第二話 獏
暑いです!
3
放課後、部活も引退し、受験勉強にも身が入らない僕は家へダラダラとした足つき帰路につく。僕の家はどこにでもある一軒屋で父と母、そして、同じ学校に通う二つ下の妹の咲の四人暮らしだ。両親は共働き、妹はテニス部で忙しいので、この時間に帰ると、家にはまだ誰もいないはずだ。
家に着き、カバンから鍵を取り出し、玄関ドアの鍵穴に差し込み、回して、取っ手を引く。
「あれ?」
だが、ドアは閉まったままで、僕を拒むようにガチャンと音がなるだけだった。もう一度、鍵を回し、取っ手を引く。今度はドアが開く。どうやら、最後に出たやつが鍵を閉め忘れたか、もう先に誰かが帰っているようだ。
「おーい、誰かいるのか?」玄関に入り、声をかける。だが、誰からの返事もなかった。
「鍵を閉め忘れるとは物騒な・・・・・」
ただでさえ、ここ最近、この街では事件が多発しているというのに、泥棒に入ってこられたら、どうするというのか。そう思い、靴を脱ごうと、屈むと、ある物に気づいた。
「咲のやつ帰っているのか?」
妹のローファーが玄関の端の方にそんざいに置かれていた。
「おーい、咲、いるのか?」
もう一度、彼女の名前を呼ぶが返事がない。自分の声が空しく、誰もいないはずの家に響き渡る。何となく不安に感じて、二階にある彼女の部屋へ向かう。
彼女の部屋の前に立ち、もう一度彼女の名前を呼ぶが返事はない。無断で入るのを申し訳なく思いつつ、ドアノブを回そうとするも、鍵がかかっており、回らない。
「どうしたんだ、いつもは鍵なんてかけてないのに・・・」
嫌な予感がする。
不安に駆られた僕は一度ドアから離れて、助走をつけ、ドアを蹴破る。部屋はカーテンが閉まっており、そこから夕日が微かに差し込み、可愛らしいピンク調で彩られた部屋にも関わらず、どこか暗い雰囲気を感じさせる。妹はそんな部屋の中、ベットの上で何かするでもなく、座っていた。
「咲?」名前を呼ぶが、返事はない。
「咲!?」今度は彼女の肩を揺すって、彼女の名前を呼ぶ。それで漸く、彼女はこちらを見て、お兄ちゃん?と小さく呟く。
「ああ、僕だ!お前、どうしたんだ!?」
「どうしたって?何が?」
「何って、」
言おうとして、言葉がつまる。彼女の目はまるで、虚空を見つめているかのように、うつろでまるで生気がなかった。
「私はいつも通りだよ?」
(どこがだよ!?)
いつもの咲は明るく、元気でトレードマークのポニーテールを揺らして、テニスに打ち込む女の子だった。だが、今はどうか。髪は乱れ、目に生気は宿らず、服も制服のまま、ベットにいたせいで、皺だらけ。いつもの彼女の面影なんてどこにもなかった。
「なあ、どうしたんだよ、お前?今日、部活だったんじゃないのか?」
「部活?」咲がおうむ返しに聞き返してくる。
「ああ、部活だ。テニスだろ?お前の大好きな」
そして、僕は彼女の次の言葉で事態の異常さに気がつく。彼女は不思議そうに首を傾げて、こう言い放ったのだ。
「私、テニスなんてやってないよ?」
次の日、僕は学校で休み時間の度に妹の友達に話を聞きに、1年生の教室へと聞きに行っていた。だが、どの娘も咲は最近、体調が悪くて、部活を休んでいたという事以外、わかったことはなかった。
(あいつが部活を休んでいた?)
