1章 脱皮 一話 探偵登場!
こんばんは!イサシと申します!
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『困ってる人間が目の前にいるんだ、助けない理由がないだろう?』
夏休み、死の縁に立った俺を助けた男はどこか照れ臭そうにそう言った。その言葉はありきたりで小学校の頃から言われ続け、聞き飽きたものだった。
だが、不思議と彼が話すとそれはとても新鮮で、素晴らしいものだと思ってしまった。それは彼がその言葉を体現しているところを目の当たりにしたからだろうか。そうかもしれないしそうじゃないかもしれない。
だが、どちらにせよ俺はその言葉に心を打たれ、それまでダラダラと過ごしてきた17年間で、初めて目標というものを見つけることができた。この男のようになりたい。いや、なりたいではなく、なる。そう決意した17年目の夏だった。
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痛い、苦しい。身体じゃない、心が。もう私の心は原型を留めないほどにずたずたにされてしまった。
いつ、どこで、何を、私は間違えてしまったのか。
あの電話を取った時だろうか。
それとも、謂れのない中傷を無視し続けたことだろうか?
それとも、この高校に入ったことだろうか?
それとも、あいつに会ってしまったことだろうか。
それとも......
考えれば考えるほど、私の心はズタボロになり消えていく。もう戻ることはないだろう。
私は呪ったのだから。あいつを。他の奴らと同様に。もう後戻りなどできない。
私はもう進むしかないのだ。この絶望から逃れるためにはもうそれしか方法がないのだ。電話であの人はそう言っていたじゃないか。罪には罰を、と。
ならば、あいつはそれを受けるべきじゃないのか。私が苦しんでいたのを見ていただけのあいつも同じように苦しむべきじゃないのか。
ああ、でも......
机に伏せられた写真立てを思い出す。もう戻れないあの時を、あの時の思いを私は思い出す。
叶うなら、もう一度......あいつと......
だが、そんな叶うはずのない微かな願いは心を渦巻く呪いの嵐にすぐにかき消され、私は呪いの言葉を吐き続けた。
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10月初旬。文化祭という一大行事を目前に控えた神代高校はまるで音符が弾んでいるのが目に見えるような、祭り独特な雰囲気を校舎に漂わせていた。
神代高校では希望した生徒がそれぞれ出し物や店を出すことになっており、自由度も高く、毎年隣町に住んでいる人も来校するくらいの賑わいを見せていた。
だが、当然その生徒たちの案をまとめて、文化祭としての形を創るのも生徒側がやらねばならず、その役目を担うのは生徒会と運悪く各クラスから二人選ばれた文化祭実行委員会だった。
「何で、俺がやらなくちゃいけないんだ......」
神代学園西校舎5階、階段を上がり、左折。その突き当たりにある教室で、俺は目の前にある膨大な紙の束に圧倒されていた。
どう考えても一人で処理できる量ではない。どうして引き受けてしまったんだと途方にくれていると紙の山の向こう側からぶっきらぼうな女の子の声が聞こえる。
「くじで負けたんだから仕方ないでしょ」
彼女は背筋を正して、本を読んでおり、赤いフレームのメガネにうなじが見えるか見えないかくらいの髪の長さ、それに加えて彼女の知的なイメージが合わさり、とても様になっていた。
「そうは言ってもこれはあんまりだろ!あいつら、俺ら文芸部が文化祭で文集しか出さないことをいいことにどんどん仕事押し付けてくんだぞ!?」
勢いよく椅子から立ち上がり叫ぶ。だが、女子生徒はどこ吹く風といった感じで眠たそうに欠伸をする。
「本当のことじゃないの。もう、文集の編纂は終わったんだし。もうやることないから丁度いいんじゃない?」
「空は文化祭実行委員会じゃないから言えるんだよ!お前も一回、会議に出てみろ。奴隷のように働かされるぞ」
「大地と一緒にしないで」
「同じようなもんだろ」
俺がそう言うと、空はギロリとこちらを睨む。
「な、なんだよ?」その迫力に驚き、たじろいでいると、少女はハァ、とため息をついて、足元に置いてある学生カバンから筆箱を取り出すと、貸して、とぶっきらぼうに言う。
「何を?」
「だから、書類、貸して、手伝うから!」 意図をつかめないでいると、空が声を荒げる。
「え?手伝ってくれるのか!?」
「だから、そう言ってるじゃない!さっさと終わらせて、ご飯食べにいくわよ、あんたのおごりで」
そう言うと、彼女は彼の前にある紙の束からとって、せっせと書類に目を通し始める。
(いきなり、どうしたんだ......?)
