千熊に聞く。


「それで、こっちの状況はどうなんだ。おれはひと月近く船の上だったんだからな」


「そうじゃな。まず、摂津で伊丹城《いたみじょう》が包囲されたが、これを木沢殿が救援し、摂津の本願寺勢はこの戦いで一時沈静化した。その隙に安宅《あたぎ》水軍が動いて、六郎殿を摂津池田城《いけだじょう》に入れることに成功した。六郎殿は、これにて晴れて畿内復帰を果たしたことになる」


「結局、池田家は六郎殿につくのか。よく説得できたもんだな」


「うむ。摂津の国人衆は宗三殿が調略に当たっておる。父上の仇とも言える人物ではあるが……現在のところ摂津の主要な国人の伊丹氏・池田氏・三宅氏のうち、二家を味方につけており、その手腕は見事というほかない」


 主家である晴元方が優勢になるのは喜ばしいが、それを演出する役者は木沢長政、三好宗三と、いずれも千熊にとっては父の仇である。

 三好宗家にとっては、複雑な情勢といえた


 千熊は続けて、そうした複雑さを振り払うように、意気揚々と言った。


「そして次は、我らも槍で働く番じゃ」


「ほう、どこを攻める?」


 久秀が問うと、千熊はにやりと笑う。


「決まっておるじゃろう。堺じゃ」




 堺奪還作戦は、摂津方面から陸を攻める晴元軍と、淡路から海を攻める三好軍の両面作戦となる。

 千熊と久秀は安宅氏の船に乗り、早暁から海上を進んだ。


「久秀、初陣じゃな」


 船の上、水平線に堺の街を捉えて千熊が言った。

 久秀が怪訝そうな顔で応じる。


「おれは二月に堺で戦ってる。お前だって飯盛城にいただろう?」


 千熊は笑って答えた。


「いいや。わしと久秀が並ぶ初めての戦じゃ。三好家は、ここから再び始まる。ゆえに、初陣である」


「……ああ、そうだな。お前を戦場で死なせはしない。おれが生きている限り」


 その時、頭上にわかに雲が起こり、雨が降り始めた。


「おい、千熊……雨だ! こりゃあ、勝ったぜ!」


 久秀が空を見上げて喜びの声を上げる。

 雨は船の姿を晦《くら》まし、火矢を防ぐ。

 水上から陸の拠点を狙う今回の戦には、値千金の雨であった。


 白皙《はくせき》の頬に雨粒を受け、千熊は命を下す。


「天が攻めよと言っておる。船団、矢頃《やごろ》を越えよ。敵方の火矢、恐るるに足らず。射崩《いくず》してやれ」


 あたかも、龍が雲を呼ぶが如く。

 三好の船は雨の護《まも》りを得て、陸上からの火矢をものともせず、敵の防衛網を切り裂いていく。


 船を泊《とまり》に寄せ、久秀が一隊を率いて切り込んでいく。


「野戦ではない! 街を壊すな、威圧して敵を追い出せ! 逃げる者は追うな!」


 敵にも響き渡る大音声である。

 劣勢を悟った敵軍は、我先にと逃げ出した。


 泊地を制圧し、白兵隊が次々と上陸していく。

 敵側の退《の》き太鼓《だいこ》が鳴る。


 間もなく、海と陸、双方から勝鬨が上がった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。