妹は二学期が始まってからというもの、ずっと、夜9時くらいに帰ってきていた。その間、僕や父、母は部活だろうと思い特に疑問をもたなかった。だが、事実は違った。咲は一体、その間どこにいっていたのだろうか。
不安が募る。咲の友達からは彼女が怪しい薬や変な男と付き合っていたという話は聞かなかった。では、なんで、妹はあんなにも好きだったテニスを忘れてしまったのか。答えが出ない焦りから、質問する声が苛立つのを感じる。聞いた女の子が怯えているのはわかっていたが、気にしている余裕はなかった。
結局、テニス部の顧問から関係なさそうな生徒にまで、妹のことや彼女の症状と似た生徒を知らないか聞いて回ったが、それらしい答えを得ることはできなかった。
屋上に行き、誰もいないのを確認すると、そのど真ん中へと寝転ぶ。夕方になり、気温も落ち着き、風が強く吹いてきて、心地よい。だが、心の中のモヤモヤが邪魔をして、素直にくつろげない。
何が起きているのか。自分の知識や知能では全く理解が追いつかない。
(何もできないのか)
悔しくて、歯を食いしばる。自分のこともどうにもできないだけでなく、妹のことすら何もできないのか。どれだけ、自分は無力なのか
下校時刻のチャイムが鳴る。部活に入っていない生徒はこの時間に帰宅しないといけない決まりになっている。立ち上がり、ドアへと向かうと、突然ドアが開く。
また、設楽かと思ったが、そこにいたのは、男子生徒だった。背丈は170センチ中盤くらい、癖っ毛の髪に少し生意気そうな目つきをしているが、どことなく人懐っこさを感じる顔をしていた。彼は走ってきたようで、肩で息をしている。余程、屋上に急な用事でもあったのだろうか。僕は彼を避けようと、少し横に避ける。
「やっと、見つけた、海原さんですよね?」だが、彼が自分の名前を呼んだことで、足が止まる。
「・・・そうだけど、何かよう?」
「俺、先輩に聞きたいことがあるんです」
「聞きたいこと?」
なんだろう。この男子生徒とは今日初めて顔を合わすし、名前すら知らない。そんな彼が僕に何の用事があるというのか。ただでさえ、こっちは聞き込みの収穫なしでイラついているというのに、早く済まして欲しいものだ。
「はい、先輩、今日ずっと、聞き込みしていましたよね?」
「・・・お前には関係ないだろ、そんな事」ぞんざいに手を払う仕草をして、さっさと消えろというアピールをする。
「いえ、あるんですよ、それが。妹さんのことで」
「何?」
男子生徒は消えるどころかこちらの目をまっすぐ見据えて、意味ありげにそう言った。
「俺、妹さんの事助けられる人、知ってます」
4
午後6時、岩戸と名乗った後輩の男子生徒に連れられて来た場所は、大名でも住んでいるのかと思うような巨大な武家屋敷だった。
「おい、本当にここなのか?」
「はい、ここです」
疑うように、岩戸に聞くと、彼は苦笑いして、インターホンを押す。だが、留守なようで、繋がらない。
「仕方ない、庭から入ろう。ついてきてください」岩戸はそう言うと、門を開け、これまた大きな庭に向けて歩き出した。
「あ、おい、不法侵入だろ!」
「大丈夫です。あいつはそんな事気にしませんから」
ドンドン進んで行く岩戸を玄関前で立ち尽くしても仕方ないので、心の中で家主の人に謝りつつ、彼の背中を追いかける。庭は綺麗に整えられていて、手入れしている人の性格がわかるようだった。その庭の縁側で一人の男が目をつぶり、正座している。見た目は枯れ木のように細く、墓場に出てくる亡霊のよう。黒装束に身を纏い、陰気な印象を与えるが、それでいて、まるで、地獄で沙汰を下す閻魔大王のような風格を漂わせたあべこべな男だった。
「今日は梓さんはいないのか?」
前を歩いていた岩戸が男に声を掛けると、男はゆっくりと目を開き、醸し出す雰囲気に見合った鋭い目つきでこちらを見た。
「今日は映画館に行っているよ」
「そうなのか」
「ああ、コナン君を見に行くと朝から張り切っていたよ」
「そ、そうか・・・」
「僕も勧められたがさすがに遠慮したよ」
男は苦笑いして立ち上がると、後ろにいる僕に気づいて、少し驚いたような顔をすると、再び岩戸を見る。
「もう、見つけてくるとは驚きだ」
「俺だってやるときはやるんだよ」