『女心は秋の空』とも言うし、きっとお腹が空いているのだろう。俺はそう考えて、彼女と同じく目の前の業務に取り掛かった。
「そういえば、探偵の噂知ってる?」
紙の束との死闘を終え、俺たちは現在、駅前のカフェに足を運んでいた。もう7時過ぎだというのに、店内に客は俺たちしかおらず、店の評判を察することができた。
「探偵?」思わず、ドキリとして、口に運んでいたスプーンを止める。その探偵に心当たりがあったからだ。
「そう、探偵。困っている人に突然、電話がかかってきて、解決法を教えてくれるんだって」
空は頼んだパスタをフォークでクルクルと巻き取り、口に運ぶ。それで自分がスプーンを止めていたことに気づいた。
「見返りとかはないのか?」
「ないらしいよ。あくまでもボランティアっていうのがその探偵のスタンスなんだってさ。胡散臭いよね」
それを聞いて少し安心した。あの人物が金を要求しないなんていうことはありえないからだ。
「全くだよな。そんな電話がかかってきたら、俺だったたら無視するけどな」
「そんなこと言って、大地だったらあっさり、信じ込んじゃいそうだけどね」
空がいたずらっぽく軽く笑う。普段が無愛想なだけに、たまに見せる笑顔に思わずドキリ、としてしまう。小さい頃から一緒にいるがここ最近はその頻度が増えた気がする。
「でも、なんでそんなことしてんだろうな。そんな金ももらわないで、探偵稼業なんて、生活成り立たないだろ」
「お金が目的ではないってことじゃない?お金持ちの気まぐれってやつかも」
「世の中、酔狂な奴もいるからな。そういう人がいても不思議じゃない、か」
「そうだよ、うちの部活だけでも、変わった子があれだけいるんだから、レンとか乾とか」
「いや、あいつらは特別だと思うぞ」
シャーロキアンが過ぎて、架空の格闘技であるバリツの道場を開いたり、家が大好き過ぎて出席日数ギリギリのお馬鹿がそう何人もいるとは思えない。
我が文芸部は総勢20人の生徒で構成されており、その内の15人が幽霊部員という有様だった。
残りの5人は自分と空、今さっき話題となったレンと乾(学校に顔を出した日には部活に来るのでカウント)それともう一人、海原という3年の先輩だ。
その5人だって、文芸部の活動をしているとは言い難く、部室はその5人の基地と化していた。
「まあ、なんにせよ、その探偵は助けてくれるんだろ?危害を加えているわけではないのならいいんじゃないのか?」タダだし。
ボランティアに勤しんでいるというなら、是非続けて欲しいものである。
「それもそうね。この話はやめましょうか」
空はそう言うと、店員を呼びつけ、コーヒーのお代わりをもらう。やってきた店員は白髪混じりの髪をオールバックにした40くらいの壮年の男性だった。
彼が空のカップにコーヒーを注いでいる間、ふと、窓の外を見ると、道路の向こう側に街灯に照らされた神代高校の制服を着た女子高生がトボトボと歩いているのが見えた。
髪は短く、左手にシューズ入れをぶら下げていることから恐らく部活帰りだろう。顔立ちはどこか幼く、まだ中学生でも通りそうだった。
それだけだったら特に気に留めることはなかっただろう。 だが、目を離すことができなかった。 その少女からではない。 彼女のすぐ背後。 そこから目を離すことができなかった。
(あれは......)
急いで、席から立ち上がり、店から出る。驚いた空が非難の声をあげるが、ゴメン、と謝り、女子高生の後を追う。
すぐに追いつけるかと思ったが道路の向こう側に渡ろうとしたがタイミング悪く、信号が変わる。
(くそっ......早く変われよ......)
