第2章夢喰い 第一話 記憶喪失
お久しぶりです。第2章開始です。宜しくお願いします。
1
雲が流れる。
それを黙って僕は眺めていた。授業中なので、屋上には誰もおらず、その中心で一人寝転がり、惰眠を貪る。特にやることもない。二学期が始まったからといって、やることはない。
もう、終わってしまったのだから。
目標もない。夢もない。
学校ってこんなにやることなかったんだな。
ひたすらに白球を追いかけた夏は終わってしまった。
残るのは、秋と冬。なんの面白みもないな。
ポケットからタバコを取り出して、吸う。別にうまいと思って吸っているわけじゃない。ただ、部を引退してから、何もせずにしている時間が増え、気がついたら吸うようになっていた。
煙が空に昇っていく。
自分はこれからどうなるのだろうか?受験するにしても就職するにしても、9月中旬までには決めろと、先生には言われていた。
(そうは言ってもな)
どうしろというのか、今まで野球しかやってこなかったのに。
「私がいるこの学校で、喫煙とはいい度胸じゃないか」
不意に声をかけられ、寝転がった状態で、視線だけ声の方へ向ける。
「海原、お前いい加減にしないか」
僕に対してそう言うのは、生活指導の設楽だった。女性にしては高い身長に、絹のような黒髪、その上端正な顔立ちとまさに大和撫子を体現したような外見を持っているくせに口調は粗雑、好きな食べ物はラーメンとなかなかにギャップに激しいことで有名な女性だった。
「はいはい、気をつけますよ」
適当に嘯いて、咥えていたタバコを手に取り、屋上の床に押し付け、火を消す。
「そのセリフを私は何回聞けばいいんだ?」
設楽がこちらに向かって手を差し出してくる。タバコの箱を寄越せということだろう。拒否しても無駄なのは経験上わかっていたので、諦めてポケットから箱を出し、彼女に渡す。
「なあ、海原、タバコはやめとけと言っているだろう?また、野球を始める時にだって、と、すまない」
「いいですよ、別に」
先生が言おうとしたことを慌ててやめる。その気遣いが逆に痛かった。高校最後の夏の大会。後、一回投げ抜けば、決勝戦というところで、僕の肩は突然悲鳴をあげた。今まで蓄積されてきた疲労や見えない傷が突然、堰を切ったように僕の肩を破壊した。
医師の診断によると、二度と投手として、試合に出場することは叶わないそうだ。もちろん、野手として、野球を続けるという選択肢はあった。だけど、これまでずっと、エースとして、マウンドに居続けたというプライドから、自分ではない誰かの背中を守る気にはなれなかった。
「もう、終わったことですから」
覇気のない返事で僕が応えると、先生は困ったように軽く頭をかいて、先ほど、僕から回収したタバコを吸い始める。
「それ、僕のなんすけど・・・」
「未成年がタバコの所有権を主張できるわけなかろう」
「だからって、自分で吸わないでくださいよ・・・」
暫く、そんなやりとりをしていると、やがて、話題は僕の進路へと変わっていった。
「海原、野球ができなくなったとしても、そこでお前の人生が終わるわけじゃないんだ。就職するにしろ、大学に行くにしろ、自暴自棄で決めるのだけはやめなさい絶対に後悔するから」
先生は何かを思い出すかのような顔をして、こちらに言い聞かせようとしてくる。
「わかっていますよ、そんなことは」
そう、わかっているんだ。今のままでは、駄目なことくらい。でも、立ち上がれない。どうしても、一歩が踏み出せない。セメントで固められたかのように、足が動いてくれない。
「わかってるんです」
もう一度、同じ言葉を言う。意識的にではない。その言葉しか思いつかなか
ったのだ。
「・・・・・・・」
設楽はそんな僕を見て、何を言っても仕方ないと思ったのか、肩をすくめて、タバコをふかす。そのまま、暫くの間、沈黙が続く。
「いつまで、いるんですか?」10分程たち、とうとう根負けして、設楽に話しかける。
「ん?お前が教室に戻るまでだけど?」
「じゃあ、諦めてください。今日はサボりたい気分なんです」
「ここは大学じゃないぞ」
「わかってますよ」
「じゃあ、さっさと、戻りたまえ、私も暇じゃないんだ。余り、さぼっていると、教頭に怒られてしまう」
「先に戻っていてくださいよ。後から行くんで」