「まあ、そういうことにしておくよ。君、名前は?」
「え?ああ、はい、海原と言います」
「海原君か。よし、わかった。とりあえず、中で話を聞こう」
男はそう言うと、戸惑う僕を放っておいて、襖を開けて中へと入っていく。
「ああ、あいつ、ああいう奴なんで、気にしないでください」それについていく岩戸が振り向いて、僕に言う。
(一体、何者なんだ、あの人)
疑問に思いつつ、彼らについて、部屋に入る。だが、部屋の惨状を見て、言葉を失う。
「な、なんだこれ」
まず、目に入ったのは紙でできた柱だった。それが何十もあり部屋を圧迫し、いく道を塞ぐ。よく見ると、座布団とちゃぶ台があり、そこに行けるように道ができているが、その通路も何かの拍子に転んでしまえば、崩れてしまうものだった。端にはぎっしりと本のつまった本棚が左右に並べられており、本屋独特の匂いを感じさせた。
「そこに座ってくれたまえ」
男が座布団を指差す。言われるままに何とか本の柱でできた通路を通って、ちゃぶ台の横に敷かれた座布団へとたどり着き、言われた通り座る。
「早速で悪いが話を聞かせてくれないか」僕が座るのを見計らって、正面の男が言う。
「ちょ、ちょっと、待ってください」
「なんだい?」
「いや、あなた、何者なんですか?」
見も知らない男に妹の話をする気にはなれないし、何より、男の漂わせる雰囲気が普通の社会人ではないことを匂わせていた。
「岩戸君、僕のことは何も言ってないのかい?」
「あ」ギロリ、と男が岩戸を見ると、岩戸は間抜けな声をあげ、後ずさる。「す、すまん、すっかり、わすれていた」
「ハァ、まあ、いい。自分で紹介しなかった僕も悪いしね。海原君、遅れて申し訳ないが名乗らせてもらうよ。僕の名前は神島仁。探偵をやっている」
「探偵?」
探偵というとシャーロック・ホームズや明智小五郎やらが思い浮かぶ。
「ああ、だが、君の思い浮かべているものとは少し違うけどね」
考えていたことを見透かされ、言葉に詰まる。この男は思考盗撮でもできるのだろうか。
「いや、僕は思考盗撮なんてできないよ。ただの予測だ」
「予測——————?」
「大抵の人は探偵と言ったら大体はシャーロック・ホームズかコナン君を思い
浮かべるからね」
確かに思考盗撮はできないようだ。僕はコナン君を思い浮かべてない。
「まあ、自己紹介が終わったところで多少は信頼してもらえたかな?」
「ええ、まあ、でも、今から言う話を本物の探偵の人に話しても信じてもらえるかどうか」
今まで打ち込んでいたテニスを綺麗サッパリ忘れる。そんな話を信じてもらえるとは思えなかった。
「それは安心していいと思いますよ。こいつにくる依頼なんてそんなのばっかですから」
「失礼だな、君は。間違ってはないけどね」
岩戸の軽口に神島が自虐的に笑う。見かけによらず冗談は通じるたちらしい。
「じゃあ、話しますよ」
それから、僕は昨日の妹の状態に話した。自分でも話しているうちにそれが現実に起こったのかどうか自分でも怪しくなってくる。だが、話終えると、神島は神妙に頷くと、ありがとう、と言ってくる。
「やっぱ、例の被害者の一人か」
「泉くんの話と一致している。彼が嘘を言ってなければ、そうだろうね」
「獏なのか?」
「だろうね」
彼らが何を言っているのか理解できない。獏ってなんだ?あの夢を喰うとかいう動物だろうか?それが何の関係があるのか。思考を巡らせるが、話は見えてこない。
「ああ、すまないね。まだ説明していなかった」
神島はそう言うと、一度、コホン、と咳払いして先ほどとは違う低く、重くのしかかるような声質で話しだす。
「これから言う話は全て本当だ。信じろ、とは言わないが、妹さんを助けたいなら最後まで聞きなさい」
それからの話は漫画の世界の話としか思えなかった。呪い?人の感情が生み出す?獏が夢を喰らう?それを使役している奴が咲の夢を狙った?
信じられるわけがない。そう、実際に目にしなければ・・・
すると、信じられないと半信半疑な顔をしている僕に神島はお札のようなものを手渡してきた。
「なんですか、これ?」
「実際に体験した方が早いだろ?」
そう言うと、神島は何かをぶつぶつと10秒ほど唱え始めたと思ったら、急に、破ッ、と大きな声をだす。何事かと思わず身構えるが何も起きない。
(なんだ?)