飛び交う車の間から見える女子高生の姿を必死に目で追う。「それ」は彼女の背後にのしかかるようにしがみついていた。
だが、彼女の横を通り過ぎる人たちはそれを気にする様子を見せない。
普通、見えないのだ。「それ」は。
俺が「それ」を見ることができるのは、今年の夏休みにあの男に助けられたからだ。 その副作用として、幸か不幸か俺は「それ」を見ることができるようになってしまったのだ。
信号が変わった。向こう側の道路へ急いで渡り、後を追う。反対側から帰宅中のサラリーマンと何度もぶつかりそうになるが、謝りながら、何とか前へと進んで行く。
女子高生に追いつくまで後10メートルというところで、彼女は薄暗い路地裏へと入っていた。
(そこはまずいだろ・・・!)
この街は比較的治安のいい方だが、どの街にも言えるように危険区域というものがある。彼女が入った路地裏は地元の不良やチンピラの溜まり場として有名で女子高生がそんなところに行こうものならどうなるかは想像に難くない。
警察をいつでも呼べるようにスマホを取り出し、路地裏に入る。こんな脅しが効くような連中ではないことは百も承知だが、ないよりはマシだろう。
路地裏は街灯もなく、月明かりがぼんやりと行く道を照らしているだけで、心をざわつかせる。
戻りたいという不安を無理やり押さえつけて早足に彼女の後を追う。
座り込んだホームレスや薬中の視線を無視して通り過ぎる。
心臓の音がうるさい。
早くこの場所から離れたい。
だけどそれはできない。
あんなものを見てしまった以上、無視することなんてできない。
あの娘が誰かなんていうのはどうでもいいことだった。
だって、夏休み俺を助けてくれたあの男は見ず知らずの自分を命がけで救ってくれたのだから。
あの時、自分もああいう人間になりたいと思った。知らない誰かのために必死になれる人間になりたいと思ってしまった。
それが間違いだということはわかっている。
そんなものは偽善であることは百も承知だ。
でも、それでも、自分はそういう人間になりたかった。
それくらい今年の夏休みは熱く鮮烈に心に刻みこまれていた。
街灯の明かりが見える。不良やチンピラの溜まり場である広場が見えてきた。
スマホを持つ手に自然と力が入り、一歩、一歩進むたびに足が重たくなる。
重い足を無理やり上げ、進む。狭い路地が終わり、眼前に広場が広がる。
そこに女子高生はいなかった。影も形も。最初からいなかったようだ。
歩みを進める。スマホを取り出し、119番に連絡する。
そこに女子高生はいなかった。そう、女子高生は、
代わりにそこにいたのは予想ではその女子高生を取り囲んでいるはずの奴らだった。 彼らは皆、一様に地べたに這いつくばりのたうち回っている。
うめき声が聞こえる。
ゆっくりと足元を見る。
男が俺の足をつかんで、助けてくれ、と怯えた声を絞り出していた。
「大丈夫ですか?今、救急車を呼びます。もう少し、待っていてください」
落ち着かせるようにできるだけ優しく声をかけ、彼を仰向けにさせ、容態を見る。 素人の自分でも命に関わるかどうかくらいはわかると思ったからだ。 どこか怪我をしていないか見渡す。
だが、服も破れておらず、怪我もしている様子はない。
しかし、彼の首筋に何か縄で閉められた後のようなものがあるのに気づく。
「少し、脱がしますね」
彼に許可を取り、シャツのボタンを外していく。やがて、彼の上半身が見えると、思わず、後ずさる。
「何だこれ?」
それは黒い蛇だった。 太さは15センチ。 長さは2メートル以上はある。 そんな大蛇と呼べるようなものがが今まさに彼の体を締め付けていた。
「なんだ?どうしたんだよ?おい!」
そんな俺の様子を見たのか男は不安気にこちらを見る。
(見えてないのか?)
今の様子だと、男には蛇の姿が見えていないようだった。それはつまり......