「そんなこと言って、どうせ、戻らないんだろ?」
「まあ、そうですね」とても、受験に向けて猛勉強中の彼らの中に入っていく気にはなれなかった。
(引退する前はこんなこと思わなかったのにな・・・)
目標を失った今、自発的にせよ強制的にせよ、大学合格という目標を持っている。そんな彼らがとても眩しい。眩しすぎて、直視できない。
「海原、一つ、アドバイスをやろう」設楽がいきなり、そんなことを言ってくる。
「何ですか、いきなり?」
「先人からのアドバイスはしっかり聞くべきだよ?まあ、聞きなさい、すぐに終わるから。簡単なことだよ。一歩を踏み出そうと思わない方がいい。立ち止まり、周りを見渡すといいよ君はもう答えを得ているからね。気づいてないだけなんだよ、君は。すぐ近くにあるのにね」
「すぐ近くに?」
「ああ、それはずっと君の近くにあったはずだ。そういうものなんだよ」
「はあ」
僕の近くにずっとある?そんなものあるだろうか。むしろ、幼少から今まで死ぬ思いでやってきたものに裏切られたばかりだというのに。要領を得ずに悩んでいると、設楽は笑みを浮かべ、まあ、ゆっくり、考えなさい、と静かに言って、屋上を出ようと、ドアへ向かう。やたらと格好いいその後ろ姿を見ていると、にわかに設楽は振り向き少年のような笑顔で言った。
「どうだ、私、カッコイイだろ?」
「・・・・・台無しですよ」
残念美人とはこのことか、と切に思った秋だった。
2
「集団記憶喪失?」
9月に入ったものの、未だに灼熱のような暑さを保つなか、私は公園のベンチで青と紺色を混ぜたような警官の制服を着ている女性と隣り合って話していた。誤解をまねくのはいただけないので、先に言っておくと、決して、色っぽい話しではなく、彼女の部署である生活安全課にて起きた不可思議な事件の話を聞いている最中だった。
「そうなんですよ、みんな、忘れちゃってるんですよぅ」
この人をバカにしているのか、と思う口調で話す女は自分の大学の後輩だった、林紀子という。大学を卒業して7年たったはずなのだが、未だに学生のような雰囲気をまとっており、署内でも圧倒的な男性人気を誇っているらしい。だが、その実態はオカルト大好き、都市伝説大好きな電波系女子だったりす
るので、未だに彼氏はいない。
私と彼女は大学こそ同じだったが、配属先は別々である。では、なぜ、彼女がそんな私に相談をしてくるのかというと、それは私の方に問題があった。知り合いの探偵に不可思議な事件の協力を頼んで、解決していくうちに、気が付いたら私は未解決事件ばかりを追う変人というレッテルを貼られてしまったのだ。その結果、私のところには、定期的に、そういった相談が舞い込むようになってしまった。
「忘れてるって・・・具体的に教えてくれ。誰が、何を、どこまで、忘れているんだ?」
具体性のない彼女の話では考えようがなかったので、まず、私は基本的な概要から聞くことにした。
「え〜と、まず被害にあっているのは主に中学生、高校生ですね、学校関係なく、ここら辺一帯の学校から被害者が出てます」
「性別は?」
「男の子も女の子も関係なくですね、偏りもないですし、今のところ、相談されているだけで、30件ありますけど、大体、半分半分くらいです」
「そうか・・・じゃあ、何か被害者に共通点は?」
「それもまだ見つかってないみたいですねぇ、若者であること以外には何も・・・あ、でも、忘れている内容が似ているんですよ!その子たち!」
林が飛び跳ねるように、思い出したことを口にする。その姿はやはり学生のようで、どこか、懐かしさすら感じる。大学時代、よく、こうして、この後輩に振り回されたものだ。
「似てるって、どんな内容なんだ?」
「それがですね、あの子たち綺麗さっぱり忘れてしまってるんですよ、自分が必死に打ち込んでいたものを」
林が珍しく真剣な表情でその内容を話す。彼女のことだ。きっと、また、感情移入してるだろう。
「打ち込んでいたもの?」
「ええ、例えば、サッカーやテニスを必死にやっていた子がある日、突然、その記憶がさっぱりなくなっていたり、プロを目指していたピアニストの子がピアノどころか楽譜すら読めなくなっていたり、とにかく、おかしいんですよ!」
「・・・・・」
彼女の言う事実が本当ならそれは普通の人間ができることではない。