やはり、先ほどまでの話は全て嘘なのだろうか。からかわれていただけなのだろうか、不安がよぎる。だが、その不安は杞憂に終わった。
「うわっ!」
思わず、叫び、手に持っていたお札を落としてしまう。だが、それは仕方のないことだったと言い訳させて欲しい。
お札が突然、グズグズと音を立てて腐り始めたのだ。驚かないわけがない。誰だって驚きと恐怖で札から手を離すに決まっている。
「君、相当、溜まっているね」神島さんがその結果を見て、神妙な顔をする。
「今のなんだよ、神島?」
「そういえば、君の時はやらなかったかな、あんな状態だったし。これは人の負の感情を感じ取る札だ。触れた者の感情を読み取り、その人のマイナスな感情を表してくれるんだ。まあ、水見式が種類を表すものだとしたら、これは段階を表すということだ」
「水見式がわかるなんて歳がばれるぞ」
「え!?そんな前かい、水見式?」
「20年くらい前だぞ、水見式でたの」
「そ、それより、これはどういうことなんですか?」
話が脱線しかけたのを慌てて止め、質問する。年に10週しか連載しない漫画の話をしている場合じゃない。
「おっと、すまない。腐るというのは、5段階あるうちの4段階目だ。良かったよ、岩戸くんが君を見つけてきてくれて。君も危うく憑かれるところだった」
その話を聞き、背筋が寒くなる。確かに最近、自分の進路について悩んでいたところに昨日の件だ。相当、許容範囲ギリギリいっぱいの感情が溜まっていてもおかしくなかった。
「まあ、とりあえず、僕という一つの解決法を見つけたから暫くは大丈夫だろう。とりあえず、僕が言った話は信じてもらえたかな?」
「ええ、あんなもの見せられたら、信じるしかないですよ」
実際はまだ半信半疑だったが、とりあえず、神島という探偵の人間性はこれまでの会話から信頼できる人間だということは感じ取れた。
「よろしい、じゃあ、いくつか質問するが、いいかい?」
「はい、答えられることは全て話します」
僕が言うと、岩戸がポケットからメモ帳を取り出す。まるで助手のようだ。
「君の妹さん。海原咲さんの性格や普段の様子はどんな風だった?」
「いつも元気で明るい、笑顔を絶やさない、贔屓目抜きで、可愛い妹でしたよ」
そうだ。妹はそういう娘だったのだ。あんな暗い部屋の中で、精気のない目で虚空を見つめているような娘なんかじゃないのだ。
「そうか、じゃあ、次の質問だ。どんな子たちと仲が良かった?」
「僕の知っている範囲ですけど、同じ部活の娘たちと一番仲がよかったみたいですよ。彼氏は聞いてないので、わからないですけど」
「ああ、それなら、多分いないと思いますよ」
岩戸が苦笑いでこちらを見る。
「なんで、わかるんだよ」
「いや、海原先輩の妹さんに手を出す男はなかなかいないかと・・・」
「ふむ、岩戸くんにしては良い推理だね」
「どういう意味ですか・・・・・」
いや、言われていることは自分でもわかっているけれど・・・
「とりあえず、彼氏もなし、と。将来の夢は聞いたことあるかい?」
「将来の夢ですか?」
「ああ、知っているかい?」
「ええ、プロテニスプレイヤーになるって大騒ぎしてましたから」
「ふむ、良い夢だね」
不意に岩戸があれ?ととぼけた声をだす。
「獏って寝る時に見る夢を喰らうんだろ?将来の夢は関係ないんじゃ」
「ああ、その通りだよ。本来なら、ね」
「本来?」どういう意味かわからず、神島さんを見る。
「本来の獏は夢を喰らうだけなんだ。悪い夢を喰らって、良い夢を見せたり、その逆に、良い夢を喰らって、悪い夢を見せるというふうにね。だから、本当は現実に支障を来すようなことはないはずなんだ」
「じゃあ、何で、妹は!」
思わず、身を乗り出し、神島さんへと迫る。
「一度説明したと思うが、奴らは人間の感情から生み出されるものなんだ。だから、常に一定なわけじゃない。むしろ、村、街、国、時代を通じて変化していくんだよ。特に最近ではネットを通じて誰でも自由に色々なことを知ることができるから、余計にその傾向が顕著だ。今回はそれの典型だよ。獏という睡眠時の夢を喰らうという知識を将来の夢も喰らうと誤解した無知な使役者から今回のやつは生み出されたというわけだ」