(アイツらか)
こうなると自分では手に負える状況ではない。専門家の力が必要だろう。
救急車がやってきて次第、あいつの所へ行くべきだ。
そう考え、足元の男の介抱に戻ろうとする。
だが、ふと背中越しから見られている感覚を覚える。それも大量のその視線は人間のものではないということは感覚的にわかった。
ゆっくりと、本当にゆっくりと、背後を振り向く。
見ていた。蛇が。
何匹も。
何匹も。
何匹も、こちらを見ていた。
彼らは獲物を見つけたとばかりに、彼らは舌をちらつかせ、爛々と目を輝かせる。
「ヒッ!!??」
叫びだしたくなるのを何とかして抑える。 刺激するのはマズイ。 恐怖を押さえつけ、ゆっくりと後ずさる。
倒れている彼らはとりあえず命に別状はないと判断する。
やろうと思えばいつでもやれる状況であったにも関わらず、彼らは縛られるだけですんでいた。
それはつまりこれをした人物は彼らを殺す意思はなかったということだ。
だが、乱入者である俺は別だ。
恐らく、この蛇たちは俺を殺すなという指示を受けていない。 つまり、彼らは野生の蛇そのものということだ。
(マズイ、このままじゃ!!)
身体中から嫌な汗が噴き上がり、身体の指先に至るまで震えが止まらない。
自分は今まさに餌として認識されていることを自覚する。 周囲を見渡し、何とか逃げる方法を探る。
だが、周囲に使えそうなものはなく、徐々に死の重圧がのしかかっていくのを感じる。
このまま何もしなくても、死ぬだろう。 ならば、一か八か背後に向かって全力で走るしか......
そんなことを思っていた時、突然、陽気なメロディが路地裏の広場に鳴り響く。
確か最近流行りのアイドルの応援ソングだったはずだ。普段なら元気を与えてくれるはずの歌が今は死を悼む歌にしか聞こえなかった。
(最悪だ!)
地べたに這いつくばる男のポケットを鬼の形相で睨み付ける。だが、そんな余裕はすぐに消え去った。
この空間に存在する全ての蛇がこちらに今まさに飛びかかろうとしていたからだ。
(死んだな......)
人間はまさに死ぬ瞬間、それまで生きてきた人生がフラッシュバックされるというが、嘘ではなかったらしい。
自分が幼稚園の頃の両親との記憶、小学校の時の幼馴染の姿、中学生の時に振られた事、高校で文芸部に入っ
た時の事、今年の夏休み、その他多くの記憶が脳裏に叩き込まれる。
17年間の軌跡を見たが、順風満帆とはいかずとも、それでも楽しく、満足な人生だったのではないかと思う。 ゆっくりと目を閉じて、眼前に迫る死を受け入れる。
だが.....
「随分と物分かりがいいじゃないか、岩戸くん?」
男の声が聞こえる。 低く、どこまでも低く、聞いた者を従わせるためにあるような独特な声質。 それでいて、妙に聞いていたくなるような話し方。
「君は本当に憑いてるねぇ、狙ってやっているのかな?」
「そんなわけあるか、偶然だよ」
思わず、笑みがこぼれる。
今年の夏休み。決して忘れることのできないこれまでの17年間を吹き飛ばすような出来事。
それに最も関わった人間が目の前にいる。
ゆっくりと目を開ける。
先ほどまで死の象徴だった蛇たちは皆一様に地べたに磔にされたように動かなくなっていた。
代わりとしてこの空間を仕切る男が一人。
時代錯誤の黒い着物に下駄。 180センチくらいの長身に男にしては少し長い黒髪とひどく悪い目つき、それに合わせてマフィアのボスがすっていそうな葉巻と相手を震え上がらせるような風貌。
だが、その物腰はひどく柔らかく、話すものを落ち着かせた。
「ハハッ! まあ、いいや、そういうことにしといてあげるよ。 とりあえず後のことは公僕に任せて場所を移そうか? ここじゃいろいろ面倒だ」
男は、葉巻をふかせ、ニヒルな口調でそう言った。
この男の名は神島。探偵だ。
読んでくださり、ありがとうございました!
とりあえず、一章終了まで一日一話更新を予定しています。大体、7話くらいの予定なので、来週までには一章が終了すると思いますので、お付き合い頂ければ幸いです。