(また、あいつに頼るしかないか)
例の辛気臭い探偵の顔を思い出し、思わずため息をつく。彼とは学生時代からの友人だが、未だにあの人を殺すような目つきで睨まれるのは慣れるものではない。
「センパイ?」
林が黙ったままの私に声をかけてくる。
「ああ、いや、すまない。どういうことか考えていたんだ、それにしても、必死にやっていたものを忘れるなんてできるものなのかね、俺には信じられないな」
「事実、起きちゃってるんですから、信じるもなにもないですよ!それに私も相談を受けて、その子に会いに行ったんですから、間違いないです!」
「会いに言ったのか?」
「そりゃ、行きますよ、心配じゃないですか」彼女は怒ったように頰を膨らませる。
「どんな様子だったんだ?」
それを無視して、質問を続ける。普通の男だったら、そのあざとい仕草にやられるのかもしれないが、枯れ果てた中年である私には一つの動作にしか見えなかった。
「それが、なんというか、生気の抜けたというか、魂が抜け落ちたというか、とにかく、話かけても、ボウッ、としていてダメなんです、こんな事言いたくないですけど、まるで人形と話しているみたいで、私、怖くなっちゃっいました・・・」
「人形ね」
人形と聞いて、昔、探偵と追った事件を思い出す。あれは確か、とある洋館で起きた、呪われた西洋人形が引き起こした事件だったはずだ。集団自殺として処理された事件が実は西洋人形が住んでいた人間の魂を吸いつくしていたという漫画みたいな事件だったはずだ。今回の事件の被害者も魂が抜けたようだと林は言う。何か関係しているのだろうか。
「どうかしましたか?」
「いや、なんでもない、まあ、大体、概要はわかったよ、合間を見つけて直接被害者と話してくるから連絡先教えてくれないか?」
「じゃあ、引き受けてくれるんですね!」
「ああ、気になるしな、それにどうせ、お前の頼みを断れた試しなんてないしな」
「センパイが優しいから、つい頼んじゃうんですよねぇ」
林はそう言うと、バックからメモ帳を取り出して、こちらに被害者の連絡先を口頭で伝えてくる。それをメモし、彼女に別れを告げ、公園を出る。
歩きながら先ほどの事件の概要を頭の中で整理する。
(どう考えても奴ら絡みだよなぁ)
集団記憶喪失でさえ、不可解なのに、忘れている内容もその個人にとって一番大切なものという曖昧なものときている。普通の人間にできるはずがない。探偵に相談するしかない。そう思い立ち、私は自分の署に帰る予定を変更して、そのままの足で、電車に乗り、二駅隣の駅で降りる。そこから広がる閑静な住宅街を歩いていくと、15分ほどのところに探偵の家はあった。探偵の家はここら一帯では珍しく和風で、まるで武家屋敷のように巨大だった。なんでも、古くからの名家らしく、探偵の曽祖父はかなりの地位についた方だったらしい。
「ごめんください」
インターホンを押して、そう言うと、家の中からドタドタという足音がは〜い!という元気な声とともに近づいてくる。
「お待たせしました!って、泉さんじゃないですか!」
「ああ、梓さん、元気そうで何よりです」
この一見、女子高生でも通りそうな外見をしている、女性は神島梓さんという。苗字からご察しの通り、探偵の奥さんだ。ちなみに年齢は探偵や私と同じ、30半ば。初めて会った時は彼の妹かと思ったくらいだ。
「今日はどうしたんですか?」
「探偵に会いにきたんだけど、いるかな?」私がそう聞くと、彼女は申し訳なさそうな顔をして、頭を下げる。
「ごめんなさい!仁さん、今、出かけてるの。15時には戻ってくると思うけど」
時計を見ると、13時半ちょうどだった。私は気が長いほうなので、彼女に頼んで、探偵の部屋で待たせてもらうことにする。
彼の部屋は大量の紙が山積みされており、今にも倒れそうなギリギリのバランスを保っていた。その内の一枚を見てみると、先日起きた殺人事件の新聞の切り取りだった。私は担当ではないが、話によると、ナイフか何かで滅多刺しにした挙句、被害者の身体の一部を持ち去るという猟奇的事件らしい。
(この街も物騒になったものだなぁ)
夏休みの事件といい物騒極まりない事件が立て続けに起こっている。夏休みの事件は奴らの仕業だった。では、この事件もそうなのだろうか?