「でも、変化するとしても、将来の夢を喰らったって、そんな廃人みたいにならないだろ?」岩戸が聞く。
「だから、今回のは質が悪いんだ。君らは夢を見る理由はなんだと思う?」
「確か、記憶の整理に使われるとか聞ききましたけど」
「ああ、今日あった出来事を脳内で過去の記憶とともに連結させている脳内の作業を映像化させたのが夢だとされているね。だから、夢を喰らうということは今日と昨日までのつながりを消し去るのと同義なんだ」
「いや、ちょっと待ってください。さっき、本来の獏は現実に支障を来すことはないって言っていましたよね?それだと大変なことになりませんか」
今日と昨日の繋がりを消す。それでは、記憶喪失という非常に厄介な症状が現実に現れてしまうのではないか。僕がそう思い、神島さんに聞くと、彼は嬉しそうに岩戸に皮肉を言った。
「いやぁ、優秀で嬉しい限りだよ」
「悪かったな、バカで」
岩戸がふて腐れて、そっぽを向く。それを小馬鹿にするように神島さんは笑うと、僕の方を見て、再び話を始める。
「将来の夢というのは、つまり、目標であり言うなれば、未来だ。過去、現在、未来、夢という言葉はその3つを連結させているんだよ。本来の獏は過去と現実の繋がりを断つ。だが、現実と現実から繋がる未来が断たれた過去を予測して補完してくれるんだ。反対に将来の夢を喰らわれたとしても、今度は過去と現在から未来を予測して修復してくれる。そういうふうに僕たちの頭はできているんだ」
「じゃあ、その内の二つが食われたとしたらどうなるんだ?」
岩戸が息を飲むのが聞こえる。答えはすでにわかっているが聞かずにはいられないといった顔をしている。
「バックアップがなくなり、「現在」しかない状態で夢を喰われると、未来へと進むこともできなくなり、精気のない人形のようになる。今回のようにね」
今回のように。妹のように。
昨日の光景が脳裏にフラッシュバックしてくる。薄暗い部屋で虚空をただ見つめているだけの妹の姿。大切なものを奪われてしまったその姿はまるで機械仕掛けの人形のようだった。
「どうしたら、・・・どうしたら、元に戻せるんですか?」
妹をあんな姿にした人間がいるということに腸が煮えくりかえりそうになるのを必死に抑え、何とか冷静にいようとつとめる。
「方法はいくつかあるが、一番単純なのは使役者を見つけて、とっちめることだ。獏の知識を混同していることから察するにそこまで知能は高くなさそうだしね」
「でも、誰がやっているのかなんて、どうやって突き止めるんだよ」
「今、泉刑事が聞き込みに行っているから、それの報告次第だね。ああ、そういえば、海原君、最近、妹さんが見知らぬ者から電話がかかってきたりだとか、訪ねてきたことはないかい?」
「いや、ないはずですけど。でも、最近はSNSがあるんで、いくらでも、人目を忍んで会えると思いますよ」
咲がそんな怪しい人間と秘密に会っていたなど信じられないが、事実として、彼女は被害者の一員となり果ててしまったのだ。何かしらの接触はあったのだと考えたほうがいいだろう。
「妹さんはどんなSNSや掲示板をやっていた?」
「さあ、でもみんながやっているようなツイッターやらインスタやらはやっていました」
「そうか・・・」
神島さんは急に黙り込み、恐ろしい顔つきを険しくさせ、何事か考え始める。
「それがどうかしたのかよ?」
見かねた岩戸がそう聞くと、彼はおもむろに机の下からタブレットを取り出し、画面を操作すると、目標のサイトを見つけ、こちらに画面を見せてくれる。
「このサイト知っているかい?」
「なんですか、これ?」
「いや、情報はないか調べていたんだが、ここの掲示板に面白いものを見つけてね」
その画面には黒と赤を散りばめた背景におどろおどろしい血文字で『アヤカシサイト』と書かれていた。
「なんですか、このサイトは?」
「最近流行りのオカルト掲示板だよ。各地の都市伝説や説話を自由に投稿した
り、話し合うことができるんだ。僕はこのサイトで妙な書き込みを見つけた」
「妙な書き込み?」
「ああ、内容はこうだ。夢について語りませんかってね」
「夢について語る?それがどうかしたんですか?別に妙な書き込みには思えま
せんけど?」
むしろ、夢を語るなど割とよくある書き込みだろう。僕はツイッターなどをやってないので、なんとも言えないが。
「ああ、書き込まれた場所が問題なんだよ。このアヤカシサイトにこの書き込みは普通すぎる」
「普通すぎる?」
「ああ、しかも、書き込んだ内容は投稿者たちにしかわからないようにされて
いる。普通すぎて、余りにも不自然だ」
神島がそう言った時、にわかにピンポーンと間の抜けた音が鳴り響く。
「誰だ、いったい」
神島は心底面倒臭そうに、立ち上がると、紙の道を通って、部屋をでていく。暫くすると、二人分の足音がこちらへ向かってくるのが聞こえる。どうやら、訪問者は気のおけない仲のようだ。
「おや、高校生が二人いるな」
部屋に神島さんとともに入ってきたのはスーツの男だった。身長は自分より少し低いくらいで、髪は短髪にし、スーツがよく似合いどこか爽やかさを感じさせ、できる営業マンを連想させた。
「泉さん、久しぶりです!」隣の岩戸が元気よく挨拶する。
「ああ、あれ以来だね。元気そうで何よりだ」
岩戸と泉と呼ばれた人物は知り合いのようだった。岩戸の妙な顔の広さにどこか不自然さを感じさせる。泉さんはそのまま慣れた感じに紙の道を通って、僕らが囲んでいる机の周りに腰掛ける。
「で、何か、わかったのか」
いつのまにか定位置に座っていた神島さんが泉さんに話しかける。
「ああ、わかったよ。だが、その前に彼を紹介してくれないかい?」泉さんが僕の方を見る。
「彼は海原くんだ。今回の事件の被害者のお兄さんだよ」
「はい、海原カイといいます。えっと」
「ん?ああ、そうだった。僕もまだ名乗っていなかったな。俺は泉という。まあ、こんな感じだが職業は警察官だ」
「警察官ですか?」
「そうだ。まあ、そこの胡散臭い男の協力者だとでも思ってくれ」
泉さんはそう言うと、自虐的に笑う。警察官という立場で民間に頼っているのを、僕に知られたのに若干の気まずさを感じているのだと予想する。
「じゃあ、紹介も終わったところでわかったことを話してくれるかな」神島さんが苛立たしげに泉さんへ言う。
「ああ、わかったから、そんな顔するなって。昨日から何人かの被害者に面会したんだけど、ある共通点をみつけたよ」
「共通点?」
「ああ、親御さんの許可をもらってスマホやパソコンの履歴を調べさせてもらったんだが、皆、あるサイトの会員だということがわかった」
「ひょっとして、『アヤカシサイト』かい?」
「何だ、知っていたのか?」泉さんが少し落胆したように、肩を落とす。
「こちらもそのサイトで妙な書き込みを見つけてね」
「妙な書き込み?」
神島さんが先ほどと同様にタブレットを取り出し、泉刑事に見せる。
「夢について語りませんか?だそうだ。このサイトには普通すぎて、逆に不自然なんだよ」
「なるほどな。いや、ちょっと待てよ」
泉さんは、手帳を懐から取り出し、書き込んでいく。だが、その手はすぐに止まった。
「どうかしたんですか?」
「ああ、この『アヤカシサイト』で、被害者は全員、同じアドレスの人間と接触していることが確認できたんだが、この書き込みのアドレスと同じなんだよ」
「じゃあ、そいつが犯人じゃないですか!」
岩戸が嬉しそうに、身を乗り出す。だが、神島さんと泉刑事の大人二人なぜか、浮かない顔をしていた。
「問題はどうやって調べるかだね」
「ああ、事件として扱えないからな」
「事件として扱えないと、何が問題なんですか?」
「警察のサイバー課の手を借りて、本人の割り出しができなくなるんだよ」
「じゃあ、折角、見つけたのに、犯人はわからずじまいってことですか」