そのようなことを考えていると、時間は気がついたら、14時40分を回ったところだった。そんな時、梓さんとは違う足音が聞こえてくる。
「また君かい、全く」
探偵は部屋に入ってくるなり、私に対してそう言った。相変わらずの幽鬼のような顔立ちに時代錯誤な黒の着物を羽織ったその姿は探偵というよりは墓場に出てくる亡霊を連想させた。
「そう言うなよ、俺たちの仲じゃないか」
「ただの腐れ縁だろう」
探偵はゆっくりと自分の定位置である座布団に座り、懐から取り出した葉巻に火をつけ、ふかしはじめる。
「まあ、聞くだけ聞いてくれよ。また、奴ら絡みかもしれないんだ」
奴らという言葉を出した瞬間、彼の顔が険しいものに変わる。そして、こちらをゆっくりと鋭く睨みつけてくる。
「君は本当に懲りないな、どうして、首を突っ込む」
「俺は別に何もしてないさ、あっちから転がりこんでくるんだ。それに金は払っているんだし、お前にとっては得しかないだろう?」
「別に僕は奴らだけの専門じゃないんだ、むしろ、面倒な割に払いが悪い客が多いから、できれば遠慮願いたいって、前にも言ったはずだが?」
探偵は嫌そうに顔を歪めて、ため息をつく。だが、彼はそこらにある紙の山から一枚紙を取り出し、机に置いてあった筆立から万年筆を手に取る。どうやら、聞くだけ聞いてやるというサインらしい。
こいつは昔からこうなのだ。嫌がっている素振りを見せる癖に、最終的には頼みを断りきれずに、手を差し伸べる筋金入りのお人好しなのだ。
「じゃあ、説明するぞ」
私はそれから15分ほどかけて、彼に集団記憶喪失について説明した。細かいところはまだ調べていないので、詳細は控えて、概要と推測だけの説明だったが、探偵はそれだけで、その事件のキーワードを確信に満ちた言葉で開口一番言い放った。
「それは獏だね、間違いない」
「獏って、あの夢を喰らうといういうやつか?」
「ああ、そうだ」
神島はそう言うと、立ち上がり、一つの紙の山に手を伸ばすと、絵の着いた資料をこちらによこす。
「なんだこれは?」
「本来の獏だよ」
「これがか?」
その資料には絵には色は白黒で、鼻はゾウに似ていて、ホースのように長く、尻尾は牛のように末端から先にかけて太くなっており、足は縦縞模様で鋭い爪がついている動物が描かれていた。バクと言われて想像したあのいかにものろそうな動物とはかけ離れていた。
「ああ、元々、バクっていうのは厄を払うといわれていた中国の伝説上の生き
物だったんだ」
「厄を払う?夢を喰らうではなくてか?」
「それは最近のフィクションの中の話だ。日本に伝わった当時は夢を喰らうと
言っても、それは悪夢に限られていたんだよ」
悪い夢を喰らい、人々から厄を払う。まるで縁起物のようだ。だが、それでは今回の事件を引き起こすことは矛盾しているように思える。中学生、高校生から夢を喰らって、人形のようにしてしまうのでは、厄を払うもなにもないだろう。
「獏を自由に使役しているやつがいる」探偵がこちらの疑問に察しよく応える。
「またか」
「まただよ」
8月からここ最近まで、立て続けに奴らを使役していた事件がこの街で起きていた。鯰事件、大量の鼠による一家惨殺、そして、人狼事件。どれも、奴らを行使もしくは奴ら自身が引き起こしてたものだった。その前はよくて半年に一回くらいのペースだったものが一月で3件も発生している。どう考えても異常だ。
「一体、この街で何が起きているんだ?」
「それは調査中だよ」
探偵は苦虫を噛み潰したような顔をする。目の前に謎がぶら下がっているのにそれを解くことができないのが余程悔しいのだろう。
「・・・・・まあ、それは今、考えるのはよそう。手がかりがないのでは調査の仕方ないからね。今は獏のほうだ」
「・・・そうだな。俺はとりあえず、被害者に会いに行くとするよ」
「ああ、頼んだ。僕は裏から怪しい人間がいないか探すのと、岩戸くんを使って、他に被害者の子がいないか探るとするよ」
岩戸くんというのは、神代高校に通う高校二年生だ。人狼事件の際に、探偵に助けられて以来、彼にいいように使われている哀れな少年で、事件の副作用というか、後遺症で、奴らが見えるようになるという奇特な体質を持つようになってしまったのだという。
「彼は元気か?」
「助手としては無能極まりないが、元気にやってるよ」探偵が彼の顔を思い出したのか、小馬鹿にしたように鼻を鳴らす。
「そうか、なら、よかった」
あんな事件に巻き込まれながらも、普通の学生生活を送れていることを嬉しく思うと同時に一抹の不安を覚える。普通の高校生が何の心的外傷もなく、生活できるものだろうか。
そんな疑問を心に留めつつ、探偵の家をでようと、支度をする。
「そうだ。被害者に一つ聞いておいてくれ、将来の夢は何か?ってね」
「別にいいがそれがどうかしたか?」
「とりあえず聞いてきてくれ、後で話すよ」
探偵はそう言うと、スマホを懐から取り出し、画面を指でスライドさせた。早速、調査に取り掛かるようだ。こうなった探偵は話を全く聞かない。私はあいさつもせず、彼の部屋を出た。
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