光明が見えかけたのに、再びその光明は閉ざされてしまった。期待した分だけ落胆は大きいものだった。
「僕が囮になってそいつに対して書き込んでみますよ」何かできないかと、必死に頭を働かせ、提案してみる。
「それができたら、よかったんだが、この人物は会員になってから三ヶ月以上の者の書き込みにしか反応していなくてね。会員の振りをしてもダメなんだ」
だが、神島さんにより、その提案はあえなく無駄に終わる。
このまま何もできないのだろうか。無力感が身を包んでいく。紙に囲まれた部屋を重い沈黙が包んでいく。
そんな時だった。泉さんがアッ!!と急に大きな声をだしたと思うと、スマホを操作し始める。
「どうかしたんですか?」
「ああ、囮に使えるやつを思いついた」
泉刑事はニヤリ、と不敵に笑った。その笑い方はどことなく神島さんに似ていた。
5
今日、記念すべき10人目の書き込みがあった。
どうやら、女子大生のようで、今の好きな人のお嫁さんになるというのが夢らしいが、その好きな人にはその好意を全く気づいてもらえなくて悩んでいるのだという。
お嫁さん。何とも可愛らしい夢じゃないか。
上手く、相談に乗ってあげて、会う約束を取り付ける。
場所はいつもと同じ、駅前の公園。ベンチに座らせて、睡眠薬で眠らせてから、その夢をじっくりと喰らうことを考えるだけで、よだれが出そうだった。夢を喰らうことができるようになったのは、突然例の電話がかかってきてからのことだ。就活に失敗し、肉体も精神もボロボロに擦り切れ、夢も希望もなくなった時、その電話はかかってきたのだ。
お困りのようですね。
電話越しに聞こえる声は男とも女ともいえる中性的な声をしていた。最初は無視しようと、電話を切ろうとした。だが、相手のその後の言葉に思わず、反応した。
夢を食べたくないですか?
最初は訳のわからない宗教勧誘かと思った。だが、その時の自分は怪しげなものだろうがなんだろうが、何かにすがりたいくらい追い詰められていたのだ。電話の主に言われるがまま、試しに公園で寝ていたホームレスの頭に手をかざして、言われた通りに呪文を唱えてみた。
呪文を唱えた瞬間、頭に何かが押し込まれれていくような感覚に囚われた。それは夏場に飲む一口目のビールよりも爽快で、どんな高級サーロインステーキよりもジューシーだった。
その味が忘れられなくて、何度も何度も私はその呪文を唱え続けた。唱えるたびに、ホームレスがうめき声をあげるが快感に身を委ねるのに任せて気にもとめなかった。
つまるところ、はまってしまったのだ。あの味に。
それからというもの、私は元から趣味で書き込みをしていた、『アヤカシサイト』で、夢について語りませんか?と書き込み、獲物を見つけてきた。
そろそろ、10人目との待ち合わせ時間だ。
早く、食べたい。
思わず、舌なめずりしそうなのをなんとかこらえて、待ち合わせ場所の公園に向かう。
駅前の公園は夜になると、カップル御用達のスポットとなり、空気をピンク色に染めていた。そんな中、待ち合わせのときに、わかるように、と伝えられた特徴である黒のパーカーにジーンズを着た小柄な女性の姿を探す。
しばらくキョロキョロと歩きながら探していると、目標の人物と思わしき服装をした女性が一人でベンチに座っているのを見つけた。黒のパーカーのフードを目元までかぶっているせいで顔がはっきりと見えないが、わずかに見える口元から可愛らしいイメージを漂わせている。
ゆっくりと近づいていくが、あちらがこちらに気づく様子はない。仕方ないので、掲示板で使っていたハンドルネームで呼びかけることにする。
「あんたがノリピーさん?」
ゆっくりと、黒パーカーの女性がこちらを見上げる。やっと、顔が見れると期待感が高まる。だが、その期待は裏切られることとなる。
「あんたがバクか」不意にそんな言葉が背後からかけられた。
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